周囲の茎を折ったせいか、草植物の青いにおいがより強く立ちこめる。


 顔をしかめて足元を振り返ると、なにかの石を蹴り転がしたのだと知った。

 虫に気を取られて、足元がおろそかだった。見れば、大きな石は膝小僧に届かないほどの高さの、長細い楕円型をしている。

 接地面が少ないせいか、ぶつかっただけで四角い土台から落ちて横倒しになったらしい。古いものらしく、わずかに緑がかった灰色の砂岩の表面に、うっすらと人の像らしき形がふたつ並んでいるのが見て取れた。


 まずい、と思ってもとに戻そうとしたが、重くて持ち上がらなかった。

 どうしよう。でも、……どうしようもない。


 あきらめるしかない。しかたなくそのままにして先に進む。

 見上げれば植物に包まれた壁面や屋根は目に入るのに、なかなか近づけない。


 こんなに距離があったっけ?

 そう考えたとき、ふいに視界が開けた。

 一歩踏み出すと、足裏に固い平らなコンクリートの感触がある。


「あ……あれ?」


 ツル草が数本、這ってはいるが、きれいに掃除された建物の玄関口があった。急に目が晴れた気がした。


 二本の玄関柱が支えるひさしに、丸い白熱電球が取りつけられていた。見上げれば灰色の雲で覆われていた空が、いまはわずかに赤外線を含んだ色を含み、雲もなく澄み渡っている。


 玄関は、横に滑らせて開く引き戸となっていた。模様の入った板ガラスが、古ぼけた木製の枠に嵌まっている。


 迷わず、引手に指をかける。 

 力をこめたが、意外にも抵抗なく左へと動いた。中の空間が開ける。

 年数を経て日焼けした、薄い茶色の壁に囲まれた玄関。タイル状に削った黒灰色の石がコンクリート張りの床にくまなく敷き詰められ、両側の壁にも膝丈まで貼られている。

 玄関横の窓から外光が斜めに射し込み、明るい筋を作りだす。

 土間の上に日だまりが落ちていた。細かな塵が照らし出され、ふわふわと舞っているのが見えた。


 いざなわれるように玄関の下枠をまたぎ越え、一歩を踏み入れる。


 左側に靴箱がある。天板に花瓶がひとつ、レース編みの丸い敷物の上に置かれている。赤紫と青の小ぶりなあじさいが生けてある。

 どうやら靴を脱ぎ、上がりかまちでバランスを取ろうと皆が右手をつくらしい。壁の一カ所がうっすらと汚れていた。


 しん、と静まり返る玄関の土間に、時計が秒数を刻む音がやけに大きく響いて聞こえる。廊下の奥にある部屋から聞こえてくるらしい。


 かなり古い家の造りだが、きちんと掃除が行き届いている。飲んでいた息をそっと吐き、深く吸い込んだ空気は清々しかった。

 居住者の往来で磨かれた床板が、鈍く飴色に光っている。

 外からは想像できない光景にあぜんとしていると、よく通る女の人の声がした。


「——どなた?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る