第2章 第4話


 ◇ ◇ ◇


「うーん、やっぱり慣れないなぁ」

 転移魔術によって、景色が一瞬で変わる。

 人体だけではなく空間そのものを転移させる術式なので、不快感は少ないが……転移中の景色が、絵の具を混ぜた様な極彩色になるのだけは好きになれない。

 俺はアカネさんを心配して隣を見るが、どうやら杞憂だった様だ。

「わぁ……まさにファンタジーじゃないか!」

 アカネさんの心を掴んだのは、俺達を待っていた緑溢れる異境の光景だ。

 足元に有るのは転移に使われたであろう、魔術式が刻まれた石床だが……転移先の周囲はドーム状に植物で覆われていた。

 そのドームにぽっかり空いた入口からは、外に広がっている大自然が見渡せる。

 緑の世界には大河が枝分かれしながら顔を覗かせ、その河を求める多種多様な幻獣や巨獣の姿があった。

 その先には青海が見え、更にその果ては世界の終わりに至る壁がある筈だ。

 どれもこれも俺の地元には無い、エルフの村ならではの光景である。

「流石はエルフ。半神の村だね」

「ボクも感無量だよ、大家君」

 俺は感動と共に、胸いっぱいに息を吸う。

 天界と魔界に近いだけあって、この土地の空気は実に澄んでいて清々しい。

 俺達と一緒に転移してきた他の旅行者達も同じ意見の様で、誰もが眼下の光景に感嘆の声をあげている。

 すると鈴の音を思わせる、凜とした声が響いた。

「転移魔術式をご利用いただきありがとうございます。外までご案内しますので、係員の指示に従って下さい」

 通信魔術式では無い……恐らくは録音だ。

 転移に成功すると音声が流れる魔術式があるのだろう。

 そして音声の言った通り、旅行客を呼ぶ声が外から聞こえた。

「よーし、行こうか! アカネさん」

「あぁっ! 大冒険の始まりだね!」

「遠くには行けないけど、違う神格の領域は俺も楽しみだうよ」

 俺達が外に出ると、原住民たるエルフの姿があった。

 稲畑を思わせる金色の髪に、澄んだ緑の瞳。

 長身ながら細身で鼻が出ている他は、整った顔立ちの青年である。

 彼は転移魔術式を管理する会社員の様で、着ている民族衣装の襟には社章の刺繍がされていた。

「ラフ衣装だ! あったんだ、ここにも!」

「アレはエルフの伝統衣装だよ? 大昔からあぁ言うデザインなんだ」

 アカネさんがTシャツだっ! と叫ぶが、「ラフ衣装だ!」に翻訳されている。

 ……つまり異世界の衣装だろうか?

 そう言われるとエルフの民族衣装が、アカネさんが白衣の下に着てた服に似ている気がする。

「皆さん、お疲れ様です。気分が悪い方はいらっしゃいますかぁ? 居たら手をあげて教えて下さぁい」

 エルフの青年はそう言うと観光客を見渡すが、体調不良を訴える者は居なかった。

 次に青年は腰に吊っていた旗を振って、先導を始める。

「では下山しますとエァールブの村があります。登山道は関係者以外立ち入り禁止なので、着いてきてくださーい」

 旗をフリながら、先導を始めたので俺達も着いていく。

 下山道から見える景色も格別だった。

 ルシア社長の様な長命種ならともかく、ヒュージンではこんな景色は滅多にお目にかかれない。

 エルフの村に行けば見た事も無い文化があるのだろう……楽しみだ。

 ここでは俺もアカネさんと同じく異邦人。彼女と同じ視点で歩ける事が嬉しかった。

「大家君。大家君。ちょっと良いかい?」

「なんだい? アカネさん」

「案内の人が言ってた、エァールブっていうのは村名なのかい?」

「ん、説明してなかったっけ? エルフって言うのは学名で、彼らは自分達をアールヴって呼ぶんだ」

「……? だがエァールブって……」

「訛りだね。彼らはアルヴって言ってるつもりらしいよ」

 世界共通語でも、訛りばっかりはどうしようも無い。

 アカネさんはへぇ……っと感心した声をあげつつ、青年の背中を見た。

「じゃぁ彼らのことは、アルブ人と言うべきなのかい?」

「ぁー、それなんだけど。人は付けない様にね」

「……?」

「エルフは元々は半神半人なんだ。今では人間の一種にされてるけど……彼らは神の末裔である事を誇ってるから気を付けて」

「神?」

「原初のエルフはね。その末裔である彼らにも神の血は流れてるんだよ」

 彼らは他人種の血を取り込んで神の血が薄まっている。

 とはいえ、わざわざ誇りを傷つける事もあるまい。

 そう思うが……アカネさんは半信半疑の様子だった。

 彼女の世界では神々が道を歩く事もないから、初めてみる神々にどう付き合えば良いか分からないのだろう。

「彼らは賢い人達だから。一個人として扱ってあげれば問題はないよ」

「分かった。とりあえず人間の一種として扱わない様にしよう」

 理解はしたが、納得はしていなさそうだ。まぁ仕方無い。

 俺とて神々に気軽に会いに行けない世界なんて、想像が出来ないしな。

 エルフ談義で盛り上がる俺達を尻目に、一行は山の麓まで辿り着く。

 そこには……写真でしか見たことの無い、珍妙な光景が広がっていた!

「ここから先がエァールブ村です。皆様を歓迎致します。どうぞ楽しい時間をお過ごし下さい」

 エルフの案内役が頭を下げて、現地解散を告げるがそれどころじゃない。

 俺達の視線はエルフ村の、彼らの住居に釘付けだった。

「こ、これが、エルフの家かっ! 凄いぞ大家君。どうなってるんだっ!?」

「あ、あぁ……本当に住んでるんだな」

 エルフの住居。それは止め針の様な形をした植物だった。

 木では無い。幾重にも蔓が巻き付き重なって自重を支えている。

 アカネさんが蔓をペタペタ触りながら、目を輝かせていた。

「引力が無いからかっ! だからこんな芸当が可能なのかっ!」

「俺達の地元に比べて異界に近いからなぁ……凄いよ、コレ」

 接地部……止め針で言う針部分の太さは人間の腕ほどしか無い。

 その部分が徐々に太くなり、一定の高さになると膨らんで卵の殻の様に空洞のある球体になっていた。

 エルフ達はその空洞に住んでいる様で、針部分には螺旋階段までついている。

「重心をどう取ってるんだ?」

 魔法植物なのは間違いないが、他国について詳しく無いので俺には分からなかった。

「今日の宿はこれと同じらしいから、楽しみだね」

「くぅ~~っ、種でも無いかな? 研究してみたいよ」

「確かに俺も気になるな。こういう形の植物なのか、何らかの技術があるのか」

「誰かに聞いて、教えて貰おうじゃ無いか」

「それもそうだけど……とりあえずはご飯を食べにいかない?」

「おぉ、良いじゃないか。採用だ!」


 ◇ ◇ ◇


 俺達はパンフレットでオススメされていた、レストランを訪れた。

 周囲の民家の様な、止め針型の家では無い。家屋ほどの太さの幹を持つ、大木の中をくり抜いた建物だ。

 ここではエルフの伝統である、エルフの供儀と呼ばれる食事形式がとれるらしい。

 扉を開けて中の様子を見ると、異邦の面白い生活がそこにはあった。

 家具が一つも無いのだ。あるのは大木から分け生えた枝……で出来た机に椅子。

 厨房も少しだけ見えるが、やはり調理場は建物そのものから生えている。

 俺達が店内に入って、見渡していると可愛らしいエルフの少女が来てくれた。

「偉大なる小妖精。森人達よ。この乳の品を捧げます」

「受け取りました。返礼を返しますので我が家でおくつろぎ下さい」

 俺は受付のエルフにバターの塊を恭しく差し出すと、エルフの少女が受け取った。

 ちなみにエルフの少女とは言ったが、実は分からない。

 エルフは退屈と戦傷以外では傷つく事は無いので、数百歳でもおかしくないのだ。

 俺達がエルフに案内された席に座ると、アカネさんが神妙な顔で聞いてきた。

「エルフの食生活って……野菜や果物が中心ではないのかね?」

「うん、果物と野菜が中心だね」

「さっき乳製品を渡してたじゃないか」

「あれは捧げ物だよ」

 アカネさんの事だから、エルフについて沢山調べてから来るのかと思ったが……違うらしい。

 何故か聞いて見ると、納得の回答が帰って来た。

「何もかも知ってたら、折角の冒険が台無しになるからね」

 帰ったら調べると息巻くアカネさんは楽しそうだ。俺も頷いておく。

「それで捧げ物とはなんだい?」

「エルフは豊穣神の血統だから、野菜や果物は食べ飽きててね。捧げ物を差し出すと、歓待してくれるんだってさ。中でもバターが良いらしい」

 パンフレットに書かれていた、内容まんまの説明である。

 本来は異教徒は例外らしいが……このレストランは相互理解の場として、捧げ物を出せば快くご馳走してくれるらしい。

「自分達では作れないのかい?」

「作れないんじゃないよ。作らないんだ」

 豊穣神の末裔として、エルフは無制限に果物と野菜を作れる。

 彼らにとって、食料を作るのは優先される事では無いのだ。

 一応の需要はあるらしいが、牧畜をする程では無いのだろう。

 何とも優雅で怠惰な種族である。

「お待たせしましたっ! 女王様からの下賜品でございます」

 俺達が話していると、エルフの少女から声をかけられる。

 彼女の手には、皿と掌ほどのカップがそれぞれ二つあった。

 カップの中身は茶黄色のねっとりした野菜のポタージュの様だ。

 甘く滋味深い匂いが漂い、鼻孔が思わず開くのを感じる。

 そして皿の上にはクッキーに似た、クリーム色の乾物が載っていた。

 粉物なのは分かるが……クッキーよりもきめ細やかで、一枚の板にさえ見える。

 その粉物がクリームを挟んでおり、クリームには粉砕した果物の姿があった。

「……これが名物かぁ」

「昼食にポタージュとクッキーはどうかと思ったけど、中々お洒落じゃないか!」

「よっし。んじゃ午後からも遊び回る事だし、食べよっか!」

 銘菓を手に取って口に含むと……俺は脳汁が側頭部にドバドバと溢れるのを感じた。

 素晴らしく濃厚なクリームの糖分が、脳みそに滲み出る喜び。

 粉物なのに、メロンの様なねっとりとした食感。

 ソレは覚えているのだが……具体的な味が、何一つ思い出せない。

 美味しすぎて俺達の意識は半ば、刈り取られていたのだろう。

 俺達は感想とかお喋りも言わずに、気づいたらレストランの外で太陽を呆然と見上げていた。

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