30.フローラ・デッセル

 ピンク色の髪を複雑な形に結い上げた、デッセル子爵家のフローラは苛立ちを隠そうともせずに部屋の中を歩き回っていた。

 怒りをぶつけられた後なのか、床には装飾品やドレスが無残に散らばっている。それをメイド達が無表情で片付ける中、フローラは親指の爪を噛んでいた。


 そんな殺伐とした部屋の扉が控えめにノックされる。

 メイドの一人が扉を開けると、中に入ってきたのはデッセル家で執事を務めている初老の男だった。


 執事の姿を見たフローラは、青い瞳をきっと吊り上げて駆け寄っていく。その剣幕に執事は一瞬驚いたように眉を上げるも、すぐに常の微笑を浮かべていた。

 フローラの機嫌が悪い時には笑みで流すのが一番だと、フローラを幼い頃から良く知る執事は理解していた。


「クラリスは見つかったの!?」

「いえ、様々な伝手を使って王都中を探しましたが発見する事は叶いませんでした」

「役立たずね! お前も、その伝手とやらも使えなさ過ぎて嫌気がさすわ!」


 床を大きく踏み鳴らしたフローラは苛々した様子でまた親指の爪を噛み始める。そのまま部屋の奥に向かい豪奢なソファーに座るも、その姿は淑女のものとは言い難いものだった。だがそれを指摘する者は、この屋敷の中には誰もいなかった。


 フローラが部屋を荒らし、それで何かが壊れていたらまた怒り散らして、更にはそれをメイドのせいにする事だって日常茶飯事だった。クラリスが居た頃には、その怒りは全て彼女に向かっていたものだけど、いまはそれを受け止める者はいない。


 メイド達は自分へその感情を向けられる事のないように祈りながら仕事をするしかなかった。

 辞めたくてもここの主人は簡単には辞めさせてくれない。辞める時も紹介状など書いてはくれないのだから、次の職に就くのも難しい。

 メイド達は嫌々ながらもここで働く以外になかったのである。


「あの女は絶対に生きているのよ。男を侍らせて悠々と過ごしているだなんて許せない。絶対に見つけ出して頂戴!」

「フローラ様、王都で見つける事は出来ませんでしたが、一つ有益な情報がございます故、落ち着いて下さいませ」

「……有益な情報?」


 怒りを露わにしているフローラを宥めるように柔らかな声で言葉を紡いだ執事は、ソファーの側に膝をついた。

 その声に耳を傾け始めたフローラの様子に、周囲のメイド達がほっとしたように息をつく。癇癪を起こしてまた散らかされたら堪ったものではないからだ。

 

「あの娘と共に居た殿方は、もしかしたら神であられるかもしれません」

「神? この国の守護神である黒豹ということ? バカみたい、神様なんて本当に居るわけないじゃない」

「三十年前に生贄に捧げられたのはカダレト伯爵家のご令嬢でございました。彼女は生贄となったにも関わらず、その日のうちに家に戻っていたそうなのです。カダレト伯爵家はそれを隠し、ご令嬢は領地の奥で暮らしていたと」

「生贄にならないで逃げたんじゃないの?」

「いえ、そうではございません。【神の裂け目】に飛び込むのは神官が確認しており、それは記録にしっかりと残っておりました。カダレト伯爵家のご令嬢が口にしたのは『赤と黄の特徴的な瞳をした美丈夫が家に帰してくれた』と……」


 執事の話を聞いたフローラは考え込むように眉間に皺を寄せた。

 足を組み、背をソファーに深く預けながらまたガリっと強く爪を噛んだ。


「赤と黄の瞳をした美丈夫……クラリスと共にいた男もそんな瞳をしていたわ。三十年前の話が本当で、その男が同じ男なら、確かに神ともいえるのかもしれないわねぇ。ああ、そういえば……あの男は光と共にクラリスを連れて消えてしまったわ。城に仕える魔術師達だってあんな魔法を使う事なんて出来ないでしょう。そう思えば、やっぱり神なのかもしれない」


 先程までの機嫌の悪さもどこへ消えたのか、鈴の鳴るような声で笑みを漏らしたフローラは顔の前で両手をパチンと合わせた。

 その指先を口元に寄せながら、にっこりと微笑んでいる。


「ねぇ、クラリス如きが神を侍らせるなんて、勿体ないわよねぇ?」

「左様にございますな」

「クラリスは上質な服を着て、幸せそうに笑っていたわ。そんなの可笑しいわよね。あの女はこのあたしの為に金を生み出してだけいればいいのに」

「ええ、ええ。私もそう思っております」


 当然とばかりに頷く執事に合わせて、片付けを終えたメイド達も一列に並んで頷いている。

 それに満足そうに笑みを深めたフローラは改めて周囲を見回した。


 この部屋だって、気に入っていないわけではない。

 フローラ好みの美しいものばかりが並べられているし、クローゼットにあるのはフローラに良く似合う流行りのドレスばかりだ。装飾品も質の良い宝石をたっぷりと使ったものばかりで、フローラを更に輝かせる為に必要なもの。


 お金はいくらあっても足りない。

 子爵家は裕福な方ではあるけれど、爵位の低さからバカにされる事だって少なくない。爵位の高さをひけらかす令嬢達を、フローラはその美しさと、身に着けるものの豊かさで圧倒してきたのだ。

 これからだってそうでなくてはならない。


 だからクラリスには戻ってお金を生み出して貰わないといけないし、あの美しい男を傍に置くのは自分以外に相応しくない。


「あたし、【神の裂け目】に行くわ」

「フローラ様、それは旦那様がお許しにならないかと……」

「大丈夫、あたしの言う事が間違っていないと分かればお父様も否とは言わないわ。神は生贄を食べないみたいじゃない? 三十年前の女とクラリスが生きているのが何よりの証拠。あたしがクラリスの代わりに生贄になって、クラリスをこっちに戻すのよ。クラリスには当初の予定通りにどこかお金を持っているところに嫁いで貰えばいい」

「ですが……」


 それは良いと、執事やメイド達が言えるわけもない。

 困惑した視線を向ける執事に向かって、フローラはくすくすと楽しそうに笑って見せた。


「心配しないで。神と共に、あたしもここに戻ってくるわ。神だってクラリスよりあたしの方を選ぶに決まっている。あたしの言う事を聞いて共にこの家に来てくれるだろうし、神がこの家を特別に思っていると知れば、子爵なんかじゃなくて、もっと高位の爵位だって頂けるはずよ。クラリス如きに篭絡される神だもの、あたしを見ればクラリスに靡いた事が気の迷いだと分かるわ。ねぇ、そうでしょう?」

「それはそう思いますが……旦那様にまずはご相談なさいませ。フローラ様に危険が及ぶとなれば旦那様もそれを了承されないでしょう」

「ふふ、そうね。でもきっとお父様だって分かってくれるわ」


 機嫌よく立ち上がったフローラはそのまま扉へと足を向ける。

 付き従う執事はフローラの後ろで溜息をつくも、それがフローラに届く事はない。


 フローラは彼女の為に扉を開けたメイドへと片手を差し出した。その意図が掴めずに瞬きを繰り返すメイドを見て、フローラの機嫌は簡単に悪くなっていく。

 慌てたように他のメイドが扇を差し出すと、フローラはその閉じたままの扇でメイドの頬を強く叩いた。


「きゃあっ!」

「使えないわね。お前は下働きからやり直せばいいわ」


 倒れ込んで頬を押さえるメイドに向かって冷たい声で言い捨てると、フローラは部屋を後にした。

 啜り泣くメイドを慰める者は誰も居らず、皆がその怒りに触れないよう押し黙る以外に出来る事などなかった。


 フローラは足取りも軽く父の居る書斎へと向かう。

 その瞳には煌びやかなドレスや装飾品に囲まれて、神を傅かせる幸せな未来しか映っていなかった。

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