第2話 シロクマの豪太

『B-205367 雪の結晶 スタッズピアス』

『A-364867 プルメリア ペンダントトップ』


 メールを確認しながら、在庫の棚から商品を取り出す。雪の結晶と花のモチーフを同時に購入とは、随分と季節感を無視したお客さんだな。そんなことを考えつつ、専用の小箱に入れ、梱包用のクッション材で包む。伝票は専用のアプリがあるので、こちらで何も入力せずとも印刷をタップすれば良い。この辺はもう流れ作業だ。


 カタカタとプリンタが動く音を聞きながら、スマホをスクロールする。そこで初めて僕は、送り主の名前を見た。


『中川杏樹』


 決して珍しい名前ではない、と思う。

 中川も、杏樹も。それ自体は。

 だけど、『中川杏樹』ならばどうだ。

 しかも住所は埼玉県だ。

 絶対に彼女だ。杏樹さんだ。


 印刷を終えたばかりの伝票をシュレッダーにかける。

 そして、プライベートで使用している手書きの宅配伝票を出すと、スマホに表示されている情報を見ながら、丁寧に宛名を書いた。店名の隣には、僕の名前――戸塚とづか豪太ごうたの文字も添えた。初めて名前を名乗った時、杏樹さんは言ったのだ。


「どこかの県の水族館にいるシロクマと同じ名前だね」


 シロクマと一緒なんてその時初めて知ったので驚いた。そんな僕を見て、杏樹さんはごめんごめん、と笑っていたものだ。


 こんなこと杏樹さんは覚えていないかもしれない。だけど、もしかしたら、という気持ちで、中に名刺も入れた。僕の電話番号と、メールのアドレスが印字されているやつだ。


 何事もなければ商品が到着するのは二日後だ。

 さすがにこちらから動くのはまずいだろう。そう思って待ち続けた。


 三日経ち、一週間経っても何もなかった。

 やはり同姓同名の別人だったのかもしれないし、本人だったとしても、弟の友人なんて覚えていないのかもしれない。

 

 人生はそう甘くない。

 第一、彼女に会えたところでどうするつもりなんだ。

 貯金もろくに出来ないような生活をしているのに、彼女の何になりたいというんだ。


 そう考えると、自分のしたことが急に恥ずかしくなって、頭を冷やそうと、僕はベッドからシーツやらカバーやらをはぎ取り、それを家にある一番大きな紙袋に突っ込んでコインランドリーへと向かった。何となく、気持ちがすっきりすると思ったのである(実際、確かにすっきりした)。


 ごうんごうん、と回る洗濯機をぼぅっと眺めながら考える。

 もし彼女が本当に杏樹さんだったとしたら、僕が作ったアクセサリーをつけてくれるってことなんだよな、と。

 

 好きな人が、自分の作ったものを身に着けてくれる、というのは、かなり嬉しい。

 

 女性に装飾品を贈るのは、それほど難しいことじゃない。当然、見ず知らずの男から贈られれば気持ち悪いだけだけど。だけど、ある程度の関係だったとしたら、それはそこまで難しいことではない。買って渡せば良いだけだ。


 でも、その装飾品は、誰かが作ったものなのだ。

 それを身に着けた人が美しくなったのなら、それはその、作った人の手柄なのだ。

 昔から、僕はそういう風に考える人間だった。もちろん、贈った人のセンスもあるんだろうけど、その人を美しく見せているのは、僕のアクセサリーなのだ、と。


 その夜、僕は、洗ったばかりのシーツに包まれて、僕の作ったアクセサリーを身に着けた杏樹さんの夢を見た。



 

 人生は甘くない。


 だけど一生に一度くらいなら、奇跡とも呼べるような出来事は起こったりする。


 梅雨だった。

 さすがに洗濯が追いつかず、普段ならシーツやタオルケットなどの大物くらいでしか利用しないコインランドリーに下着やらシャツやらを持ち込んだ日のことだ。


 時刻は二十一時を回っていて、大通りから外れたところにある行きつけのコインランドリーはそのほとんどが稼動していた。やはり皆考えることは同じなのだろう。

 三方の壁にずらりと並んだ大型洗濯機を見渡せるよう、店の真ん中には、木製のベンチが置かれている。背もたれのないやつで、ベッド代わりに利用されないよう、一定の間隔で肘置きがあるタイプだ。


 その端っこに、女の人が座っていた。うたた寝でもしているのか、俯いて、軽く左右に揺れているように見えた。


 起こした方が良いのかな、と思った。自立する革製の鞄を隣に置いているけど、チャックが全開で中身が丸見えだったからだ。財布だって盗ろうと思えば盗れる。


「あの」


 せめて鞄はチャックを閉めて膝の上に乗せた方が良いですよ。


 それくらいの忠告をするつもりで声をかけた。肩に触れたりなんてこともしない。痴漢だ何だと騒がれたら困るし、ここには防犯カメラだって設置されてる。


「はぁ」


 眠そうな声ではあったけど、すぐに返って来たところをみると、本当にうたた寝程度だったか、それとも起きていたのかもしれない。ちょっと早計だったかな、と反省しつつ、だけど一応鞄のことくらいは言おうと思ったその時だ。


 何でしょう、と顔を上げた彼女は、杏樹さんだった。彼女の方でも、一瞬怪訝そうな顔をしたものの、あなたどこかで、と賢明に思い出そうとしてくれている。


「あの、豪太です。えっと、シロクマの――」


 馬鹿か、シロクマの方じゃなくて、普通は幸樹の友人ですって名乗るもんだろ。そう思い直し、「じゃなくて、幸樹の」と言いかけた時、杏樹さんは「あぁ!」と目を見開いた。


「思い出した! シロクマの豪太君か! 幸樹の友達の! だよね?」


 やはり『シロクマの豪太君と同じ名前』というのは、彼女にとってかなりのインパクトだったらしい。まぁ結果オーライである。


 自分の洗濯物を洗濯機に入れ、それが終わるまでの間、僕達はベンチに並んで話をした。幸樹がいまどこで何をしているとか、主にそんな話だったけど。でも、当然といえば当然である。彼女は幸樹のお姉さんで、僕は弟の友人なのだから。接点はそこしかない。


 だけど。


 ゆるいウェーブのかかった茶色い髪を耳にかけた時、そこに雪の結晶のピアスが見えて、僕は思わず「そのピアス」と口にした。


「あぁ、これ? 可愛くない? 何か友達のおすすめのネットショップがあって。そこで買ったの」

「へぇ、そうなんですか」


 いや、それ僕の店なんですけど!


「えっと、その、よく似合ってますね」


 僕が作ったんですよ、という言葉の代わりにそう言った。照れたように笑う杏樹さんは、昔と変わらない。僕が二十四だから、彼女は二十八のはずだ。彼氏とか、いるんだろうか。名字が変わっていなかったから、少なくとも結婚はしていないはずだ。


 左手の薬指に指輪は、ない。


「こんな夜遅く、大丈夫なんですか?」


 一か八かの気持ちで聞いてみた。


「えー? 大丈夫大丈夫」

「その、彼氏さんが、お迎えにくる、とか?」

「彼氏? 別れちった。あはは」


 あっけらかんと笑う彼女を見て、心の中でガッツポーズをした。あくまでも、心の中で、だ。


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