第17話 ツー・ディサイド・ウェイ

「アーハッハッハッハ!!! まさかこんなかわいい女の子引き連れて旅してたとはな!」


 これでアベルがラケルを連れてきて部屋に入るなり上がった笑い声。それを見て罰が悪そうに顔を逸らすアベルと、何が何だかわからないと混乱するラケル。三者三様の反応を見せるが、笑い続けていたギルディはひとしきり笑ったところでギルディは笑いながらであるが復活する。


「いや、すまんな。とりあえず座ってくれ」


 どこかまだ軽い口調と上がった口調で二人に声をかけるギルディ。扉の前で立ちすくんでいた二人は彼の指示したソファーに並ぶようにして座ると改めて両者は顔を見合わせた。


「さて、お嬢ちゃん。なーんでこの男とつるんでるんだ? こいつが引っかけたわけでもあるまいて」


 ギルディの問いかけに視線を伏せるラケル。やはり彼女にとって先日の出来事は思い出したくないトラウマと化している。あまり好んで話したいような内容ではない。それを察したアベルは話の腰を折り別の話に切り替えようと考える。が、その前にラケルがゆっくりと口を開いた。


「えっと……、少し長くなるんですがいいでしょうか」


「構わないよ。好きなように話すといい」


 その言葉を聞き心の安定を取り戻したラケルはぽつり、ぽつりと自身の身に起こったことを話始めた。その胸糞の悪い内容に話が進むにつれて顔を顰めていくギルディ。話が終わるころには目はつり上がり、口は真一文字に噛み締められ雰囲気は明らかなほどに赤く染まっていた。


「なるほど……。それは辛かっただろうね。なんとなくそういう噂のある業者というのには心当たりがある。裏を取ってからにはなるがそことの契約は解除だな。年頃の娘を同意なしに食い物にするなんぞ魔獣にも劣る」


 イライラした気持ちを晴らそうと無意識のうちに煙草を取り出そうとするギルディであったが、ラケルがいることを思い出すと懐に伸ばした手を元に戻した。手持ち無沙汰になった手でポンポンと膝を叩くと話を続ける。


「さて……、まあ俺の個人的な話はどうでもいいか。しかし、アベルが神装使い、未来の英雄になるということは魔獣との闘いに身を投じることになるわけか」 


「厳密にはもう投じた、だけどな。もう既に二体、俺の力で倒したぜ」


「そ、その通りです。一緒に森の中を歩いていた時に襲われて噛まれそうになったところを助けていただいて」


 ギルディの言葉に反応し、誇らしげに魔獣殺しの功績を語るアベルとそれを後押しするように口を開くラケル。祝福の言葉の一つもあっていいところであるがギルディの言葉の意図はそこではなかったらしい。声色を変化させるとビシッという音が聞こえそうなほど鋭く指を指した。


「そこだよ」


「は?」


「お前、その子をこれからも連れまわして魔獣の戦いに巻き込むのか? その子まで失うことになったらお前いよいよ立ち直れないぞ?」


 ギルディの胸を抉るような、しかしあまりにも正鵠を射た言葉に、肩をびくりと震わせるアベル。


「まあ、今のは大げさに言ったが割と俺は重要なことを言っているぞ。その子をこれから先も連れまわすのであれば必然的に魔獣との戦いに巻き込むことになる。お前はその子を守り切れるのか?」


「ぐぅ……」 


 ギルディの指摘に唸り声を漏らすアベル。そんな二人をみてキョロキョロと交互に視線を向ける。不安そうに二人を見るその動きは無意識のうちにこれから起こることを感じ取っているかのようであった。鷹のように目を鋭くしじっとアベルを見つめるギルディはアベルが顔を上げたところで本題を切りこませる。


「なあお嬢さん。うちの会社で働かないか?」


「え?」


 ギルディの突然の提案に素っ頓狂な声を漏らすラケル。そんな彼女を他所に彼は言葉を続けた。


「こいつらの商隊が壊滅しちまったから人手が必要になる。できないことがあるんだったら教えるし、生活に困らないくらいの賃金は出すつもりだ。危険に身を投じるくらいだったらそのほうがいいと思うのだが」


「あ、そうじゃん。そのほうが絶対にいいよ!」


 それを聞いて一瞬驚いたような表情を浮かべたかと思うと、同意しながら嬉しそうに顔を綻ばせるアベル。彼としても彼女を危険に巻き込むのは本意ではない。比較的安全なところで生きてくれるのではあれば彼としても好都合、まさに渡りに船である。


 うんうんと頷きながらギルディの提案を好意的に受け取るアベル。彼はこのまま彼女がギルディの提案を飲み会社で働くことになると考えていた。しかし、当の本人であるラケルにとってはとても納得できるものではなかったらしい。


「え……」


 蚊が鳴くような小さな声で呟いたラケル。呆気にとられた表情のまま、一瞬固まるとアベルとギルディの二人キョロキョロと視線を送る。そして無意識のうちに隣に座るアベルのズボンを小さく摘まむとそのまま見上げるようにしてアベルを見つめた。その様子は捨てられてしまい、近くを通りかかった人間に助けを求める子犬のようであった。


「…………いや、何でもない。忘れてくれ」


「えっ、別に今の悪い提案じゃないと思うんだけど……」


 子犬がに助けを求めるような彼女の弱弱しい様子を見て彼女の心境を察したギルディは口元に手を当てると先ほどの提案をなかったことにした。ばつが悪そうに視線を逸らしたが手で隠された口元は小さく笑っている。それはこれからのことを面白がっているかのようである。


 一方でアベルがせっかくの提案がなかったことに首を傾げていた。彼女の身を案じるのであれば最良の選択であるあれがなぜ直前で取り消されてしまったのだろうかという疑問が彼の頭を埋め尽くしていた。確かに彼女の身を案じるだけであれば最良かもしれない。が、そこに彼女の心情は含まれていない。彼の頭の中に彼女の身を案じることだけがあって彼女の心を見てはいなかった。


「まあともかくこれからお前らは二人で旅をしていくことになるんだ。送別会をしなきゃだな」 


「いやいいよ。見送られるほどでっかいことしたわけじゃないし」


「アホ。これからでっかいことをするんだよ。だから送別会をする。そんで英雄が働いた会社ってことででっかく売り出すんだよ」


「このやろう」


「とにかくお前ら今日はここに泊まれ。今日はささやかだが宴会だ。思いっきり楽しんで思い残すことをなくしてから行け!」 


「あ、もう好きにしてください……」


 ギルディの押し込みに抵抗の意思を無くしたアベルは、力ない声で同意した。しかし、まだ宴会まで時間がある。それまでアベルは会社の雑務を手伝うこととなり、彼とラケルは社長室を後にする。


 社長室を出て廊下を歩く二人。その沈黙した空間の中でアベルは口を開く。


「ねえ、社長の提案なかったことになっちゃってもよかったの? 悪い事なんてないと思ったんだけど?」











 彼の頭の中で燻っていた疑問をラケルに投げかけると、ラケルはゆっくりと振り返った。彼女は目を細め口をへの字に曲げ、まさに不機嫌を表現していた。


「守るっていう言葉は嘘だったんですか?」


「いや、別に俺のそばにいなくても会社にいてもそれはそれで……。俺としては君が生きててくれればそっちの方が都合がいいし……。それに別にもう二度と会社に顔出さないわけじゃないし……」


 頭に疑問符を浮かべながら彼女の問いかけに答えるアベル。しかし、それが彼女の怒りを買ってしまったらしく、明らかに先ほどよりも不機嫌そうな雰囲気を放ち、頬を膨らませる。そのあまりの怒気にアベルはどう対応すればいいのかわからなくなる。そんな彼に対してラケルは言葉を投げる。


「私のことを守るって言ったんですから、最後まで貫き通すのが男の筋だと思うんですけど?」


「いやだから……」


 しかし、これでもまだアベルはラケルの真意に気づかない。業を煮やしたラケルは、つい乱暴な対応を取ってしまった。


「もう知りません!」


 怒気の籠った声で突き放すような言葉を掛けたラケルは言い終わると同時にベーっと舌を出し、アベルを置き去りにして歩き出してしまう。取り残されたアベルは彼女の行動の意図が分からず、疑問符を浮かべながら立ちすくむのであった。

























 社長室から離れて少し経って。彼女の滞在する部屋に一人の女性が現れた。彼女はギルディから伝言を預かってきており、内容は


 ―――送別会の前に入浴でもいかがかな?―――


 というものであった。言われて初めて自分の体臭に意識が向いたラケルは自分の身体に鼻を近づけるとクンクンと。二週間近い旅の間水浴びもできずに急いで進み続けてきた二人。水浴びもできず身汚いまま進んできた彼女の体臭は彼女に聞かせるには少し酷なものになっていた。体臭というものは本人には少し気づきにくいもの。そしてそれは男はよくても女性にとっては死活問題であった。

 

 ツンと鼻を刺し、かつズンと鼻を圧す不快な臭いに思わずラケルは顔を顰める。直後、自分がこの体臭で歩き回っていたことに羞恥心を覚え顔を真っ赤に染め上げた。そのあまりの恥ずかしさで部屋の前に立っている女性の社員を見ることが出来なくなってしまう。彼女の羞恥心は女性社員にも伝わっており、場を濁すようににこりと笑うと彼女に声をかけた。


「いかがでしょうか。既に準備は出来ておりますが」


 そう言われてラケルに断ることは出来ない。自分の体臭に気づいていてそれを洗い流す機械がある。断る理由などどこにもなかった。


「はいぃ……。よろしくお願いします……」


 どもるような口調で小さく呟いた彼女を見た女性社員は風呂場の場所を伝えると、小さく頭を下げラケルの前を後にした。


 残されたラケルは少しの間自分の無頓着さに悶えた。何も考えずに動き回ったせいで周りの人たちに迷惑をかけていないだろうか。自分が身だしなみに無頓着な人間だと思われていないだろうか。羞恥心が押し寄せてきて彼女を埋め尽くしていく。呻き声を上げながらベットの上でのたうち回るラケルは顔じゅうが真っ赤に染まっていた。


「………………お風呂頂こう」


 しばらくして羞恥心から復活したラケルは一人小さく呟くと立ち上がり風呂場に向かって歩き始めた。とぼとぼと肩を落として歩く彼女は心配で声をかけたくなるような存在であった。しかし、人払いがされているのか誰一人として彼女を見ることはないまま風呂場に到着した。


 風呂場に到着したラケルは脱衣所内に置かれた籠とタオル代わりの布を取ると緩慢な動きで服を脱ぎ始めた。次第に彼女の肢体が露になっていき服の下に隠されていたものが明らかになっていく。締まるべき場所はしっかりと引き締まっており非常に均整の取れた肉体をしている。それでいて主張すべき部分は非常に女性的に発達している。まるで肉食獣のようなたおやかな肉体はほとんど休憩なしで二日近く走り続ける事が出来た確たる証拠として存在していた。


 身に着けているものをすべて脱ぎ捨てて生まれたままの姿になったラケルはそのまま浴場に足を踏み入れる。その直後、彼女の身体に湯気特有の優しい暖かさが押し寄せる。それを押しのけてペタリと足をつけたラケルは簡単に身体を流すとお湯に身体を落とす。風呂というのは設備の準備ができない庶民にとっては縁遠い存在である。なかなか味わえない感覚、―――全身を包み込むような暖かさと浸透してくる快感―――に彼女は力が抜けたようにほうと息を吐く。


「ふう……、お風呂なんて何時ぶりだろ……」


 そして力が抜けて軽くなった口から小さく呟いたラケル。彼女が風呂に入るのはこれで二度目。一度目は以前集落から出てムルとは違う町を訪れた時、とある建物の屋根から昇る煙に興味を持った彼女がわがままを言って母親と公衆浴場に行った時である。それ以降は水浴び程度で済ませており、とても湯につかるなどということはなかった。


 湯につかった瞬間昔のことを思い出したラケルはつられるように母親や集落のことを思い出す。同時に彼女の思考を暗いものが埋め尽くしていく。捨てられたという事実は彼女の心を蝕んでいき絶望感を与えていく。


 しかし、それを忘れるように湯に顔をつけたラケルは顔を上げると頬を揉み口の端を吊り上げた。すぐに忘れようと前向きになれたのは彼女の周囲の環境の違いだろう。今の彼女にはアベルやギルディといった彼女を支えてくれる優しい人たちがいる。二人の存在が彼女の心を支えて守る存在となっていた。後ろを向いても仕方がない、ならば前向きに進んでいこう。そう思わせるほどに二人の存在は彼女の中で大きい存在になっていた。


 そういえば―――、私の臭いは彼に嗅がれていたのだろうか。抱きしめられ密着したとなれば当然彼女の臭いはアベルに届いていたことになる。その時いったい何を思っていたのだろうか。変に思われていないだろうか―――。考え始めると妄想が止まらなくなる。


(そういえば……、あの時いい臭いだった……)


 それと同時に抱きしめられた時のアベルの臭いが彼女の頭の中に蘇り始める。ラケルの臭いが届くのであれば当然アベルの臭いも彼女に届く。泣きじゃくりながらもアベルの臭いは彼女に届いており、あの時を思い出すと止められない。


 ―――男性特有のツンと刺すような少しきつめの臭い。しかし、どこか包み込むような安心感のある臭いで女の本能を刺激する―――


 ここまで考えたところでラケルは勢いよく湯に顔を叩きつけた。今までの全ての思考を忘れたがっているような行動。十秒ほど顔をつけたところでラケルは赤い顔を湯から上げた。しかしどう考えてもお湯だけではない何かの力で赤くなっていた。


 湯に顔を叩きつけてなお残る先ほどまでの思考を捨て去るようにブンブンと首を振り同時に水滴を飛ばす。数回、十数回、数十回と首を振って息を粗くしたラケルは鼻まで湯につかるとブクブクと音を立てながら湯船の中で体育座りをした。


 その後、そのままの体勢で湯につかり続けたラケルはのぼせる直前に陥ってしまい、心配になって見に来た女性社員に見つからなければ完全にのぼせるところまでいってしまっていた。しかし、体調には問題はなく、その後の送別会には参加した。夜を徹しての送別会は大いに盛り上がりを見せ、アベルを送り出すに十分なものとなった。


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