38.招かざる者(ディエ)

 広間には天窓が誂えられているから、日光浴をするにはちょうどいい。

 眩すぎない穏やかな陽光を黒豹の姿で全身に受けると、眠気が忍び寄ってくる。欠伸を漏らして、傍に居ない妻を思った。


 クラリスは神々から贈られてきた結婚祝いを仕分けているはずだ。

 側には双子の神使が居るから何も問題はないだろう。俺もその部屋に向かって手伝ってもいいのだが……いかんせんむず痒い。

 昔から自分を知っている奴等の、にやついた顔が想像出来てしまうからだ。


 伴侶なんていらないと、恋だの愛だの面倒だと。そう言って憚らなかった俺がまさか伴侶を迎える事になるとは、自分でも不思議なものだとは思っている。



 俺はこの大地を守護する存在として生まれた。

 守りがある大地に、人の子らが国を作りたいと願い出てきたのはもうどれほど昔の事になるだろうか。

 それを了承し、いつしか国を守護する神と崇められていた。


 自分は守護するものだと。守護にかまけ、恋に溺れて愛に自滅するなど愚かだと思っていた。

 それがこの様だ。自分の命を分け与えてまで、クラリスを失いたくないと思った。過去の自分が見れば軽蔑するかもしれないが、気分はいい。

 それにクラリスを得た事で、今まで以上に力が溢れているのが分かる。自分を滅ぼす恐れもあるこの感情が、持ち方次第ではこんなにも力になるなんて、知らなかった。


 お茶の時間になればクラリスは俺を呼びにくるだろう。それまでひと眠りしてもいいかもしれない。

 また欠伸を漏らした俺は両前足を揃えて枕にし、目を閉じた。眠りに落ちるまでは早い──はずだった。


 不意に気配を感じた。

 人の子らが【神の裂け目】と呼ぶ大地のひびに、誰かが身を投じたようだ。


 いつからかは分からないが、あの罅が俺の元に繋がっていると思った人の子らが、そこに供物として生贄を捧げるようになった。

 俺の声が聞こえる代々の教皇にやめるよう訴えても、『これは我々からの感謝の気持ちです』だとか言って聞きやしねぇ。生贄なんぞいらないと言っても送り込んでくる、悪意のない押し付けほど鬱陶しいものはない。


 それが教皇であれ、人の子と関わるのが面倒になった俺は、罅の中に神使しんしを放った。巨大な姿をしていながら優しい蜘蛛だ。俺の力を源に動く蜘蛛は裂け目の中に大きな巣を張ってくれている。その巣に引っ掛からないものはない。

 それを受けて、俺は生贄を元の場所に帰す事を繰り返している。


 だが、おかしい。

 次の生贄が来るまでには、まだ三十年はある。誤って落ちたのかもしれないが……どうにも嫌な予感がする。


 溜息をつきながら体を起こした俺は、蜘蛛の巣から広間へとその人物を転移させるべく力を使った。



 光が収束し、泡のように弾けていく。

 その光が消えた後に広間の床に座り込んでいたのは、白い衣装を身に纏った若い女だった。

 衣装も宝飾品も上質なものだというのが分かる。その白い衣装は、人の子らが結婚をする時に纏うものにも似ているように見えた。


 ピンク色の髪を纏めた女に、見覚えがあった。青い瞳は落ち着かない様子で周囲へと探るような視線を向けている。

 クラリスの異母姉──フローラ・デッセルだった。


「ここは神の住む場所ね? あの蜘蛛の巣に引っ掛かった時にはどうしようかと思ったけれど、クラリスもこうして生き延びていたんだわ」


 この女はどうやらここに来る為に、あの罅へと飛び込んだらしい。

 クラリスが生きていたから、自分もと思ったのかもしれないが……意図が読めない。クラリスを連れ戻す為だとしたら、すぐにでも追い返してやりたいところだ。


「神様は……あら、あなたってやっぱり豹の姿なのね。神殿に飾られている絵とよく似ているわ。赤と黄色の瞳……あの時の男と同じ色だし。あなたが神で間違いないのね」


 よし、追い返そう。

 反射的に転移させようとしてしまったが、寸でのところで思い直した。このまま追い返したとして、この女はまたやってくるだろう。それはそれで面倒だ。


「お前は何者だ。何をしにこの場所へ来た」

「わ、喋った。へぇ、さすがは神様っていうところかしら。あたしはデッセル子爵家が娘、フローラ。あなたをここから解放してあげる為に来たのよ」

「そんな事は望んでいない。では帰れ」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 女の周りを光が包み込む。追い返される事を感じ取ったのか、女は急いで立ち上がると俺に向かって近付いてきた。嫌悪感を隠せずに俺と女を阻むように壁を作った。虹色に輝くそれを破る事は、こいつには出来ないだろう。


「あたしの話をよく聞いて頂戴。あなたは神様なんだもの、こんなところに居るよりも大神殿で暮らしていた方がいいと思ったのよ。皆があなたに平伏して傅くわ。欲しいものだって何でも手に入るし、あたしもあなたの傍に居てあげる。だから一緒に行きましょう?」

「そんなものは欲していない。俺が傍にと望むのはお前じゃない」

「クラリスだって言いたいんでしょうけど、あの子はデッセル家に戻してほしいのよ。元々、別の家に嫁ぐ約束をしていたのに、あなたの生贄にする為に反故にしてしまったでしょう? クラリスを返してもらう代わりにこのあたし・・・・・があなたの傍に居るわ。そっちの方がいいと思うの」


 とても良い事を話しているとばかりに、目の前の女はにこにこと機嫌よさげにしている。 

 ここまで話が通じない奴も初めてだし、失礼な奴もそうそういない。クラリスはこんな女に虐げられる日々を送ってきたのか。いまだに悪夢を見る程に、こいつの悪意はクラリスの心に刺さったままだ。


 苛立ちを隠せずに舌打ちが漏れた。

 女は俺の怒りの理由が分からないようで、不思議そうに首を傾げている。


「良い話でしょう? あたしが手に入るんだもの」

「お前に何の価値があるんだ」


 人の子の基準で言えば姿形は美しいのかも分からんが、心根は醜悪の一言だ。

 性根も姿も、俺のクラリスの方がずっと美しいし価値がある。


「あたしの価値が分からないなんて勿体ない神様ね。でもいいの、許してあげる。あなたはまだ何も分からないだけだろうから」

「……人の子如きが神を愚弄するか」


 人の世に帰してやる義理もない。この場で滅そう。

 俺の感情に呼応して、空に雷雲が広がっていく。稲妻が走り雷轟らいごうが響く。広間にも響くその轟音に、女がひっと短い悲鳴を上げて身を縮めた。


 カウチから降りた俺が女に近付くと、女は腰を抜かしたようにその場にへたりこんでしまう。


「ま、待って。そんなつもりじゃなかったの……。あたしは、良かれと思って……」

「良かれと思って神を蔑むか。その大罪は死で贖うがいい」

「死ですって!? 待って! あたしが死んだらクラリスが悲しむわ!」

「お前が死ねばクラリスの心も楽になるものだろうよ」


 そう口にした瞬間、クラリスの笑顔が脳裏に浮かんだ。

 明るくて穏やかなあの微笑みは、この女を殺したら翳ってしまうだろうか。


 隠し通せるかと言えば……簡単ではない。

 俺の命を分けたクラリスは、俺のように神力を使う事が出来る。まだその扱いを分かってはいないが、聡い娘だから力を揮えるようになるのもそう遠くはないだろう。

 俺がこの女を滅して、それに気付かない程に鈍くはない。


「無礼な物言いをした事は謝るわ。でも、あたしがあなたの傍に居るという事はそんなに悪い話じゃないはずよ。人の世界に移った時に、あたしならあなたの力になれるもの!」


 顔色を悪くした女が震えを誤魔化すように叫んでいる。

 耳障りなそれを聞き流しながら、俺は思案していた。


 この女を滅すのは容易い。

 だがそれよりも、この女に相応しい罰があるのではないか。


 いい機会だ。

 改めて生贄がいらないという事を、人の子らに知らしめよう。


 俺には伴侶が居るという事も、合わせて。


 人の姿を取った俺は転移をすべく光を生み出した。

 転移をするのは俺とそこに座り込む女。それから……クラリス。

 愛しい妻の姿を思い浮かべるだけで口元に笑みが浮かぶのだから、俺も重症だと自嘲するしかなかった。

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