第3章 第2話
◇ ◇ ◇
「はぁあああっ。見てくれよ、大家君!! 平面の世界だっ!!」
「アカネさんの世界は、球体なんだっけ?」
「あぁ。引力の関係で物体は寄り集まるからね」
アカネさんに、エデンについて話してから三日が経った。
俺達は今……宙を飛ぶ天舟の天守閣から、イノセンス全土を見下ろしている。
天舟にも様々なタイプがあるが、今回は古来より運行してる木造タイプに載っている。
人間以外も悠々と乗れる設計で、一つの街よりも巨大な天舟にアカネさんは大興奮である。
「いやぁ、薄々思ってたけど……やっぱりノアの箱舟じゃないか」
「ノアの箱舟なぁ。《 》は優しい神様だから、似てる存在ってだけなんだろうけど……複雑だ」
ノアの箱船……アカネさんの世界にある神話の逸話らしい。
神様が世界中に大洪水を起こして、動物一組を除いて全滅させたらしい。こえぇよ。
《 》の事を話す度に、アカネさんはその神話の神に似ていると言うが、俺はそう思わない。
《 》はお節介だし口うるさいが、イノセンスで生きる俺達ヒュージンをいつも心配して見守ってくれる良い神様なのだ。
洪水を起こすなんて、思えない。
「それより大家君。天舟とエデンはどの位離れてるのかね?」
「うーん。辺境までは一時間。そこからまた一時間と言った所かな?」
「エデンは空にあるんだろう? 一時間で着くのかい?」
「着くよ? 結構近いし。今回は辺境経由じゃなくて、直接中心部に入るからね」
「星まで一時間? この速度で?」
アカネさんがブツブツ言いだした。
俺には理解できない単語が含まれている……アカネさんの世界の法則とこの世界の法則の差について考えているんだろう。
天舟はその間も、エデンを目指してグングン飛んでいく。
真下に見えるイノセンスの全貌も良く見えた。
大地全体は円形に近い形をしており、中心にはエルフの村に生えている世界樹が。エデン、イノセンス、アビスを貫いている。
その周囲を海が囲んでいて、世界の端から水が零れ落ちていた。
世界の端から零れた水は何処に行くのか、実は誰にも知られてない。
天舟でも、世界の果ての結界を越える事は出来ないからだ。
美しい光景だが……俺のもっぱらの興味は頭上の雲である。
重厚な雲は灰色を越えて薄暗く、近づくにつれ大気が濡れる様に重い。
「アカネさん。そろそろ雲の中を通るから、船内に行こう」
「あっ、ちょっと待ってくれ。もう一回だけ下界を見下ろしたいんだっ!」
「はいはい、船内で見ようね。風邪引いちゃうよ」
雲の中を通るとズブ濡れになる。俺はアカネさんを連れて、船内へと戻った。
船内は伝統的な様式を守っており、自然物の加工品以外は置いていない。
購買所もあるが、生活用品ばかりで土産物は無かった。
俺達は自室に戻る道程を辿りながら、廊下の窓から景色を覗く
生憎、雲の中に入っていて景色は見えなかった。
ぶー垂れるアカネさんは、「代わりにエデンの辺境が見たい」と窓から離れようとしない。
「まぁ辺境はイノセンスの荒野そっくりだから、つまらないかもね」
「楽園を囲むのは不毛な荒野か……考えさせられるなぁ。他に何があるんだい?」
「エデンとイノセンスの国境を引いてる河があったり……その位かな?」
「……三途の川か」
「うん? どうだったっけ……名前はあるらしいけど、覚えて無いや」
アカネさんの顔が引き攣って、窓からそそくさ離れた。
その場から逃げ出す様に、俺の手を引いて空腹を伝えてくる。
「大家君。ボクはお腹が減ってしまったよ。レストランに行かないかい?」
「舟底には食料庫があるけど……エデンまで待とうよ」
「ふぅむ……エデンにはどんな名物料理があるんだい?」
その言葉を待ってたよ。ずっと言いたかったんだ。
「何でもだよ。アカネさん」
ウィンクした俺の顔を見て、アカネさんは随分と胡散臭そうな目で見てくる。
俺はエデンに行けば何とかなると思っていたし、その態度を見たアカネさんも精神的に落ち着いてきた。
俺はもう半ば程、この旅行の目的は終わったと思っていた。
その予感は二時間もかからずに、裏切られる事になる。
◇ ◇ ◇
俺達は今、筋肉ムキムキで嫌味な程の爽やかなマッチョに囲まれている。
ヒュージンの伝統衣装である、上下一体型の服を纏った彼らは……天使だ。
正確には天使という職についている、翼を生やしたヒュージンである。
俺は初めて、彼らのしかめっ面と怒鳴り声を聞いた。
「ダメだ。ダメだっ! 少なくとも今日は会わせられない!!」
「待ってくれ、面談許可は取ってるんだ……何が行けない?」
「とにかくっ! 一度役所を通してくれ」
つまり目の鼻の先には《 》と会える門があるのに、前段階で躓いた。
◇ ◇ ◇
天使から面会謝絶を受けた数時間前、俺達はエデンの天舟の停留港に降り立つ。
「天国だぁぁあああ!」
アカネさんは天舟から飛び降りると、奇声を発して雲の大地……雲海を走り出す。
俺は彼女が走り出したのは見えたが、第二の故郷への郷愁に鼻頭と胸が熱くなってそれどころじゃない。
「……」
「大家くーん」
舟から伸びるタラップを降りる俺の視界は、白亜の雲が六。人工物が二。緑が一の割合を閉めていた。
遠くには翡翠色の光柱が、天を貫いている。
アカネさんに見せたかったのは、この景色だ。
先日、エルフの村に行くに当たって買った旅行本にも載っていた光景ではある。
だがその時のアカネさんは、雲海を歩ける事を信じてくれなかった。
エデンやアビスが無い世界から来た彼女には、雲とは見上げる物らしい。
彼女なら面白いリアクションを取ってくれると、信じていたが予想以上だった。
気持ちは分かる。ただっ広い雲海を走り回って、雲を蹴飛ばすのは気持ち良い。
イノセンスと違って体も軽いもんだから、普段よりも動きやすいのもある。
「いやぁ、空気が美味いなぁ」
「大家くーん」
見渡す限り雲海の大地しか無いが……それは郊外の港だからだ。
前方に見える錬鉄の門を潜れば話は変わる。
エデンの街並みの美しさを、アカネさんに見せてあげたい。
「大家君っ!」
「うおっ、どうしたんだいっ」
アカネさんの俺を呼ぶ声が聞こえた。
周囲を見渡すと、彼女の元気に跳ね回る姿が見えない。
声のした方向を見ると……変な植物が雲海に生えていた。
ウネウネと動いているソレは、良くみれば女性の脚である
スカートが捲れていて、女性としての尊厳が壊されていた。
「助けてくれたまえぇっ!」
「…………ぁっ、君かっ!」
周りの人の冷たい目が俺を貫くのを感じながら、気づかない間に転んだアカネさんを、野菜の様に引っこ抜くのだった。
◇ ◇ ◇
「本当に頼むよ、大家君。君にはボクのお世話をして貰わなきゃ」
「一番恥ずかしい思いをしたのは俺だけど、君は女の子だし……分かったよ」
「そうそう。恥ずかしい思いをしたじゃないかっ!」
「一番恥ずかしい思いをしたのは、俺だけどなっ!」
大事な事だぞ、ほんと。
俺達は錬鉄の門の隣でゴロ寝して、職務放棄をしている門番の横を通り抜ける。
本来の門番の仕事は、エデンに入るヒュージンの選別をする事らしい。
だが選別基準として全ヒュージンは合格しており選別し甲斐が無いらしく、今ではエデンに入ろうとする他の人種を止めるのが仕事だ。
まぁ俺達には、関係無いか。
人の行列に混じって都市部へ入り、そのまま人の波に従って歩く。
「ここから都市部に入るよ。イノセンスと違って石造建築なんだ」
「ふぅーん。石造なのに意味はあるのかい?」
「家を使う人が少ないからかなぁ? イノセンスは気候は温暖で暖かいし」
「……家を使う人が少ないって言うのは?」
「夜は無い世界だから、適当な日向でお昼寝して暮らしてる人ばっかりなんだよ」
「神代時代かな?」
原始が神代と翻訳されて聞こえた。原始……ヒュージン創造の事かな?
「神代時代からで合ってるよ」
「神代……?」
次の神代は、確かに神代と聞こえる……うーん。世界共通言語も万能では無いか。
まぁ逆に何でも合致したら怖いんだけどさ。
「翻訳の誤差が出たね」
「はぁ……まぁ良いか。見えてきた」
懐かしの魂の故郷。エデン。
正確には俺の家でも何でもない。
だが《 》によって作られたからには、ある意味ここが故郷と言える。
エデンの街並みは、象徴的な文様や装飾が多いのが特徴だ。
地震なんて無縁だから造りも簡易的で、安全性や住居性よりもファッション性が重視される。
自然環境も穏やかで常に太陽に似た光球が浮かび、その下には整地……整天された雲海から、色取り取りの草花が咲き誇っていた。
「アカネさん。此処からは素足で行こう」
「うん、分かったよ。いやぁファンタジーだなぁっ!」
イノセンスと違って、埃とか塵とは無縁の世界だから靴なんて要らない。
俺達は靴をしまって素足になって歩く。
光球で暖められた雲を踏むと、僅かな反発力と優しい肌触りがあって心地良い。
アカネさんの興奮は絶頂期を越えて、ピョンピョン跳ねている。
「さぁって食事だ」
「あぁっ、もうお腹ぺこぺこだよぉ~大家くぅん」
「そうだね。えーとイノセンスじゃないと食べられないモノが良いか」
イノセンスでしか食べられないモノ……は幾らでもある。
でもアカネさんの口に合うかは分からない。
「うーん」
「何だい? 何を食べられるんだい?」
嬉しそうに俺を見てるアカネさんに、マズイモノを食べさせたく無いなぁ。
俺は大好きな人達と食べる食事が、好きだ。
何でも美味しく食べられちゃう人間だから、誰かにお勧めする自信が無い。
という訳で俺は雲海の一部を千切り、彼女に問うた。
「アカネさん。元の世界に戻れたら、食べたいモノってある?」
「元の世界で……元の世界でしか食べられないモノかぁ」
「今食べたいモノでも良いけどね」
「君が作る肉野菜炒め……ぁーいや。カレーかな?」
「カレーで良いの?」
思ったより庶民的なもんだな。いつでも作ってあげるのに。
「君がいつも作るスープカレーじゃないよ。ボクの国のカレーさ」
「ふーん……同名の料理なんて珍しいなぁ」
「一緒の名前なんだけど、別の料理というか……」
訳分からんが、まぁ良いか……何となくで良い。
俺は千切った雲海を捏ねた。
泥というよりも質量を持った泡の様な雲は、捏ねると肥大化し始める。
みるみるうちに、香ばしい匂いが漂う。
肉の脂が跳ねる匂い。野菜や果物の生来の甘い匂い。
様々な匂いが混ざり合う。
「んんん? ぇっ、は? 何をしてるんだい?」
「創ってるんだよ」
リュックサックほどの大きさになった雲を半分に割る。
匂いが溢れ出し、俺の腹が鳴る。
好奇心と共に、雲の中を覗いてみると……良い匂いのするウンコが出てきた。
「……えぇ?」
「おい、何だその顔は。いや言わなくて良いぞ。君の下劣な考えは何一つとして正しく無い……その顔をボクの国の人間が見たら怒るぞ」
二つに分けた雲の中から現われた、良い匂いのするウンコ。
それを食べたいと願ったアカネさんの顔を見るが、みるみる内に眉が吊り上がる。
「……凄いね。異世界」
「良いから食べろ! どうやって出したのか聞くのは食べてからにするからっ」
く、食うのかコレを。食えるのか俺っ!?
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