32.神使になるきっかけ

「人魚……?」


 告げられた言葉を繰り返すと、二人はただ頷くばかり。

 驚いているわたしを見てくすりと笑うと、ルカもリオも揃ってケーキを食べ始めた。それがあまりにもいつもと変わらないものだから、わたしも少し笑ってしまった。


 それにしても──人魚だったとは。

 強大な魔力を有する人魚は争いを好まず、利用される事を厭って海の底で暮らしていると言われている。

 そんな彼女達が、どうしてここにいるのか。


 言葉にしなくとも、二人には充分伝わっていたらしい。

 口元についたクリームをハンカチで拭ったリオが、フォークを置いて口を開いた。


「私達は生まれながらに魔力が少なかった」

「私達は二人合わせても、一人分に満たない程に魔力が足りなかった」


 ルカはポットを持つとまた全員のカップにコーヒーを注いでくれた。

 それにまたわたしはミルクとお砂糖を入れたのだけど、ルカはミルクだけにするらしい。リオは何も入れずに飲むようだ。

 魔法を使ってポットを保温していたおかげで、コーヒーはまだ温かい。湯気が春風に混ざって流れていった。


「人魚にとって魔力とは生命力だ」

「その魔力が足りない私達は、幼いうちから長く生きられない事を知っていた」

「私達だけじゃない。群れの皆、全てが知っていた事」

「だから私達は群れを追放されてしまった」

「そんな……」


 長く生きられないから、追放する?

 そんな悲しい事があっていいのだろうか。


 わたしは人魚の事を何も知らない。

 しきたりも、歴史も何も知らないけれど……それが正しい事だとは思えなかった。


 わたしはひどい顔をしていたのだろう。

 ルカもリオも、わたしの顔を見ては可笑しそうに肩を揺らす。その様子に悲壮感は全くなく、もう過去の事だと折り合いをつけているようだった。


「人魚は強い者が全てだった」

「弱い者は淘汰されて当然だった」

「だから仕方のない事」

「だから私達もそれを受け入れた」

「そうなの……」


 人魚の世界では当然の事で、二人が受け入れているものに、わたしが何か言うものではないのは分かっている。でも……その時の気持ちには寄り添いたいと思った。


「死を待つだけだった私達を救ったのが主様だ」

「入り江に打ち上げられていた私達を見て、眉間に皺を寄せていた」


 ぐっと眉間に力を入れて皺を作るリオを見て、ルカが笑う。確かにそれはディエ様のする仕草にも似ていて、わたしも笑ってしまった。

 それで場の雰囲気も和らいだようだ。きっとわたしの事を慮ってくれたのだろう。その気遣いに感謝しながらコーヒーを一口飲むと、ミルクを入れ過ぎたのか苦味はほとんど感じなかった。


「主様は神力を与えてくれた」

「私達は魔力が少なかっただけで、魔力の受け皿は大きかったようだ」

「神力のお陰で不足していた魔力も補われた」

「私達はそれから、主様に仕える神使となった」

「そうだったのね。神使になってからもう長いのかしら」


 わたしの言葉に二人は顔を見合わせて、揃って同じ方向へと首を傾げた。青と緑の瞳が同じように瞬きをする。


「どれくらい経ったのだろう」

「クラリスのように生贄に捧げられた人の子は四人見た」

「生贄は三十年に一度」

「という事は百二十年?」


 百二十年!

 二人はわたしよりも幼い子どもの姿にしか見えないのに。

 でもそれだけの年を重ねているのだもの、わたしよりも様々な事を知っていて、経験もしていて、頼もしい存在なのも納得できる。


「私達は主様の力を頂いているから、主様への祈りも伝わってくる」

「クラリスの祈りは、気持ちがいい」

「だから私達はクラリスが好きだ」

「クラリスの心は真っ直ぐだから」

「それだけじゃなくて、明るくて可愛いとも思っている」

「ずっとここに居てくれたらと願っている」

「ごほ、っ……! あ、ありがとう」


 予想外の言葉に、口に含んでいたコーヒーを噴き出してしまうところだった。なんとかそれは耐えたけれどおかしなところに入ってしまったのか、噎せたわたしは大きく咳き込んだ。


 でも……嬉しい。

 二人はわたしがここに来た時からずっと、優しくしてくれていた。わたしがここに居たいと言った時も賛成してくれた。二人はわたしが共に居る事を願ってくれている。それが嬉しくて、胸の奥に何かが込み上げてきそうだった。


「わたしも二人と一緒に居たいと思っているわ。もちろん、ディエ様ともずっと。でも……ううん、だからこそ、今のままでディエ様の命を分けて貰うわけにはいかないの」


 不安も想いも、心の内を全て伝えたい。

 ディエ様がどんな気持ちでわたしに命を分けて下さろうとしているのか、それも聞きたい。


「ちゃんと話すわ、ディエ様と」

「それがいい」

「二人とも変なところで抱えてしまう」

「クラリスも悪い」

「主様も悪い」


 それは確かにその通りだと、苦笑交じりに頷く以外に出来なかった。


 それからわたし達はお茶を楽しみながら思い思いの事をして過ごした。

 わたしは予定通りにレース編みをして、テーブルセンターを完成させた。よく見れば所々に歪な場所もあるけれど、初めてだと思えば上出来だろう。

 ルカとリオも褒めてくれて、それが本当に嬉しかったものだから、今度は何を作ろうかとわくわくしてしまうほどだった。


 二人に使ってもらえるような何かがいいな。そんな事を考えながら開いた編み図の本は、今まで以上に美しく見えた。



 夕食時もディエ様からの視線にはやっぱり圧を感じるけれど、双子の苦言が堪えたのか何か言葉を紡ぐ事はなさらなかった。豹の姿でもなかったから、わたしに尻尾を絡めてくることもない。


 そういえば、尻尾でディエ様の機微は分かるけれど……あの尻尾にはどんな意味があるのだろう。

 お茶会の席でも尻尾の事は言われていた。よく考えてみたらと言われたけれど……考える事を諦めたわたしは、夕食の後片付けをしながらリオに聞いてみる事にした。

 ルカは少し離れた場所で朝食の仕込みをしている。


「ねぇリオ、ディエ様の尻尾の事なんだけど……」

「機微が分かる」

「ええ。あの尻尾を絡めるのはどういう意味なの?」

「クラリスは本当に鈍い」


 呆れたように溜息をつかれても、分からないものは分からない。

 図書室に豹の生態の本はあっただろうか。そんな事を考えていると、リオがそっと手招きをする。呼ばれるままに身を屈めると、リオがわたしの耳に口を寄せて囁いた。


「クラリスはお気に入りだ」

「……お気に入り」

「それ以上は私からは言えない。ただ……妖精が言っていた匂いも、その一つだ」


 そういえば妖精に会った時に『ディエテイルの匂い』と言っていた。

 あれ? そういえばディエ様のお名前ってディエテイルが正しいのだろうかなんて、今更になって気付いてしまう。もしかしたらこのディエという呼び名は愛称で、それをわたしに許して下さった?


 ……もしかしたらディエ様は、言葉になさらないだけで……わたしの事が好きなんだろうか。


 そんな事を思ってしまうと、一気に顔が赤くなったのが分かった。

 手で扇いで見ても火照りが引く気配はない。何か言いたげににやにやしているリオの視線には気付かないふりをして、わたしは乾かしたばかりのお皿を棚へと戻す作業に集中した。


 胸の奥が切なく締め付けられるのも無視をして。

 吐息が熱を帯びている事も気付かないふりをして。


 早くディエ様と話さなければ。

 伝えたい事も聞きたい事も沢山ある。


 片付けを終えたわたしは部屋に戻らずに、中庭へと駆け出した。

 きっとそこに、ディエ様が居ると思って。

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