第9話

 しかし、健一が内田かおると話をする時間が取れたのは、翌日の営業終了後のことだった。どうしたことか、朝から晩まで切れ目なく新規の客がつめかけて、リラクボックスを体験させてヒアリングするだけでせいいっぱいだった。健一と相談員に化けた内田かおるの他にホームレスの成沢と、夕方からは小学生の遠藤博樹まで動員して健一が作ったマニュアルに沿ってヒアリングを手伝ってもらった。ホームレスの成沢は長い髪を後ろでまとめ、無精ひげをそり落として支給された清潔な作務衣を着て、ちょっと仙人のような風貌だ。小学生の博樹はさすがにそのままでは手伝えないので奥の休憩室で顧客名簿やカルテの作成などを手伝ってもらった。電話の応対もこなしたようだが、もともとしゃべり方が大人びているので、受け答えは完璧だったらしい。

 ようやく営業時間が終わり、表の照明を落として奥の休憩室に四人が集まったのは午後十時過ぎだった。健一が実家の母親から持たされたまんじゅうの箱を開けて、熱い緑茶を入れた。

 しばらく無言でまんじゅうをむしゃむしゃ食べる音だけが響いていた。いち早くまんじゅうを飲み込んだ内田かおるが、ふたつめのまんじゅうに手を伸ばしながら言った。

「今日はふたりに手伝ってもらっても、いっぱいいっぱいだったね。これ以上増えたらもう無理。」

「あの、提案なんですが」と小学生の博樹が言った。「個人だけでなく、グループセッションのコースを作ったらどうでしょう。同じ時間でたくさんの人をさばけるし、料金を安めに設定しても、複数の人が同時に受けるから売上は減りませんよね?」

「なるほど!」

「それはいいね!」

「そうしよう!」

全員が一様にうなづいた。疲れ果てて考える気力がないのだ。

「じゃあ、ぼく帰りますね」と博樹は立ち上がった。

「こんなに遅くなって、おかあさんに疑われない?」と健一が尋ねると

「大丈夫です。ぼく、ここで勉強を教えてもらってることになってますから。ぼくの分のセッションは個人授業に決まったと言ってあるんです」

じゃあ、と博樹は帰っていった。若いだけあって元気である。

「そいじゃ、わしも帰るとするか」

ホームレスの成沢もどっこらしょとかけ声をかけて立ち上がった。

「あれ?成沢さん帰るんですか?ここに住むのかと思った」

「なにを言うか。わしはちゃんと風呂と布団のある所でしか寝ないんだ。」

成沢はそう言って帰っていった。さすが隠れ金持ちのホームレスは言うことが違う。残った内田かおるに、

「そういえばお前さ、寝るときはどこで寝てるの。毎回、あっちに帰るの?」と健一は空を指さす。

「上に帰るのは面倒なので、最近は、博樹君の部屋に泊めてもらうことが多いス」宇宙人は二個目のまんじゅうで口がいっぱいだ。いつのまにか受付嬢ではなく、元の灰色の宇宙人姿に戻ってしまっている。この姿でいるのが一番ラクなようだ。

「地球のいろんなこと、博樹君に教えてもらってるんです。だからほら、ぼくの地球人ぷり、板についてきてるでしょ?」

そうかなぁと首をひねりつつ、健一は昨日から気になっていたことを尋ねた。

「実家に帰ったら、駅にへんなものができていたんだ。高いタワーの上に展望台がついたようなもので、そこに時々、銀色の金属の乗り物みたいなのが来るみたいなんだ。新しい乗り物かもしれないけど、なんと線路らしきものが見あたらないんだよ、変だろ?それなのに誰も騒いでいないのも怪しいし。あれなにか知ってる?」

「ああ、新型リニモですよ、それ」

内田かおるが言うには、宇宙人がたくさん入植している土地では時々、宇宙人専用の未来の乗り物が設置されることがあるという。不可視シールドで本来は見えないはずだが、健一のように宇宙人とつきあいがある人間は自然と宇宙人の波動に同調して、シールドを通して向こう側が見えてしまう時があるらしい。建物などの遮蔽物がない既存の線路上の空間を利用して架線なしで水平に進むこの乗り物は、人間のリニアモーターカーに動き似ているので「新型リニアモーターカー」通称「新型リニモ」と呼ばれている。人間のリニモが磁気を利用しているのと違って、宇宙人のリニモは重力そのものを制御しているのだが、人間界にない道具なので命名不能なのだ。

「うっそー、まじかよ。あんな田舎の町になんでリニモなんか作ったんだよ。そんなに宇宙人がいっぱいいるってことか?信じられないな。いったい何をしてるんだろう。侵略か?」

「あはは、まさか。地球を侵略しても得るものがないですよ。資源もエネルギーも地球外でじゅうぶん入手できていて侵略は割に合いません。侵略するよりこうして観察しているほうがよっぽど学ぶものがあるんだって学校で習いました。」

「げ。観察って。おれたち昆虫か」

「昆虫よりは高度に進化してるので面白いですよ」

内田かおるはバカ正直に答える。

「やっぱり、ぼくたちと違って類人猿を祖先に持つ影響で、人間って変わった考え方やふるまいをするでしょう?それが面白くて、今、地球研究はブームなんです。健一さんの故郷にはきっとなにか、面白いものがあるんでしょうね。ぼくも行ってみたいなぁ」

「来なくていいから。宇宙人を実家に連れてくなんて絶対ない」

「けち!」


 教室では、博樹の提案を受けてグループワークのコースを新設したところ、さらに客足が伸びた。一人あたりの費用が三分の二ほどで済むこともあるだろうが、チームとしての成果を期待する企業からの問いあわせが増えてきた。健一は一定以上の人数がまとまれば出張講習も引き受けることにした。箱を持って出張するのだ。

 オープンから二ヶ月が過ぎた頃、健一は経理事務の必要性を感じ始めた。とりあえず今のところは、現金は毎晩持ち帰るが、マンションに置いておくのも不用心なので時々まとめて自分の銀行口座に入れていた。入った金はレジで記録しているし、出た金は領収書やレシートを保管していたが、これですべての金の出入りが記録されて収支の帳尻が合っているのかどうか自信が持てなかった。

 健一がそのことを相談すると、上島社長はすぐに税理士を手配してくれた。その日のうちに教室に現れた税理士は、人間よりねずみ男に似たうりざね顔のひょろりとした男で、高田と名乗った。

「毎週、立ち寄りますから、そのときにレシートや領収書をいただきます。売上のほうはレジの記録だけ見させてもらいますが、レジ以外で受け取った現金にはこの複写式の領収書を発行しておいてください。あとで記録を確認しますから。」

高田は、手回し良く教室の名前が入った領収書を一冊、手渡した。

「あとですね、銀行口座はどうなっていますか?運営主体は上島社長か、健一さんか、それともウエシマックスなのか、早めに決めていただいたほうがいいと思いますけど。」

「はあ。ぼく今のところ中央エージェンシーから給料をもらっている身分なので、そのへんはどうしたらいいのか…」

「まあ、なるべく早めに決めておいてください。」

これ以後、高田は毎週水曜日にやってきてレジを見て、レシートをまとめて持ち帰っていった。レジの現金は今までどおりに健一が自分の口座に入金した。今のところ、アシスタントは全員ボランティアなので、支払うのは、受付に飾る花や、トイレットペーパーくらいのものだ。金はどんどん口座にたまっていく一方だった。


 ある夕方。

 ヒョウ柄の短いパンツに十センチヒールの膝上ブーツをはいた金髪女が教室に現れた。舶来香水のにおいをぷんぷんさせて、キラキラ光る長い爪でコツコツと受付カウンターをたたいていた。健一が企業の出張セミナーに箱を持ち出しているので、リラクボックス体験ができないのである。

 受付嬢の内田かおるが、体験も含めてすべて予約制であることを説明するのだが帰る気配がない。「いいよ、待つから」と言って受付ソファーに足を組んで座り、爪の手入れを始めたのが二時間前。健一はなかなか戻って来ない。時刻は七時を回り、とっぷり日も暮れてしまったが、まだ箱は届かない。女はさすがに待ちくたびれたようで所在なさげだ。内田かおるが隣の喫茶店から取り寄せたコーヒーを勧めたところ、礼も言わずに口をつけた。

 もう十分待って箱が来なかったら、こっそり同じ箱をもうひとつ作ってしまおうとかおるが思った時、ドアベルがちりんと鳴って、プログラマーの藤岡拓真が入ってきた。

「いらっしゃいませ。あれ?藤岡さん、今日のご予約でしたっけ?」

「いえ、いえ、今日じゃないんですけど、急にちょっと、相談したいことができて…所長いますか?」

「あー、えーと、今出張中で…」と言ったところで、かおるはヒョウ柄女がじっと睨んでいるのと目が合った。「それで、こちらの方もずっと待っていらっしゃるんですよね、藤岡さん、すみませんが少しお待ちいただけますか?」

「あ、はい。わかりました。待ちます、はい」

藤岡君はポケットから折りたたんだハンカチを出して、額の汗をぬぐった。

「藤岡さんにアイスコーヒー、頼んできますね…」

受付嬢内田かおるは、隣の喫茶店に二度目の出前を頼みに行った。


 受付前のクリーム色のソファーにはヒョウ柄女が斜めに座って足を組んでいた。藤岡君がその隣に座れるはずがない。かといって、ぼおっと立っているのも変なので、藤岡君はどうしていいか困ってうろうろ歩き回った。ヒョウ柄女はその様子をずっと目で追っている。彼女の視線に気づいた藤岡君はさらに焦って滝汗を流す。ヒョウ柄女はそんな藤岡君の様子をじっくり観察して楽しんでいる様子だった。

「遅いな、かおるちゃん」

藤岡君が独り言を言った。その時、ヒョウ柄女が口を開いた。

「女だね。あんたの困りごと、恋愛関係でしょ。」

ハスキーな声で突然そう言われて、藤岡君は気の毒なほどおろおろしてしまった。

「なっ、なにを…ぼ、ぼ、ぼくは…」

動揺する藤岡君の前の受付カウンターに、ちりんとベルを鳴らして戻ってきた内田かおるがアイスコーヒーのグラスを置いた。

「ごめん、遅くなっちゃって。売れ残りのゆで卵でサンドイッチサービスしてって頼んでたの」

と、ラップで包んだサンドイッチの包みを添えた。そして同じものをヒョウ柄女の前のテーブルにも置いて、「よかったら召し上がってください。」とにっこり笑った。ヒョウ柄女が「ありがと」と言った。

 そこへ、ちりんちりんとドアベルが鳴って、健一と成沢が揃って入ってきた。

「遅くなってごめーん」

「いやぁ、盛り上がりました。すごかったです」

興奮したふたりに、内田かおるが目で合図した。顔を真っ赤にして泣きそうな藤岡君と、毒々しいピンクの唇でアイスコーヒーのストローをくわえてセクシーなポーズを決めたヒョウ柄女がそこにいた。


 内田かおるがリラクボックスにヒョウ柄女を案内している間に、健一は藤岡君の相談内容を聞くことにしたが、本人は興奮してしまってうまく話ができなかった。

「す、すみません、動揺が、おさまらない。あ、あ、あの、ぼく、リラクボックスに入らせてもらっていいですか、入ればきっと落ち着くと思うので…」

というわけで、藤岡君はヒョウ柄女と入れ替わりにリラクボックスに入ったのだが、ボックスから出てきたヒョウ柄女が「がんばれよっ」と背中をぽんと叩いたので、「ひゃぁ!」と声を上げて飛び上がった。内田かおると健一は顔を見合わせた。


 ヒョウ柄女の名前は、松尾里菜といった。

「RINAって名前でモデルしてんだよ。十代の頃は、ギャル雑誌のモデルでけっこう有名だったんだけど最近さっぱりでさ…。ねえせんせ、あたしをもう一度、売れるモデルにしてくんない?」

RINAは受付カウンターに肩肘をついて、健一のほうにみを乗り出した。セクシーというよりむしろ任侠系の姉さんっぽい。

「う、売れるモデル、ですか。はぁ…」

「なんだよ、てめえ、気の抜けた返事しやがって、やる気あんんのか、おら!」

ドスのきいた声で怒鳴られて、健一は目が点だ。あわててホームレスの成沢が割って入った。

「まあまあ、お嬢さん、そんなにどなったら美人が台なしだよ。この先生にまかせておいたら、ちゃんと、いいようにしてくれるから。とりあえずお試し三回コースで様子を見たらどう?」

年齢を重ねた成沢の深みのある声がこの時ばかりはRINAのハートに届いたようで、話しかけられているうちにだんだん落ち着いてきた。

「じゃあこちらの部屋で、お話をお聞きしましょ。それから、所長と相談して売れるモデルになる方法を考えましょうね」

RINAは成沢に導かれてカウンセリングブースに消えていった。


入れ替わりにリラクボックスから藤岡君が出てきた。呼吸も穏やかで汗もひいている。あの箱の効果で落ち着いたようだ。

「藤岡君、何かあった?」

健一が冷たい水のボトルを渡すと、藤岡君はぐいぐい水を飲んで深呼吸をひとつ。そして思い切って告白した。

「ぼく、好きな人ができちゃったみたいなんです。健一さん知ってるでしょ?小島かよさんってデザイナーの人」

がーん!

小島さんの名前を聞いた瞬間、まさに鐘が頭に落ちてきたような衝撃があった。健一はよろめいた。

「健一さん、大丈夫ですか」

「ああ、どうも…ちょっと疲れちゃって」

疲れているのは確かだが、小島さんの名前を聞いただけでこれほど動揺した自分が意外だった。

「前からきれな人がいるなぁと思ってはいたんですけど、新しい仕事の打ち合わせで今日初めて直接話をしたら、ぼく、なんだか突然、あ、この人だ…って、電気が走った感じになっちゃって。健一さん、そういう経験ありますか?」

「ええと、電気が走った経験は…ないんじゃないかな」

「ぼくこんなぶさいくな男だし、面白い話もできないし、ダメでしょうか」

「それは…」

反射的に「ダメに決まってるじゃん!」と言いそうになった健一はぐっと言葉を飲み込んだ。そして

「ダメかどうかはぼくじゃなくて、小島さんが決めることですよ」

と、なんとか模範解答をひねり出そうと奮闘した。

「…そうですか、そうですよね、あーだけどどうしよう、ぼくそんな大それたこと、考えたことなかったもん。そうか、ここで受けたヒーリングがぼくを変えたんですね、きっと」

「う、うん。そうだねきっと」

動揺がおさまらない健一にはコメントのしようもない事態であったが、藤岡君は胸の内を吐露できただけでずいぶんすっきりしたようだ。


 小島さんといえば、最後に会ったのはいつだっただろうか。オープン準備や、客が入らず暇だった時期には毎日のように会って教室の運営についてもずいぶん相談に乗ってもらっていたのだが、いつのまにか、朝から晩まで顧客対応に追われる状況になっていた。毎日、あっという間に時間が過ぎる。最近では、一日のほとんどを宇宙人の内田かおりとホームレスの成沢を相手に過ごしている。夕方からは小学生の遠藤博樹が加わるが、考えてみれば奇妙なメンバーの寄せ集めである。

 小島さんがここのスタッフでいっしょに仕事ができればいいのに。だけどおれには、小島さんに宇宙人のことを打ち明ける勇気がない。だって、どう説明したらいい? ぼく、公園で宇宙人に出会ってさ…。公園にあった箱は宇宙人が作った箱でね、穴をのぞくと宇宙エネルギーに触れて元気になるんだ。

 …って?

 言うの?まじめな顔して?

 無理だ。

 ばかじゃない?って言われるのがオチ。

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