第2章 第8話
◇ ◇ ◇
「うーん、参った。ボクってば、天才過ぎるんだよなぁ」
アドリィの鼻を明かそうとしたら、予定の三倍を超える成果を出してしまった。
天才って辛いねぇ。研究を楽しみたいのに、何でも簡単過ぎて張り合いが無い。
頼まれた解析と改良。術式の解説文のたたき台まで出来てしまった。
転移魔術式に書き直すには、どうすれば良いかも思いついている。
後やる事は……実物でも作って見るか。
「昔のエルフの頭は良かったと見える。ボクで無ければ、解析だけで後十年はかかっていただろう」
魔術式とは、地球で言うプログラムと考古学の組み合わせだ。
もう少し詳しく言えば……エデンに居る神を名乗る者達が魔法。つまり異界の法則を定め、その法則をソースコード代わりにプログラムを組む事で世界に物理的な影響を与えられる技術である。
まるで聖書や神話の一説だが、神に実際に会いに行けるんだから困った。
神なんて非実在だと、反論できない。
何はともあれ、この魔術式もそんな歴史の中で忘れられた技術である。
恐らくは神々がプログラムコードを作った、黎明期に書かれた物だろう。
今では使われていない、非効率的な魔術式だからだ。
それでも昔のエルフ達は、組み合わせの妙で実用技術に昇華した。賞賛に値する。
「……まぁ今では何の意味も無いモノだけどね。出来たっと」
歴史考察してる間に魔術式を組んでみた。
立体転移魔術式……完成である。
魔術式自体は立体にしてるという点を除けば、教科書通りの組み方だ。
試しに魔術式を起動してする。
案の定……不具合が出た事を示す、幾何学模様が点滅した。
むしろ初めての魔術式を作って、不具合が出なかったら怖い。
ちゃちゃっと不具合を修正して再起動。
また出て来るので、ちゃちゃっと修正して……と繰り返す事、二時間。
「いやぁ、出来てしまったよ。世界初。立体転移魔術式だ」
自分の才能が恐ろしい。
池の中で幾何学模様を描く完成品をうっとりと眺める。
遠い場所の光景を水面に映すだけの術式が、水面を入口に空間転移出来る魔術式に早変わりだ。
本当はボク達がエルフの村に来る為に利用した転移魔術式なら、水面さえも要らないのだが……水面を使った方がマナの効率が良いので仕方無い。
「さって起動、起動」
魔術式は体内のマナを共振して起動する。
大家君はそう説明をしていたが、ボクはそんな事は出来ないし感じない。
なのでボクが魔術式を起動する為には、マナが含まれた魔法鉱石を魔術式に触れさせる必要がある。
胸元から出した大家君からプレゼントされたペンダントを、池の壁に魔術式を刻んだ池の水面に触れさせた。
リィンッと鈴の音が伸びた様な凜々しい音が響く。バグが無い証拠だ。
魔術式が起動する。
水面に突如として、見覚えはあるが見慣れない光景が移る。
ボクと大家君の家だ。天井から見下ろす形で繋げてみせたのだ。
「ふむふむ……コレは良い」
成功だっ!
教科書では、私有地には絶対に繋げてはいけず、繋げると天罰が降ると書かれていた。出来る限り、国営や私営の転移場に繋げるのが望ましいとか。
「……天罰ってなんだよ」
思わずポツっと呟いてしまう。本当にこの世界は何なんだ。
何にせよこれで……アドリィに目に物見せてやれる。
「ふむふむ、魔術式も安定してるな……良い加減閉めよう。自分の家の扉を開けっぱなしは気が引ける」
閉じる寸前、ボクはリビングの机に置かれていた一冊の本に気がつく。
様々な国や異界が記された旅行本。今回の旅行の為に買った代物だ。
「……」
転移魔術式には、転移先の座標が必要である。
座標が合って無ければ、転移魔術式はそもそも起動しない。
その為、国毎に転移魔術式を繋げる転移場を設けている。
勿論。自宅や認可を受けた私有地は例外らしい。
それがボクの読んだ技術書の内容だった。
逆に言えば国毎に運営する用地であれば、自由に繋げられる。
……旅行本には国の観光地の特徴は当然として、用地の座標も載っていたな。
「……」
ボクの心の中にある好奇心が、ムクムクと顔を出した。
ドワーフの国があると言う。
そこは地底王国で、この世の全ての鉱物があるとか。
極東。
世界の果て有る国では伝統も文化も変わっており……ボクの故郷。
日本を思わせる姿だという。
他にも黄金の国に、影で覆われた闇の国まで……。
イノセンスは広大で、ファンタジーに満ちている。
好奇心が抑えられない……一目で良いから見てみたい。
……そしてボクの眼前には、何処にでも飛んでいける門があった。
◇ ◇ ◇
「嬢ちゃんっ!! ほれ、飲めや飲めっ!!」
「ぁーっはっはっは!! 悪いね、悪いねぇっ!!」
ボクは窮屈感はあるが、目映いばかりの大広間に居た。
天井にも壁にも光輝く宝石が飾られており、沢山の長机上には大量の料理が溢れている。
そこに座る人々は、地球の絵本に書かれている典型的なドワーフ達だ。
背が中学生くらいで、でっぷり太った髭もじゃのおっさん達である。
ボクはそんな彼らと同じ椅子に座って、宴に混ざっていた。
アルコールの鼻を刺す様な匂いに、肉の油が網の上で弾ける音。
周囲には笑い声は絶えず響き、ここに無いのは青空だけだろう。
現在地はドヴェルグと呼ばれる、ドワーフの近縁種の地下王国である。
王国に来る前にも、三箇所に転移魔術式を繋げたのだが上手くいった。
唯一、影の国とやらでは門番が中に入れてくれなかったが……。
酒は貰えたし、そのお陰で此処で歓待されたんだからプラスかマイナスで言えばプラスだろう。
「嬢ちゃんみてぇなひょろモヤシが、まぁさか転移魔術式を使えるとはな」
「いやーっはっはっは! ボクは天才だからねぇ。他の奴と一緒にしないでくれよ」
豪快なドヴェルグ人はボクの話に面白がって、ゲラゲラと笑う。
顔をちょこっと出した時に、影の国の酒をかっぱらわれた時は驚いたが……こうなってくれば楽しいものだ。
宴会を楽しむボクの耳を、ガクンと何かが崩れる音が叩いた。
部屋の奥にある巨大な砂時計が、ひっくり返った様だ。
「おぉ、宵の口だな」
「宵の口ィ?」
「お天道様が降りようとしてる時間って事だよ」
「えぇっ!? もう、そんな時間なのかい?」
「そりゃぁ、お嬢ちゃんはここに一時間は居たからのぉ」
「マズイマズイ。もう帰らないと」
ボクは火照る体で立ち上がると、転移魔術式が使える転移場へと急ぐ。
後ろからボクの事を呼ぶ声が聞こえるが、急いでるので手を振って別れた。
大通りに出て分かるが……ドヴェルグ王国は地下坑道なのに、豪華でゆとりのある王国である。
天井だって、ドヴェルグ人の背丈には合わない位に高い。
もしかしたら自宅は違うのかもしれないけど……大通りは成人女性のボクでも悠々と歩く事が出来る。
蒸し暑いのが難点の国だが、魔道具技術も豊富な楽しい国だった。
大家君を連れて来たら、喜ぶだろうな……。
ボクはそんな事を考えながら、転移魔術用地に辿り着く。
身なりの良い人が係員に送り出される為に並んでいるが、ボクには関係無い話だ。
ボクは入口に立ってる係員に声をかけた。
「転移用地。ひとーり。水盆付きでっ!」
「お客さん……随分と酔ってるのぉ。仮眠室でも借りて眠ったらどうだ?」
「へぇーき。へぇーき! こんなの酔ってる内に入らないさぁっ!」
係員が溜息混じりに、鍵束を渡してくる。
既に大家君との約束の時間を過ぎていた……急がないと。
ボクは用地を借りて、ささっと魔術式を描く。
ふらつく指先で上手く描けないが、三回も書き直せば上手くいった。
「ふぅ……今行くぞぉ。大家くぅーん」
胸元にある……大家君がくれた魔法鉱石の嵌まったペンダントを取り出す。
研究ばかりで、ボクはお洒落なんて知らないけど……彼がボクの白衣に似合う様に、選んでくれたモノだ。
「えへへ……」
頬が緩んで声が漏れる……気を引き締めないと。
転移魔術式の時間に遅れたからって、大家君は怒らないだろう。
だけど彼が大好きなボクの、クールな印象が崩れるのは控えたい。
高湿高温の気温が暑くて、頬に汗が流れたのを感じる。
だがエルフの村は、仄かに暖かい初春程の暖かさだった。
体の火照りは、すぐに冷えるだろう。
ボクがペンダントを水盆につけた時、視界の隅に映った光景に酔いが吹っ飛んだ。
それはエルフの村に行く時の転移魔術場で、エルフの村のあの池で。
転移魔術式が地面や壁に刻まれている理由を理解するには……十分だった。
ボクの書いた魔術式に、書いた覚えの無い【点】が追加されている。
「しまっ!?」
ペンダントを引っ込めないと!
そう思うが人間の体は、思考してからのタイムラグがある。
特に咄嗟の判断なら尚更。
転移魔術式が起動し……目映い光がボクを包んだ。
一瞬の浮遊感。プールの中に飛び込む時に感じる開放感に似ていた。
それは一瞬で……地面に体を叩きつけた痛みに変わる。
「~~ッ、ハァ……カハッ!?」
頭と腰を打ち、突然の痛みにパニックを起こす。
耳鳴りがして、天地の区別が付かない。
吐き気がこみ上げては視界が徐々に狭まってくる。
目に映るのはボクの目と鼻の先にある、茶色い節くれだった巨大な壁位だ。
「な、何が……」
ボクは混乱して、無意識に戯言を吐いていた。
分かってる。ボクが描いた魔術式に頬から流れた汗が垂れて、点を作ったんだ。
魔術式にとっては、ボクの汗も指先も同じ体としてカウントされる。
運が良ければ起動しないモノを……今回は運悪く作動してしまった。
ボクは世界の何処かに、飛ばされたのだ。
寒気が走る体を手で支えて、周囲を見渡す。
そこには……現在地から見下ろす形で、巨大で長大な木の根が地平線まで絡まり連なっていたっ!
その更に下には、広大な平原も広がっており……そこでボクは気づく。
起きた時に、壁だと思い込んでいた茶色い壁は……巨大な木だったんだ!
地球では外国を飛び回っていたボクでも、こんな光景は見た事が無いっ!!
ボクは異世界に来たのだと、改めて実感できた。
「美しいなぁ……この世界は」
吹く風がボクの白衣を後ろへと引っ張り、酔いを冷ましてくれる。
目の前に広がる、宗教画にも似た広大な樹海の光景は一生の思い出になるだろう。
そんな気持ちは……足元の木々がひしゃげて、砕けた音と共に吹っ飛ばされた。
「オイオイ、オイオイオイッ!~~ッ、冗談は……」
巨大な木の根に、無数の白蛇が絡み付き……噛みついては木々を引っ張っている。
何だアレは……その姿にボクの脳内が警鐘を鳴らした。
ボクは尻餅を着くと後ずさり……指先に何かが触れる。
持って来た旅行本だった。
旅行本は……現在地だろう、エルフ村の周辺国のページが開かれている。
覚えている。大家君の家で読んで、楽しみにしてたんだから。
『エルフの村には世界樹が有る』
『世界樹はエデン、イノセンス、アビスを貫いている』
『その根は神々が作った、蛇型幻獣の生息地として有名だ』
『世界樹を囓り、神に反逆を企てる幻獣の名は……』
……その名は地球でも聞いた事があった。
『ニーズヘッグ』
旅行本の写真にも乗っていた、知性の無い怪物。
その実物が、ボクと視線を交えていた。
「はぁ……はぁ、はぁ」
呼吸が上手く出来ない。
恐怖からか、まだ体調不良が続いているのか?
血液が沸騰する痛みも感じる。
指先で地面に転移魔術式を描こうと試みるが……震えて文字が定まらない。
ニーズヘッグが、気になってしまう。
ボクの視線が、描きかけの魔術式と怪物を何度も往復する。
奴らは気づいてる。ボクの方を見てる!
そりゃ当然だ……ここに来る奴なんて滅多に居ない。
ここは世界樹の根っこと、エデンに繋がる扉しか無い寂れた異界なんだから。
「来るな……来るなぁっ!」
ニーズヘッグが近づいて来る。
奴らの大きさが、近づいた事で判明した。遠すぎて小さく見えていたのだ。
体高はボクと同じ位はあり、体長なんて下手な橋よりも長いだろう。
鱗の一枚一枚が家の扉よりも大きく、口内は口紅の様に鮮烈な紅をしている。
対してその体色の白さには濁り一つ無い。
ボクにはその白さが死神を連想させた。
来る。近づいてくる。
木々を砕き、大地を削る生き物とは思えない移動音。
ボクの脳裏に死の未来がよぎり、股の間に熱い液体が垂れ流れるのを感じる。
「(神様、あぁっ神様っ。もう調子に乗りませんから)」
指先は既に止まっていた。
ボクの事をすっぽり包み込めそうな舌を、高速で出し入れする異形に目を奪われる。
限界だ。頭には酸素が回らず、狭まる視界が点滅する様に漆黒の花が咲いて……
――ボクの意識は落ちた。
「 」
その寸前、ボクの前に大家君が割り込んで来た幻覚を見た……。
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