21.美味しい時間

 購入品はルカとリオがリストとして纏めてくれているらしい。

 ディエ様の手元にあるそれを見せてもらうと、分かりやすいだけでなく、効率的にお店を回る為の順路も記されているほどだった。


 そのリストに従って、わたしとディエ様が最初に向かったのはパンの原料となる小麦を扱っているお店だった。

 どの小麦を買うのか、生産地まで細かく指定があるらしい。ディエ様は何度も来ているだけあって慣れているようだったけれど、わたしは初めて訪れるその場所に感嘆の息を漏らしていた。


 小麦はしっかりとした袋に入って、店の倉庫に積み上げられている。生産地、挽き具合によって分けられているらしいそれは、素人のわたしから見たら全く同じように見える。

 呪文にも似た注文をディエ様が紡ぐと、あっという間にわたし達の前に積み上げられる小麦袋はなんと十袋。


 わたしが唖然としている間に会計を済ませたディエ様は、腰に着けていたポーチの口を開いた。あっという間に小麦袋はそれに吸い込まれていく。


 空間収納の魔導具があるというのは知っている。非常に高価だけど、貴族や商人の家には常備されているものだ。だから特段珍しい光景ではないのだけど……ディエ様はそういった魔導具を使わなくても、空間収納の術を使えたのでは?

 不思議に思うわたしに気付いたのか、誰にも見えないような角度で、ディエ様が長い指を唇に当てている。まるで内緒だというようなその悪戯な仕草に、鼓動が跳ねた。



 それからお肉、お魚、野菜、果物、牛乳なども購入していく。すごい量になるけれど四人分の三食おやつと思えばそれも当然なのかもしれない。

 いつもディエ様が一人でこうやって買い出しをして下さっていたのか。これからはわたしも担えるようになろう。そう心に決めたのだけど……空間収納の術を使えないからと却下されてしまった。


 さきほどのポーチは魔導具ではないらしい。空間収納の入口をポーチに開いて、それらしく見せているだけだとか。ちなみにわたしは空間系魔法への適性はないだろうとディエ様に言われてしまった。非常に残念である。


 リストにある食材を買い終わった頃には、もうお昼近くになっていた。

 まだ買い物を続けるのかと思ったら、なんとディエ様は昼食をどこかのお店で食べようとおっしゃった。


「急がなくてもいいんですか?」

「食わなきゃ腹が減るだろ、お前は」

「そう、ですが……一食抜いたくらいで倒れたりはしませんが」

「俺の目の届くところでそんな不摂生させられるか」


 呆れたように眉を寄せるディエ様に、わたしはくすくすと笑みを漏らしていた。

 ディエ様は食べないでも問題ないのに、わたしの事を気遣って下さる。そんな優しさを向けられて、心を傾けないなんて無理な話だ。


 どの店が良いと問われても、外食なんてほとんどしたことがないわたしにはお店を選ぶのは難しすぎる。ディエ様にも難問だったようで、わたし達は適度に賑わっているカフェへと足を踏み入れたのだった。



 テーブルの上、わたしの前にはミネストローネと鶏肉のハーブ焼きが並べられている。ディエ様の前には玉ねぎときのこのスープ、それから白身魚とトマトのソテー。テーブルの真ん中には籠に盛られた白パンが積まれている。


「とっても美味しそうです」

「そうだな」


 両手を組んで恵みを頂けることへの感謝の祈りを捧げる──目の前に捧げる神様がいるというのは、何だかまだ慣れないのだけど。

 もちろんディエ様は祈りを捧げることもなく、わたしが手を下ろしたのを見てからナイフとフォークを手に取った。いつもこうして食事の前のお祈りの間は、待っていて下さるのだ。


 わたしもカトラリーを手に取って、さっそく鶏肉へとナイフを入れた。綺麗な焼き色のついた皮が、パリッと香ばしい音を立てる。その音がもう美味しそうで、わたしは頬を緩ませていた。

 たっぷりのハーブとレモンの薄切りと共に焼かれたお肉は、ふんわりと爽やかな香りを漂わせている。一口大に切ったお肉を口に運ぶと、溢れる肉汁がとても美味しかった。

 噛み応えのある弾力なのに、決して固いわけではない。ハーブとレモンのおかげか、後味がさっぱりしているのも良い。


「すごく美味しいです」

「うん、美味い。だがパンは双子が焼いたものの方が美味いな」


 綺麗な所作でカトラリーを置き、パンを口にしたディエ様がそんな事を言うものだから、わたしも早速パンをひとつ手に取った。温めたばかりなのか、ずっと持っていられないほどに熱い。あちあちと内心で慌てながらなんとか一口分を千切ると、湯気が小麦の香りを残して消えていった。

 パンを口に運ぶ。美味しい。美味しいんだけど……。


「わたしも同感です」


 双子の焼いたパンはもっと甘くて柔らかい。

 これも充分美味しいんだけど。わたしは随分と贅沢な舌になってしまったようだ。


「ディエ様のお好きなものって、何ですか?」

「何でも食うぞ。好き嫌いというか……美味い不味いは分かるが、別に食うものには頓着しない」

「では甘いものと苦いものなら?」

「甘いもんは食う。苦いもんも飲み物なら嫌いじゃない」

「ディエ様はコーヒーも召し上がりますもんね」

「お前はミルクと砂糖を入れるけどな」

「わたしのことはいいんです」


 甘味を入れないコーヒーだって、最近は飲めるようになってきている。

 ちびちびとゆっくり時間を掛けてだけど。それを見たルカに「冷めている」と呆れられたのはつい昨日の事だ。


「そういうお前の好きなものは?」

「そうですねぇ……やっぱり双子の焼いてくれるパンでしょうか。あとディエ様が前にお土産にしてくれたイチジクのタルトも美味しかったです」

「甘いものの方が好きそうだな?」

「以前は甘いものなんて、ほとんど口に出来ませんでしたから。恥ずかしながらお料理の名前も、ルカとリオに聞きながら覚えはじめたくらいです」

「子爵家ではちゃんと食ってたのか?」


 ミネストローネにスプーンを入れながら、わたしは小さく頷いた。

 スプーンで掬ったスープを口に運ぶとトマトの酸味が口に広がる。そのあとには甘さが来るのは野菜をしっかり煮込んでいるからかもしれない。

 角切りになった沢山の野菜がスープの中でゆらゆらと泳いでいる。


「食べていましたよ」

「三食しっかりと、ちゃんとしたものをか?」

「……わたし、ディエ様に嘘はつきたくないのです。問われたら、ディエ様の耳に不快だとしても答えなければなりません」

「……それで大体わかった」

「瘦せ衰えたりはしませんでしたよ」


 それだけ言うのが精いっぱいだ。

 食事を抜かれることもあったけれど、大体は食べることが出来ていた。下働きの身分だから粗末なものではあったけれど、生きていくのに不足はない。


「お世話になってから、美味しいものをたくさん頂きました。正直なところ、以前の食生活をほとんど忘れてしまったくらいです」

「ルカとリオになんでも作って貰え。それでお前の好きなものを増やせばいい」

「ふふ、ありがたいお話です」


 二人の作るものはなんでも美味しいから、なんでも好きになってしまいそうなんだけれど。

 でも……神域で食べるご飯が美味しいのは、もちろん二人の料理の腕もあるんだけど、皆で同じ食卓を囲むというのも大いに関係していると思っている。


 もう手を伸ばしても届かないと思っていた賑やかな食卓。

 和やかな雰囲気、楽しいお喋り。一緒に作って、一緒に片付ける。それが嬉しくて、余計にご飯が美味しくなっているんじゃないだろうか。


「ディエ様のお好きなものも、増やしていきましょうね」

「……おう」


 お魚を丁寧に切り分けていたディエ様は、ちょっと笑って頷いてくれた。

 穏やかで美味しい時間。それをディエ様と一緒に過ごせていることが、なんだかとても嬉しかった。

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