第2章 第2話


 ◇ ◇ ◇


「おい、ワーク。もう体は大丈夫なのか?」

「えぇ。おかげさまで。皆さんにはご迷惑をおかけしました」

 カスパル十人長へ頭を下げつつ、長期休暇を貰ったお礼にケーキを渡す。

「皆でおやつの時間にでも、食べて下さい」

「おいおい……甘ぇーのじゃねーか。酒の方が良かったなぁ」

「ドワーフの人でも好きな、ウィスキー漬けのパウンドケーキもありますよ」

「それを早く言えよ!」

 頬を緩ませたカスパル十人長が俺の背を叩き、衝撃が全身に響く。

 ドワーフの短身ながら強力な張り手が痛い。力加減を考えて欲しい。

「お前みたいな未熟者に、お返しなんて求めて無ぇ。休んだ分は働きで返せよ」

「はい。ありがとうございますっ」

 皮肉げに言った十人長から、今後の俺の予定表が渡される。

 長期休暇の前から続く仕事を放り出した事もあり、暫くは残業続きになる覚悟をしていたのだが……俺の仕事を皆で分担してくれていた。

 通常、マギサックラーという、一種の芸術品は他人が手を貸す事が難しい。

 俺だって他人の作りかけの魔術式なんて、手を出したく無い。

 だが渡された予定表には、俺が休暇中の仕事の進歩と今後の仕事の予定について記されていた。

 この仕事量なら、残業も少ないだろう。

「スティっ! 珈琲持って来たわよ?」

「モニカさん。久しぶり」

「もう……いつも通りなんだから」

 俺が書類を捲っていると、モニカさんが飲み物を持って来てくれた。

 彼女は相変わらず清楚な服装をしている。

 最近のトロールファッションや異界の流行には乗らず、イノセンスで古くからの正装を好む様だ。

 具体的には黒生地に季節の花の刺繍が入っており、白い腰帯で蝶を再現していた。

 髪は茶髪でポニーテールにしており、柔らかい雰囲気を凜々しく見せている。

 だが生来の優しさが滲みでる瞳が、彼女の人柄を隠しきれていなかった。

 ネマキ? とアカネさんが呼んでいる事から、異世界にも有るファッションらしい。

「落ち込んでるんじゃないかって、皆も心配したのよ?」

「まぁ、落ち込んだのは当たってるけどね」

「そうよね……何があったか聞いても良い?」

「いや、構わないよ。友達が魔道具の研究中に、魔法の暴発を起こしただけさ」

「あら、可愛そうに……その子に怪我は無かった?」

「間一髪ね。今日辺りは買物でもしてるんじゃない?」

「そう……掃除とか困った事があったら呼んでね? 私達、お友達なんだから」

「ありがとう……そちらこそ、何かあったら呼んでくれよ」

 その後は、俺が休んでいる間にあったか事を聞いていた。

 暫くして、ルシア社長からの呼出しが来る。

 実は休暇中に社長から助言を貰っていたので、お礼が言いたかったし丁度良かった。

 ケーキの箱を事務員に渡すと、俺は所長室に赴く。

 ランチタイム以外で俺を呼び出すなんて珍しい……何かご用かな?


 ◇ ◇ ◇


「社長。スティール・ワークです」

「入り給え」

 俺が所長室に入ると、いつも通りのルシア社長の姿があった。

 寝っ転がりつつも、凜々しいと言うには暴虐的な姿である。

 社長は俺の姿を見ると、目を細めて口角をあげた。

「もう一週間程、休んでも良かったんだぞ?」

「いえ。一秒でもマギサックラーとして居たいので」

「そうかね? ドラゴンとして勤勉さは好ましいが、会社の福利厚生は使う様に」

 俺が頷いたのを見たルシア社長は、満足げに頷いて話を進める。

「それで例の彼女の様子は?」

「やはり政府に不信感があった様です」

「ふん。異界存在はイノセンスの世情に疎い、宥めても無駄だろう……にしても本当に女の趣味が悪いな君は」

 放っておいて下さい。

「社長は元から、大丈夫だと思ってましたよね。何故です?」

 爆発事件後、アカネさんの正体を隠しきれなかった俺がルシア社長に相談した際、社長は役所に話せばそれでカタが着くと仰ってた。

 その通りだった訳だが……俺にはとんと理屈が分からない。

「彼女がヒュージンに良く似た生命体だからだ」

「……?」

 俺の様子を見て、ルシア社長は呆れた顔……かは分からないが呆れた声をあげた。

 すみませんね、どうにも鈍感で。

「悪魔や天使よりも人間に近い存在なんだ。役所の神官にとっては税金さえ支払えばどうでも良い存在だろう」

「そんなもんですか……」

「あぁ、私には少しの知的好奇心はあるがね……だが原罪なんぞ背負ってる奴とは気が合わんし、そんな世界に至っては知りたくも無い」

「悪い子じゃないんですけどね……何にしてもありがとうございました」

 社長があからさまに機嫌を悪くしたのを見て、俺は急いで話題を変える。

 ルシア社の七不思議として、社長を不機嫌にした奴は三ヶ月以内に消えるらしい。

 まぁ……消えた奴らが社長のランチになってても、俺は驚かないけどな。

「それで社長。今日はどうしました?」

「二つの用事が有る。一つ目は君の体調とその後の経過について聞きたかった」

「後で報告書をあげましょうか?」

「いや君の顔色さえ見れば大体の事は分かる……君はお人好しが過ぎるから、気を付ける様に」

 アカネさんを甘やかすなと、言外に警告されてしまった。

 流石は神話から生きる存在である。

 大抵の事は経験済みで対処可能なんだろう。

「ありがとうございます。社長」

「うむ……資産については残念だったな。ドラゴンとして沈痛に思うよ……何か必要な知識やコネクションがあれば言いなさい」

 優しい。怖いけどこういう所が好きだ。

 こんなに親切にしてくれるのは……まぁ俺が社長の財宝の一部だからだろうな。

 ドラゴンは自分の寝床や飯には執着せずとも、財宝と英雄には執着する。

 俺は社長にとっては大した財宝では無い。だが良く見かけるコインが煤けてるのは、嫌なんだろう。

 自分の財産が吹っ飛んだらと思った時の、同情心もあるかもしれない。

「それでだ。既にカスパル十人長より、今後の仕事の予定は受け取ったか?」

「はい。まだ中身は読んでませんが」

「そうか……ならココで説明しよう。少々出張して貰いたいんだ」

「へぇ、珍しいですね」

 ルシア社に出張はほぼ存在しない。

 効率主義者であるドラゴンが社長なだけあって、顔合わせだとか伝統とかを廃している。

 そこがカスパル十人長とは合わないのだが……閉話休題。

 このご時世、通信魔法で大抵の業務はできるので出張なんて必要無い。

 その指示者がルシア社長なのはもっと、らしくも無かった。

「君が知る必要は無い……まぁ私の胃の中でなら聞かせてあげるがね?」

「いえ、結構です」

 俺の畏れ戦く表情が愉快なのか、ルシア社長の口元からチッチッチと火花が散った。

 今のがドラゴンジョークなのか、知ったらマジで消されるのか分かりづらくて困る。

 まぁ別に良い……ドラゴンの言う事を聞いてる限りは悪い事は起きない。

 監査役と同じ。黙って言う事を聞いて、それで怒られるのも給料の内。

 会社勤めの辛い所である。

「君の彼女も出張先に連れていくと良い」

「アカネさんの事です?」

「あぁ。精神的に参ってるだろうからな」

「助かります……それで何処で、何をすれば?」

「うむ。場所は観光地でな……二泊三日で歴史的な建築物を見てきて欲しい」

 あっこれ。今年の社内旅行の下見だな?

 下見だった。

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