41.特別をあなたに

 人の世にディエ様と共に降り立ってから数日が経った。


 あの日以来、人々の信仰が強くなったのを実感している。ディエ様ほどではないけれど、わたしにも祈りを感じ取る事が出来るようになったのは、やっぱり命を分けて頂いたからかもしれない。

 そういえばルカもリオも、クラリスの祈りは真っ直ぐだと言ってくれていた事があった。彼女達もディエ様の神力を分けられているから、感じる事が出来ていたのか。

 あの時はよく分からなかったけれど、今なら分かる。


 信仰している神様のお姿を見る事が出来て、「祈りが届いている」とお言葉を頂いたのだ。人々の喜びがどれほどのものなのか。更なる祈りに繋がるのも当然だろうと思う。


 そんな事を考えながら、わたしは寝室の窓から中庭の花々を眺めていた。

 夜風に揺られる花は、夜も更ける頃だというのに芳しい香りを漂わせている。開けている窓から入りこむ風はひんやりとしているものの、体を冷やしてしまう程でもない。

 不意に覚えるのは胸が切なくなるような不思議な感覚。夜と、月と、星と、花。それだけなのにひどく愛しくて、切なく思ってしまうのはどうしてだろう。


「クラリス」


 名前を呼ばれて振り返る。それと同時にディエ様の腕の中に囚われていた。

 胸元に頬を寄せながらわたしからも抱き着くと、爽やかな石鹸の香りがした。湯浴みを済ませたばかりだからか、ディエ様の体温がいつもよりも高い。


「ディエ様、ぽかぽかですね」

「風呂あがりだからな。今日の石鹸はミントの香りが凄かったな」


 石鹸はルカが作ったものだ。

 最近の趣味は石鹸作りらしいルカが、毎日様々な石鹸に挑戦している。今日はミントだったのだけど、確かに冷たさを感じる程にミントが練り込まれていたようだ。


「明日は薔薇の形の石鹸を作ってくれるって言ってましたよ。楽しみですね」

「香りはほどほどにするように言っといてくれ」


 低く笑うディエ様につられるように、わたしも笑った。

 そろそろ眠る時間だろうか。そう思うけれど、ディエ様は抱き締める腕の力を強めるばかり。どうしたのだろうと顔を上げると、何か物言いたげな赤黄の瞳と目が合った。


「……何かあったんですね?」

「あったというか……こないだの件の顛末が上がってきた」

「こないだの件と言いますと……フローラの、ですか?」

「そうだ」


 ディエ様は守護している大地の事、そこを基盤としている国の事もよく存じていらっしゃる。だけどまさか一個人の事まで……と思って、それがわたしの為だという事に気が付いた。

 わたしと関わりのある人たちの事だから、気に掛けて下さったのか。きっと神殿を通じて報告をして貰ったのだろう。


「デッセル子爵家は爵位を剥奪され、平民となったそうだ。夫妻は主にクラリスへの支度金を横領した罪が重いようだな。それからお前に対する不当な扱いの他にも使用人への暴言暴力などが問題視されたらしい。平民として国が運営する作業場で働いて、横領した金を返済していくようになっている」

「あの人達が平民にですか。それは厳しい生活になるでしょうね。フローラも同じ作業場で働くんですか?」

「あの女は神殿で下働きをするそうだ。あの一家の信仰心の低さに教皇が嘆いていた。あの女は特に俺やお前への暴言が酷かったから、そういったものを含めての教育が施されるらしい。下働きの賃金は賠償に当てられるし、今までみたいな暮らしは出来ねぇな」


 それはフローラにとって、死ぬのと同じくらいに辛いものになるだろう。

 これからは生活全てを自分の手で行わなければならないのだ。派手な生活も出来ないし、好きに着飾る事だって難しいかもしれない。

 でもそこで……新しい価値観を見つけられたらいいと願う。わたしにこんな事を思われたって、彼女は怒るばかりだと思うけれど。


「そうですか……。教えて下さってありがとうございます」


 小さく息をついて、またディエ様にきつく抱き着いた。

 何だか甘えたい気分になってしまうのは、今の話のせいなのか。それとも春の夜のせいなのか。答えなんて見つからないけど、ディエ様に触れていたいと思った。


「……散歩でも行くか」

「お散歩ですか? あの、わたし……別に彼らの事で滅入ったりはしていないですよ?」

「分かってる。ただ俺がまだ眠くねぇだけだ」

「ふふ、ではお付き合いしましょうか」


 そう言いながらも、わたしを慮ってくれているのは伝わっているのだ。

 わたしはくすくすと笑いながら腕の中から抜け出して、寝着の上にガウンを羽織った。どこに連れて行って下さるかは分からないけれど、わたしとディエ様しかいない場所なのは間違いない。だからこんな格好でも大丈夫。


 ディエ様もガウンを羽織って、そしてわたしの手を取った。

 光が集まっていくこの感覚が好きだ。光に包まれたわたしは、慣れた浮遊感に身を委ねていた。



 波の音が聴こえる。

 光が弾けた先は以前にも訪れた海だった。


 海の果ては真っ暗で何も見えないけれど恐ろしくはない。寄せては返す波音がわたしの耳に優しく響いた。


「海! また連れてきて下さったんですね!」

「前に来た時に、随分喜んでいたみたいだったからな」

「ふふ、だって海ですよ。初めて見て浮かれてしまったんですもの」

「今のお前も充分浮かれているように見えるけどな」

「何度見ても感動するのは仕方がない事なのです」


 靴だと歩きにくいのは前回でよく分かっている。

 いそいそと靴を脱いだわたしは両手に片方ずつ靴を持って歩き出した。一歩踏み出す度に、砂を踏みしめる感触がとても楽しい。白い砂はひんやりとしていて、何とも言えない気持ち良さがあった。


「そういえばディエ様、人の世に顕現した時って【アートルム】って名乗っていましたよね。話し方もいつもと違いましたし」

「人の子は俺の名前を知らなくていい。アートルムっていうのも【雷の守護】っていう意味でしかないしな。話し方も多少は取り繕った方がそれらしいだろ」

「あのディエ様も素敵でしたけど、わたしはいつものディエ様も好きですよ」

「はいはい」


 並んで砂浜を歩くけれど、果ては見えない。

 眩いくらいの月明かりに照らされた砂浜はきらきらと輝きを放っている。海に映る丸い月は波に揺蕩って踊っているようにも見えた。


「でもディエ様、わたしがまだ人だった時に【ディエ】っていうお名前を教えて下さいましたよね? それは良かったんですか?」

「……寒くないか。冷えてきたなら帰るぞ」

「寒いなんて一言も言っていません。……もしかしてディエ様、あの時からわたしの事が好きだったりします?」

「お前にデリカシーっていうものはねぇのか」

「はっきりさせた方がいい事だってありますよ」


 顔が緩んでしまうのも仕方がないだろう。

 だって、ディエ様は否定をしないもの。はっきりとした肯定はしなくとも、それが違うと言わないあたり恥ずかしいのかもしれない。


「わたしって特別を沢山貰っていたんですね」

「そうかもな」

「わたしもこれから、いっぱいの特別をディエ様に贈りますからね!」

「おう」


 ぶっきらぼうな頷きだけど声が穏やかだ。わたしの歩調に合わせてくれるディエ様を見上げると、すぐに視線が重なるのも嬉しく思う。わたしが見ているように、ディエ様もわたしを見ていてくれるんだもの。


 それが幸せだから、ディエ様も同じように思っていてくれたらいいと願ってしまう。


「ねぇディエ様」

「ん?」

「わたし、前よりもずっとディエ様の事が大好きです」

「……知ってる」


 優しく微笑むディエ様がわたしの腰に腕を回す。

 ディエ様は知ってるなんて言うけれど、きっと全部は伝わっていない。だから、これからもずっと伝えていかなくては。

 わたしがどれだけ幸せで、どれだけディエ様を愛しているかを。


 波の音が耳を撫でる。

 揺れる海の月。輝く白砂。


 御伽噺のような美しい世界に、わたし達はふたりだけだった。

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