4.自室ではじめて見た夢は

 わたしに用意された部屋はとても立派なもので、本当にここを使っていいのかと足が震える程だった。


「こんなに立派な部屋じゃなくても、物置とかでもいいんだけど……」

「クラリスはここで働くのだろう?」

「クラリスは物じゃないだろう?」


 リオとルカは揃って不思議そうに首を傾げている。

 今朝までいた子爵家では物置を使っていたから、自分の感覚も少し鈍っているのかもしれない。


 一人で使うには広すぎるほどの部屋は、白い壁に映える淡い緑色のファブリックで揃えられた部屋だった。

 差し色なのかわたしの瞳のような赤紫のクッションや小物が置かれている。


 部屋の真ん中には白いソファーと丸いテーブル。足元には薄い緑色のラグが敷かれていて気持ちがよさそうだ。

 小さな棚には中庭に咲いていたのと同じ花達が飾られている。


 扉は二つ。

 一つはお風呂などの水回り。もう一つは寝室で、クローゼットもこちらの部屋に用意されているようだ。


 ルカに促されてクローゼットの扉を開くと、そこにはお仕着せだけではなくて、街で流行りの形をしたワンピースもたくさん掛けられていた。それ以外にも必要なものは揃っている。クローゼットがこんなに満たされているのは、初めてかもしれない。


「……これ、どうしたの?」

「リオとルカに任せればこれくらい余裕」

「リオとルカは優秀」

「あなた達が優秀なのはよく分かっているつもりだけど……二人とも、ずっとわたしと一緒に居たじゃない?」

「内緒」

「内緒」


 悪戯っぽく笑った二人は、種明かしをしてくれるつもりはないようだ。

 こんなにも素敵な部屋に、色々用意してもらって。返せるものがないのだけれど、どうしたらいいのだろう。


「わたし、払えるものがないんだけれど……」

「明日から働く」

「明日からは忙しい」


 労働に励めばこれらの対価になるだろうか。

 わたしはぐっと両の拳を握り締めて、二人の事を交互に見た。


「何でもするわ。どんどん使ってね」

「期待してる」

「でも今はこっちに」


 瓜二つの笑顔を見せる二人は、わたしのことを部屋のソファーへと座らせた。座らせたかと思えば横になるよう促して、わたしの体にブランケットを掛けてしまう。

 葡萄色のクッションを頭の下に押し込んで、これではまるでお昼寝するような体勢だ。


「えーと……?」

「夕食までまだ時間がある」

「夕食が出来たら呼びに来る」


 夕食。

 それなら支度があるだろう。わたしが来たことで、手間も増えてしまうのかもしれない。

 そう思って起き上がろうとするも、二人がかりでわたしの事を押さえつけてくるものだから身動きが取れない。背丈もわたしの半分ほどしかない幼い姿なのに、どこからそんな力が出てくるのだろう。


「明日からは忙しい」

「今日だけは休む」

「でも……」


 働きにいく二人を見送って、自分だけがお昼寝するなんて心苦しくて出来そうにない。

 困ったわたしが言葉を探していると、二人はにっこりと笑って見せた。まるで花開くような可愛らしい笑顔に思わず見入ってしまうほどだ。


「クラリスは今日、頑張った」

「クラリスは今日、お役目を果たした」

「お役目……生贄のこと? それなら果たせていないけれど……食べて頂けていないし」

「主様は人を食べない」

「人の肉は主様の糧にならない」


 二人の言葉に目を瞬いてしまう。

 この国を守る神様は人を食べる事で力を奮えると、そう言い伝えられているのに。それが誤りだとしたら、いままでの生贄となって捧げられた人達は、一体何だったのだろう。


「人の世を離れて神域に飛び込むのは大変」

「あの裂け目に飛び込むのは勇気がいる」

「クラリスはそれを頑張った」

「クラリスはえらい。いい子いい子」


 自分よりも幼い見目の二人に頭を撫でられて、何だか泣きそうになるのはどうしてだろう。

 リオは頭を撫でてくれて、ルカはわたしの肩辺りをぽんぽんと優しく叩いている。

 昔、幼い頃に母がしてくれたような温もりを思い出すと今にも涙が溢れそうで、それを堪える為にわたしはぎゅっと目を瞑った。


 それがいけなかったのか、二人の優しい仕草に誘われて、わたしは眠りへと落ちていった。



 * * *


 目の前にあるのは三階建ての大きなお屋敷。

 扉を照らしている外灯にはごってりとした装飾が施されている。よく見れば外灯だけではなくて扉にも柱にも、似たような飾りがあしらわれていた。


 お屋敷の使用人に腕を引かれて中に入る。

 エントランスに居たのはわたしと同じ銀色の髪を持った男。その隣には派手な赤いドレスを着た女が扇子で口元を隠しながらわたしを睨んでいる。この女は男の妻だと知っている。

 二人の前に立っているのは、リボンやフリルで飾られたピンクのドレスを着た女。わたしよりも少し年は上だろう──わたしの、異母姉にあたる人。

 義母と同じピンク色の髪を巻いてリボンで飾っている。青い瞳は父譲りのものだろうが、義母と異母姉はとてもよく似ていた。


「ふぅん……これがあたしの異母妹いもうとねぇ」

「異母妹扱いなんてとんでもない。出荷するまでは使用人として使うんだから。メイドが子どもを産んだと聞いた時は憎らしかったけれど、何にでも使い道はあるものね」


 異母姉と義母はわたしの事を見て面白くなさそうに眉を寄せている。


 いま、この人達は『出荷』と言ったか。家族扱いなんてされたくもないけれど、まさか家畜と同等だとは思わなかった。


「お父様、この子の嫁ぎ先は決まっているの? お金を持っているところじゃないと嫌よ」

「いま見繕っているから心配するな」


 父はわたしを一瞥しただけで、異母姉の頭を愛おしそうに撫でている。

 会えば血の繋がりを感じる事が出来るかもしれない。そんな風に思っていたわたしを思い切り張り倒したい。

 

「顔だけはいいからきっと高く売れるでしょう」

「そしたら新しいドレスを買ってもいい?」

「もちろん。それに合うアクセサリーも揃えましょうね」


 義母と異母姉はもうわたしを売った・・・あとの話をしている。

 貴族の教養なんて欠片もないわたしが、売り物になるとは思えないけれど。


 それからわたしは買い主・・・が現れるまでの間、使用人として働く事になった。

 じめじめとした物置部屋を与えられ、ぼろぼろに擦り切れた捨てる間際のお仕着せを着るように言われた。


 そうして二か月が経ち、わたしの行く先が決まったのだけど……まさかそれが、神様への生贄だとは思ってもいなかった。


 生贄を出す家へ支払われる支度金は、どの家に嫁ぐよりも莫大な金額だ。それから生贄を出したという名誉までついてくる。

 わたしという厄介者を処理することも出来るのだから、子爵家からしたらこれ以上ない出荷・・先だったのかもしれない。


 わたしは大きな裂け目の前に立っていた。

 そして──これが夢なのだと、まったく冷たさを感じない雪を受けながら理解した。

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