8.イチジクのタルト

「ねぇルカ、ここは……どうやってするの?」

「シャトルをこの糸の下に潜らせる」


 優しい風が吹き抜ける中庭の一角に建てられた東屋で、わたしはルカと一緒にレースを編んでいた。

 風と遊ぶ花びらがわたし達の手元で休んでから、また風と共に飛び立っていった。


 ルカに教えて貰った通りにシャトルを動かすと、綺麗な結び目が出来る。これを繰り返せば手本としている編み図のように、綺麗なレースになるはずだ。


 趣味がない……なんてことを、掃除の合間に二人に零したことがきっかけで始まったレース編み。

 ルカの得意な刺繍だったり、リオの得意な切り絵だったり、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、色んなことを試させて貰った。そんな中でも、わたしが一番楽しかったのがこのレース編みだったのである。


 それからというもの、二人は趣味を楽しむ時間を作ってくれるようになった。

 わたしと一緒にレース編みをしたり、それぞれの好きなことをしたり。その場に時々ディエ様もいらしてはお茶を楽しんだり日向ぼっこをしたりしていく。

 そんな優しい時間を過ごして、わたしがこの場所──それから、三人の事を慕う気持ちが強くなっていくのは当然のことだったと思う。



 編み目を爪の先で数えていると、カラカラと独特の音が耳に届いた。

 そちらに目をやると石畳が敷かれた道をカートが近付いてくるのが見える。あの独特の音は車輪の音だろう。


 もちろんカートが独りでに進んでくるわけではない。カートの持ち手部分にはちょこんと小さな手が添えられていて、押してきているのはリオだった。

 カートの脇から顔を覗かせたリオはにこにこと笑っていて、つられるようにわたしの頬も緩んでいく。


「お茶にしよう」


 その声に頷いたわたしとルカは、それぞれ籐の籠に道具をしまってテーブルの上を片付けた。

 丸いテーブルに掛けられるのは深い青色のクロス。皺ひとつないそのクロスはまるで晴れた日の空みたいに美しい色をしている。


「今日はコーヒー?」


 大きなポットからは湯気と共に、煎った豆の匂いがしている。

 あんなに苦いのにどうしてこんなに心地のいい香りがするのだろうと、いつも不思議に思ってしまう。


「安心していい、ミルクも用意してある」

「お砂糖も入れるといい。甘くて美味しい」


 ミルクがないとコーヒーが飲めないわたしの事を、二人はよく分かっているらしい。

 リオは三人分のカップに真っ黒なコーヒーを半分ほど注ぎ、ルカがミルクを入れてくれた。それからお砂糖ポットから角砂糖を二つずつ。


「今日は二人も甘いコーヒーにするの?」

「甘いものが飲みたい気分」

「甘いものは落ち着くから好き」


 どうぞ、とわたしの前に用意されたコーヒーは柔らかな色合いになっている。添えられていたスプーンでゆっくりと掻き混ぜると、スプーンに触れていたお砂糖が溶けていくのが分かった。


 スプーンをソーサーに置いてから、両手でカップを包み込む。お行儀が良いとは言えないけれど、温かさが手の平いっぱいに伝わるのが好きなのだ。

 ふぅふぅと少し吹き冷ましてから一口飲む。まだ熱いけれど飲めないほどじゃない。ミルクとお砂糖のおかげで甘くって、でもその後にほんのりとした苦みもある。それがなんだかとても美味しく感じた。


「美味しい」

「良かった。今日はタルトもある」


 ルカが切り分けてくれた大きなタルトには薄切りのイチジクがお花のように飾られている。綺麗な焼き色がついたタルトは見るからに美味しそうだった。


主様ぬしさまからのおみやげ」

「ディエ様は街に行ってらしたの?」

「そう、買い出し」


 わたしの問いに答えたリオはフォークで一口大に切ったタルト……いや、一口で入るのかと思うくらいの大きさだった。入るのかと心配したのは杞憂だったらしく、いつもよりも大きな口を開けたリオは気にした様子なく食べている。


「美味しい」

「美味しい」


 見ればルカも同じようにして食べていて、二人は揃って顔を綻ばせていた。

 そんなに美味しいのかと、わたしも……いつもよりも気持ち大きめにタルトを切った。大きく口を開けてタルトを頬張ってみる──うん、美味しい。


 サクサクのタルト生地に……このクリームは何だろう、ナッツのような風味がする。焼き上げているにも関わらず、イチジクもまだ瑞々しい。


「とっても美味しいわ」

「また主様に買ってきてもらおう」

「それがいい。このタルトは美味しい」


 それは何だか申し訳ない気持ちになるけれど、また食べたいと思うのはよく分かる。それくらいに美味しいタルトだった。

 柔らかな味わいのコーヒーによく合っているからだろうか。


「このタルト……ディエ様は召し上がらないのかしら」


 三人で食べるのも美味しいけれど、折角だからディエ様にも召し上がって頂きたいと思った。買ってきてくれたのはディエ様なのだから。

 そう思って零した呟きに、リオがゆっくりと首を振った。


「誘った。でも食べないって」

「そうなの……残念ね」

「クラリスに食べて貰いたくて買ってきたのだろう」

「クラリスが喜ぶと思って買ってきたのだろう」


 二人の言葉にタルトが喉に詰まりそうになってしまう。何とか飲み込んだあと、コーヒーを飲み干してやっと一息つくことが出来たけれど……いま、二人は何と言ったのか。


「わたしの為に……っていうこと?」


 言葉にするにも少し勇気がいる。

 だって、そんなの……大事にされているみたいで、ドキドキしてしまうもの。胸の高鳴りが合図となったかのように、頬が熱くなっていくのが分かる。

 手の甲を頬に当ててみるとやっぱり熱い。


 ドキドキしてしまっているわたしを気にすることもなく、二人はぺろりとタルトを食べ終えてしまった。二つめをお皿に載せて、またフォークを手にしている。


「主様はクラリスを褒めたいのだろう」

「主様は言葉に出来ないのだろう」

「褒めたい?」


 わたしもまたタルトを食べようとしたのだけど、どうしても二人の言葉が気になって手が止まってしまう。

 褒められるような何かを出来ただろうか。


 わたしは元の場所に送り届けてくれると言う厚意を断って、無理を言ってここに置いて貰っている身だ。迷惑になれど褒められるようなことはないのでは?

 この場所にお世話になって一か月も経つのだから、だいぶこの二人やディエ様との距離も近付いたとは思っているけれど……。


「クラリスは頑張っているから」

「クラリスはいい子だから」

「そんなことないわ。……出来ないことばかりだし、そんな、褒められるようなことは出来ていない」


 ルカとリオ、二人の手に掛かればこの神殿の掃除や手入れもあっという間に終わってしまう。わたしが増えた分だけ食事の世話などやる事も増えただろうに、二人は表情を変える事なく諸々を片付けてしまうのだ。

 そんな二人についていくだけで精いっぱいの一か月だった。正直なところ、わたしが居るからといって、二人が楽になるかというとそうではない。それは自分でも分かっている。


「最初から出来るわけはないだろう?」

「出来なくても出来るように頑張っているだろう?」


 二人は同じ角度に首を傾げながら、優しい言葉を口にする。

 その言葉に憐れみも偽りもなく、思ったままに口にしている。そう感じ取ることが出来るくらいに優しくて、真っ直ぐな声だった。


 わたしのことを認めてくれている。

 ディエ様もわたしが頑張っていると思ってくれている。


 それなら──もっと応えたいと、そう思った。


「……ありがとう。わたし、もっと頑張るわ。だからこれからも、よろしくね」

「もちろん。でもまずはタルトのお代わりだ」

「クラリスはもっと太らなければ」

「ここにお世話になってから、だいぶ肉付きも良くなったんだけど」

「まだ足りない。もっと食べなければ」

「まだ足りない。もっと膨らませなければ」


 膨らむとは。

 そんなやりとりも楽しくて、気持ちがふわふわしてしまう。


 フォークに載せたタルトをまた一口食べる。

 さっきよりもイチジクが甘酸っぱく感じられて、胸の奥がぎゅっと締め付けられるのはどうしてだろう。



 お茶を楽しんだあと、広間のカウチでごろごろしていたディエ様に、心の底からお礼を言った。これでもかとばかりに感謝の気持ちを口にしたのに、返ってきたのは「うるせぇ」の一言だけ。

 それでも、尻尾がぴんと立っていたから、きっと嫌がってはいないのだろう。尻尾で分かるディエ様の機微については、リオに教えて貰ったんだけど。


 だからもっともっと、感謝だとか慕っていることだとか、気持ちのままに言葉を紡いだ。

 ディエ様は起き上がったと思ったら、背中を向けるようにしてまた寝転がってしまう。「うるせぇなぁ」なんて口にして。


 でも、わたしの前からいなくなったりしなかった。

 うるさいと言いながらも、ずっとわたしの言葉を聞いてくれていた。


 それが嬉しくて、やっぱりまた──胸の奥がぎゅうっと詰まった。

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