第6話 呪法師 2
その頃、シーカに銜えられた祈はへとへとだった。シーカが暴れ回って、光のシールドを割ろうとしているのだ。
――それは剣が”殻”と言っていたものだったが、この場の人間にとっては初めて見るものだった。
牢の力で重くなった体も相まって、祈の体力を奪っていく。
「うぅ……、もっとだ!」
それでも祈は歌を途切れさせない。
『……何だ? この殻は』
雷がさらに溢れて、殻にミシミシと亀裂が入っていく。
「まさか、さらに力を秘めているってのかい」
雷撃に曝された牢。メーターはとっくに振り切って、許容量を越えている。上がっていく空気の温度。焦げついた匂い。
『……もっとだ、シーカ……』
『…………?』
エイの声は、恍惚とした色をしていた。
『祈、もっと歌うんだ!』
「何言って……。――っ。力が……膨れ上がって――!!」
シーカの稲妻が弾け飛び、車を襲った。
「――――!!」
理が崩れ落ちて、車外に転がった。
牢の駆動音が止み、ランプが完全に消えた。車の窓にはひびが入っている。
可視化装置が映すシーカの姿も、かなりノイズが混じるようになっていた。
「と、止まった……」
体に感じていた重さが消えた。牢の影響がなくなったのだ。
雷を受けてノイズを出していた投影機が回復する。
『――。理っ、理っ!?』
道に倒れて動かない理。ビビの呼びかけにも応じない。祈は茫然として、やがてかたかたと体が震えた。
「祈!」
振り返ると、晶が立ちあがっている。祈は涙が込み上げてきた。祈が頼れる唯一の味方……。
「――ッ」
涙を堪える。牢は止まったが、未だにシーカに銜えられているのだ。
「待ってて、祈……」
晶はグローブをはめた。天牢で会った時に着けていた黒いグローブ。よく見ると甲の部分に、素材の違う黒で複雑な模様が象られている。模様部分はシーカの発光を反射して艶めいていた。
「だああぁ!」
「だめ!」
晶がジャンプして、頭上で拳を構える。雷のオーラは解き放ったばかりで薄いが、それでも先程晶が倒れた時と同じ程度は避けられない。
それに、――人はシーカに触れられない。
しかし、晶の拳はシーカの横面を殴り飛ばした。
「――!?」
通らないと思って避けなかったシーカは首を捻った。晶は身を翻して地面に着地する。
「そのグローブ……」
晶のグローブがオレンジの炎を纏っていた。
『あの子っ、普通じゃない!』
『妖と戦う武器を持っている……?』
ビビとエイは驚き、そのグローブに注目する。
もう一発、晶はシーカの下に潜り込み、全力でアッパーを放った。
――だが、
今度はシーカはビクともしない。当たりはしたが、パンチの重さがまるで足りなかった。
シーカが回し蹴りして、晶は投げ飛ばされる。近くにいた理も巻き込まれて、同じ方向に飛ばされた。
『触れて、雷のオーラへの耐性もあるようだが、パワー不足は補えていない』
それでも晶は立ち上がった。よろめきを抑えて、シーカと対峙する。晶の目は、退く気配がない。
シーカがまた晶に向かった。
「やめてえぇ――!」
――晶、晶、晶晶晶……!!
「やあぁ――!!」
ふいに、体が浮遊感に包まれた。
「……! また……、さっきのワープ!?」
祈の周りに、ひらひらと着物がはためくのが見えた。先程よりも大きく広がって、花のように揺らめいている。
その光に巻き込まれて、シーカの動きも止まっている。
いい。どこでもいい。晶に手を出されない場所へ――。
「飛んでけえ――!」
祈から天へ、光が立ちあがる。辺りを覆う光が、柱となって雲を貫いて照らしている。光は幾重もの細い光線でできていて、規則的な綾を描くそれは、全体で見ると橋のようだった。
浮遊感が大きくなる。光も大きくなり、周りが見えない。引っ張られるような感覚があるが、どの方向へ向かっているのかも分からない。
外からは、空に延びた光の橋の根元が膨らむ様子が見えた。
「祈!」
晶は光に駆け込んで、手を振り回して物体を探した。けれど何も当たらず、反対側に出てしまった。
光は、橋を一気にスライドして射出されていく。
『祈!』
『シーカ……!』
ビビとエイが叫ぶ。
光が射出されると、その柱は細くなっていき、やがて消えた。
跡には、祈もシーカも理もいなくて、晶だけが茫然と立っていた。
「…………。! 祈っ、祈――!」
晶は祈がまたどこかに飛ばされたと考えて、大声で呼びながら走り出した。一緒に飛ばされたのはシーカと理。どちらも敵だ。早く見つけなくては。
「祈――!」
晶は公園の木々を突っ切って探しに走った。
その表情は、不安に染まっていた。
岸には、車と、投影機に映る二体が残されていた。
『また公園内かな』
『予想がつかない』
あの光が全て妖気だとしたら、とてつもなく遠くへ行くことも可能に見えた。
『どうする? 車運転する?』
『ああ、出口に向かう。だがすでに警察の目をかいくぐるのは不可能そうだ』
エイもビビも今夜の追跡は諦めたのか、淡々とした様子に戻っていた。
『じゃあ、ちょっと便宜を図ってもらおうかなっ』
ビビは通信相手を呼び出す。
『私は祈といた相手を調べて、何か情報を――。――ミッシング……?』
あるはずの情報が見当たらない。祈と一緒に行動していた――誰か。
エイが戸惑っていると、
『祈が歌ったら忘れるんでしょ? 消去しといたよー』
とビビが言った。
『…………。ああ』
エイは少し沈思して、頷いた。
『よしっ、警察を配備しない道を用意してくれるって。公道に出るには運転手いないと目立つよね。社長室の誰か近くにいる?』
『一人はこの島に着いて――』
突如、エイとビビの映像が途切れた。
「……プロジェクターか。ミサキの会見で見たことがある」
上質なスリーピースのスーツに身を包む青年。彼の指が、投影機の電源を落としていた。
そして手慣れた動作で運転席を探り、電子制御を切って、機械制御のみに切り替えた。これでミサキの社長が通信網から乗り込んできたり、位置情報を取られることはない。
「ワンスイッチでできるよう改造してある。悪い客だ」
青年は笑いを含みながら呟いた。
「こちらの機材は……センサーか。光や振動の他に何でも入れているな。それと、照射装置か? これも複数。ふむ……」
ゆっくりしていると警察が来てしまう。青年は後部ハッチを閉めた。携帯を手に取り、どこかに連絡を取る。
「航行は予定通りか? では旋回する時、西に見える島にギリギリまで近づけてくれ。止まらなくていい。それとランプウェイを開いておいてくれ」
青年は運転席に座り、発進する。窓がヒビ割れたり内装に焦げた部分があったり、少し乗り心地が悪いが、走りには影響ない。
「さすが我が社の製品。頑丈だ」
歩道の先は海。車はスピードを上げ続ける。
前方に巨大なフェリーが通った。旋回して船の後方を見せている。そこにある貨物の積み込み口が、全開になっていた。
――車は水上へとジャンプした。
「今夜の解体は、実に興味深い」
そして船へと着地し、積み荷の狭い隙間を上手く縫いながらブレーキした。同時に、積み込み口が閉まっていく。
誰にも見咎められないまま、ミサキの車と装置は警察の包囲を抜け出した。
フェリーには、”Butcha《ブッチャ》”のロゴが大きく描かれていた。
一方、対岸。
剣と潮は暗い水底を覗き込んでいた。
「妖気が沈んだ……。やったのか」
「妖気の流れを断ったのでダメージは受けたでしょうが、眠りについただけですよ。完全に調伏しますか?」
「いや、簡単に起きないようならそれでいい」
剣は姿勢を起こした。
辺りを確認して、もう一人、少年がいることに気づいた。
「銀河様、水が掛かりませんでしたか」
潮と同じ詰襟姿。褐色肌の少年が近づいてきた。通学鞄からタオルを取り出し、心配げな表情で差し出す。
「いや、一滴も掛かっていない」
「そうですか。さすがです」
目を細めて嬉しそうに微笑んでいる。
「桜様はいかがでしょう。……失礼、私、銀河様に仕えております
剣に大しては明らかに事務的な声音になった。
「お屋敷で見掛けたことはあります。タオルは結構」
ところどころ濡れたが、水を吸って重く感じるほどではない。
「銀河君、助かったよ。潮の屋敷から駆けつけてくれたのか」
「いえ、学校帰りです。車で通りかかったら停電があって、小物の妖が騒いでいたので様子を見に」
ここからもう少し南に、潮御殿への橋が掛かっている。そこへ向かっていたようだ。
潮は名門である
その校章が彼の襟についているが、潮の胸元にはそれよりもはるかに目立つ胸章があった。潮家の家紋を装飾化したものだ。背中にも大きく入っている。
詰襟の前合わせを留めていないため、海風に裾がはためいている。中のYシャツは青と銀のツートンカラー。髪型も派手に遊ばせている。名門といえど、潮家の跡継ぎが制服を改造することを止められないようだ。
筒見が模範的な着こなしなので、潮の派手さがさらに目立つ。
だがその姿は、潮の華やかな顔立ちと自信に満ちた表情によく合っていた。
「……りー……、祈――……」
対岸から子供の声がした。
「晶か!?」
探していた相手の声に、剣は安堵とともに、駆けつけなければと気持ちが急いた。
「ここで失礼する。また後日改めて」
「土産話、お待ちしています」
剣は桜の配下へ通話しながら、その場を離れていった。
「
「はい、銀河様」
二人は一つ向こうの通りに止めていた銀色の車に乗った。
「屋敷へ」
筒見が告げると、運転手は車を発進させた。車の流麗なボディラインに、街の瞬きが反射する。
ッ――。
潮が指を弾くと、多少あった騒音がほとんど聞こえなくなった。術で後部座席の音の出入りを制限したのだ。これで銀河達の声は、運転手には聞こえない。
「桜に”蛇”を見られましたね」
「興味はなさそうだったから問題ない。水無川なら見破ったかもしれないが、いなくてよかった」
「子供ですが水無川の次男が東京に来ているようです」
「あれは呪法師としては物の数ではない」
潮は冷淡に言った。
「ともあれ、今回の件、水無川の有力者が調査来る可能性がある。その前に”蛇”に目隠しの術を施そう。しばらく学校は休む」
「分かりました。お供します」
「ああ。”蛇”を渡すわけにはいかない。あれは俺の手駒だ」
「はい」
筒見は深く頷いた。
「ところで明日は楽しみにされていたゲームの発売日ですが」
「……! ……一時間だけプレイする」
「ではご用意しておきます」
「対戦に付き合え」
「喜んで」
筒見は携帯のスケジュールアプリを操作し閉じる。
車は潮御殿へと繋がる赤い橋に入った。そこから見下ろす街は、停電から復旧して煌めいていた。
「……それにしても、いままで目覚めの気配すらなかった”蛇”が、なぜ目覚めたのでしょう」
「それだけではない。”奈落”であいつも唸っているのが聞こえる」
「……!」
筒見が怯えた表情になった。暗い海に目を落とす。
「
「さて、一体”何に”反応したのか」
潮御殿の門が近づいてくる。
篝火に照らされたその下で、人間の他に、一部の者しか視認できない者達――物の怪が覗いていた。
そして潮騒の向こうから、低く不気味な音が響いた。
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