第6話 善意なしの善行

「頼むぞ」


 祈るような気持ちで、俺は最後の一万円を入金した。全身に嫌な汗をかきながら、ハンドルを握り続けた。頼むから当たってくれ、とひたすらに願い続けた。所持金が九、八、七千……とどんどん減っていき、あっという間に残りは千円だけ。


「これに全てをかける」


  俺は最後まで勝利を信じて、最後の千円分の銀玉を台の盤面に射出した。


 だが、電子機器は無情だ。銀玉は尽きた。


 それでも、俺は諦めきれなかった。周辺の床をキョロキョロ見回し、落ちていた玉を両手で必死に拾い集めた。


 その最中に俺は漸く気付いた。左隣の金髪の女の人が居なくなっていたことに。


「チャンス!」


 無人の左隣の台が、独り言のように有難みのない言葉を吐いた。


「隣に座っていた金髪の子、違う台に移動したか、家に帰ったのだろう。――保留を残したままで」


 パチンコあるある的なよく見る光景だった。なので、俺は直ぐに両手で握った十数個の銀玉に意識を戻した。それを台の上皿に流し込み、盤面に射出した。願うは、前日の奇跡の再現だった。


結果は……当たりどころか、銀玉がヘソに入りすらしなかった。


 奇跡なんて、易々と起こらないから奇跡なのだ。そのことを、俺は身をもって知らされた。


「昨日でやめとけば……」


 と、必死に時間を遡り、自身の業を責めても全ては後の祭りだった。


 一通り、自身への罵倒を心の中で済ませると、俺は一応の平穏を取り戻した。


「ダアアアンンン」


 この時、俺は左隣の台の液晶がやけに騒がしいことに気付いた。一体、何事か、と俺は横を見てみると、液晶内では図柄が揃っていた。――しかも、奇数図柄だった。


「マジかよ」


 俺は驚嘆しつつも席を立ち、金髪の子が付近にいないかと急いで周りを見渡した。だが、姿は確認できなかった。


 ならば、と俺は左隣の台の上皿に煙草の箱を急いで投げ入れた。


「誰もいないのなら、俺が打っていいのでは」


「いや、この当たりは金髪の子のもの。流石にいかんでしょ」


 邪と正の極限状態で、俺の心は激しく振動した。そして数秒後、決心した。


 ――金髪の子を探そう、と。


 別に俺は善人ではない。


「これは蜘蛛の糸、掴めば負けを取り返せる」


 と一度は天秤を邪に傾けた。だけど、店員や他の客の目がある。それに怖じ気付いて打たなかっただけだ。


 でも、どうして俺は金髪の子をわざわざ探そうとしたのか。知らんふりして、台を放置して帰ればよかったのに。同世代の子だったし、俺と同じように金に困っているかも、と勝手に境遇を想像し、他人だけど他人に思えなくなったのだろうか。


 ――やっぱり、よく分からないな。まあ、細かいことはどうでもいいか。


 俺は心を正に収束させ、他の客に邪魔にならないよう、パチンコ、スロット両方の島を早歩きで見回った。だが、金髪の子の姿はなかった。


「彼女、帰ったのかも」


 と思い、俺は店の出入口から室外に出た。そして、辺りを見回した。


「金髪で、確か、上は白のブラウスを着ていた筈……いた!」


 数十メートル先に、それらしき女性の後ろ姿を見つけることができた。彼女は独り、パチンコ店と反対方向へ移動していた。


 その後ろ姿を目掛けて、俺は走って追いかけた。真夏だったので、地面のアスファルトが激熱な鉄板のようだった。それが酒、煙草をこよなく愛する不摂生な俺には堪らなくしんどかった。金髪の子の傍まで到達するのにわずか七秒程度。にもかかわらず、息がゼーゼー、汗がダクダクになった。


 そんな疲れた様子で、俺は金髪の子の肩を後ろからトンと叩いた。彼女は少しビクッとして、後ろを振り返った。


「すいません。俺の隣で打ってた人だよね?」


 俺は息を切らしながら言った。


「はい、そうですけど……」


「貴方、保留を残して止めたでしょ? その残した保留が大当たりしてたよ!」


「ええ、本当ですか⁉」


「本当だよ! 俺が台をキープしてるから、急いで席に戻ろう」


「分かりました」


  俺と金髪の子は一緒に走って、パチンコ店に戻った。彼女が打っていた台の前に着くと、画面はまだ大当たりラウンドの1R目だった。


「良かった、間に合った」


 俺は額の汗を手で拭いながら、ホッとした気持ちで呟いた。


「これ、打っていいの?」


 金髪の子は俺に不安そうに聞いてきた。


「そりゃあ、当然だよ。貴方が当てた分だし」


「有難うございます。後でお礼するから――」


「いいよ、そんなの。じゃあ、頑張って」


  俺は上皿に置いておいた煙草の箱を手に取った後、そう言い残し、その場から立ち去った。


 お礼なんてわざわざ頂くほどのこともしてないから、「有難う」の言葉だけで充分だった。それに俺は負けて素寒貧すかんぴんで帰る身。他人が大当たりを重ねていく姿など見たくもなかったのだ。


 俺が島から出ようとすると、白髪のオジサンの台が視界に入った。その台の銀玉吐き出し具合は止まることを知らない状態だった。白髪のオジサンは心の中も大量の銀玉で満腹になったのか、欠伸をしながら打っていた。


 俺はチッと乾いた音を残し、店から去った。


 家に帰ると、俺は真っ先に実家へ電話した。


「ごめん、三万だけ入れといて」


 電話越しの両親に頭を下げながら、俺は要件を伝えた。当然、両親からは説教。それは一時間以上も続いた。だけど、電話の最後には、


「出世払いの名目で銀行の口座にお金を振り込んでやる。今回が最初で最後だからな」


 と言ってもらったのをよく覚えている。


 この時、親というのは厳しくもあり、優しくもあることを俺は切に痛感した。


「パチンコで作った借金を親に肩代わりしてもらうなんて、なんたる親不孝者。これに懲りて、パチンコを止めよう」


 俺は心から誓った。


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