31.女の子だけのお茶会

 わたしが意識を失ってしまったあの日・・・

 このまま神域に居たら、わたしは死んでしまうとディエ様に告げられた時から数日が経った。


 ディエ様の『嫁に来るか』発言に返事を出来ないまま、わたしは日常を過ごしていた。


 死ぬのは怖い。

 生贄として【神の裂け目】に飛び込んだ時も、初めてディエ様にお目に掛かった時も死ぬことを覚悟していた。死んでしまってもいいと思っていた。

 ……あの時とはもう違う。この場所で幸せな時間を過ごしてしまったら、死ぬ事が恐ろしくて仕方ない。もうディエ様のお傍に居られない事も、ルカとリオと一緒に過ごせない事も寂しい。

 死にたくないと思う。


 でも……ディエ様の命を分けて頂くという事に、お願いしますと簡単には頷けない。だから返事を先延ばしにしている。

 ディエ様からの視線が痛いくらいに突き刺さっている日々だけど。



主様主様ぬしさまぬしさま、いい加減に鬱陶しい」

「主様主様、しつこい男は嫌われる」


 双子の苦情も聞いていない振りで、豹のお姿を取ったディエ様は横になって目を閉じている。


 ここは裏庭、東屋でのおやつの時間の最中だ。

 テーブルに並んでいるのはミルクの入ったコーヒー、それからかぼちゃを使ったケーキ。ケーキはわたしとリオが焼いたもので、土台のクッキー生地も上手に出来たと思っている。

 滑らかになるよう何度も裏漉しをしたかぼちゃはしっとりとしていて、程よい甘さに仕上がっているはずだ。


 そのケーキとコーヒーをお供に、わたしはテーブルセンターを完成させるつもりでいた。足元に置いた籠には道具一式が入っている。

 双子は読書に勤しむようだ。ルカは恋愛小説、リオは推理小説を持ってきている。ルカが読み終わったら、あの恋愛小説を貸してもらおう。


 苦情を言われたディエ様は……わたしの隣で丸くなっていた。

 東屋の壁に沿うように、ぐるりと半円の形に作られたベンチは大きいから狭い事はないのだけど……ディエ様の尻尾が、しっかりとわたしの腰に絡みついているのだ。


 尻尾が絡んでくるのは腕ではないから、レース編みをするのに困らなくても、少々……いや、かなり気になってしまう。

 最近の視線も相俟あいまって、その尻尾が返事を催促しているのだとは分かっているのだけど……。 


「主様主様、クラリスが困っている」

「主様主様、それじゃちっとも伝わらない」

「一度離れた方がいい」

「女の子だけのお茶会にして欲しい」


 付き合いの長さを物語るような遠慮のなさに、思わず笑みが漏れてしまった。

 やっぱり眠った振りをしていただけらしいディエ様は、のそりと起き上がるとこちらを一瞥だけして去っていく。神殿の方へ向かったから、中庭か広間でお昼寝するのかもしれない。


 腰に回っていた尻尾がなくなると、緊張が解けるのと同じくらいに寒く感じてしまう。それだけディエ様の尻尾が暖かったのだろう。


 わたしは持っていたシャトルとレースを膝の上に置くと、コーヒーカップに手を伸ばした。まだ湯気の立つカップを持ち、ふぅふぅと吹き冷ましてから口に運ぶ。鼻を抜けるコーヒーの良い香り。ミルクとお砂糖のおかげで甘くって、とても飲みやすく美味しかった。


「さて……クラリスは自分の状況を知っている?」

「ちゃんと主様の話を聞いた?」


 あの日・・・から今日まで、三人で過ごす時間が極端に少なかった。どこにでもディエ様が現れるし、近くに居なくても視線を感じていたからだ。

 だからあの日の事についてちゃんと触れるのは、今日が初めてだった。


「ええ。……わたしはこのままここに居たら、死んでしまうって」

「人の子はここの神気に耐えられない」

「だから私達はずっと、クラリスを神使しんしにするべきだと言っていた」


 本に栞を挟んだ二人は、本をベンチに置く仕草までも揃っていた。

 リオはカップを口に寄せ、ミルクもお砂糖も入っていないコーヒーを顔色も変えずに飲んでいる。ルカはフォークを手にしてケーキを一口大にして口に運んだ。


「神使……あなた達と同じようになるという事ね?」

「そう。でも主様が言うには、人の子に神力は強すぎると」

「恐らく魔力量の違いなのだろう」


 神使にはなれない。

 だからディエ様は、お嫁になんて事を考えて下さったのだ。もしこの身に神力を受けられたら、ディエ様を悩ませる事も無かっただろうに。


「主様の命を分けて貰うといい」

「そうすればここに居られる」

「クラリスは何を迷っている?」

「人で無くなるのが怖い?」


 わたしはもう一口だけコーヒーを飲み、それからカップをソーサーに戻した。口の中に残るのは僅かな苦味だけ。


「それは怖くない。迷っているのは……そんな事をディエ様にさせていいのかって」

「命の欠片を貰う程度だ」

「主様に影響はない」

「それとも伴侶になる事を恐れている?」

「クラリスは主様の事を好いていたのに?」


 伴侶という単語に、わたしの胸が苦しくなる。

 苦しくて上手に息が吸えなくなりそうで、それを誤魔化すようにフォークを取ってケーキへと視線を落とした。小さく切ったオレンジ色を口に運ぶと程よい甘さで美味しく出来ている。


「好きよ。ずっとお傍に居たいと思うくらいにディエ様の事が好き。でも……わたしの命を永らえさせる為だけに、お嫁に貰ってもらうわけにいかないもの。もし今後、また生贄に捧げられた人が居たとして……ディエ様がその人と恋に落ちて、伴侶にと望むかもしれないでしょう? だからわたしがその席を奪ってしまうわけにいかないわ」


 わたしの言葉に顔を見合わせた二人は、深くて大きな溜息をついた。

 

 ディエ様の気持ちを無視して、有難く添い遂げさせて貰えばいいのかもしれない。そうすればわたしは死ぬこともなく好きな人と一緒に居られるし、好きな人のお嫁さんになれるのだ。

 でもそれが出来るわたし・・・だったなら、きっと──ここにはいなかった。

 ディエ様が人の世に帰してくれると最初に言ったあの時に、さっさと帰っていただろう。


「ルカルカ、これはどちらが悪いと思う?」

「リオリオ、これはどちらも悪いと思う」


 うんうん、と頷き合う二人の声は聞こえないふりをして、わたしはケーキを食べ進めた。

 裏漉しするのは大変だったけれど、そのおかげでこの滑らかさが出来ていると思えば報われる。

 かぼちゃ自体が甘かったから、やっぱりお砂糖は控えめにして良かった。土台の生地もさくさくに焼き上がって、とても美味しい。

 明日になれば水分で少し柔らかくなってしまうだろうけれど、きっとそれもまた美味しい。……明日まで残っているかは怪しいとは思っている。


「クラリスは一人で考え過ぎだ。主様とちゃんと話をしたらいい」

「主様は言葉が圧倒的に足りなさすぎる」

「それから主様は尻尾で機微を読み取れる」

「それをよく考えてみたらいい」


 確かに考え過ぎるのはわたしの悪い癖だ。

 考え過ぎて迷惑になるんじゃないかと不安になって、一人で抱えて……ディエ様に恋をした時も振られたと思った時もそうだった。


 実際、不安に思う事なんて何もなかったのに。

 

 命を分けて貰うことをせずに、このまま死ぬかもしれない。

 もしかしたらディエ様は、わたしが死ぬ前に無理に人の世に戻すかもしれない。ディエ様は優しい方だから。


 どちらにしても、伝えられるうちにちゃんとわたしの思いを口にした方がいい。

 どんな形にしろ離れてしまったら、伝える事も叶わなくなってしまうもの。


「……ありがとう。わたし、ちゃんと話をするわ」

「それがいい」

「主様は押しに弱いから、ちゃんと答えてくれるまで追及したらいい」


 ルカは緑の瞳を悪戯に輝かせ、そんな事を口にした。それが何だか可笑しくて声をあげて笑ってしまったわたしは……ふと、気になった事があった。


「あのね、二人は神使しんしでしょう? 人の子が神使になれないのなら、あなた達は……?」


 人であるわたしに神力は強すぎる。

 では、神力を受け入れる事が出来て、神使となった二人は……人ではないのだろうか。

 先程リオは、魔力量の違いだろうと言っていた。確かに二人はわたしとは比べものにならない程に強大な魔法を使えるし、魔力量だって桁違いだ。


 わたしの問いに二人は目を瞬いた。それさえもぴったりと揃った動きだ。


「私達は人ではなかった」

「私達は人魚・・だった」


 予想通りであり、全く予想もしていなかった言葉に、今度はわたしが目を瞬く番だった。

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