42.結婚式
春の風が、わたしの着けるベールをふわりと浮かせている。
裏庭に誂えられた祭壇。いつもは開けた芝生になっている場所だけれど、今日は特別。深紅の布が掛けられた祭壇に飾られているのは春の花。その前にはガラスのケースがあって、雫が垂れ下がる形のピアスが陽光を受けて煌めいていた。
祭壇に繋がるように敷かれた絨毯も深い赤。
わたしはその上を歩いている。わたしのドレスのトレーンを持ってくれるのはルカとリオで、それぞれの瞳と同じ色の青と緑のワンピースがよく似合っている。高い場所でシニヨンに纏めた髪にはピンクのリボンが飾られていた。
今日は結婚式──わたしと、ディエ様の。
ずっと悩んでいたドレスだけど、寄せたドレープが美しくスカート部分を飾るものに決めた。トレーンは長く、足首を隠す裾にまで刺繍が施されている。肩と腕が露わになったものだけど、その分、大振りの首飾りが映えるスタイルだった。
首飾りはダイヤモンドと真珠で作られた、花を模したもの。ティアラも同じ意匠のものでお揃いなのはすぐに分かる。
ブーケは春の花を集めたものだ。スイートピー、チューリップ、フリージア、カスミソウ、カーネーション、ガーベラにカレンジュラ、それからシャクヤク。
ピンクやオレンジ色で揃えられた華やかなブーケには白いリボンが結ばれている。
わたしが願った通りに、中庭に咲く花で作って貰えた。想像以上の出来上がりに見た時は感動で涙が浮かんでしまったほどだった。
祭壇の前でわたしを待っているディエ様も、わたしのように白い衣装を纏っている。
長いジャケットもベストも、スラックスも白。ベージュのタイもささやかな色合いだから、ディエ様の黒髪や赤黄の瞳が映えていると思う。
今日のディエ様は黒髪を後ろに流していて、額が露わになっている。いつもと違うそのお姿もとても素敵で、目が合う度に心臓が騒がしくなってしまう。ああ、やっぱり息の仕方を忘れてしまいそう。
わたしがディエ様の隣で足を止めると、ルカとリオはそっとドレスのトレーンを美しい形に広げてから祭、壇の向こうへと移動した。
向かい合ったわたし達を祝福するように、春風が吹き抜けていく。
「綺麗だ、クラリス。よく似合っている」
ディエ様が蕩けるような笑みを浮かべながらそんな事を口にするものだから、わたしの顔に熱が集まってしまう。胸に手を当てなくても分かる程に、心臓がばくばくと大騒ぎをしていた。
「ありがとうございます。ディエ様もとっても素敵です」
「お前の隣に立つなら、多少はな」
低く笑ったディエ様がわたしの腰に両腕を回した。わたしは胸元にブーケを寄せているから寄り添う事は出来ないけれど、それでも腕の温もりが心地良い。
「クラリス。俺の全てを掛けて、お前の事を愛し守り抜く事を、他の誰でもなくお前と俺に誓う。お前の幸せにも悲しみにも寄り添って、共に乗り越えて、たとえこの身が滅んでも俺の魂はお前と共に在る」
誓いの言葉に胸がきゅうっと締め付けられる。
切なくて嬉しくて、幸せで──この気持ちをなんて言い表したらいいんだろう。
折角綺麗にしてもらったから泣きたくはなかったのに、浮かぶ涙は静かに頬を伝っていった。
ディエ様はそんなわたしを見て目を細めると、腰に回していた腕をそっと解く。温もりが離れると何だか心細くなるほどに、わたしはディエ様の熱に慣らされてしまったみたいだ。
祭壇上のガラスケースからピアスをひとつ指先で取って、ディエ様はそれを少し揺らしてからわたしの左耳に着けてくれた。赤い石の下に金で出来た雫が飾られると感じる僅かな重み。それにまた胸が切なくなる。
さぁ、次はわたしの番だ。
「わたしはディエ様だけをこの瞳に映し、愛する事を誓います。わたしの心も何もかも、全てがディエ様のもの。わたしの幸せはあなたと共に。あなたの腕の中だけが、わたしの居場所なのです。だからどうか、ずっとお傍に置いて下さい」
音もなく近付いていたルカに持っていたブーケを預けてから、わたしもガラスケースからピアスを一つ指先に摘んだ。ピアスに飾られた深い赤石はディエ様の瞳にも、わたしの瞳にもよく似ている。
着けやすいようにと身を屈めてくれたディエ様の右耳に、ピアスを着けた。緊張で指が震えてしまうけれど、何とかキャッチを留める事が出来たようだ。
「……落とさなくてよかったな」
「お式の最中なんですから、
ディエ様が小声で笑うものだから、わたしも囁くように言葉を返した。そのやりとりにリオが咳払いをして、わたしとディエ様は揃って肩を跳ねさせてしまった。
わたしにブーケを戻したルカも、祭壇の向こうに戻ってリオの隣に並び立つ。
「これで誓いは交わされた」
「これで二人は祝福された」
「おめでとう」
「おめでとう」
二人は嬉しそうに微笑んでいる。きっとわたしも同じように笑っているのだろう。
これは人の世で行われている結婚式を模したものだ。
わたしの為に皆が準備をして、こんなにも素敵な式を挙げさせてくれた。
白いドレスも、装飾品を着け合うのも人の世のもの。
わたしはディエ様の命を分けて頂いたあの時から、ディエ様の妻となっているのだけど……こうして結婚式を挙げるとその意識がより強くなるような気がした。
胸がいっぱいで、幸せでまた涙が零れてしまう。
ただわたしが想いを寄せているだけだと、恋を知ったその幸福で満足していたはずなのに。その恋が愛に結びついたら、もっと幸せでもっと満たされる。
「相変わらずよく泣くやつだな」
「幸せで胸が苦しくて……すみません、止まりそうにありません」
可笑しそうに肩を揺らすディエ様だけど、その声はとても柔らかい。わたしの腰を片腕で抱き寄せたかと思えば、目元の涙を唇で拭った。
「な、っ……!」
あまりに予想外過ぎて、涙も止まってしまったようだった。
開いた口から洩れるのは吐息ばかりで、言葉を紡ぐことが出来ない。恥ずかしいのと驚いたのと、何だかよく分からない気持ちで顔が赤くなっていく。
悪戯めいたディエ様の視線から逃れるように目を逸らした先では、双子が揃って背中を向けている。それがまた居た堪れなくて、持っていたブーケに顔を埋めた。
不意にパチン、と澄んだ音がした。
その音に顔を上げるとディエ様と目が合ってしまう。音の正体はどうやらディエ様が指を鳴らしたものだったらしい。
どうしたのかと問うよりも先に、風が動いた。
暖かくて優しい風がわたしとディエ様を包んでいく。
渦を巻くような強い風なのに、わたしのベールやドレスは微風に吹かれた程度にしか動かない。
「ディエ様?」
「見ていろ」
またディエ様が指を鳴らした。
その瞬間、風の中に現れたのは無数の花びら。様々な種類、色とりどりの花びら達が風に乗って遊んでいる。
花嵐は壁となってわたしとディエ様を包んでしまった。
こんなにも風が強いのに、とても静か。わたしの吐息が聞こえるくらいだから、もしかしたらこの心臓のざわめきまで聞こえてしまうんじゃないだろうか。
裏庭の見慣れた景色も花壁に遮られて見る事が叶わない。
わたしとディエ様がふたりだけの世界だった。
「わぁ……綺麗」
「気に入ったか?」
「とっても。まるで夢のように素敵です」
「これくらい、いつだって見せてやるさ」
ディエ様の片腕がわたしの腰に回り、逆の手は頬を包んでくれる。
暖かくて大きな温もりに甘えるように頬を擦り寄せると、ディエ様が喉奥で笑ったのが分かった。
ブーケを片手に持ち直し、両腕をディエ様の背に回す。触れ合う場所から伝わる熱がどちらのものなのか。溶けあっていく感覚に身を委ねた。
「今日のディエ様はとびきり甘いです」
「好きだろう?」
「……好きですけど」
そんなの、好き以外に答えなんてないじゃない。
ぐっと睨んでみたってディエ様は気にした素振りもなく、ただ機嫌よさげに笑うばかりだ。
「甘やかしたくなるんだ」
「我儘になっても知りませんよ?」
「俺を困らせるくらいの我儘を言ってみたらいい」
「困らせるくらい、ですか……」
何があるだろう、と考えてしまう。
簡単なものならディエ様は叶えてしまうし、かといって困らせたいわけでもないし……。
そんな事を考えていたら、顎に指を掛けられた。くいと上を向かされて、その後に何があるかはもう分かっている。だからそっと瞳を閉じた。
重なる唇から熱が溢れて、どうにかなってしまいそう。
縋るように背に回した腕に力を籠めると、応えるようにしっかりと抱き締めてくれた。
呼吸も温もりも、何もかもを分け合って。
溺れてしまいそうな口付けは花嵐の中、わたしとディエ様だけが知っていた。
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