第3話 倉持は断れない

倉持はここ2日ほど残業していた。

先日部長の金剛によって、新人育成プロジェクトが立ち上げられ、倉持はその中心に抜擢されたためだ。

従来のマニュアルの見直し、事務手続きも網羅した初期の業務、実際の指導内容の構成。

倉持は金剛に度々相談しながらも、着実に資料を作成していった。

指導内容については青野を始めとした新人との面談を踏まえて、本当に必要なものを厳選していくようにした。

その傍ら緑谷への指導も忘れずに行った。

コンタクト数が増えるにつれ、倉持の財布の中身は枯渇していった。



このようなことは、学生時代にも多々あった。

基本的に倉持は人の頼みを断らない。

まして、ラッキースケベという負い目を感じている相手からの頼みを断れるわけがない。

加えて、頼まれたことは必ず遂行する律義さの持ち主でもあるため、しばしば無理難題を吹っ掛けられることもあった。



大学2回生の頃、彼はバイトに明け暮れたいた。

理由は言うまでもない。

しかし、バイト先でも度々ラッキースケベに合うので、バイト代の半分ぐらいは代償で消えていた。

現在のシェアハウスの同居人である桜はこの時からの知り合いである。


桜の紹介で、彼は喫茶店でアルバイトを始める。

何の因果か店長も他の従業員も全て女性である。

喫茶店は大学の近くにあり、日中は多くの学生たちがテキストとノート、電子辞書を机いっぱいに広げていた。

店長はイヤな顔一つせずに、一杯380円のコーヒーを振舞っていた。


ある日、倉持がバックヤードで休憩をとっていると、店長がコーヒーを差し入れてくれた。


店長「お疲れ。 しばらくお客さんも来ないと思うから、一息つこうや」

倉持「ありがとうございます。 いただきます」


指し障りのない世間話を交わす。

ふと、倉持は気になっていたことを店長に尋ねた。


倉持「店長。 失礼なこと聞くんですが、私をはじめ結構雇っていますけど…その…大丈夫なんですか? 客単価も高くないですし」

店長「あー… まあ心配しなさんな。 こう見えて、別の方法で稼いでるからよ」

倉持「副業ですか?」

店長「株だよ…株」

倉持「なるほど、よくPCやスマホを操作してるのはそれですか」

店長「そうそう。 ぶっちゃけ、そっちが本業で、喫茶店が副業みたいな感じだな。 だから、利益度外視の経営ができるってわけ。 学生の時ってあんまお金ないでしょ? 普通ならコーヒー一杯でも、安い支出じゃないのよ。 そんな学生がくつろげる環境を作るのも…社会貢献かなと思うのよ」


倉持は静かにうなずく。


店長「だから、気にしなくても大丈夫。 しっかり働いてくれよ」


倉持が株に興味を示すようになったきっかけである。

店長はバックヤードに入ると、ボタンをはずすクセがある。

倉持はブラウスの隙間から顔をのぞかせる黒ブラに気を取られながらも真剣に話を聞いていた。




ある日のことである。

店長のスマホが鳴る。

次の瞬間、店長の表情が暗くなる。

母親が倒れたとのことだった。

普段の飄々とした態度からは、想像もつかないほど、店長は動揺していた。

倉持と桜は自ら店番を申し出た。

この時すでに半年間働いていた。 

当然倉持は一通りの業務はこなせる状況であった。

店長は礼を言うと、母親が搬送された病院へ向かった。


無事回復したと連絡が来たのは翌日の夜だった。

倉持も桜もほっと胸をなでおろした。

しかし、この時倉持に別の不安がよぎった。

その日の朝、とある大企業の株価が大暴落していたのだった。

もしも店長がその株を保有していたら…

嫌な予感がした。


次の日の夕方

病院から戻った店長は、アルバイトの面々にお礼とお詫びを述べながら、お菓子を配る。

その際、倉持にそっと耳打ちした。


店長「すまん…後で相談に乗ってもらえるか?」


倉持は眉間にしわを寄せながら頷いた。



倉持がバックヤードで待機していると、店長がそっと入って、後ろ手でカギを閉めた。


店長「すまんな倉持…」

倉持「もしかして…持っていたんですか? あの株」

店長「はは、話が早いな… ああ、持ってた。 信用取引してた…ひとまず保有銘柄売れるだけ売ったんだけど… もう資産のほとんどが消えてしまったぁ」

店長「…でさぁ……倉持は…人の頼み事断らないって聞いてさ…」


店長がうつむく。


店長「それで、頼みがあるんだけど…」


店長がおもむろに顔を上げると、次の瞬間、床がくぼむんじゃないかというほどの勢いで額をこすりつけながら言った。


店長「この店を貰ってほしい!」


つづける。


店長「私はこれから、死に物狂いで働いて…ソープでも…風俗でもして…税金分や運営費用は入れるから…だから、この店の運営をしてほしい!」


店長「倉持なら、安心して任せられる! だから、頼む! この通り!」


倉持は一呼吸おいて、ゆっくりと声を発した。


倉持「すみません。 お断りします」


店長の肩が震える。

店長は顔を上げず、そのままの姿勢で静かにつぶやく。


店長「…そう…だよな… ごめん… 忘れてくれ」


倉持が声を張る。


倉持「この喫茶店の店長は店長だけです! ですから、この話は受けられません」

倉持「資金が足りないなら、増やしましょう。 私に考えがあります」


店長「…倉持」


倉持はおもむろに立ち上がると、店長に売買の指示を出した。

現状保有する現物株式のうち、いくつかを売却させて、200万円の資金を作ると、オプション取引の指示を出した。


店長「倉持ぃ…オプションは手続きはしたけど、よくわからなくて、手を出したことがないんだよ」

倉持「大丈夫です。 今から言うように、この銘柄のプットの買いと、この銘柄のコールの売りを出してください。判断タイミングはまた言います」

店長「分かった。 信じるよ」


その後、店長の金融資産は徐々に回復していった。

倉持は株式の勉強をしていた。

信用取引のリスクの高さ及び勝ち目のなさを感じていた倉持は、現物株式やオプション取引について、よく調べをしていた。

確実にうまくいくとは思っていなかったが、それでも、可能性が高い方法を学んでいた。


かくして、喫茶店はつぶれることなく、倉持は就職するまで勤め上げた。




現在


資料を作り終えた倉持が、ググっと腕を伸ばす。


倉持「11時30分か… ちょっと、外回りにでも行くかな」


倉持は件の喫茶店を訪れた。


店長「よう。 倉持さぼりか?」

桜「いらっしゃい倉持さん」

倉持「この時期は学生さん少ないからさ。 暇してると思ってきたよ」

店長「言うじゃないか、まあ、暇だけどな。 客一人もいないし。 ただ、おかげさんでそれでもやっていけてるよ」

倉持「どうも…じゃあ、とりあえず、一仕事する前に、一杯ちょうだい」

店長「はいよ」


今では店長もVIP顧客の一人である。

倉持は仕事とリフレッシュを兼ねてしばしば来店しているのであった。


倉持はコーヒーを飲み終えると、2,380円をレジに置き、前かがみになりながら喫茶店を後にした。


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