第3章 [???編]

第3章 第1話


 ◇ ◇ ◇


「で、ボクに正直に言いに来たと」

「お医者さんも、さっぱり分からないみたいで……」

 俺は担当医からアカネさんの死病宣告を受けたその晩、本人に全て話した。

 頼る事ばかり得意な俺に、彼女は呆れ顔だ。

「ボクが倒れた後の事や、君に迷惑をかけた事を話したいけど……流石に命がかかってるとなれば話は別だねぇ」

「俺も君に言いたい事は幾らでもあるけど、命が優先だよ」

「分かってるとも。それに言ってくれて助かったよ……ボクには心辺りがある」

「おぉっ! なら治せるんだね!」

「……」

「アカネさん? ねぇ、どうしたんだい?」

「無理だ」

「で、でも心辺りあるんだろう?」

「君が担当医から聞いた症状の通りなら……心辺りはあるが、治せない。無理だ」

 俺が聞いた症状……それはアカネさんの体内の中の免疫系の異常だった。

 内臓の動きが悪く、食べたモノが消化出来なくなりつつあると。

 このままでは遠く無い将来、体内の内側から腐っていくかもしれないらしい。

 だが原因が分からなかった。消化出来ないなんてあり得るのか……?

「……」

「先に言っておこう。これはボクが生きる上で、起きるべくして起きる問題だ。仕方無いんだよ」

「そんな事……」

「あるんだよ。君には言っても分からないだろうが……コロンブスが新大陸で菌類やウィルスを原住民にバラまいた事と一緒だ。キノコがいても細菌が居ないおかしな世界である以上……無菌の食物を食べてればこうなる」

 キノコを細菌と呼んでいるので、変な事言ってる様にしか聞こえない。

 その上、ウィルスとやらについては全く意味が分からないけど……彼女の病気の原因は、健康に必要な何かが無い事が原因らしい。

 俺が黙ってしまうと、アカネさんも表情を曇らせて俯く。

 彼女の肩に手を置いて、語りかける事しか出来なかった。

「何か方法はあるよ」

「……」

「時間はまだあるから。頼りになる友達に、声をかけてみる……アカネさんも一緒に治療法を考えてくれ」

「ふん……当然だ。ボクは天才科学者。ショウザキ・アカネなんだからね」


 ◇ ◇ ◇


「やっぱりやだぁああああああ、ひぎゅぅうっ死にたくないィイイイイイ」

「よしよし。泣かないで」

 一ヶ月後。俺が日課であるアカネさんのお見舞いに動物病院へ行くと……ナースさん達に彼女の病室へと引っ張られた。

 清潔な真っ白な部屋の中、彼女は窓際のベットで上体を起こしながらギャン泣きして暴れている。

 隣にはいつの間に仲良くなったのか、エルフの村で出会った少女……アドリィが宥めてくれていた。

「あっ、彼氏さん。アカネちゃん泣いちゃってて……慰めてあげて」

「か、彼氏って……いやいやいやボク達はそんな関係じゃない。互いに異性の友人は居ないし、大家君が生活費を賄って家事の基本はボクがしてる……まぁ俗に言う同棲生活をしている。何なら同じ宿に泊まりながら、旅行までしたのはもう友人と言えるかはともかく……」

「早口の天才かよ……」

 俺が呆れて呟き、アドリィさんも溜息交じりにアカネさんの背中を叩いた。

「分かった、分かったわ。とりあえず彼に甘えてね」

「ふぅう。分かれば良いんだよ、分かれば」

「甘やかせば良いの? 任せてくれ」

 アドリィさんが席をどいてくれたので、俺が代わりに座る。

 俺はアカネさんを抱きしめて背中を撫でる。

 彼女は女性であるからか……俺とは違って、柔らかで良い匂いがした。

 勿論。口には出さないけど……。

 そんな幸せな気持ちも、彼女の顔を間近で見ると消え去る。

 彼女の目は充血していて、頬には涙の後が残っていた。

「なぁ大家君。アドリィがエルフの村の食事なら、病気の進行を止められると言うんだ……どうするべきだと思う? エルフの村で君と一生暮らすか、こっちの国で治療の方法を探すか」 

「俺が君に着いて行くのは。決まってるのね」

「当たり前だろうっ!? ボクのフォローは、君の仕事じゃないか!!」

 本当に俺の価値って、そこしか無いから困る。

 マギサックラーとしても、知性でも彼女には勝てない。

 出来るのはイノセンスの常識を知らない彼女に、それを教える事だけだろう。

 自嘲気味な俺の笑みを見て、どう解釈したのかアカネさんがまた鼻水を垂らして泣き始めた。

「ボクを捨てる気かねぇ!? 知ってるんだぞっ! 君は会社の偉い人のお気に入りだってっ!」

 もしかしてカスパル十人長の事言ってる? いやそんな筈は無いか。

 俺は横で見ているアドリィさんの顔を見ると、目を逸らされた。

 おいおいおい、アンタみたいな人が知ってる偉い人なんて……。

「ルシア社長の事、言ってるっ?」

 涙をボタボタ流してしがみつくアカネさんが、頷く。

 あのなぁ……ドラゴンのお気に入りなんて、ドラゴンブレスの射程範囲に入ってるって事だからな? 

 口を滑らせたら消し炭になる事を喜ぶ程、世を儚んでねぇよ。

 と言いたい所だが……

「捨てないよ」

「本当かい? 君は偶に隠し事をするから……」

「アカネちゃん。彼氏さんも男性なんだからそういうのは」

「ちょっとちょっと、俺へのセクハラは許さないよ?」

 止めて下さいよ。ただでさえアカネさんと暮らしてると、変な勘違いするんだから。

 いやアカネさんの事は良いや。

 とりあえず俺に変な疑いをかけないで下さい。

 お願いしますよ全く……。

「ほら、チーンして」

「うぶぶぶ」

 泣いてるアカネさんの鼻水で俺の服が汚れない様に、ティッシュで鼻水を出し切らせる。

 俺は彼女の背中を撫で続けながら、漸く本題に入れた。

「だけどそのお陰で、何とかなりそうなんだ」

「へ? どういう事かね?」

「……」

 アカネさんは、俺の言葉に首を傾げている。

 だがアドリィさんの機嫌が露骨に悪くなった。

 ご想像の通りです。

「俺の生まれ故郷に行こう」

「お祖父さんの家に行くのかね?」

「いいや、天におわす我らの天父のお城だよ」

「……どういう事かな?」

「君が行きたがってた、エデンに行こう」

 俺達やイノセンスを作り出した、偉大なる造物主の一柱が居る場所である。

 異世界人であるアカネさんに、一言で分かり安く言えば……。


 神様に助けを求めよう。


 ◇ ◇ ◇


 とはいえ、思いついたのは俺では無い。

 そもそも渡航許可証の即時発行には、権力か金がかかる。

 当然だが、俺にはどっちも無かったので……頭が良くて権力と金もある人の協力が必要だった。

 つまり我らがルシア社長の事だ。

 そもそもの発端は、一週間前に遡る。

 俺は社内旅行の下見であるエルフの村から帰ってくると、毎日の職務に戻った。

 変わった点と言えば動物病院に仕事あがりに行く為に、早朝出勤して夕方に仕事を終える事か。

 カスパル十人長は苦い顔をしていたが、珍しく嫌味は言われなかった。

 代わりにモニカさんから、ちょこちょこ忠告を受けている。

 まぁ職務態度しか取り柄が無かった俺が、それさえなくなったらなぁ。

「で、それを分かった上で、私にお願いがあると?」

「申し訳無い……」

 俺はルシア社長に社内旅行の報告書を挙げるついでに、助言と助力を求めた。

 エルフ村に行ってる間に所長室は、模様替えされていた。

 頭を深く下げてお願いしてる俺の足元の絨毯は、見た事の無い獣の皮だ。

 そこにハイセンスそうな、色取り取りの刺繍が付けられている。

 気温が土地によって一定であるイノセンスで、わざわざ雪国っぽいのは何なんだ?

 まぁ家具一つとっても、俺の年収よりも高いのは間違い無いだろう。

「頭を上げたまえ。頭を下げるとは、牙を失った獣が諦めた時に行うモノだ」

「はいぃぃ」

 言外に、頭あげねーと食い殺すぞって言われたのか。俺?

 顔をあげると、気配も無く目の前にルシア社長の巨体があった。

「っ!」

「ふぅむ……髪の色艶が悪くなってるか? いやドラゴンと同じ魔法生物である君が肉体的に衰弱する筈も無い」

 ルシア社長はしげしげと俺を見下ろしているが、俺はパニック寸前だった。

 空間そのものをねじ曲げて、俺を自分の前に引っ張った?……バケモノ過ぎる。

 魔術式も無く、コレほどの魔術を行使出来る事が俺には信じられない。

 自らの脳内に、文字と数字だけで世界を構築して実際に動かせる程の演算力が必要な筈だ。

 当然だが立体魔術式よりも、数億倍は高等技術である。

「良いかね? 私が経営するルシア社は営利組織であり、君はその社員だ。その意味とは……君には労働力を提供して貰い、代わりに働きに相応しい給料を支払う。そういう契約だね?」

「その通りです……」

 ドラゴンであるルシア社長の表情なんて俺には読めないが、喜んで二つ返事で頷いてくれる雰囲気では無かった。

「その前提で君の願いを口にし給え。私が頷ける様に……ね」

「うぇぁ……」

 営業でも何でも無いマギサックラーに、交渉技術とかプレゼン能力なんて求めないで欲しい。

 ルシア社長の火山の熱気を思わせる存在感と、エルフの村とは比べものにならないマナ濃度が鼻息に乗って俺の体を苛む。

 チリチリと体毛が焦げる錯覚に襲われながら、俺は頭を必死に回して考えた。

「……」

「さぁ、残り七分だ」

 つまりルシア社長の利になる事を、俺が渡さなければ行けない。

 俺はその見返りに、社長に渡した利に釣り合うお願いが出来る訳だ。

 俺の支払えるモノって何だ?

 金? 確かにドラゴンは金にがめつい物だが、ルシア社長を動かせる金額って幾らだよ。というか元々は彼の持ち物である。

 所有物? ドラゴンが欲しがるお宝なんて持ってたら、数年前には売っぱらって個人店舗のマギサックラーをしてるわ。

 名誉?  俺のお願いにそんなのねーよ。

「……」

「五分だ。黙ってて良いのか?」

 ルシア社長の口元から、チッチッと火花が散る。威嚇では無い。

 ドラゴンの口の構造上、火花という名の涎が分泌されると漏れてしまうのだ。

 もしルシア社長が威嚇してたら、俺はチビるし漏らすだろう。

「社長……」

「決めたかね?」

「とりあえず、話を聞いて貰って良いですか?」

「良かろう」

 俺はアカネさんの体について、包み隠さずに話した。

 神話の時代より生きているルシア社長は、間違い無く世界的賢者の一人だ。

 助言だけでも貰えれば良い。助力が貰えない時は……

「成程な。目に見えない生き物と共存しなければいけない生命体か」

「……」

 ルシア社長は彼の尖った顎を爪先で摩りながら、興味深そうに考えている。 

 アカネさんの世界は、俺達にとっては見知らぬ世界である。

 ルシア社長が、事前に忠告出来る筈が無い。

 でも……今からでも出来る事は無いか、教えて欲しい。

「にわかには信じがたい、がたいが……世界が違ければ法則が違う事はままある。細菌などに頼らねばいけない生物の居る世界もあるだろう……そんな生物を家族と認めるとは、君は女の趣味が悪いな」

 放っておいて下さい。いや口には出さないけど。

 この前からお人好しはいい加減にしろと言われているので、ここは話を元に戻して誤魔化す。

「この世界に居ない動物の生態を、再現する方法は無いでしょうか?」

「細菌とやらを動物と言えるかは……私には何とも言えないがね。まぁ良い」

 ルシア社長は指を一つ立てた。俺の背筋に緊張が走る。

「お願いを聞く前に、君の悩みに答えてあげよう。簡単な話だ……居ないなら作れば良い」

「魔術式で、ですか?」

「人体実験をか? 君達、ヒュージンならともかく……あんなひ弱な生命体で試したく無いな。もっと単純な話だよ。私や君を作り出した者達なら、彼女の体内に居る細菌を作り出す事も容易い……いっそ世界の法則を変えて貰えば良い」

「もしかして神様……ウチの《    》の事を言ってます?」

「他の神でも良いが、ヒュージンに最も友好的な神は《    》だからな」

「……」

「そういう事だ。考えても見給え……彼女を救う為に存在しない薬を求めるのだぞ? 時間があるなら魔術式を試す事も出来るが……手っ取り早くコストが低いのは、神の力を借りる事だ」

 確かにそうだ。《    》なら助けてくれるだろう。

 俺にとって《    》に助けを求めるのは、世界の危機とかだったから……思い浮かばなかったけど。

 俺個人が危なかったり困れば、エデンに行けば良かったし。

「理解出来たかね?」

「はい。ルシア社長」

「宜しい。では君の頼み事を聞こうじゃないか」

 何を頼めば良いの? エデンに着くまでアカネさんが健康に過ごす方法?

 いやソレを頼む為に《    》の元へ行く訳だからなぁ。

 分からんわ、聞こう。

「……何を頼めば良いか教えて貰って良いですか?」

「はぁああああ」

 ルシア社長の溜息と共に、鼻から橙色のブレスを放射した。

 圧縮されてない……呆れた事で思わず漏れてたのだろう。

 ごめんなさいね、社長。ダメな社員で。

「私はヒュージンでは無い。《    》に会う事は出来ないし、そのつもりも無い。君が《    》の元へ彼女さんを連れて行かなければ行けない」

「それは……はい」

「そこで起きる問題は?」

「エデンへの渡航許可にかかる日数でしょうか?」

「その通りだ。なら君が頼む事は?」

 えーと、あぁ、そうか。

「エデンへ急いで渡航する為の助力をして下さい」

「それで良い。大したコストでは無いし、社員への福祉の一環と言えるだろう」

「じゃぁっ!」

「あぁ、天舟へのチケットは私の秘書に取らせた。近場の出航場では取れなかったから、少し遠いぞ?」

「十分ですっ、ありがとうございましたっ!」

「会社の長として当然の勤めだ。エデンへは有給を取るなり、定休で行くなり医者と彼女さんと決めなさい。私への礼は働きで返す様に」

 ルシア社長はそう言うと、俺のジロジロ見て首を傾げた。

 俺は意味が分からず、彼と同じ様に首を傾げる。

 それは社長にとって、良く無い反応だったらしい。

 溜息と共に、彼の口元から火花が漏れた。

「人にすぐに頼るのは構わんが、思考を止めない様にな。ワーク君」

「肝に銘じます」

「肝が苦くなりそうだから、心にしてくれ」

 えっ、食べる気っ!?

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