第13話 ソードマン・エクスペリエンス・フェアウェル
「グズッ。すいません、止めたくても止まらなくて……」
「落ち着くまでいくらでも待つよ。俺も正直疲れた……」
襲い来る魔獣の脅威を跳ね返し、つかの間の安寧を手に入れた二人。しかし、一方は感情を抑えることができず、もう一方は魔獣の激戦で身体中にダメージを負い、まともに動くことができない。どちらにも落ち着けるための時間が必要であった。
全身打撲で痛む身体に鞭を打ち、魔獣の死体を少し離れた場所へ移動するアベル。死体から溢れ出た血でまたいつ他の魔獣が現れるかわからない。幸いなことに今は魔獣の姿は見せない。このうちに魔獣を移動させるべきであると判断した。
ズリズリと魔獣の死体と痛む体を引きずって進むアベル。そんな彼の脳内に再び声が響き渡った。
『しっかし、今回は勝てたがこの様子じゃ英雄なんて程遠いな』
「そうは言ってもな。俺はそもそも別に英雄になるつもりなんてないんだよ。目の前で命が奪われるのはもうこりごりだから、戦おうってだけさ」
『…………まあ、お前がそれでいいなら好きにすればいい』
一瞬黙り込んだあと、見放すような返答をするヴィザ。しかし、彼は決して見放したわけではなく、むしろこれからの成長を楽しみに思っていた。
神々が姿を変えた武器、神装として何百、何千年と人間に力を貸してきた神だからこそわかることというものがある。それは英雄の素質と、神装使いの運命というもの。英雄になりうる人物というのは常々善人というわけではない。歴史には悪名高い人間が神装の力を使い、英雄と呼ばざるを得ない地位まで上り詰めたこともあった。だが、少なくとも彼が力を貸し、英雄として名を挙げた人間はすべからくそういう気質を持った人間であった。そしてただ一人の小市民を守るために自分の命を懸けられる彼もまた、そのうちの一人に当てはまる。
そしてもう一つ。神装を手にした人間が戦いの運命から逃れることは出来ない。たとえ神装を手放したとしても少なからず戦いに身を投じることになる。受け入れる人間からすれば幸運とも、はたまた不運ともとれる残酷な運命である。これら二つはヴィザが長年の経験からはっきりとわかる二つの事柄、そして逃れようのない事実であった。
はてさてこいつはどんな英雄になるだろうか、とヴィザはくつくつと悪い笑いを上げる。当然脳内にも響いてはいるが、その他のノイズに飲み込まれアベルの意識には届かなかった。
「さて、袋袋……」
ヴィザの思考を他所にアベルは魔獣の突進を回避するときに投げ捨てた袋を探し始める。近くに転がっていたそれを拾い上げると、幸いなことに破れや物が転がり出た様子はない。ホッと一息ついたアベルは袋の中から水筒を取り出すと、その中身をがぶがぶと飲み始める。二度にわたる慣れない戦闘で疲れ果てた彼の身体に水が染みわたっていく。
「ふう……」
水筒の中身を半分ほど飲み終わり一息吐いたアベルは、再びラケルのもとへ駆け寄ると水筒を差し出した。
「飲める?」
差し出された水筒を見るなり奪うようにして受け取ったラケルは、そのまま中身を飲み干していく。そして完全に中身が出なくなったところでラケルは息を吐き、落ち着きを取り戻す。
「お水、ありがとうございました……」
うつむいた状態のまま彼女の手で手渡された水筒を受け取ったアベルは、袋にしまうとゆっくりとした動きで立ち上がった。
「うん、落ち着いたならよかった。もう立てるかな?」
「はい、お手数をおかけしました……」
ラケルは差し出された手を一瞬躊躇ったような素振りを見せた後、弱弱しく掴んだ。それを確認したアベルは、手を引きゆっくりと彼女を立たせる。
「それじゃあ、行こうか」
「……はい」
見つめあった二人は小さく笑みを浮かべると並んで歩き始めた。
並んで集落までの道を再び歩き始めた二人。しかし、その雰囲気はどことなくぎこちない。
(なんだかなぁ……?)
この雰囲気になった原因といえるのはアベルの隣を歩く彼女だろう。というのもラケルがうつむいたまま、一言も発さない。アベルが話しかけても小さく返事をするだけで会話という会話が成り立たない。何か話したくない理由でもあるのだろうと思い、アベルもあえて黙り込んでいるが、もうすぐお別れである。今生の別れかもしれないときに無言でさようならは寂しすぎる。しかし、無理やり話しかけてもいいものだろうか。そのことでアベルは悩んでいた。
そんな彼の脳に神の声が響き渡る。
『なんだ、ずいぶん長いこと黙りこくって。ついこないだまで楽しそうに話してたじゃねえか」
「いやさぁ、なんか話しかけても気の抜けた返事しか返ってこないし全然こっち向いてくんないし。なんか嫌われるようなことしたかなぁ。もしかして魔獣との戦い方が野蛮だったとかかなぁ?」
『……まあ、今のお前には原因は一ミリたりともわからんだろうな。考えるだけ無駄だ。黙って歩け」
「どうしてお前はそういうふうな言い方しかできないかなぁ?」
世界を統べる神々とまるで旧知の友人のような口調で話すアベル。一体どんな胆力しているのだろうか、何も知らない人間からすれば驚愕に値するだろう。
一方、その隣で視線を下ろした状態のまま歩き続けるラケル。あれ以来、一切アベルとは口を利かず顔も合わせず。嫌いになったのかといえばそうではない。むしろその逆である。
(うぅ~。顔が見れないよ……)
あの時の衝撃が忘れられないのだ。気づかれないようにチラリと視線を横に向けると虚空と話し続けるアベルの姿がある。眉間に皺を寄せどことなく困った表情をしている彼を見てラケルは頬を赤くした。ただ、顔を見るだけにも拘らずそれを維持することができない。反射的に視線をそらしてしまう。
目の前で魔獣の突進を受け止め、振り返ると同時に優しい笑みを浮かべたアベルの姿は彼女にとってあまりにも眩しすぎた。アベルは顔は整っているが、万人に振り返られるほど美男子ではない。すれ違ったら一瞬目を引くが振り返るほどではないといった程度であった。少なくともラケルは振り返ることはない。
しかし、それを加味しても彼の一連の行動はあまりにも強烈すぎた。彼が意識せずに行った一連の行為はさながら細胞の一つ一つに刻み込むかのように衝撃を少女に与えたのだった。
彼の顔を見るたびにその時の衝撃が蘇り、まともに顔を見ることができずにいた。本当はもっと話したりお礼を言わなければならないのに、顔すら見ることができず、故に声をまともにかけられない。このままでは一言も交わすことができないまま、お別れになってしまう。それだけは避けなければと彼女は必死で心の整理をつけようとしていた。
しかし、時間は二人とは関係なしに無情にも過ぎていってしまう。そのままの状態でしばらく歩いた二人は木々の隙間から立ち上る煙を視認する。しかも、一本ではなく、三本以上昇っている。近くに集落がある証拠である。
それから二分と立たないうちに集落の入り口近くに二人は到着する。
「やっと着いたか。ここまで短かったのか、長かったのか……」
アベルがラケルを救い、ここまで連れてくるまでおよそ一週間。本来であれば長いとは言えない期間であるが、初めての経験を繰り返したアベルからすれば非常に長い時間であった。しかも非常に楽しく刺激的、商隊に所属していたころには味わえないものであった。しかし、彼らの旅はここで終わり。濃密だった二人の旅路は残念ながらここが終着点となるのだった。
「それじゃこれでお別れだね。これからもいろいろあるだろうけどこれからも頑張ってね!」
「あ、はい……」
意図しないうちに集落についたことで放心していたラケルもそのことを認識したのか、アベルの言葉に小さく生返事を返す。彼女の返答が生返事であると気づいていないアベルはその一言に笑みを浮かべながら頷くと踵を返し、来た道を引き返そうとする。アベルは彼女を集落に送り届けるという当初の約束を達成した。ならばこのままアベルが道を引き返し、彼本来の、本社に向かうという目的を果たしてもおかしくない。
しかし、ラケルはあれ以来初めて大きく声を上げるとアベルを引き留める。
「あ、あの!」
彼女の呼びかけにアベルは振り返る。
「送り届けてもらいましたし、よかったらお茶でも飲んで休憩していきませんか!」
彼女の問いかけ、もとい要望を聞いたアベルは困ったように苦笑いを浮かべるとガリガリと後頭部を掻いた。
「でも俺も急いでユクリタにいかなきゃいけないんだ。結構押してるからちょっと急いでいかないと」
「あ、そうなんですか……。わかりました。これからも頑張ってくださいね」
アベルの返答を聞いて語気が弱まってしまうラケル。多少吹っ切れてまともに会話ができるようになったのだから無理にでも引き留めてもう少し話をしたいところであるのだが、時間が迫っているという言葉で無理をさせることができないと、押し留めることができなくなる。結果として彼女はアベルを引き留めることを諦めた。
無理やり、張り付けたような笑みを浮かべたラケルは送り出すような言葉をかけると胸元で手を横に振る。
「おう。ありがとな。それじゃまた会える日まで!」
「はい、お元気で」
彼女の言葉を受けたアベルは彼女に向かって笑顔を向けると同時に手を振ると、改めて来た道を戻り始める。その背中を見つめたまま、送り出すラケル。しかし、その表情はどこか悲壮感が漂っていた。
このまま駆けだした彼についていってしまいたい。しかし、それではここまで送ってきてもらった意味がすべて消え失せてしまう。それは彼に対する侮辱になってしまう。そう考えたラケルはぐっと気持ちをこらえると集落の中に歩みを進めるのだった。
お互いに背を向け、歩み始めた二人。しかし、背を向けて歩き続けていたはずのアベルがふと足を止めたかと思うと何を思ってかくるりと振り返る。そしてゆっくりと口を開いた。
「何かあったらこいつを頼れよ」
一言言い残すだけ言い残したアベルはラケルの反応を見ることもないまま、再び背を向け歩き始めた。理解できない行動に首を傾げるラケルであったが、意図を聞く暇もないままに彼は森の中に姿を消した。
もやもやとした気持ちのまま別れることになった二人。しかし、二人はある衝撃的な出来事によってすぐに再会することになる。
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