第2話 アイム・サラウンド・ビースト

 ギヤルまでの進路を変更し、経路だけなら最も短いオルガノの城砦跡地に向かって彼らは魔獣に襲われるかもしれない恐怖を抱きながら進んでいた。雨雲かかる薄暗い中、道とも思えない道を進む彼らの表情は恐怖も相まって鬼気迫るものがあった。


 今、彼らの進んでいる進路は整備が全くと言っていいほど行き届いておらず非常にリスクが高い。薄暗いことも相まって辺りの見通しは非常に悪く、整備されていない道路は凸凹としていて通れるだけで奇跡のようなものである。―――通れるだけの道が確保されているのはここを通り抜けようとするバカが一定数いるという証明であろうか―――。ともかくこの道はまともな商売を行っている彼らの進む道ではなかった。


 当然そんな道を進ませられることになった商隊の人間たちの間で不満の声が上がったが、カミスが決めてしまった以上、彼らにはもうどうすることもできない。それに彼らの双肩には二倍のボーナスと不可能と考える仕事を見事にやり遂げたという名誉が乗っている。人間、欲には勝てない。彼ら自身、それが欲しくて馬車の手綱を握っていた。


 そんな中で荷馬車の天井に上がり、胡坐をかいているアベルは小ぶりの弓矢片手に周囲の様子を窺っていた。薄暗く視界の通らない中でも彼は自分の持てる五感をフルに使い、怪しいものがないかを見張っている。ここは既に魔獣のテリトリー。いつ襲われても不思議でない。護衛の戦士が商隊についているとはいえ、この視界が効かない状況では警戒を行う人間は多い方がいい。幸い、アベルは感覚が常人よりはるかに鋭い。本職の人間にも引けはとらない高度な索敵を行えた。


 じっと全身に感覚を張り巡らせ周囲を窺うアベル。そんな彼の尻が馬車の屋根越しに叩かれる。突然の衝撃にアベルは体をびくりと震わせると馬車の後ろからのぞき込むようにして中の人間に応答する。


「どうした?」


 狭い荷馬車にすし詰めになりながら座る男たちにアベルが問いかけると、彼の言葉に一人の男が応答する。 


「いや何、一人で見張りしてるのも退屈だろうと思ってな。どうだ、何か怪しいもんはあったか?」


 ニカっと笑みを浮かべながらアベルに対して問いかける男に対して彼は笑い返すことで応答する。気を使ってもらったことに小さく喜びを感じたアベルはそのまま短く言葉を交わし始める。


「今のところは何もないよ。てか本番はまだまだ先なんだからこんなところで危ない目にあってたらたまんないよ」


「はは。それもそうか」


「ところで娘さん、明日お誕生日でしたっけ」 


「よく覚えてたな。明日で八歳になるんだよ。この仕事が終わったらちょっと遅めの誕生パーティーさ」


「へぇ~。では俺からもプレゼントを送らせてもらいますね」


「お前に渡されたら娘も喜ぶよ。誕生パーティにはぜひ来てくれ」


「ぜひ行かせてもらいますよ」


 ハハハと笑いながら男と何度か言葉を交わしたアベル。直後、彼は会話を打ち切り、体を起こすと前を向きその向こうに見える景色を視界に収めた。


「おぉ……。なんつう……」 

 

 彼らの前にそびえ立ち、視界を覆っているのは百数十年ほど前に作られた巨大建造物、オルガノの城砦跡地であった。何百年も人の手が入っていないため、見るも無残なほどに荒廃しており、ひときわ目に付く王城の三角錐の屋根は頂点が掛けてしまい、絢爛豪華であったはずの装飾は見る影もないほどに剥がれ落ちてしまっている。さらに不気味さを煽るように鳥や魔獣の鳴き声が響き渡る。加えて黒い雲が空を覆っていることもあって、辺り一帯が非常に不気味な雰囲気を醸し出している。

 

「まさに死霊住まう死の世界、っていう感じだな」


「なんだずいぶん詩的な表現じゃねえか」


「これでもしなきゃおっかなさでちびっちまうんだろうよ」


「こっから先に行きたくねえよ……」


「行かなきゃボーナスも入らんどころか最悪クビだぞ。ビビッてねえでとっとと行くぞ。男だろ」


 アベルの呟きに呼応するように荷馬車から男たちが姿を見せ次々に感想を述べていく。共通しているのは無意識のうちに声が震えてしまっており、目の前の光景を本能で恐怖だと感じ取ってしまっているところだった。例外があるとすれば、アベルだけがいつもと変わらぬ声色で呟いていたことだろうか。


 一方でカミスも彼ら同様に目の前の光景に恐れを抱いていた。意識しないうちに体が小さく揺れ、それを抑え込むように肩を抱いていた。


「どうしますか? 進みますか?」


 そんな彼の震えを認識した側近の男はここから先に進むかの是非を問う。しかし、どんなことがあっても彼の答えは変わらない。


「進むぞ。危険地帯を早々に抜けるために最短ルートで突っ切る」


 無意識のうちに恐れを抱きつつもカミスは馬車を進める。それに続く形で後続の馬車集団も進み始めた。


 この危険地帯において必要なのは被害を出さずにすぐに突破することである。長居をすれば必然的に魔獣に襲われる機会が増え、それに伴って被害も増える。ならば先ほどカミスが言ったように最短距離でまっすぐに突き抜けることが最善である。わざわざこれ以上のリスクを負う必要は無い。


 カミスの商隊は城砦の中に足を踏み入れていく。この場を素早く抜けたいという心理が働いているのかどの馬車もどこかペースが速い。おかげで荷馬車は必要以上に揺れ、荷馬車の天井で見張りを続けているアベルもその煽りを受けていた。


 商隊を囲い込むようにして護衛の戦士たちもついており、もし魔獣たちが襲ってきても万全の態勢を取っていた。


 妙な静けさに包まれながら城砦の中を進む商隊。一見すれば魔獣に襲われることもなく順調に進んでいるように見える。しかし、この状況に妙な違和感を覚えている者がいた。


「なんだかな……」


 アベルは荷馬車の上で尻を強かに打ちながら、辺りを見まわし考え事をしていた。彼が違和感を覚えているのは城砦内に足を踏み入れるときまで聞こえていた魔獣の鳴き声などが一切聞こえなくなったことだった。この城砦は人がいなくなってから魔獣の巣となっており、当の昔に人が足を踏み入れていい場所ではなくなっている。故にカミスがここを通ると提案したときに反対の声が上がったのだ。


 そんな魔獣たちの声が聞こえなくなった。ついさっきまで付近にいたはずの魔獣たちが一斉にいなくなったというのはあまりにも不自然である。じゃあ、彼らに対して警戒心を持ち逃げてしまったのではないだろうか? と思うかもしれないが、それに対しての答えは明確にノーである。むしろ逆、一部の例外を除いて魔獣は人に対して率先して襲い掛かる性質がある。そんな彼らがたかだか五十人にも満たない商隊が入ってきたところで逃げるはずがない。


 魔獣の声が一斉に聞こえなくなる、これは偶然にしてはあまりも出来すぎている、何か起こるのではないだろうか。そう思ったアベルは不信感を覚えながらぐるりと周囲を見回した。そんな折、荷馬車の天井に上がっているおかげで視点が高くなっている彼の目にあるものが映る。それを彼が見ることが出来たのは、偶然という言葉で片づけるにはいささか陳腐なものだった。


 城砦の上から商隊を見下ろしているのは四足歩行の小柄な魔獣が二体。分厚い雲に遮られているわずかな明りで微かに見えたその姿はまるで彼ら商隊のことを見張り、どこか都合のいい場所に来るのを待っている、斥候かのようだった。


 その光景を見て先ほどの予感が間違いではないと確信したアベル。魔獣たちは連携を取り、自分たちが罠にかかるのを待っている。そう憶測を立てた彼は即座にこのことを他の人間に伝えようと体を乗り出す。


 しかし、突然動き出した彼と待ち構えていた魔獣たちでは行動の余裕が違う。トラブルに対し短い時間で対応することが出来、予定通りに事が進んだ時の動きは罠にかかる側では埋めがたいほどの差がある。つまり何が言いたいかというと。



















 今更手遅れということである。 

















 商隊の進む道を遮るように魔獣が現れる。突然音もなく目の前に現れた魔獣に反射的に先頭の馬車が停止し、それに続いて後続の馬車たちも続々と停止する。


「うわっ!?」


 急停止の慣性で荷馬車の天井に乗っていたアベルは吹き飛ばされ受け身を取ることが出来ないまま、地面に落下する。その際にもろに背中を打ったアベルは一時的な呼吸困難に陥り意識を失う。しかし、ここで立ち上がらなかった、もとい立ち上がれなかったのはある意味で幸運だったのかもしれない。


 混乱の渦に飲み込まれた商隊を取り囲むようにして続々と姿を現す魔獣たち。その数は続々と増えていき、ついに完全に取り囲んでしまった。唸り声を上げながら商隊の人間を睨みつける魔獣たちと、その眼光に押され身動きが取れなくなる商隊の面々。護衛の戦士たちも彼らの前に立ち、必死で職務を全うしようとするが、数は魔獣のほうが護衛の二倍近い。とても守り切れるような状況ではなかった。どちらかが動いた時点で始まる戦い。しかし、その戦いは勝敗が決まっているようなものであった。


 両者のにらみ合いが拮抗し合い、完全な膠着状態に陥った。先に動くのはどちらになるか、お互いがお互いの出方を窺っている。商隊の面々にはそのたった十秒の均衡が何分にも、何時間も感じられた。緊張で口内が乾燥していき、誰かが生唾を飲み込む音が響き渡る。緊張と恐怖でおかしくなりそうなのを必死で堪えながら商隊の面々はじっと動きを止めていた。 


 しかし、誰しもがこの状況で自分を殺して黙っていられるわけがない。しばらくして耐えきれなくなった誰かが動き出すというのは至極当然の流れであろう。そしてそれが辛くも戦闘開始の銅鑼代わりとなった。


「あ、あああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 


 恐怖に耐えきれなくなった商隊の一人が動き出し、この包囲から脱しようと一目散に走り始める。この恐怖にここまで耐えられたのはもはや奇跡に近い、誰にも責めることはできないだろう。しかし、そんな彼らのことなど一切お構いなしに魔獣たちは一斉に商隊の面々を襲い始める。魔獣たちが襲い掛かってきたことで蜘蛛の子を散らすように逃げ始め、護衛の戦士たちは彼らを必死で守ろうと魔獣と商隊の面々の間に入る。


 こうして出来上がった最悪の混沌。これに再び秩序を与えることが出来る人物は誰一人としていなかった。





























 オルガノ王国城砦、その地下。そこに一本の剣が眠る。かつて世界を滅ぼそうとした龍に立ち向かい、打ち倒した英雄の手に握られていた剣は現在、失われた国の地下にて眠りについていた。

 

 しかし、震える地面、荒れ始める空気。彼を求める者が現れるのを剣ははっきりと感じ取っていた。 

 

 彼が眠りから覚めるのは近い。

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