39.降臨

 転移の光が弾けた先、わたしが居たのはディエ様の腕の中だった。

 いつもと同じ安心する場所。ここがわたしの居場所なのだと強く実感する。


 わたしからもぎゅうっと両手で抱き着いて、胸元に頬を寄せた後……ふと気付いた。

 ディエ様の恰好が違う?


 神殿に居る時は綾織りのズボンに白シャツとか、シンプルな服装で過ごされているのに。寄せた頬が触れたのは黒い胸当て。足元に目を落とすと細身の黒いズボンに膝までのブーツだし、顔を上げると立襟のロングコートを羽織っているのが分かる。

 そのどれもに金糸で刺繍がされていて、とても気高いお姿だった。


「……雰囲気が違いますね、ディエ様」

「お前もな。とても綺麗だ」


 にこやかに微笑まれるとそれだけで頬が熱くなる。

 以前は強請らないと「可愛い」とも言ってくれなかったのに。


 どうしてこんな格好なのか、どうして転移をしたのか……そう思って周囲に目を向けると、そこはいつも過ごしている神殿では無かった。


 わたし達が立っているのは大きな祭壇の前。祭壇は数段高い場所に設置されて、その下に広がる広間のような場所にはたくさんの人が集まっている。

 ここは神殿のようだ。しかもこの場所はきっと……王宮の敷地内にある大神殿。


 わたし達を見上げるのは沢山の司祭、神殿騎士、信徒の方々。それに床に座り込んでいるのは……フローラ?

 美しく着飾ったフローラは、信じられないとばかりに青瞳を見開いている。


 これは一体どういう状況なのか。

 先程【神の裂け目】に落ちてきたのはフローラだった? それならば誤って落ちたという事は考えにくい。双子はここまで予想していたのだろうか。


 フローラはどこからどう見ても花嫁衣裳を纏っている。わたしが幸せそうに過ごして居るのを見て、入れ替わろうとしてやってきた?

 ディエ様がそれを帰す為に転移をした……という事なのだろうけれど、そこにわたしがご一緒するのにも、何か理由があるのだろう。ディエ様とわたしの恰好にも、全て。


 どよめく神殿内を一瞥してから、ディエ様はわたしを腕の中に抱いたままで口を開いた。


「我はアートルム。シュテルンこの大地の守護を司る神なり」


 声に神力が載っている。

 低く滑らかだけど威厳のある声。その声に促されるまま、誰からともなく床に平伏し、頭を下げた。信仰心のある者なら分かるだろう、この方が本当に神様なのだと。


 啜り泣く声も聞こえてくる。それもそうだろう。

 神様が顕現されるお姿を見る事が出来るなんて、もう二度とないだろうから。


 そんな中でフローラだけが座り込んだままだった。

 周りを見て怪訝そうに眉を寄せている。そんな彼女の様子に慌てたように、顔を涙で濡らした司祭がフローラの頭を無理矢理に下げさせた。

 彼女は何か文句を言っているようだけど、もう一人駆け寄った司祭がその口を塞いでいるようだ。


「恐れながら発言の許可を頂けますでしょうか」


 頭を下げたまま、そっと手を挙げた人がいる。身なりからして高位司祭だ。


「許す。皆も面を上げよ」


 ディエ様の声に顔を上げたその人の頬も涙で濡れていた。

 この人の顔は知っている。神に仕える人の子の中でも最も位の高い──教皇だった。


「まさかアートルム様が降臨される姿を、この目に映す事が出来るとは。感謝致します。我等人の子は神の守護、恵みに感謝し、この大地と共に在らんことを」


 手を組み祈りを捧げた教皇は平伏していた体を起こすも、跪いたままだ。

 周りの人々もそれに倣って跪いた。両手を組み、祈りを捧げている。


「その尊い御身自らが降臨なされたという事は、貴重なお言葉を頂けるのでしょうか」

「そうだ。我は伴侶を得る事が出来た。これからはこのクラリスも共に、この地を守護していく事になる」

「それはなんと喜ばしい……! 謹んでお慶び申し上げます」

「昔から言っている事でもあるが、生贄などはもう寄越すな。もし繰り返される事があれば我と伴侶を引き裂こうと認識する事になる」

「重々承知致しました。我等としても奥方様との仲が睦まじくあられる事を願っております故、ご安心下さいませ」


 教皇の言葉に周囲の人達も同意するように大きく頷いている。その表情は晴れやかで、ディエ様が伴侶を迎えられた事を心から喜んでいるようだ。

 その気持ちが伝わってくるようで、胸が暖かくなってくる。


 知らしめると言っていた双子の言葉が不意に脳裏によぎった。

 ディエ様はわざわざ人の世に出向いてまで、わたしが伴侶であると伝えてくれたのだ。確かにそんな時には装う事も重要になる。黒に金糸の衣装はどう見てもディエ様と揃いで誂えられたものだもの。

 内心でルカとリオに感謝をしていると、フローラがゆっくりと起き上がった。彼女を押さえていた二人も跪いて祈りを捧げているから、拘束が解けたらしい。


 フローラの青い瞳には敵意しか浮かんでいなかった。

 わたしを指差すその顔は怒りに歪んでいた。


「嘘よ! そんな女が伴侶になれるわけないじゃない!!」


 フローラの叫びに、信徒の誰かが小さな悲鳴を上げた。さざなみのようにフローラを非難する声が広がっていく。護衛騎士はフローラを再び床へと拘束した。

 こうしてディエ様がわたしを伴侶と明言しても、フローラはそれを受け入れない。それは分かっていたけれど、あまりの愚かさに溜息が漏れた。


 人だった時のわたしを嘲るのはいい。

 だけど、わたしはディエ様の伴侶となった身だもの、侮られてはいけない。わたしを嘲笑うのは、ディエ様を嘲笑うのと同じ事。それは強く戒めなければ。

 そう思ったわたしが口を開いた、その時だった。


「神が現れたというのは誠か……!」


 広間の入口が騒がしいと思ったら、王族が報せを受けてこちらへやってきたようだった。

 国王、王妃、それから王子に王女達。普段ならお目通りさえ叶わない高貴な人達だ。信徒達は割れるように道を開くも、また膝をついて祈りの姿勢を取った。


 王族が祭壇を前にして跪く前に、護衛騎士が数人がかりでフローラを脇に引っ張っていくのが見えた。その口はしっかりと塞がれているものの、いまだにわたしに向けられる視線は鋭い。


「いかにも、我がアートルムである」

「まさかアートルム様にお目に掛かれる時がこようとは! ご成婚されたとも聞いております故、国をもってして盛大に祝祭をあげさせて頂きたく存じます」


 恭しく両手を組んで祈りを捧げる姿勢の国王に、ディエ様は鷹揚に頷くばかり。威厳に満ちたお姿は凛々しく、そして美しかった。


「我がこの場に降り立ったのは伴侶を知らしめる目的もあるが……もう一つ、人の世でなければ出来ない裁きの為だ」

「裁き、でございますか。それは一体……」


 国王の声が緊張からか裏返っている。それもそうだろうと思って、内心で少し同情してしまった。いきなり神様が現れて、裁きがあるだなんて恐ろしくて仕方ないだろう。

 その裁きの相手というのはきっとフローラの事だと思うけれど……。ディエ様の腕の中から視線を上げると、目が合ったディエ様は蕩けるような笑みを下さるものだから、わたしの鼓動はまたおかしくなるばかりだ。


 わたしから国王へ視線を戻す時には、ディエ様のお顔は厳しいものに戻っている。

 そんなディエ様がパチン、と指を鳴らした。高いその音に呼応するかのように祭壇前に光が集まって、そして一気に弾けてしまう。

 光が消えた後にその場に居たのは、デッセル子爵とその妻。わたしの父と義母であった。


 何を思って二人まで呼び寄せたのか。

 ディエ様へと目を向けても、口元に笑みを浮かべるばかりで教えてくれる様子はない。


「な、何だ! 私は今……へ、陛下!?」


 二人は訳の分からぬ様子で周囲を見回し、王族の姿を見て慌てて礼の姿勢を取った。


「痴れ者が、この神殿を満たす神気に気付かんのか。守護神アートルム様とその奥方様のご降臨だ」


 呆れたような国王の声に漸く二人はディエ様と私に気付いたようだ。

 その目が大きく見開かれ、二人は跪く事も忘れて立ち竦んでいる。見かねた護衛騎士が二人の膝を床につかせたけれど、その視線はずっとわたしに注がれていた。


 わたしが生きている事に安堵する視線ではなかった。

 わたしが神の伴侶となった事を喜ぶ視線ではなかった。


 隠し切れない悪意の宿る視線に溜息をつくと、ディエ様がわたしを抱く腕の力が強まったのが分かった。

 安心させるようにわたしからも抱き着いて、それから子爵たちに目を向ける。

 あの人達の悪意はもうわたしには届かない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る