第2章 第3話


 ◇ ◇ ◇


「ただいま~。アカネさんは居るかい?」

「大家君~!」

 俺が仕事を終えて我が家の扉をくぐると、部屋の奥から叫び声が聞こえる。

 その声音は爆発事件の前のアカネさんのもので、昨日までの卑屈さは感じられない。

 俺は疑問に感じながら、声の方向に行くと……煙い。

 部屋が全体的に煙で包まれていて息がしづらく、煤けた匂いが目に染みた。

 犯人は当然だがアカネさんである。

「助けてくれぇええっ」

「……」

 アカネさんの手に有るのはフライパンで、そこには黒炭が載っていた。

 黒煙の発生源もそこからだ……。

「アカネさん……全く。君って奴は」

「大家くぅ~んっ!」

 俺は苦笑いしながら、抱きついてくるアカネさんを抱きしめ返して背中を撫でる。

 ルシア社長に逆らうつもりは無いが……俺はこの可愛らしい同居人がどうにも放っておけないらしい。

「迷惑かけちゃったし、家事位はしたかったんだけど……」

「燃やしちゃったかぁ」

 アカネさんが焼いていたのは、長い時間熱を与えると油の様な性質に変わる魔界の植物である。

 苦い上に腹の中で辛くなるので、ぺぺロンチーノにでも使おうかと思ってたのだが……異世界には無いのだろう。

 ロートス花さえ無いと言うのだ。あんな美味しい花が無いとか……。

 存在しない野菜は沢山ある癖に、なんでかカレーはあるらしい。不思議だ。

「すまない……」

「どうして? 謝る事は無いよ。わざとじゃ無いんだから」

 俺は彼女からフライパンを受け取って、水を張って炭を沈める。冷えたら捨てよう。

 振り返るとアカネさんが俯いていた。

「ご飯を作ろうとしてくれたんだろう? ありがとう、アカネさん」

「でも失敗したんだ……」

 一連の作業を終えても、まだアカネさんの機嫌は直らない。

 普段は自信満々な癖に、妙な所で落ち込む繊細な所があるなぁ。

「ならご飯を一緒に作ろうか?」

「えっ、良いのかい?」

「良いも何も、これからもウチに居るのならご飯も作れないと不便だろう?」

 インスタント食品もあるが、自分で料理くらいは出来た方が良い。

 一品でも二品でも作れれば違うだろう。

「うん……うんっ、手伝わせてくれたまえ」

「よっし、んじゃ簡単な焼き魚でも作ろうか」

 食料庫から食材を取り出すアカネさんは、前の事件から立ち直ってる様だ。

 俺はほっとしながら、ミスマッチ食材を取り出す彼女を止める作業に入った。


 ◇ ◇ ◇


 食事を終えて、風呂上がりに俺はソファに座りながら首を捻って悩んでいた。

 ルシア社長より頼まれた、社内旅行の下見についてだ。

 旅行先のパンフレットを捲っていると、頬が上気したアカネさんが風呂からあがって来た。

 パジャマ姿の彼女は可愛らしい。

 白と黒を基調とした生地は薄いが、肌の露出も少なくて寝やすいらしい。

「良い湯だったよ大家君……おや? 仕事を家に持ってくるとは珍しいねぇ」

「社長から社内旅行の下見を頼まれたんだ」

「社内旅行……の下見?」

「うん。ルシア社長はドラゴンだから、彼が入れない場所かどうか見てこいって」

「お、おう……ドラゴンか。そんな事を言ってたっけ」

 口元が引き攣るアカネさん。

 そういえばルシア社長は、アカネさんも連れていけって言ってたっけ。

 一週間引き籠もってたばかりだし、来てくれるだろうか? 

 だけど彼女はフィールドワークも好きだ。頷く気もする。

「へぇ、自然豊かな所か……放牧的で良いじゃないか」

 アカネさんは一枚のパンフレットを手に取って読み始める。

 ノリ気な様だし、畳み込んでいこう。

「そこは昔ながらの伝統的な暮らしが体験出来る、エルフの村でね」

「エルフ!?」

「うおっ……う、うん。神話の時代から生きる世界樹まであるんだよ」

「あ、あぁ……遠くに一本だけ伸びてる。アレの事かな? 平面世界だから地平線が無いのか……」

 アカネさんの視線を追い、窓の外を見れば天を貫く一本の筋。

 家から遠すぎて大きさが分かりづらいが、世界樹は此処からでも見えた。

 まぁこっからだと何が何だか分からないが。

 その後アカネさんは、パンフレットを速読し続ける。

「体験村みたいな所か……良いなぁ、行ってみたいよ」

「お、そう? それなら一緒に行ってみるかい?」

「良いのっ!?……あぁいや」

 食いついたのに突然もじもじし始める。

「やっぱり良いよ。迷惑かけたばかりだし」

「迷惑だなんて……これも仕事だから君の旅費も経費で出る。気にしないでよ」

「……うんっ」

 俺達は旅行の予定や、旅行先で必要になるモノを相談する事にした。

 特にアカネさんは女性だから、物入りだろう。俺には分からない必需品もある筈だ。

 宿泊先に連絡をかけたり、二人で買物に出かけたりしたら……。

 二週間後の旅行まであっという間だった。


 ◇ ◇ ◇


「今日は晴れで良かったねぇ。大家君」

「あぁ。これならエルフ村の世界樹も良く見える」

 ルシア社長より社内旅行の下見を言い渡されて二週間後。遂に出発である。

 俺達は朝から長距離転移の転移魔術を使う為に、国営の転移場へと来ていた。

 政府が管理している転移場は近代的で、無機質ながら清潔な床だ。

 天井や壁には窓硝子が多く扱われており、差し込む太陽光が転移場全体に降り注いでいる。

「転移魔術式か……本当に一瞬で着くのかい?」

「着くよ? ライダー便に比べて割高だけどね」

「ライダー便か、興味をそそられるよ。そっちにしなかったのは何故だい?」

「今回は難しいからね。エルフ村まで六千キロメートル……幻獣じゃぁそれだけで、旅行が終わるよ」

 遠目に転移魔術の魔術式が刻まれた床が光りだし、列が進んだ。運行時間だな。

 魔術式を施行する職員さんは人種はバラバラだが、服装は暗褐色で統一されていた。

 彼らは職業人気ではライダー便に一歩譲るが、高級取りのエリート。

 そのせいか何だか輝いて見える。

 俺が暢気に考えていると、アカネさんが深刻な表情をしていた。

「どうしたの、アカネさん?」

「ボクの故郷を思い出して……パスポートが要らないのは不思議な気分だ」

「んんー、魔界や天界に行く訳じゃないよ?」

「出発前にも言ってたね。イノセンス全体で国の扱いなんだっけ?」

「少し違うんだけどね」

 村を国家の一単位として連合を組み、その本拠地として都市が生まれる。

 それより上は無いが……場所によっては種族間の寄り合い所も存在する。

 という訳で俺達が行くエルフ村も国家の一つなのだが……アカネさんには理解して貰えなかった。言葉って難しい。

「大家君は今までも、転移魔術式を利用した経験は?」

「家族と小さい頃に一度ね。修学旅行は天舟でエデンに行ったからそれ以来だな」

「エデンかぁ。綺麗な所なんだろうねぇ」

「エルフ村に比べたら遠く無いし、時間が出来たら行こっか?」

「……神の国の方が近いってなんだかなぁ」

 複雑そうなアカネさんの様子が面白くて、俺はコロコロと笑った。

 俺達は順番が来るまで、エルフの村についてからの予定を相談する。

 本来ならエルフの生活コーナーも体験してみたかったけど、今日は会社の社内旅行の下見である。

 当然だが、ドラゴンが出来る事以外は入っていない。

 世界樹の苗木の見学と、エルフ村の観光地である美しい湖畔を回って……エルフ村の神々の聖地の巡礼が今回のプログラムである。

「ボク、何だか緊張してきたよ」

「大丈夫。普通に使えば転移魔術式は怖いものじゃない」

「……普通に使わないと危ないんだ」

 当然でしょ。空間魔法で安全なモノなんて無いよ。

 転移魔術は資格が無くても操れるが、その危険性からまず誰も使わないけど……。

 そんな事を話していると、俺とアカネさんの順番になった。

 俺達は床に刻まれた直径20m程の魔術式に他の大勢と共に立つ。

 彼らもエルフ村へ転移する人達である。

 転移魔術を施行する職員はドワーフの女性だった。

 恰幅が良く、カスパル十人長の様な長い髭は無い代わりに髪の毛がもじゃもじゃしている。

 歳は八十を越えて無い……比較的若いドワーフだ。

「皆様、イノセンステレポーションをご利用いただきありがとうございます。これより注意事項をお話ししますので、お聞き下さい」

 一日何十回と言ってるだろう、注意文が続く。

 要約すれば、転移したら戻って来れないから忘れ物があるなら今すぐ言えって事だ。

 後は軽いおふざけでも警兵に捕まるから、気を付ける様に。

 妥当な所だ。誰だって頭と首が泣き別れするのは嫌だろう。

 特におバカさんがそんな事をしたせいで子供のトラウマになるのは良くない。

「それでは良い旅路を」

 俺達はドワーフの職員に見送られ、転移魔術式の青い光に導かれて空間を渡った。

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