22.義姉フローラ

 食事を終えたわたし達はまた買い出しへと戻ることにした。

 あと頼まれているものは刺繍糸とか、カトラリーを磨くクロスだとか、食材以外のものばかり。


 渡されたリストにはどこのお店に売っているのかもしっかり書いてあったようで、ディエ様の足に迷いはなかった。ディエ様の腕に手を掛けているわたしも、必然的についていく事になるのだけど……今更ながらこの姿勢は恥ずかしい気もする。

 でも急に腕から手を離したら意識していると思われてしまう? いや、意識しているので間違いはないんだけど。恥ずかしいけど離したいわけじゃない。触れていられるのは嬉しんだけど、ディエ様は迷惑じゃないだろうか。


 頭の中で色んなことが忙しなく駆け巡る。

 ちらりとディエ様を伺うと、その横顔はいつもと何も変わらない。横顔だと顎から耳へのラインがはっきりと見えてとても綺麗。高い鼻も厚めの唇も、正面からお顔を見るのとはまた別の美しさがあるようだ。


 不意に目が合った。

 考えていた事が事だけに、何だかものすごく恥ずかしい。誤魔化すように笑って見せると、形の良い眉が寄せられたのが分かった。


「喧しい」

「口には出していませんが」

「お前の視線が喧しいんだよ」

「それは……自覚があるかもしれません」


 また笑うと肩を竦められた。

 でもディエ様はわたしに貸して下さっている腕を離したりしない。だから甘えてもいいのだと、そう解釈することにした。……星祭りの時よりも人が少ないから、はぐれたりぶつかったりする心配もないのは、きっとお互い分かっているけれど。



「お前は他に欲しいもんはねぇのか?」

「レース糸も買って貰いましたし、特には……」

「本は?」

「前回の本がまだ読み途中なのです。ディエ様はいかがですか?」

「思いつかねぇ」


 リストの品も全て買い終えて、もうすぐでおやつの時間になる頃だった。

 ディエ様が空間収納の術を使えたから助かったけれど、そうでなければ全部を一度に買うのは難しかっただろう。最初の小麦袋十袋だけで終わっていたかもしれない。


「じゃあ甘いもんでも飲んでくか」

「はい!」


 ディエ様が指さす先には屋台があった。

 火にかけられた大鍋からは白い湯気が立ち上っている。温かい飲み物を販売しているようで、立ち寄る人も多く見える。今日は寒いから、温かいものが恋しくなるのだろう。気持ちはよく分かる。


 並ぶ人の列にわたし達も加わったけれど、提供されるまでに時間はかからないようだ。


「ココアをふたつ」

「あいよ」


 朗らかな店主の顔はほんのりと赤い。見れば手元には温められたワインが置いてある。それのおかげかご機嫌な店主に代金を支払ったディエ様は、受け取った木のカップをわたしにひとつ渡してくれた。


 ココアの上にクリームが載せられている。

 熱で溶けだしたクリームとココアが混ざっていくのも美味しそうに見える。


 屋台から離れたわたしとディエ様はそれを飲みながら歩き出した。

 ふぅふぅと吹き冷ましてもまだ熱い。飛んでいったはずの湯気がココアの香りと手を取ってわたしの口元に戻ってくる。


 一口飲むと溶けたクリームの甘さが広がってくる。その奥から熱々のココアが流れてきて、口の中を火傷してしまった。その熱さに肩を跳ねさせると、隣を歩くディエ様が可笑しそうに低く笑った。


「猫舌」

「ディエ様は猫舌じゃないんですか?」


 豹なのに。豹は猫の仲間だってルカが教えてくれたのに。


 口には出さなかったわたしの言葉まで、ディエ様にはしっかりと伝わっていたらしい。

 首を横に振ると「別に」とだけ答えが返ってくる。その口元が綻んでいるから、ココアはお気に召したようだ。


 今度は口の中に入れ過ぎないよう、カップを慎重に傾ける。優しい甘さにほっと息をついた。


「そろそろ帰るか」

「そうですね。二人も心配しているかもしれません」


 帰る時はまた王都近くの森から転移する。今日は人出がそこまで多くないから、裏路地に入って転移をしたら目立ってしまうかもしれない。

 それに歩くのは苦じゃないからいいのだ。なんて、そんなことを考えていた時だった。


「クラリス?」


 正面からやってきた人とすれ違った、その瞬間。後ろから声を掛けられた。


「振り向くな、っ……!」


 ディエ様の制止の声よりも先に、わたしは振り返ってしまっていた。

 足を止めてわたしを見ているのは──義姉のフローラだった。その横には荷物を持った侍女の姿もある。


 フローラはわたしを見て、信じられないとばかりに青い瞳を見開いていた。


「お前、どうしてここに……」


 隣のディエ様が深い溜息をついている。

 わたしが振り向いてしまったのは、結構重大なやらかしだったのかもしれない。


「お前、供物として死んだはずでしょう? まさか逃げ出したとでも言うの!?」

「……人違いです」


 知らないふりをしよう。

 そう思ったのに、隣のディエ様の溜息は更に深くなるばかり。「無理があるだろう」なんて言葉は聞こえないふりをした。


「誰に向かってそんな口をきいているの。生きているならそれでもいいわ。家に帰ってきなさい」


 腰に両手をあててそう命令するフローラは、わたしがそれに従うと思い込んでいるようだった。

 そういえば義姉はわたしの隣にいるディエ様には目を向けない。美しい人が好きなフローラなら、絶対に見逃さないはずなのに。これもまた、『振り向くな』というディエ様の言葉に関係しているのだろうか。


「聞いているの? お前はうちのものなんだから、生きていたなら戻ってくるのが当たり前でしょう。お父様にお願いして、お前の出荷先もまた探して貰わないといけないわね」

「フローラ様、わたしは戻りません」

「……お前、自分が何を言っているのか分かっているのかしら」


 フローラの顔が怒りに赤くなる。

 怒りっぽいこの義姉はわたしが反論するなんて夢にも思っていなかったのだろう。その青い瞳に嗜虐の影が宿った。わたしを甚振っていた時と同じ、醜い色。


「わたしは神様の生贄として、その役目を果たしております。そのことで支度金も支払われていますし、デッセル家を潤すには充分だったでしょう」

「何を言っているの。お前が生きていたならまたお金になるでしょう。いいから行くわよ」


 フローラに腕を掴まれて、その拍子にココアを落としてしまった。ディエ様の腕に掛けていた手も解けてたたらを踏んでしまう。

 白雪がココアで染まっていく。幸いわたしにもディエ様にも義姉にも掛からなかったようだけど、折角ディエ様に買って貰ったココアなのに……。


「よく見ればお前、随分と仕立てのいいものを着ているのね。どこの男に養われてたのか知らないけれど、さすがはあの女・・・の娘ね。男を誑かす手腕は見事だわ」

「誑かしてなんて……っ!」


 かあっと頭に血が上った。

 わたしだけでなく、母の事も侮辱するのか。元はといえばメイドだった母に手を出したデッセル子爵が悪いのに。


「おい」


 今にもフローラに掴みかかりそうになったわたしを止めたのは、ディエ様の声だった。

 その声は低く、怒りに満ちている。


 晴れていた空が翳りを帯びた。

 厚くて黒い雲があっという間に空を覆い、雲の中では雷が光った。遅れて届く音が体に響く。


「なによ、関係のない……」


 忌々し気に紡がれたフローラの言葉は途中で消えてしまった。その瞳にディエ様を映したかと思えば、一気に頬が染まっていく。わたしに向けていた嗜虐の色は消え失せて、青瞳に宿るのは紛れもなく恋慕だった。


「挨拶もせず失礼致しました。わたくしはデッセル子爵家が娘、フローラと申します」


 ドレスのスカートを摘み、首に角度を持たせるフローラは確かに可愛らしく見えなくもない。ディエ様の身分が分からないから、膝を折る挨拶まではしなかったのか。

 フローラからしたら、急にディエ様が現れたように見えるのだろう。最初から隣に居たのだけど。


「興味が無い」

「な、っ……!」

クラリス・・・・は俺に仕える者だ。俺の従者に無礼な真似を働くのはやめてもらおうか」


 ……ディエ様がわたしの名前を口にした。

 ディエ様の声で紡がれるわたしの名前は、輝きに満ち溢れているようだった。出来ればこんな時じゃなく、別の時に呼んでもらいたかったものだけれど。


 威圧の籠った声にフローラの顔色が悪くなる。

 また空で雷が光った。先程までよりも近くで響く轟音に道行く人達が悲鳴を上げた。


「行くぞ」

「は、はい」


 ディエ様に腕を掴まれたわたしは、頷くだけで精いっぱいだった。


「待ちなさいよ!」


 逆腕はフローラに掴まれて、その力がご令嬢にしては随分と強いものだから驚いてしまった。顔色は悪いけれどフローラはわたしを行かせるつもりはないようだ。


「……めんどくせぇ」


 ぽつりと落ちた呟きを耳が拾った瞬間、わたしは光に包まれていた。

 転移だ、と気付いた時には──わたしはディエ様と共に、神殿の広間へと戻ってきていた。


 もちろんここにフローラの姿はない。

 ほっとして深く息を吐き出すけれど、ディエ様にご迷惑をお掛けしてしまった。わたしは慣れているけれど、見ていて気持ちが良いものではないだろう。


「ディエ様、あの……」

「災難だったな」


 わたしを見るディエ様の瞳が優しくて、胸の奥が苦しくなる。

 守って下さったと、そう気付いて……ふと、夢のことを思い出した。


 フローラから虐げられる夢を見る度に、わたしを守るように現れる光の壁。虹色に輝くあの光は、もしかしたら──


「ディエ様、ありがとうございます」

「ああ」


 頭にぽんと、温もりが触れる。

 髪を乱さないように気を付けているのが伝わってくる、優しい手の温もりに笑みが零れた。

 

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