35.瞳の色

 カーテンの隙間から差し込む朝陽が眩しくて、わたしの意識が昇っていく。

 しっかりとカーテンを閉めていなかったのか。それでもこれだけ光が眩いのだから、もう起きる時間だったのだろう。


 寝台から出たわたしは大きく伸びをして、窓へと向かう。確かにカーテンは少し開いていて、そこから入り込んでくる光に目を細めた。

 カーテンを開けると広がるのは、金と赤が入り混じった美しい光景だった。昇り始めた太陽が中庭の花を金色に染めている。神殿の白壁も金に染まり、まだ陽光に染まり切っていない天空だけが夜の気配を残していた。


 両手を組み、額にあてて祈りを捧げる。

 人でなくなったわたしの祈りは変わっているのかもしれないけれど、それでも──この祈りは続けていこうと思っている。


 祈りを終えると、次は身支度だ。

 顔を洗って、お仕着せを……と、思ったところで部屋の扉がノックされた。軽やかな優しいノックと、この時間。前にもこんな事があったなと思いながら、寝着の上にガウンを羽織って扉を開けた。


 廊下に立っていたのはやっぱりルカとリオ。

 二人ともにこにこと嬉しそうに笑っているから、きっと昨晩の事を知っているのだと思った。


 部屋に通してすぐに、二人はスカートを指で摘んで頭を下げた。


「神の伴侶となられた事、心よりお慶び申し上げます」

「我ら神使しんし、これからは奥方様にもお仕え致します」

主様ぬしさまと奥方様、お二人をお守りする剣となりましょう」

「主様と奥方様、お二人をお守りする盾となりましょう」


 予想外の光景に、目を瞬いた。

 一瞬呆けてしまったけれど、すぐに我に返ったわたしは二人に駆け寄って膝をついた。二人はわたしの腰辺りほどの身長だから、そうしないと目線が合わないからだ。


「ええっと……神の、伴侶」


 確かにわたしは昨日、命の欠片を頂いてディエ様の伴侶となった。

 二人からしたらわたしも仕える者として認識されるのも、まぁ分かる。


「あの……わたしは何かお仕事とかあるの? その、伴侶として」

「主様が何も言われないのなら、今はないかと」

「主様にお願いされたらで宜しいかと」

「じゃあ今まで通りに過ごしたいわ」


 わたしの言葉に二人は顔を見合わせて、それから揃って同じ方向へと首を傾げた。

 仕える、仕えられるとなったってわたし達の関係は変わらないと思う。でも……やっぱり距離が空いているみたいで少し寂しくなってしまうもの。


「クラリスと呼んで欲しいし、お仕着せをしていつも通りにお仕事するわ。わたしも食事を取らなくて良くなったのかもしれないけれど、それでもやっぱり美味しいものは三食食べたいしおやつも食べたい。わたしがここを立ち去らなくなって良くなった。それ以外は今までと同じようにして過ごしたい」


 だって何も変わらないもの。

 神殿の為にお掃除やお手入れを頑張るのも好きだし、美味しいものを作る二人の手伝いをするのも好き。みんなでお茶を楽しむ時間も、レース編みを教えて貰うのも好き。

 それはわたしが神の伴侶となったからって変わらない。変わらずに過ごしたい。

 きっとディエ様もそれでいいと、言ってくれるんじゃないかと思っている。


「ルカルカ、どうする?」

「リオリオ、奥方様がそう願うなら従うだけ」


 二人は大きく頷いてからにっこりと笑った。礼の姿勢も崩していつものように姿勢よく立っている。


「クラリスクラリス、それではこれからも同じように」

「でも覚えておいて。私達はクラリスが伴侶となった事を本当に喜んでいる」

「ええ、ありがとう。わたしも、これからも二人と一緒に居られるのが嬉しいわ」


 それでは早速お仕着せに着替えていつものお仕事を……と立ち上がろうとした時だった。二人がわたしの腕を掴み、顔を覗き込んでくる。いつもよりも近い距離にどうかしたのかと問う前に、二人は嬉しそうに笑みを深めた。


「瞳が変わっている」

「主様の色が混ざっている」

「綺麗」

「とても綺麗」

「……瞳?」


 何か違うところがあっただろうか。先程顔を洗った時には気付かなかったけれど。

 わたしは二人と共に姿見の前へと移動した。鏡に顔を近付けて瞳を見ると……確かに、片目の色が変わっている。

 葡萄色だったわたしの瞳。左目が赤紫というよりも深い赤色へと変わっている。虹彩には黄色が入り混じって、確かにディエ様の色だ。命の欠片を頂くという事は、ディエ様の力を分けて頂く事と同じなのかもしれない。


 二人が褒めてくれる通り、確かに綺麗な色だと思った。

 ディエ様は昨夜からそれに気付いていたんだろうか。目元に触れる唇の温もりを思い出して、顔に熱が集うのが分かった。


「着替えたら軽くお化粧をしよう」

「髪も少しいじろう」

「ありがとう」


 二人に任せたらお化粧も髪も綺麗に仕上げてくれるから安心だ。それに……少しでもディエ様に可愛いと思って貰えるかもしれない。


 そう思いながら着替えたわたしは、いそいそと鏡台の前に腰を下ろした。

 いつもはルカが髪も化粧もしてくれるけれど、今日はルカがお化粧で、リオが髪をやってくれるらしい。


 色を抑えたお化粧はお出掛けする時のような華やかさはないけれど、頬が薔薇色に色付いて可愛らしく仕上げてくれている。これならお仕着せ姿でも浮かないだろう。

 髪は両耳の横辺りから編みこまれ、うなじですっきりと一つにまとめられた。それにいつものカチューシャを飾って完成。お掃除やお洗濯で動いても崩れないで済みそうだ。


「ありがとう。すっかり可愛くして貰っちゃった」

「クラリスは何でも似合うからいい」

「いつだって支度を手伝う。……でもこれからは中々難しいかもしれない」

「え、どうして?」


 含んだようなリオの言葉に首を傾げると、ルカがくすくすと笑みを漏らした。

 二人は手際よく道具を片付けると、わたしの手をそれぞれ引いて部屋を出た。


「クラリスは部屋を変えなくては」

「クラリスは主様の隣の部屋に行かなければ」

「と、隣の部屋?」

「伴侶なのだから当然だろう」

「寝室も共にするのだろう」

「な、っ……!」


 夫婦となったのだからそれもそうなのだろうけれど、でも……ええ?

 寝室が一緒という事は、それは……そういう事だろう。嫌なわけではないし、ディエ様の事は大好きだから拒否する事ももちろんないのだけど……。


 羞恥に顔が熱くなる。

 二人はそんなわたしを見ながらくすくすと笑うばかりだ。揶揄われているのかと思うけれど、きっとそうではないのだろう。


「主様に言って神殿の造りも変えて貰わなければ」

「クラリスの部屋をそのまま主様の隣にずらして貰えばいいのでは? 夫婦の寝室を作って、どちらからでも行き来できるようにすればいい」

「すぐにお願いしよう」

「すぐに変えて貰おう」


 二人はうんうんと頷きながら言葉を紡いでいるけれど、正直なところわたしの耳にはほとんどが入ってこなかった。


 こういう時には手を動かすに限る。

 やってきた厨房で朝食の準備をする事で、内心の動揺を落ち着かせる事にした。オムレツだって綺麗に焼けるようになったんだから、それに集中しよう。今日はきのこのホワイトソースをかけたオムレツなんていいかもしれない。

 そう思って卵を取った。



 今日もルカの焼いたパンは綺麗な色。ふんわりと漂う小麦の香りが食欲をそそっている。

 リオの作ったとうもろこしのスープ。これが凄く美味しい事もわたしはよく知っていて、大好物になっている。

 それから綺麗な楕円の形になったオムレツはわたしの自信作。きのこのホワイトソースは、前にディエ様が好きだと言っていたから作り方を覚えたものだ。それにトマトのサラダを添えて今日の朝食の出来上がり。


 配膳している間にルカが紅茶を淹れてくれる。全員の紅茶を並べ終わったところでディエ様が食堂に入ってきた。

 昨日の今日だから、お姿を見ただけで心臓が騒がしくなってしまう。


「おはようございます」

「おはよう。なんだ、やっぱり仕事してんだな」


 お仕着せ姿を見てディエ様が笑う。でもやめるようには言わないし、わたしが働いているのは予想通りだったようだ。


「わたしは何も変わりませんから」

「そうだな」


 柔らかく微笑んだディエ様が、席につかずにわたしに歩み寄る。片腕が肩に回り抱き寄せられたかと思ったら、ディエ様はわたしの目元にそっと口付けた。昨夜も感じた温もりに吐息が震えてしまう。


 嫌ではないけれど恥ずかしい。

 そう思ってディエ様を見るけれど、嬉しそうに微笑んでいるものだから文句を言う事なんて出来なかった。

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