第14話 ガール・ノウ・リアリティ

 アベルの背中を見送ったラケルは名残惜しさを覚えながら振り返り集落におよそ十日ぶりの故郷に足を踏み入れた。その足取りは母親に迎えてもらえるという喜びがこもっているのか非常に軽く、表情も何かから解放されたかのような笑みを浮かべていた。


 小走りで集落の中を進むラケル。集落はまだ仕事の真っ最中であるため、人通りはまばらどころか全くなく道を行く人はラケルと、年齢に沿って無邪気に遊んでいる小さな子供くらいである。大人は誰一人として見かけない。


 そんな中をたまに子供の視線を受けながら進むラケル。さほど広くない集落であるため、すぐに集落の真ん中あたりにある実家に到着する。


「お母さん!」


 もう帰ってくることができないと考えていた実家に帰って来られたという喜びと母親に会うことができるという喜びの入り混じった声をあげながら扉を勢いよく開けるラケル。しかし、その向こうに歓迎してくれるはずの母親はいなかった。家の中に足を踏み入れ中を探してみてもそこに母親の姿はない。普段であれば日が沈みかかっているこの時間帯になればいるはずの母親の姿がないことに混乱するラケル。彼女は、一度家を離れると集落の中を歩き回り母親を探し始める。


「お母さんどこ行ったんだろ……」


 当てもないまま母親を探すためにとりあえず集落を歩き回るラケル。幸いなことに集落の大きさは大したことほどではない。歩き回っていればすぐに見つかるだろう。そういう考えのもと集落の中を歩き回る彼女。

 

 そんな彼女の眼に一つの民家が映る。この集落の長と呼べる人物の民家であり、なぜ目についたのか、本人にも理解できていなかった。しかし、なぜか誘われるように身体が勝手に歩みよっていくと、扉に手を掛けようとした。


 そんな彼女の耳にとある声が小さく響き渡る。それは彼女が待ち望んだ人物のものであり追い求めていた人物のものであった。


 反射的に伸ばす手の速度を上げ、ドアノブを掴んだラケル。そのまま捻ってその向こう側に姿を現そうとした彼女であったが、次に聞こえてきた言葉で躊躇せざるを得なくなる。


「一体どういうことですかな。いつものように手ごろな少女を一匹、集落の外に放逐したのではなかったのですかな。この十日間辺りを捜索しても全く見つからないのですが?」


 その言葉に違和感、もとい感じ取ってはいけないものを感じ取ったラケルはドアノブを掴んだ手を引っ込めると窓の下に移動し、聞き耳を立てる。


「これではそちらに約束の分の金は払えませんぞ。どうしてくれるのですか?」


「そうはいってもですな。そちらとの契約は生贄という体で集落の外に放逐するまで。そのあとどうするかはそちらの勝手でありましょう。約束の代金はしっかりと払ってもらわねば」


 集落の長と何者かとの会話に耳を傾けると同時に、思考を回転させるラケル。しかし、彼らの言っていることが理解できないままに回転するそれはすぐにショートを起こし完全に停止する。先ほどに会話には突っ込みどころが多すぎたのだ。


 まず生贄という体という言葉。この言葉が本当であるならばそもそも生贄というこの集落の制度そのものが要らないということになる。だったら何のために彼女の先代や彼女自身が犠牲にならなければならなかったのか。その意味は次の疑問点につながる。生贄を契約のもとに集落の外に放逐する、つまりは魔獣に襲われたことを装っての人身売買、世間知らずのラケルでもわかるほど明確に記されていた。


 停止した思考が復活し、これらをまとめたラケル。自分が置かれた状況を理解したラケルは、今度は思考が混乱を始める。母親はこのことを知っていて私を生贄としたのだろうか、そもそも集落のみんなはこのことを行っているのだろうか。疑問が解決される前に次々と疑問が浮かび上がっては消えていかず脳のキャパシティを悠々と超えていく。


 グルグルと不規則に回転し混乱の様相を見せる彼女の思考。それにつられるように彼女の身体も悲鳴を上げ視めまいを起こし視界が歪んでいく。そんな彼女の思考を一時的に停止させる言葉が彼女の脳に響き渡った。


「どうですかな、ルイン」


 ルイン。それはラケルの母親の名前であり、彼女が待ち望んでいた人物の名前であった。その言葉を聞いたラケルは一度思考を停止、疑問を一度棚上げし再起動することで思考力を回復させると、続けられるであろう言葉により一層集中して耳を傾けた。


 しかし、無情にも彼女の境遇を慰めるような言葉が母親の口から飛び出すことはなかった。


「本当に困ります! 何のために私があの子を生贄として出したと思っているんですか!? お金をもらうためですよ? 払ってもらえなければ無駄になっちゃうじゃないですか」


 ルインの心無い言葉にラケルの思考は停止する。さらに彼女を追い詰めるように続けて言葉が吐き出される。


「全くあの子もあの子よね。黙って魔獣に襲われていればこんな話をする必要もなかったのに……」


 その言葉を聞いた瞬間、ラケルは自分が物として扱われ生贄に捧げられたことをはっきりと理解する。と同時に再び一瞬思考が停止する。それが回復すると同時に彼女は感じたことがないほどの不快感を覚える。胃から何かがせり上がってくるのを感じ取り、口に手を当てるラケル。何かが出ようとするのをえずきながらこらえると虚空を見つめ、母親の言葉を噛み締めた。


 自分がただの物として売られた。これでは母親すら信じられない。集落の人間など誰一人として信じられなくなってしまう。いったい自分がどこから狙われているのか、誰が狙っているのか。そう考えるとあるはずの無い視線を感じるようになり、すべてが不快に感じられるようになる。


 それとともに自分の置かれた状況がいかにまずいものかを理解する。承知の上で自分のことを売った集落に着の身着のままの状態でいる。もし中にいる三人に見つかろうものならば何が何でも確保しようとするだろう。


 逃げなければ。そう考えたラケルは一目散に集落の出口に向かって駆け出した。身体に残る力のすべてを振り絞り、風のようになって出口を目指す。そんな彼女の頬を涙が伝い、そのまま宙に舞うと音もなく地面に落ちた。その中に籠められていたのはは愛した家族を信じられなくなった自分への嫌悪と、自分を売り払おうとした母親の嫌悪感、そしてこの世界に対する絶望感であった。ボロボロと零れる涙を抑えることもなく、垂れ流しにしながらラケルは走る。


 肺が炎に包まれ焦げるような感覚を覚えながら集落を飛び出したラケルは、人目のないところで回転させていた足を止める。異常なほど熱くなった肺で熱された空気を何とか吐き出し、逆に冷たい空気を取り入れようとする彼女の身体。数分ほど経ち彼女の身体は落ち着きを取り戻していく。荒く大きくなっていた呼吸も、緩く小さくなっていく。


 しかし、心はどんどんと穏やかさを失い、嵐の海のように荒れていく。高々と上がり音を立てながら叩きつけられた波は彼女の身体に異変をきたす。


「……うえぇぇぇぇ!!!」 


 集落での彼女の今までを壊すような残酷な出来事を思い出したラケルは、感情を抑えきれなくなり声を上げて泣き始める。頬に大粒の涙を伝わらせ森中に響く声で泣き続ける。魔獣、あるいは集落の人間を引き寄せるかもしれないとわかっていても止めることが出来ない。拭っても拭っても涙は止めどなく溢れ出てくる。彼女は呼吸もできないほどに泣き声を上げ続けた。


 横隔膜が痙攣するほど、頬に涙の痕が残るほど泣き続けたラケルは、ようやく泣き声を止める。横隔膜が跳ねる中、ラケルは重い気持ちのまま次のことを考え始めた。


 まず集落には戻れない。このままのこのこ戻っていけばまた生贄という名で売りに出されることになる。あるいは生贄として職務を全うしなかったという理由で死ぬまで差別を受けることになるかもしれない。確立としては低いかもしれないが、年頃の少女を売りに出すような人間である。あり得ない話ではない。


 しかし、彼女にいきなり街に出て行って日銭を稼ぐような生活能力はない。彼女は外の世界とのつながりを麓の街以外で全く知らない。金の稼ぎ方も、身の振り方も知らない彼女が街に出ていったところで出来ることなど高が知れている。


 所詮、田舎の町娘にできることなど何もない。そういう現実に打ちのめされたラケルは悲壮感を纏い顔を押さえた。


 しかし、


 たったの一瞬、しかし電撃のように衝撃的に彼女の脳裏に奔った光景。ついさっき別れた青年の笑顔、そして別れ際に彼の口から発せられた言葉。この二つを思い出したラケルは、ここに希望を見出し後を追おうと走り出そうとした。しかし、そんな彼女を引き留めるように足を引っ張る考えがあった。


―――迷惑にならないだろうか? そもそも人に頼るなど恥ずかしくないのか?―――


 この考えが頭をよぎり動きを止めるラケル。しかし、そんな考えはすぐに捨てた。親に捨てられ、帰る場所を失い、世界に絶望した自分である。もはや恥も外聞もない。頼ったところで何も失うものなどないのだ。軽蔑されてでも追いかけ、地に額を擦りつけてでも頼み込むべきだ。そう考えた彼女は無意識のうちにうっすらと笑みを浮かべると来た道を、麓の町までの道を、今恩人が歩いているはずの道を走り始めるのだった。


 一方で彼女が集落を出てアベルのもとに向かったおよそ三十分後。集落の長の家から商人の男が姿を現す。でっぷりと腹に脂肪を蓄えており、とても健康体とは言えない。そんな彼を集落の長とルインが見送った。


 どすどすと不機嫌そうに歩き馬車に乗り込んだ商人を見送った二人は大きく溜息を吐くと、ラケルに対する不満を吐き出し始める。


「全く……。おとなしい娘だから逃げることもなくおとなしく捕まると思っていたが、まさか十日間も見つからないところまで逃げてしまうとは……」


「本当に……」


 二人が声を漏らしたところで彼らのもとに一人の子供が近づいてくる。それに気が付いた集落長は子供の頭を撫でながら声をかける。


「どうした坊主?」


 頭を撫でられながら問われた子供は話すことをまとめるように口をもごもごと動かし、少しして子供が話し始めた。


「あのね、さっきラケルのお姉ちゃんがここに戻ってきてたよ。すごい走り回ってた」


 子供の言葉を聞いて二人は目を見開いた。先ほどまで話題に上がっていた少女が村に戻っていたという話は青天の霹靂であると同時に巨大なチャンスであった。二人は血相を変えると彼女のその後を問いただした。


「坊主! ラケルはそのあとどこに行った!?」


「わかんない。叔父さんの家の近くでしゃがんだあと、どっかに走っていっちゃった」


 子供の言葉を聞いて一瞬考えこんだ長は全身から冷や汗が出る感覚を覚えた。家の近くでしゃがみこんでいたということは家の中での話に聞き耳を立てられていた可能性があった。もしそうならば自分たちに心を開くことはない。姿を見失えばどうすることもできなくなる。


 こうしてはいられないとルインと視線を合わせた長は外出の準備をし始めた。十分もしないうちに準備を終えた二人はラケルの後を追うように集落を飛び出していった。




























「なあ、あれどういう意味だったんだよ」


 来た道を戻り麓の町を目指すアベル。その道中、彼は別れ際にヴィザがわざわざ制御権を奪ってまで告げたあの言葉の意味を問いかけていた。その問いかけにヴィザは淡白な返答を返す。


『ああん? あんなもん何でもねえよ。ただ、どうするかの選択肢を与えてやっただけのことだ」


「やっぱ意味わかんねえんだけど?」


 しかし、それでも彼の隠された言葉の意味を理解できなかったアベルは、首を傾げ疑問の言葉を返す。


「そもそもあの子が集落に帰ったら、この後かなり長い間会わなくなるだろ?」


『さて、それはどうかな?』


 笑の色の籠ったヴィザの声が響き、フッと零すように笑った。それでますます混乱したアベルであったが、その疑問はすぐに解決することになる。


――おーい――


 森の中に微かに響く声。それを聞き取ったアベルは足を止め耳を凝らした。音がやってくる方向を探るアベルはその声が徐々に近づいてくることに気づく。徐々に近づいてくるその声が戻ってきた道から響いていることを認識したアベルはそちらに振り返り視線を向けた。


「アベルさーん! 待ってくださーい!!!」


 手を振りながら駆け寄ってくるのは先ほど集落の入り口で別れたはずのラケル。笑顔を浮かべ、手を振りながら駆け寄ってくる彼女を見てアベルはそちらに身体を向けた。


「どうしたんだ? てっきりそのまま集落に戻っていったと思ったんだけど?」


「いえ……。よく思い出したらまだここまで連れてきてもらったお礼を言っていなかったので……。あのまま、お別れするっていうのはあれだったので……、一言お礼を、と思って」


 膝に手を当て荒くなった息を整えながらアベルの問いかけに応えるラケル。その顔には薄く笑みを張り付けており、他人からすれば言葉のままにお礼を言いに来たのだろうと見えるだろう。


 しかし当の本人、目の前に立つアベルには全く違って見えていた。頬に残る涙の痕や泣きはらして赤く腫れた瞼は笑顔でも誤魔化せるものではない。何かがあったのだろうと気持ちの上で身構えると、彼女の言葉に耳を傾け、会話を進める。


「そんなに気を使わなくてもよかったのに」


「いえ、ここまでしてもらってお礼も無しなんて人としてダメだと思ったので」


 すうっと大きく息を吸い込んだラケルは深く頭を下げると、これまでの感謝の言葉を伝えた。


「ここまで連れてきていただいて本当にありがとうございました」


 その言葉を聞いた瞬間、アベルは無意識のうちににやけてしまっていた。そも褒められて悪い気分がする人間のほうが少数であろう。彼も多数のうちの一人であっただけである。


「ところで……」


「はい?」


 にやけ面を修正し話の方向を切り替えることにしたアベル。そんな彼の言葉に笑顔のまま、疑問の言葉を零したラケル。


「それ、どうしたのさ?」


 アベルは頬を上から下になぞった後、瞼を指さし問いかけた。慎重さもクソもない真直線な問いかけである。話を長引かせる、こんがらさせるよりいいと思っての言葉であった。


 そんな彼の問いかけに、ラケルは笑みを浮かべたまま硬直する。その瞬間、空間からピキッと氷にヒビが入ったかのような音が聞こえてきそうなほどであった。


「い、いや別に大したことじゃ……」


「嘘はよくないよ」


 硬直から復帰したラケルは両手を振り必死で弁解しようとするが、引き攣ったような笑みはその意味を半減させるだけである。さらに彼女の瞳をじっと見つめながら真剣な表情で語りかけてきたアベルの一言でラケルの抵抗はあっという間に崩壊する。


 アハハと力ない笑いを発したラケルは目を合わせられないといわんばかりに俯くと、ポツリポツリと集落での出来事を話し始める。


「私、生贄じゃなかったんですよ。生贄っていう体でどこかの商人に売られちゃったみたいで。その人とお母さんと集落の偉い人が話してるのを偶然聞いちゃって……。そしたらもう集落の人たち誰も信じられなくなっちゃって……。誰とも会わないうちに集落を飛び出して…………」


「…………」


 彼女の言葉を黙ったまま聞き続けるアベル。言葉を紡ぐ度にラケルの声はくぐもったものへとなっていき、感覚がどんどん開いていく。


「もう何も信じられなくなったときにあなたの顔が浮かんで………………。もう何も残ってない私が、行きたいって願うのは都合がいいのかもしれないけど………………」


 その言葉の直後、彼女は崩れ落ちるように膝を着き、両手を地面につけた。彼女の頬を再び大粒の涙が伝い、ポタポタと地面に落ちる。そして涙交じりの声のまま、大きく声を張り上げる。


「私にできることなら何でもします! 私を、おそばに置いてもらえませんか!! もうあなたしか信じられる人がいないんです!!!」


 その言葉を聞いて先ほどのヴィザの言葉の真意をはっきりと理解するアベル。と同時に彼女にこんなことを強いたこの世界と自分に怒りを覚える。当たっても仕方ないと分かっていても当たらずにはいられない。


 さて話を戻そう。このまま彼女を旅のお供として同行させるか、それとも見捨てて背を向けるか。現状彼女を連れていくメリットは少ない。勉強ができるわけでもないし、何か特技があるわけでもない。見た目がかわいいが、正直どうということのない特徴ではある。逆にデメリットは上げようと思えばいくらでもあげられる。気にするほどですらない小さなものから、後々後悔することになる可能性すらある大きいもの。その数は片手の指では足りないほどであろう。


 しかし、アベルの答えは非常に早く出た。地面に手を着きうずくまるラケルの肩をそっと包み込むようにして抱きかかえる。自然とラケルの顔はアベルの肩に乗ることになり、とギュッと力を入れ耳元で囁いた。


「大丈夫。君のことは俺が守る」


 包み込むような、アベルの優しい声を聞いたラケルは、アベルの抱きしめを強く抱きしめ返すと彼の肩に顔をうずめ声を押し殺しながら静かに泣き続けるのだった。



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