新九郎 幕臣から戦国大名へ
家督返還に応じない
新九郎はお姉ちゃんと甥の
夜、寝入ったところに火矢を放ち、逃げられないようにしました。小鹿範滿は始めは誰から攻撃されているか分かりません。
かつて仲介役だった新九郎と知ると、幕府を敵に回す事になると観念します。最初から北川殿の催促に応じればよかったのに、おバカちゃんですね。
弟は援軍を要請しようとしますが、範満は自害。弟も自害。首チョンパされそれを確認した新九郎は、正統な後継者である龍王丸の家督を取り返したと勝鬨。
今川氏親は、新九郎によって完全に家督を相続することができたのです。
新九郎はこの功績をねぎらわれ、今川氏親より駿河国の
なんとこれをきっかけに、幕臣から戦国大名への道を歩く事になったのです。
京の政所執事から興国寺城の城主となった新九郎。
一国一城の主です。城から富士山は見えたのかしら? 官僚が県知事になった感じかしら? ん? 違うかしら。
そんな時にまた事件の知らせが届きます。それは、伊豆国(現在の静岡県東部)の
公方って何やねんって思いますよね。公方とは室町幕府の出先機関で関東と周辺国の12か国を統治する場所の事。字数の関係で端折ります。
さて、この足利政知には3人の男児がいました。長男の名前は茶々丸。ちゃちゃまる。可愛い名前ですよね。一度聞いたら忘れられないです。
そしてあと二人は潤童子と義澄です。この二人は母親が同じです。茶々丸の母親は亡くなったのか、後妻の子供です。継母は茶々丸をいじめました。
それが原因か分かりませんが、茶々丸はやんちゃ坊主。悪事ばかり働き父親も困って牢屋に入れてしまいます。嫡男なのに、長男なのに、冷遇されてさらに茶々丸はキレます。潤童子と継母を殺しちゃいました。
後継者になれないのはそういうとこだぞ! ツッコミのタイミング遅い。
茶々丸のぐれ方がダビデとアブサロムの関係みたくて泣けますけどね。知る人ぞ知る。
母と兄を殺された義澄は茶々丸のことが許せませんでした。そこで、新九郎に相談し、茶々丸討伐を命令したのです。命令です。新九郎はどうする?
足利義澄は主君ですから従うしかないですね。ヨシズミさん。覚えてるかしら。眉毛が濃くて、政治家だった人の息子さんで。あっ、違う。将軍です。
いずれにしろ、これが、1493年(明応2年)の伊豆討入りといわれています。
伊豆討ち入りは、それまでになかった画期的な戦法です。
それは、敵の兵士に向けて好条件を出して裏切るように仕向けること。
伊豆国領内で敵の病人を看護するなど善政を施します。これを喜んだ伊豆の武士や領民は新九郎側に寝返り、襲撃されて追い詰められた茶々丸は甲斐国に逃げ、匿われるも自害しました。
家督争いを鎮めるための戦であっても、新九郎の聡明さが勝利をもたらしました。茶々丸討伐を大義名分としながら国を盗るってすごいですね。
そんな中、新たに新九郎に国盗りの機会が訪れます。扇谷上杉氏と山内上杉氏の争いです。扇谷上杉氏側に付いていた新九郎でしたが、大将の死によって扇谷上杉氏側が衰退。
さらに、扇谷上杉氏が縁故にしていた小田原城城主の大森氏頼や、新井城城主の三浦時高までが相次いで死去してしまいます。新九郎はこの扇谷上杉氏の混乱を見逃さず、さらに上手く利用しようと画策しました。
まず、大森氏の治める小田原城を奪取するため、次代城主の
これが功を奏し、新九郎は小田原城の裏から奇襲をしかけて城を乗っ取ったのです。鹿が城内に入ったので勢子を入れたいと嘘をつき、松明を付けた牛を入れて城を火責めにした話は有名ですね。真実かどうかは分かりません。
けれど、小田原城まで奪取しちゃう新九郎。カッコいいです。のちに後北条氏は小田原城を拠点に活躍していくのです。
その後も各地を転々として領地拡大。新九郎はついに1516年(永正13年)に三浦半島の豪族・三浦氏を滅ぼし、相模国統一を果たします。
やばくないですか? 戦国大名の名に相応しい働きです。
次回、新九郎さまにインタビューしちゃいます。知る人ぞ知る。
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