5.賑やかな食卓は目の奥を熱くする

 すっかり寝入ってしまっていたらしい。

 ぼんやりとした頭で上体を起こすと掛けていたブランケットが滑り落ちた。


 部屋の中はすっかりと暗くなっている。

 この世界の夕陽も見たかったのだけど、また機会はあるだろう。それにしても寝すぎてしまった。こんなにもゆっくり眠ったのは久し振りかもしれない。

 何か嫌な夢を見た気がするけれど、思い出せそうにはなかった。


「……まぁいいか」


 ブランケットを畳み、部屋の明かりを探そうと立ち上がった時だった。コンコン、と軽やかなノックが響く。

 駆け寄った先の扉を開くと、そこに居たのは緑の瞳をしたルカだった。


「ルカ……ごめんなさい、すっかり寝入ってしまったみたい」

「よく眠れたなら良かった」

「今からでも手伝えることはある?」

「もう大丈夫。明日からはお願いする」


 ルカの先導で廊下を歩く。

 この先には食堂があるはずだ。昼に案内をしてもらった事を覚えていられたことに心の中で安堵した。


 回廊は夜気に包まれている。

 柱に付けられた燭台には炎が灯されていて、ゆらゆらとした明かりがわたし達の影を揺らしていた。


 辿り着いた食堂の扉をルカが開く。

 大きな真四角のテーブルには料理が所狭しと並べられていて、人の姿をとった神様とリオが席に着いていた。


「遅れてしまってすみません」


 神様は何も言わず、ただ小さく頷くばかり。

 というか……わたしはここで食事を頂いていいのだろうか。


 神様と、同じテーブルにつくの? リオとルカは神様と一緒でいいだろうけれど、わたしは今日ここに来たばかりで、無理を言って置いて貰っている立場で……。


 そんなわたしの葛藤を読んだかのように、ルカが椅子を引いてくれる。

 恐る恐るそれに腰を掛けると、わたしの左隣にルカも座った。右隣にはリオが座り、正面には神様が居る。


「今日はご馳走。頑張った」

「今日はご馳走。クラリスが来てくれたから」

「わたしの為に……?」


 自分の為にご馳走を用意してもらうなんて、久しぶりだと思った。母と暮らしていた時は、誕生日はご馳走だったけれど。

 もうこんな嬉しい食卓もないと思っていたから、なんだかとても嬉しかった。


「さて、食うか。それにしても随分作ったな」

「クラリスはもっと太らなくては」

「クラリスはもっと肥えなくては」

「なんだそりゃ」


 フォークを手にした神様が低く笑う。

 穏やかな食卓に表情が綻ぶことを自覚しながら、わたしは両手を組んで額に当てた。


 ──慈しみに、恵みに感謝を捧げます。

 神よ、恵みがわたし達の体と魂を支える糧となることにどうか祝福を。わたし達の心はいつも神と共に──


 食事前のお祈りを捧げてから組んでいた手を下ろすと、三人がわたしのことを真っ直ぐに見つめていることに気付いた。

 その視線があまりにも強いものだから、一体何があったのかと首を傾げると神様が笑った。


「くく、っ……そうか、祈りか」

「……神様を目の前にして、神様への祈りを捧げるのも不思議な感じがします」

「クラリスの祈りは気持ちがいい」

「クラリスの祈りは真っ直ぐだから」


 リオとルカは機嫌よさげに笑っている。神様も不快に思ってはいないようで、安心してしまった。


「さぁ、いっぱい食べるといい」

「好きなものがあるといいが」


 双子はわたしの顔を見ながら、食べるように促してくる。

 ありがとう、と言葉を返してからナイフとフォークを手にして、お皿に向き合った。


 最低限のマナーを子爵家で教え込まれたけれど、綺麗な所作が出来るかは分からない。それでも目の前の食事が美味しそうで、手をつけないという選択肢は無かった。


 赤ワインで煮込まれたようなお肉には、にんじんとブロッコリーが添えられていて見た目も綺麗。一口大に切って口に運ぶと、ほろほろと解けるような食感に目を瞬いてしまった。

 とても柔らかく煮込まれたそれは、牛肉の旨味が口いっぱいに広がるようでとても美味しい。


「すごく美味しい。こんなに美味しいお肉は初めて食べたかもしれない」

「それは良かった。パンをソースに浸すとまた美味しい」

「パンも綺麗に焼けた。ルカが焼いた」


 双子は嬉しそうに笑うとパンの籠をわたしの前へと置いてくれる。綺麗な焼き色のついた丸いパンをひとつ頂くと、まだほんのりと温かい。

 半分に割ると湯気が立って消えていった。


 もう少し小さく千切って口に入れると、表面はぱりぱりとしているのに中は柔らかくてもっちりとしている。少し甘くて、これも美味しい。


「美味しい。ルカはパンを焼くのが上手ね」


 先程リオに勧められたとおりにパンをソースに浸してみる。みるみるうちにソースを吸い込んでパンの色が濃い葡萄色に染まっていった。

 食べてみるとパンの甘さとソースの旨味が相まって、震えたくなるくらいの美味しさだった。


「リオの言う通りにしてみたらとっても美味しい。わたし、この食べ方が好きになりそうだわ」


 二人はそうだろうとばかりに、うんうんと大きく頷いている。

 そんな双子を見る神様の眼差しもとても優しい。


 そうだ、誰かと食べる食事も久しぶりだ。それに気付いてしまうと胸の奥から何かが込み上げてくるようで、それを誤魔化すようにとうもろこしのスープを飲んだ。


「娘、量は足りるのか」

「娘ではなくクラリスです。量はもう、充分過ぎるほどですが……」


 チーズとトマトのサラダをフォークでつつきながら、神様が声を掛けてくれる。

 低音が心地よいけれど、娘と呼ぶのは何とかならないだろうか。そう思って名前を口にするけれど、聞いてくれているのかも怪しいところだ。


「そうか。好き嫌いなどもあるだろうが、俺達には食事についてはよくわからん。何かあれば遠慮せずに言え」

「ありがとうございます……?」


 そうだ、もしかしたら……神様達は食事を必要としていないんじゃないだろうか。

 わたしの疑問を読み取ったかのように、神様が軽く肩を竦めた。


「別に食わないわけじゃない。食わなきゃ死ぬってわけじゃねぇけどな」

「じゃあわたしに付き合って下さって?」

「人は食わなきゃ死ぬだろ」

「それはそうですが……」


 改めてテーブルに並べられたご馳走を見る。

 わたしの為に作ったものを、わたしが一人で食べなくてもいいように付き合ってくれたのだ。その心遣いが嬉しくて、目の奥が熱くなる。

 瞬きで涙を誤魔化しながら、わたしは笑って見せた。


「ありがとうございます」

「礼なら双子に言え」

「リオもルカも。ありがとう」


 わたしを見つめる双子にお礼を口にすると、気にするなと言わんばかりに頷いてくれている。

 その青と緑の瞳が優しくて、また涙が零れてしまった。



 賑やかな食事のおかげなのか、それともゆっくりとお風呂に入れたからなのか。

 それとも寝具がふかふかで、いい匂いがしたからかもしれない。


 眠る前のお祈りを済ませたわたしは、ベッドに横になるとすぐにうとうとと眠りに落ちそうになっていた。

 あんなにお昼寝をしてしまって、今日は眠れないかもなんて思っていたのが嘘みたいだ。


 朝にはこの世界にさよならを告げたはずなのに。

 こんなにも優しくて暖かな場所に入れてもらえるとは思ってもみなかった。


 明日からは頑張ろう。

 神様のために、双子たちのために、自分が出来る事はなんでもやろう。


 ふぁ、と大きな欠伸をしたわたしの意識が沈んでいく。

 どうか、夢なら覚めないでいて。心からそう願った。

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