第15話 ツー・トラベル・アゲイン

 抱きしめられたまま、泣き続けそのまま眠ってしまったラケル。アベルはそんな彼女を背負いながら道を進む。しかし、彼の顔はリンゴやトマトも驚くほどに真っ赤に染まっていた。流れに任せて色男のようなことを口走ってしまったという恥ずかしさ、それが彼の身体を恥辱の波として溺死寸前のところまで追い込んでいた。


 思い返すだけで体温が一度上がり、背中が汗まみれになるのを感じる。顔が熱くなり押さえたくなるがラケルを支えているため、抑えることが出来ない。恥ずかしさで悶えそうになるのを堪えながら歩き続けるが、そんな彼の茶化すように言葉が響く。


『ククク。大丈夫、君のことは俺が守る、だってよ」


「あぁー!!! てめえ分かっててやりやがったなぁ!!!」


 脳内に響き渡るヴィザの揶揄い茶化すような声。それが引き金となりついにアベルの羞恥心は爆発する。ヴィザの声につい反射的に大声をあげてしまうアベル。それに気づいたアベルは背中に背負うラケルに視線を向けるが、彼女は静かに寝息を立てており起きた様子はない。それを確認しホッと息を吐いたアベルは再び脳内の声に耳を傾ける。


『いやぁ~、つい二週間前まで野暮ったかったガキンチョが随分というようになったな! 聞いたこともないようなかっこいいお言葉だったよ』


「やめろぉ! 思い出すだけで死にたくなるくらい恥ずかしいんだからよ!!!」


『今度はどんなかっこいいお言葉を聞けるのですかなぁ!!!!!」


「あーあーあー!!! きーこーえーなーいー!!!!!」


 続けて幾度となく茶化すように声を吐き出し続けるヴィザ。そんな彼の言葉を無理やり遮るように大声は張り上げた。それでもヴィザは言葉を止めることはなく、合わせるようにアベルの言葉もギャアギャアとバカ騒ぎをしながら頬を真っ赤に染めた青年が進む。


 その一方で頬を真っ赤に染めている人物がもう一人いた。彼の背中で眠っていたはずの少女、ラケルである。彼の最初の大声で目を覚ました彼女はアベルの背中の上でまるで誘導されたように寝入る前の出来事を思い出した。


 異性に抱きしめられながら君を守ると宣言され、何も言わずに泣き続ける自分の背中を擦り続けてくれたのだ。それをさらに押し上げるように脳裏に奔るあの笑顔。その二つはまるで剣を深々と心臓を突き刺し、その傷に手を捻じ込んで広げてくるかのようであった。不意に身体に突き刺さった剣にラケルは一切の抵抗が出来ないまま心臓を貫かれ、痛みに気づいた瞬間その傷に両手を差し込まれぐいぐいと広げられたのだ。ものすごい勢いで彼女の身体から血が噴き出し力なく膝をつく。(もっとも彼女の身体から溢れ出たのは全く違うものであるが)


 羞恥心で顔を赤くするアベルと、少し毛色の違う羞恥心で顔を赤くするラケル。全く同じ行動をとる二人は地平線の向こうに日が沈む中、足早に街まで降りていくのだった。





























 街について即座に部屋を取ったアベルは、部屋に入るなりラケルを少し乱暴にベットに降ろすと自分のベットに飛び込む。そしてその三十秒後、彼はすうすうと寝息を立て始めた。まあ、それも当然のことである。朝から街から離れた集落に向かって歩き、その途中二体の魔獣との死闘を繰り広げた。加えて夕方には少女を背負ってきた道を戻ったのだ。さらに肩にのしかかる責任や、彼女を守るという覚悟、道中暴発した羞恥心も相まって彼の身体にはかなりの疲れが溜まっていた。いかにアベルが頑丈とはいえこれほど積み重なれば毒である。三十秒という結果も納得である。


 ベットの上で寝息を立てて眠るアベル。彼が完全に寝付いたところでようやく狸寝入りを決め込んでいたラケルが動き出す。夜も眠るには充分なほど更けている。彼女もこのまま寝てしまいたいのだが、道中で多少眠ったせいか妙に目が冴えてしまっている。今は眠れたものではない。


 起き上がったラケルはふうと息を吐き出すとアベルのほうに視線を向ける。むにゃむにゃと口を動かしながら安らかに眠るアベルを見て、彼女は今までのすべてが嘘なのだったのではないかと夢想する。しかし、今までのすべては実際に起こったことであり、嘘などという薄っぺらい言葉で片づけることはできない。


 思考が渦巻くのと同時に無意識のうちに心が絶望感に飲み込まれていく。完全に飲み込まれ涙がこぼれそうになったその時。


「ンゴッ!?」


 寝返りを打とうとしたアベルがベットの上から転がり落ちた。そのショックで珍妙にして滑稽な声を上げる。それを聞いてラケルはなんだかおかしくなりクスリと笑い声をあげる。と同時に彼女に纏わりついていた絶望感が霧散する。


 このままではアベルが風邪をひいてしまうと思ったラケルは立ち上がると彼のベットの毛布を地面で眠るアベルにかける。彼女自身にアベルを引っ張り上げる力はない。これで精いっぱい。だがこれで充分である。


 毛布を掛けたラケルは自分も眠ろうとベットに足を運ぼうとする。しかし、何かを思い出したかのように動きを止めるとアベルのそばに立ちゆっくりと起こさないようにしゃがみこむ。アベルの額にかかる髪の毛を撫でながら優しく笑みを浮かべ見つめる彼女は、不意に自分の顔をアベルの顔に近づけると小さく呟いた。


「改めて、これからよろしくお願いしますね」


 夢の世界を楽しんでいるアベルにその言葉は届かない。しかし、今はこれでいい。そう納得したラケルは改めて自分のベットに戻ると毛布にくるまり瞳を瞑った。




























 あの壮絶な一日を乗り越えた二人。そんな二人の寝ている部屋に朝日が差し込んだ。それが目覚ましの代わりとなり二人は目を覚ました。途端に流れるぎこちない雰囲気。視線の合った二人は慌てた様子で、示し合わせたように向き合うと顔を伏せたまま、話を始める。


「あ、あの」


 先に口を開いたのはラケル。生まれたばかりの小鳥のような弱弱しい声色で言葉を紡ぎ始める。


「昨日はいろいろとありがとうございました。なんとお礼を言っていいか……」


 そんな彼女を見て慌てて口を開くアベル。


「い、いや! こっちが好きでやったことだから! それより……」


「あ……」


 彼の声に小さく呟いたラケルは、数秒声を伏し黙り込むとゆっくりと、深々と頭を下げた。


「これから、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 彼女に合わせるように頭を下げるアベル。お互いに頭を下げた二人は同じタイミングで頭を上げると微笑み合った。と同時に二人の間に響く唸り声のような二重音。いわゆる腹の音である。


「あ、やべ……」


 声を上げたのはアベルの方。しかし、昨日は死闘を繰り広げ帰ってきてすぐに何も食べないまま寝てしまったため、むしろ当然である。恥ずかしそうに顔を逸らしたアベルは数秒して視線を元に戻す。


「朝ごはん、食べに行こうか」


「はい、お付き合いさせてもらいます」


 二人は顔を見合わせ笑いあうと朝食を取るため、宿を後にした。


 一時間ほどして以前と同じ店で食事を終えた二人は荷物をまとめると、宿屋、そしてムルの町を後にしようとする。


「あ、少し待っててもらってもいいですか。ちょっと行っておきたいところが」


「あ、待ってるから行っておいで」


 アベルの言葉を聞いたラケルは彼に背中を向けるとパタパタと宿の中に戻っていく。なんとなく彼女の言っておきたい場所を察知していたアベルは特に何も咎めずに背中を見送る。


 宿の出入り口で空を見上げながら立っていたアベル。そんな彼の目の前を走り回る二人組。アベルの眼にもそれが映り、彼は視線を下げた。同時に二人組の男と視線が合う。


「すまない。少し聞きたいことがあるんだが」


「何?」


 話しかけてきた男に返答するアベル。


「このあたりで女の子を視なかったか? 君くらいの年の一人でいる子なんだが」


 男の言葉を頭の中で噛み砕いて彼の頭に思い浮かんだ顔が一つ。だが、それと同時に彼は目を細めた。男のことを見下すような視線。少なくとも人を見るような目ではなかった。彼の頭の思い浮かんだのはラケルであるが、わざわざ彼女のことを問いかけてきたということは彼らは彼女を売り払った側の人間であるということ。彼女のことを彼らに話せば何が何でも取り返そうとするだろう。そうなれば彼女はそのまま売り飛ばされてしまう。最終的に彼女は崖を走る石ころのように真っ逆さまに落ちていくだろう。


「さあ、一人で歩き回ってる女の事なんて見てないけど?」


 わざわざ彼女を不幸の道に叩き落とすことはない。大体彼はこの街で一人で歩き回っている女の子に心当たりはない。そのことを伝えると男は見るからに肩を落とし、目を伏せる。


「そうか……。すまなかったな。何か心当たりがあったら是非教えてくれ」


 そういって背を向けた男は女とともにアベルの前から去っていく。その直後、宿屋からラケルが姿を現し、きょとんとした表情でアベルを見つめた。


「あの……、何かありましたか?」


「いや、何でもないよ。もう大丈夫かな?」


「あ、はい! もう大丈夫です!」


「それじゃ出発しようか」


 そういうと二人は町を出るために歩き始める。その途中、男たちが走っていったほうに一瞬チラリと視線を向けた。が、すぐに視線を戻すと彼らの存在などなかったかのように気にせずに歩き始めるのだった。























 ムルを旅立ちユクリタに向かったアベルとラケル。その一方で街中でラケルの情報を得ようと躍起になっている村長と母親であるルイン。アベルと顔を合わせてから二時間ほど聞き込みを続けて彼らはやっと有力な情報を得ることに成功する。


「ああ、そんな感じの女の子だったら見たけど」


 町で雑貨店を営む男の一言が皮きりであった。それにラケルの匂いを嗅ぎつけた二人は男からさらなる情報を引き出そうとする。そばにいた仲間内の思い当たる情報を出していくとそのうちの一人があることをつぶやく。


「そんな感じの女の子だったら見たけど、男と一緒に歩いてたぞ。でっかい剣背負ってるやつな」


 そんな男の声に周りの男たちは同調するように声を上げる。さらにそれに付け加えるように一人の男が声を上げる。


「そういえば多分その二人組、さっき町から出ていったと思うぞ。ユクリタの方だったかな」


 その言葉を聞いた村長とルインは顔を見合わせるとこそこそと二人きりで話を始める。


「どうしましょう……。あの子を追いかけるんだったら一度戻って準備をしてこないと……」


「………………仕方あるまい。契約違反で金が支払われねば冬を越すことすら難しくなる。ただでさえ最近は採掘量が減ってきていて厳しいのだ。すぐに村に戻って準備をするぞ」


 少し考え込んだ村長は絞り出すような声でルインの声に応えた。もはや彼らに選択肢はないように思えた。アベルたち二人がユクリタに行くかもわからないにも拘らず後を追っていくあたり相当追い詰められているらしい。


 顔を見合わせ頷いた二人は足早にその場を離れるとムルを去り集落に向かって進み始める。そして一時間ほどで準備を終えると二人でユクリタの方に向かって歩き始めた。


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