其の参

「おーい。例の子が来たよ」


室内に入ると法界王さんがカウンター越しに誰かを呼んだ。

中には事務用の机と椅子。ソファ二脚と低いテーブル。

法界王さんの声に、くぐもった返事が聞こえ、背の低い女の人が出てきた。近くで見ると、長髪があちこちに跳ねている。黒いシャツに黒いネクタイ、裾が長い黒いコート。靴はブーツでこれも黒い。


「初めまして。一緒に仕事をする。俺は十王じゅうおう祐天ゆうてん。よろしく。ヒトツバシゴジョウ」


「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」


相手が頭を下げたので、僕も頭を下げたが、名前が記憶できなかった。ジュウオウさん?


「それで、これ、お前の服な。すげえ背が高いな、天海と同じくらいか?」

「ああ、そうだね。俺よりちょっと低いから百八十センチくらい?」


渡されたスーツは、シャツは朱色で他は法界王さんと同じものだった。


このビルは一階が事務所で二階と三階は住居になっているのだそうだ。二階に僕の部屋も用意されていた。

生前のアパートと同じ作りの部屋だった。


僕はそこで初めて自分の死装束姿を見た。自分のこの様な姿をまじまじ見る日が来るなんて思っていなかった。全部を手放して飛び降りたから、あの時の気持ちは忘れることなんかできないと思う。僕は着替えて、一階の事務所へ向かった。


法界王さんがソファに座り、テーブルに出した書類を眺めていた。僕を見つけると手招きして、向かいのジュウオウさんの隣に僕は腰掛けた。テーブルの上の書類は、法界王さんとジュウオウさん、そして僕の写真付きの履歴書の様なものだった。


「うーん。俺は名前で呼んだ方が呼び易いかも、祐天も名前がいいか。三人とも苗字が呼び難いから」

「あ。はい。確かに」

ヒトツバシ、ホウカイオウ、ジュウオウ。確かに呼び難い苗字のメンバーが集まっている。


「名前をそのまま呼び捨てしていいぞ。ユウテンって。俺も五錠って呼ぶから」

「あ。ああ。はい。じゃあ、僕も、ユウテン、って呼びます」

「敬語もしなくていい。大丈夫だ、誰も五錠に意地悪しない。俺も天海もしない」

「あ。は、はい。あの、うん。ありがとう、あの、……あの、本当にありがとう、嬉しい」


生前僕は目立たない様、標的にならない様、頭を低く身体を丸め生きてきた。僕はどうしても誰かを信用することや大切に思う事ができなかった。愛想よく声を掛けてきても、いつかきっと精神的、身体的な暴力を振るわれるんだろう、と。暴力と他人がイコールだった。


「俺も五錠君って呼ぼう。苗字よりは呼び易い」

「あ。はい!じゃあ、僕は天海さんって呼びます」


差し出されて受け取った用紙は、生歴書で、二人とも没事の欄に「自死(秘)」とあった。

祐天は三十三歳、天海さんは四十四歳で自死をした様だ。


◇◇◇


「五錠君が飛び降りて、完全に死亡してから約二十四時間経過してるんだけど、俺たちは生界を覗いてる訳じゃ無いから居場所とか分からないんだよね。情報として上がってくれば別だけど。君の飛び降りた場所は情報として上がって来たから知ってるけど」

「……え。と。飛び降りる直前に僕のアパートに荷物持って来て一緒に住むって言ってたんで、もしかしたらそこにまだいるかも。でも、警察の事情聴取とか遺体の引き取りとかの話になると逃げると思うんで……」

「この地図だとアパートはどの辺だ?」


祐天がテーブルに地図を広げた。現世の地図だった。僕が飛び降りた場所に赤いマークがついている。


「……このあたり。古いアパートがあるんだ。まだ居ると良いけど」

「天海、行こう。逃げてても何か痕跡あるかもしれない。」

「そうね、早い方がいい。祐天、生界と死界の地図を位置あわせて印刷してきて。五錠君は俺と車に乗って待とう」

「あ、はい」


ビルの脇に停められてい真っ黒いワゴン車の運転席に天海さん、助手席に僕が乗った。直ぐに祐天が紙の束を抱えて後部座席に乗り込んだ。


「目的地まで先に移動して、そこから生界に潜る。祐天、地図ちょうだい」

天海さんが手を後ろへ伸ばすと、祐天が紙を渡した。

「そんに遠くない。けど、思いっきり山の中だわ。そんじゃ行くよ」

地図を片手に、天海さんは車を走らせた。

後部座席の祐天はトランクに積まれたバッグから何かを取り出している。


「五錠、お守りに持っておくか?」

「あ、え?お守り?」

差し出されたのは小刀だった、僕に刃を見せた後、鞘をかぶせ、文字の描かれた包帯のようなものを巻いた。


「怖いやつを捕まえに行くんだから、怖いに決まってる。だからお前の心を守ってくれるように。十三神の加護があるんだぞ」

「……」


僕は無言でそれを受け取って両手で握り締めた。

そうだ、僕はこれから自分を虐待した母親と対面するのだ。

姿を見ただけで、足が動かなくなる程の恐怖とまた対面するのだ。

それなのに、今の今まで怖いなんて忘れてたのだ。


「……あ、ありがとう。持ってるね。でも、二人が一緒だったら、怖くても、大丈夫な気がする」

僕は刀をポケットに入れた。

お守りも嬉しいが、祐天の言葉が何よりも嬉しかった。

十三神が何かは分からないけど、きっと良い神様なんだろう。


「五錠君。十三神ってのはね、俺らにこの捕縛と連行を指示した偉い人たちのことだよ」

「え、僕は神様のことかと、」

「いや。神様だよ。十三体の神様。地獄ってものすごい広大なの。その中の上の方が所謂天国って名前で通ってる地区で。職安が入り口になってるんだよ。それで、此処からものすごい下の方に無間地獄っていう大罪人が堕ちる地獄があるんだ。十三神はその審査と決議、決定をする神様のこと」

「じゃあ、その神様が正しく裁いてくれるってことですか?」

「そうなるねえ。……なあ祐天、この橋って車で行けたっけ?」

「ギリギリ行けた気がする」

「よしよし、じゃあ、もうすぐだ」


◇続

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