第1話 ストーリー・ビギン・ヒア
「……おしまい」
子供たちに囲まれながら絵本を語り聞かせていた一人の男は、絵本の最後の一枚をめくるとパタリと音を立てながら絵本を閉じる。彼の周りで静かに声に耳を傾けていた子供たちは、絵本が終わったことを認識すると一転して彼の周りで騒ぎ始める。
「兄ちゃん、ありがとー」
「ねえねえ、抱っこしてー」
「今度は俺の読んでー」
子供たちの言葉に耳を傾ける男は、ある子どもの要望は受け流し、ある子どもの要望は受け入れ、ある子どもの要望には理由をつけ諭しながらきっぱりと断りを入れる。そうして子供たちの誰一人も悲しまないように対応をすると、子供たちに纏わりつかれながらも歩き始めた。
男が子供たちに絵本を読み聞かせていた場所から少し歩いたところにある広場にたどり着くと、そこには何台もの馬車とたくさんの屈強な男たちがおり、腕相撲をしたり食べ物片手に話したりと思い思いの方法で過ごしていた。
その中の一人、タバコを吸いながら空を見上げている男のもとに歩み寄っていくと、彼の存在に気づいた男は子供を慮ってタバコを消すと、片手をあげる。
「よう、アベル。どうした?」
「オッサンは?」
「まだ戻ってきてねえぞ。お前さんはもういいのか?」
「ああ、もうそろそろオッサン戻ってきて出発だろ? だったらそろそろいたほうがいいからな」
そういうとアベルと呼ばれた男は子供たちに一言二言かけ、解散させる。彼の言葉に従ってゾロゾロと解散していく子供たちを見送ったアベルは男の隣に腰掛ける。
「しっかしお前さん子供に好かれるなぁ。菓子の匂いでもしてんのか」
「いや、俺そんな甘い匂いしてないでしょ。ちゃんと不快な男の臭いよ」
男に差し出されたタバコを断りながら言葉を交わすアベルは、隣で消したタバコに火をつけ直す男に視線をチラリと向け、その後腕相撲を取っている男たちに視線を向けた。額に青筋を浮かべながら向かい合い力を籠め、その周りでやんややんやと騒ぎ立てている男たち。彼らのうちの一人が視線を向けているアベルに気が付くと大きく声を上げた。
「おーい! アベルが混ざりたそうにこっちみてるぞ! だれか相手してやれよ!」
その一声で男たちの視線が一斉にアベルの方に向く。が、彼らの返答はとても好意的とは言えないものだった。
「おいおい、アベルの相手なんて御免だぜ。こっちは金賭けてるんだぜ。あいつが入るとルールが変わっちまうよ!」
男の一人が笑ったような口調でそういうと周りの男たちもそれに同調するように次々に笑いながら声を上げ始める。それを聞いたアベルは混ぜてもらえるかも、という浮かれた気持ちで上げた腰を下ろすと、溜息を吐きながら空を見上げ始めた。
「散歩でもしてこようかな……」
アベルは空を見上げながら小さくつぶやく。が、彼の考えは達成されることはなかった。
「お前ら、何を騒いでる!」
叫び声をあげながら広場に現れたのは一人の男。先に広場にいた連中とは違い、身なりをしっかりと整えており、彼らと比べると高貴な印象を纏っていた。彼の一言でだらけていた男たちは俊敏な動きで彼の方を向くと直立する。そんな彼らの現金な行動に小さく溜息を吐いた男は、一変して笑みを浮かべた。
「商談が終わった。大儲けだ!全員に特別なボーナスが支給されるぞ!」
男の一声に男たちは大きく歓声を上げ、思い思いの方法で喜びを表現した。アベルもその例外ではなく笑顔を浮かべながら商談を成功させた男に拍手を送っていた。
「この報告をするために近くの支社に向かうぞ。全員、出発の準備をしろ! 動け!」
男の一声で、広場の男たちは一斉に行動を起こし始める。アベルも動き始め腰を浮かせると男のもとへ向かい始めた。
「カミスのおっさん。ユクリタに行った後、どうするんだ?」
「アベルか。一応商談の報告をした後はここで買ったものを本社の方に持っていくつもりだ。そんなことよりお前も動け、重い荷物はお前の仕事だろう」
「アイサー。それでは俺も行ってきます!」
そういうとアベルは馬車の近くに積まれた荷物に向かって走り始める。男が二人がかりで運んでいる木箱を一人で持ち上げるとそれを馬車の荷台に積みこみ始めた。そうして木箱をすべて積み上げたアベルの所属する商隊はほどなくして町を離れると近くの町、ユクリタに存在している支社に向かって進み始めた。
「ハァ!? そいつは無茶苦茶だぜ、ギルディの兄貴!」
支社についたカミスは早速専用の装置で本社に報告を入れ商談の成立を報告する。通信機の向こうで社長であるギルディも喜びの声を上げた。が、彼の口から飛び出した言葉が問題であった。カミスに対して告げられた命令は三日後の商談に向かってほしいというものだった。
「ここからギヤルまでどんなに急いでも三日かかるんだぞ! 今から三日後の商談に間に合わせるなんて無茶だ。リスクが高すぎる!」
問題なのは町から町までのかかる時間であった。距離自体はそうでもなく真っすぐに進めば一日半で到着できる距離であった。しかし、二つの町の間は真っすぐ進むことができず迂回しなければならない。そうなれば予定通りに進んで三日で到着という時間になってしまい、とても三日後の商談には間に合わなくなってしまう。
「すまない。だが、今回の商談は超大口とのものだ。うちみたいな中規模じゃ三十年に一回あるかないかのチャンスなんだ。どうにかしてこの商談はものにしたい」
しかし、社長であるギルディは引かない。今回飛び込んできた商談は超大口とのものであり、ものにできれば例年の倍近い利益を見込めるほどのものだった。もしそうなれば中規模企業である彼の会社は拡大をすることができる。商売人としてこの利益を見逃すことはできなかった。そんなことはカミスだってわかっており、リスクと商談成功時の利益を天秤にかけながら頭の中で算盤を弾いていた。
唸り声を上げながら必死で考えるカミス。数分以上唸りながら考えに考え彼はついに結論を出す。
「……ボーナスだ。成功したらボーナス。それもいつもの二倍の金額を部下全員にだ! この条件を飲んでもらわないと商談には向かえない! 成功すれば俺たちの分のボーナスなんて安いもんだろ?」
「……いいだろう。成功したら二倍のボーナスだ。あとこちらからも一日待ってもらうように働きかけてみる」
一瞬考えこむように黙りこんだギルディはすぐに彼らに二倍のボーナスを払ってでも向かってもらうことに決め、そのことをカミスに伝える。
「よし、わかった。それじゃ切るぞ。話してる時間が惜しい」
そういうとカミスは返答を聞く前に通信を切り、商隊の面々にこのことを伝えるために歩き始めた。あいつらぶつくさうるさいだろうなあ、とこめかみを親指で突く。息をつき気持ちを整えた彼は商隊の面々の前に立った。彼を見た商隊の面々は彼の前に整列し、彼の言葉を聞く準備をする。それを確認したカミスは意を決したような様子で彼らにギルディからの命令を伝えた。
「これからギヤルに向かう。超大口との商談だ。成功すれば全員にいつもの二倍のボーナスだ。準備を始めろ!」
「ちょ、兄貴それは無茶じゃ……」
一息に伝えるべきことを伝えたカミスは彼らに背を向け、自分の出発のための準備に取り掛かるためよどみなく歩き始めた。そのせいで商隊の面々は疑問を発散することが出来ず、戸惑うことしかできない。
戸惑いを隠せずにざわつく商隊の面々。この町からギヤルまでにかかる時間は彼らも理解している。かかる距離を分かっていてなぜこんな無茶なことをいうかという疑問を彼らは抱いていた。彼らにとって至極当然の思考である。しかし、最終的に彼らはボーナス二倍という魅力的な言葉に釣られ、ぽつぽつと行動を始めると、ギリギリであるという危機感に乗せられ、今までにないほどの速度で準備を完了させた。
こうして彼らは無茶な商談に向かうために、滞在時間三時間でユクリタを離れギヤルに向かって進み始めた。
「クソッ、このままじゃあと一日半で着けない……」
「だから言ったじゃないッすか! 三日じゃギヤルにつけないって! どうすんすか。このままじゃ商談失敗で社長にどやされるっすよ!」
地図を睨みながらぶつぶつとつぶやくカミスに苦言を呈する部下の一人。彼らは今、急に降り始めた雨の影響で進む速度が落ちてしまっており、とても時間通りにギヤルに到着できないという状態に陥っていた。その不安で商隊の面々の士気も下がってしまっておりさらにスピードが落ちてしまっていた。
「どうにかして到着しなければ……」
「つっても一番速いルートがここなんですよ! これ以上速くすんのは無理っすよ!」
しかし、今進んでいるルートより速い道など存在していない。今進んでいるルートが一番速いルートでありそれ以外のルートはこれ以上遠回りになってしまう。どうすることもできないと判断した部下は商談をあきらめるように進言しようとするが、ここでカミスが禁断の策に走ろうとする。
「……オルガノの城砦跡地を通り抜ければ……」
「なっ!? それだけはダメっすよ。あそこは魔獣がはびこっててとても通れたもんじゃないっすよ! 俺たち全員殺されちゃいますよ!」
ギヤルまでの道のりをまっすぐに進めない理由が男の発したオルガノ王国の城砦の存在である。かつて栄えた大都市、オルガノ。その城砦跡地がギヤルまでの間にあった。確かにそこを通り抜ければ大幅な時間短縮になり、ギリギリになってしまうがそれでも到着が見込める。
しかし、部下は必死になって止めようとするにもはっきりとした理由がある。その城砦跡地には多くの狂暴な魔獣がはびこっていた。ひとたびそれらに見つかってしまえば戦えないような人間の進めるような場所ではなかった。
「だが、ここを進まなければ時間に間に合わん。それに先ほどの町で護衛を雇った。魔獣との戦闘経験のある彼らがいればどうにかなるかもしれん」
「だからって……」
しかし、今の彼らにはもしもの時のために魔獣との戦闘経験のある護衛を雇っていた。魔獣に見つからないように、あるいは彼らに戦闘を任せれば無事に通り抜けられるかもしれない。そう考えたカミスはもはやリスク度外視の危険な思考でで城砦を通り抜けるという決断を強めていく。
「とにかく間に合わせるには城砦を通り抜けるしかない。もうどうにもならん!」
「わかりましたよ! 皆に伝えてきます。あと護衛の人間にも戦闘準備をするように伝えてきますね!」
カミスの決断を聞いた男は怒り気味の声を上げると馬車の荷台を乱暴に飛び出していった。彼の言葉を聞いた他の男たちからは当然反発の声が上がったが、クビになるかもしれないという言葉を聞き仕方なくといった形ではあるが納得し、進路を変更した。
この進路の変更が彼らの運命を変えることになるとは彼らはまだ知らない。
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