第8話

 二人目の客は夜、やってきた。

 午後七時、息を切らせて教室のドアをくぐった彼は、色白で少し太めな体型で、形の崩れたスーツにノーネクタイ。黒いカバンを重そうに抱えていた。

「…」

「こんばんは。」

内田かおるがにっこりあいさつをしたが、彼は無言のままだ。

「ええと、今日は体験レッスンをご希望ですか?よかったらこちらのソファーにおかけください」

かおるが誘導して、彼をソファーに座らせた。このタイプには可愛らしい女子より男同士のほうが話しやすいだろうと思った健一はすぐに出て行った。

「いらっしゃいませ。ぼくが所長の松田健一です。いかがでしょう、いろいろご説明する前に、とりあえず一度、うちが独自で開発したリラックスボックスを試してみませんか?今、オープン記念キャンペーン中なので、無料で体験していただけるんですよ。よろしいですか?」

男性がうなづいたので、健一は彼を防音板で囲んだ小さなブースに案内した。

「ほんの数分で効果があがるんですよ。」

ブースの中にセットした動画は、初回用の宇宙映像に戻してある。

「終了時間になったらお声かけしますので、何も考えずに気楽に眺めていてください」

三分後、リラックスボックスから出てきた男性は、突然、話し方を思い出したかのようにしゃべり始めた。


 私の名前は藤岡拓真。三十一歳です。仕事はWEB系プログラムとアプリケーション開発です。じつは…健一さんのよくご存じの会社に、先月入社したばかりです。…はい、オフィスKです。先週、オフィスにいらっしゃいましたよね、ええ、ぼくもいたんです、あの時。そうです、新しくできたWEB部門で採用されました。だけど正直、ぼくに会社勤めは無理ではないかと思って、やめようと思うのですが、せっかく採用してくれた社長に申し訳なくて、迷っていたところに健一さんの教室のことを聞いたので、思い切って来てみたのです。あの…ぼくがここに来たこと、オフィスKのみんなには内緒にしてもらえませんか?…ありがとうございます。お願いします。

 いいえ、会社に不満があるわけじゃありません。なんでも自由にさせてもらってるし、それほど無理難題を言われるわけでもありませんし。ただ、ぼくはその…高校を不登校で退学して、それからずっと自分の部屋でパソコンでいろんなソフトウェアとか作っていたので、なんか、会社にずっといると、どんどんいろんな仕事をまかされて責任が重くなって、そのうち、辞められなくなっちゃうんじゃないかと思うと、すごく不安になっちゃうんです。おかしいですよね、会社にいれば収入も安定するし、世間的にもなんか、身分があるっていうか、信用してもらいやすいのに、それが不安だなんて。

 収入ですか?いえ実は、自分で作ったソフトウェアの他にも、ちょっとしたWEBサービスも運用していて、あちこちからぱらぱらと収入はあるんです。社長もそれは継続していいって言ってくれてるので、今も保守だけしながら片手間に運用しています。そういうノウハウを含めて、ぼくの能力を評価してくれたんですよね。

 だから、ぼくは恵まれてるとは思うんです。母親にもそう言われてて、もし辞めるなんて言ったらかあさんがどんなにがっかりするか…。健一さん、ぼく、何が欠けてるんでしょう、どうしたら、普通の人と同じように普通に働いて平気でいられるようになるんでしょう。教えてください、ええ、お金を払ってでも絶対に、こんな自分をなんとかしたいんです。


 しゃべり終わって、藤岡拓真は流れ落ちる汗を四角く折りたたんだハンカチでぬぐった。淡いブルーのハンカチは、彼の母親が息子のためにアイロンをかけたのだろうと健一は思った。

「だいじょうぶ。藤岡さん。あなたはすでにちゃんとやってるし、これからも、誰よりも立派に、やっていける人ですから。まず基本の三回コースで、いろんなアプローチを試してみましょう。こういう精神的な悩みの場合、意外に、身体からのアプローチのほうが有効だったりするので、次回、試してみましょうね。」

「はい!ぜひお願いします!」

二人目のお客様、ゲットの瞬間であった。チャリーン♪


 そしてその頃から、新規の顧客が毎日のように訪れるようになった。ほとんどはオープン直後に無料体験をした客の再訪問で、その大半は知人友人を伴ってやってきた。店内にはパーテーションで区切った個室が四つあったが、対応できるのが健一と宇宙人の内田かおるのふたりでは、追いつかない時があった。

「明日も二人ペアが三組、続けて予約入れてるけど、どうしよう。お前、分身の術みたいに、同時にふたりの人間になりすませないの?」

「そんな…ご無体な。魔法使いじゃないんだから無理ですよ、そんなこと」


 ある深夜。

 教室の奥の休憩室で、内田かおるは灰白色のザ・宇宙人の姿になって、パイプ椅子にだらっとよりかかっていた。人間や動物に擬態していると、宇宙人もやはり疲れるらしい。さっきから見ているとだんだん力が抜けて、いまやぺらぺらの衣服が椅子の背にかかっているような状態だ。

「おまえそれ、軟体動物かよ。ダリの絵みたいで気持悪いからなんとかしろよ」

「そんなこと言ったって、忙しすぎるんだから仕方がないじゃないですか!」

宇宙人は風船に圧縮空気が入ったみたいにしゅっと背筋を伸ばしたが、

「健一さん、手伝いの人をもっと雇ってくださいよ、ぼくもうダメ」

と再びぺしゃんこになって椅子の背もたれに寄りかかった。

「人を雇うのはいいんだけど、誰を雇うかが問題じゃね?だって、こんなのといっしょに働いて平気な人なんている?」

健一は、抜けがらになった宇宙人を気持悪そうに見て言った。

「どう説明するの、自分のこと。ぼく宇宙人なんですよねって、言っちゃう?ねえ、言っちゃう?」

健一もそろそろ疲れがピークに来ている。初めて公園で宇宙人に会ってからというもの、休む暇なく走り回って、教室のオープンにこぎつけたのはいいが、張り詰めた神経は悲鳴を上げているのだ。

「そういえば健一さん、お父さんのお見舞いに実家に帰るって、言ってなかった?」

椅子にだらっとかかったぺらぺらの宇宙人が、顔だけ持ち上げて言った。

「ああ、そうだった」忙しさにかまけて実家のことをすっかり忘れていた。「倒れたっていうから様子を見に行こうと思ったのにさ、すぐに退院できたから、来なくていいって。こっちもほら、開店準備でバタバタだったから、先延ばしにしたまま忘れてた」

「そうだ!手伝いはぼくが見つけてくるから、健一さん、二、三日お休みして、お父さんに会ってきたらどう?」

「見つけるって、どうやって」

「ぼくにまかせておいて。」


 そして翌日、宇宙人はふたりの人間を健一の前につれてきた。

「ぼくが公園で知り合ったお友だちだよ」

健一はそのふたりを見たことがあった。ひとりはいつも公園で空き缶を拾っているホームレス。もうひとりは、先日教室に来た小学生、遠藤博樹だ。ふたりとも、灰白色の宇宙人姿の内田かおるを前にしても平気でほほえんでいる。

「…えっと…これってどういうこと?」

「ふたりとも、健一君と同じですごく心が開けていてね、宇宙人だからって差別とかしないんだ。すごい人たちだよ」

「…そっ、そうなんだ」

健一は二の句が継げなかった。


 ホームレスの老人には成沢誠一という立派な名前があった。そしてホームレスと言いながら段ボールハウスには住んでおらず、NPOのシェルターを転々としながら暮らしていて、二日に一度は風呂に入るし下着だって毎日新しいのを履いているんだぞ、と成沢は言った。

「このむさくるしい風体は、ホームレスらしさを演出するためさ」

ぼさぼさに伸びたごましおの髪と、ずた袋のような服装をさした。

「こういうものを着ておれば、空き缶を漁っても怪しまれん。これがスーツなんぞ着てみろ、いきなり変なヤツと通報されてしまうわ」

鳴沢はスーツや礼服も持っており、必要な時には着用するのだという。

「もっとも最近ではめっきり機会も減ったがね、あっはっは」

と大口を開けて笑う大沢だが、そういえば欠けた歯は一本もない。六十前後と思われる年齢にしては、むしろ歯並びもよく、普通の人より手入れされているほどだ。

「近頃じゃ、ホームレスの検診もあってな、歯の治療も無料なんだよ。もちろん利用してるさ」

実は成沢は勤めていた大手電機メーカーを早期退職して、増額された退職金や株取引で儲けた金をしこたま溜め込んでいるのだということは、もっとあとになって分かったことである。この時点では、ホームレスっぽい変なおやじという印象だった。

「で、こちらの少年は、遠藤君だね」

「はい。先日はありがとうございました。うちの母のこと、よろしくお願いします。」

と少年は大人びた挨拶をよこした。

「…ってことはもしかして君、この…内田くんと知り合いで、だからお母さんを連れてきたの?」

「ええ、そうなんです」少年は恥ずかしそうに「母がぼくを連れて来たくなるように、さりげなく新聞にチラシをはさんでおいたり、わざと学校をさぼって部屋に引きこもったりして。最後は内田くんに細工してもらって、テレビ電波にCMを流してもらったりもしたんですよ。あれを見て、母はその気になったと思います」

「お前、そんなことを…」

「だってお客さんが全然来なかったから…、博樹くんも、ぜひお母さんを教室に行かせたいって言ってくれたし。…ダメだった?ねえこれって法律違反?」

「うーん…法律は…わからないけど」

「博樹君のお母さんはここでいろいろ話せてすっきりしたみたいだし、うちだってほら、初めてのお客さんが来てくれて助かったでしょ?」

宇宙人姿のままの内田かおるは、表情というものがないので、何を言っても不気味だ。健一は肩をすくめて

「まあ、それはさておき。成沢さんと博樹くんが手伝ってくれるって言っても、何をどう手伝ってもらうんだい?」

「それはぼくにまかせといてよ。」

内田かおるは自信ありげにうなづいて見せた。


 そう言われても安心などとてもできるものではなかったが、実家のことも気になっていたので、翌週の火曜日、健一は実家に戻った。父親の不動産屋は土日が営業なので、ゆっくり話すなら平日のほうが良いのだ。

 名古屋で新幹線を降りて在来線で二十分ほど行くと旭野市だ。旭野というその地名は奈良時代の古文書にも残っていて、当時は海辺に広がる野原だったらしい。時代が下って戦国時代には信長や秀吉らが合戦を繰り広げた地域でもある。

 そんな土地で不動産屋を始めたのは、太平洋戦争から復員した健一の祖父だったそうだ。父親の和久はそのあとを継いだが、一人っ子の健一には、好きな仕事をせよと言い、健一が地元を離れるのも反対しなかった。

 久しぶりに訪れた旭野は相変わらず田舎ではあったが、駅前にはそれなりに再開発のきざしも見えた。名古屋の地下鉄と乗り入れをしている私鉄線の駅舎の上に新しくタワーのような建造物ができていた。タワーの先には展望台のような細長いものがついているが、なんのためのものか想像がつかなかった。


 駅前商店街をななめに横切り、東に向かって少し歩くと実家である。ガラス窓に間取り図を一面に貼り付けた店の前を通り過ぎて、松の木のある小さな門をくぐり、少し奥まった玄関をからりと開ける。低い軒をくぐって中に入ると住居としては広い土間に大きな壺や火鉢が雑然と並んでいる。不動産業のかたわら、処分を依頼される古道具をきれいに直して、骨董として集めるのが父親の趣味なのだが、道具だけでなく家全体が骨董のようで薄暗い。

 ただいま、と声をかけて奥に入る。仏間を左に見て黒光りする廊下を進むと、その先の居間と台所は、クロス張りの壁とフローリングの快適な環境にリフォームされている。

「おかえりなさい」

よく通る大きな声は母親の美智子である。奥のキッチンにいるようだ。

 健一は居間の窓辺に立って、南と東に開いた大きな窓から外を眺めた。家の裏手は高尾山という小高い丘に続く雑木林になっていて、右手にはなだらかな平野が広がり晴れた日には遠く名古屋のツインタワーが見えることもある。手前には、田畑と宅地が混在するのどかな風景が広がっていた。

「お父さんはどう?元気?」

健一はキッチンに顔を出した。母親はひらひらした花柄のエプロン姿で大皿に料理を盛りつけていたが、健一を見ると

「あら、あなたちょっと痩せたわね」と言った。聞かれたことと違うことを答えるのは多分、この人の癖だ。

「かあさんは痩せてないね。」と言い返すと

「もうこの子は!女の人には「痩せた」と聞くのが礼儀よ!この皿、向こうに持って行って」

と健一に大皿を手渡した。乗っている料理を見ると、どうやら近所の洋食屋で調達したオードブルのようだ。美智子は陽気で人付き合いはいいが、家事全般が苦手だ。見栄えのよい料理はほとんど、買ってきたものと思って良い。

「お父さんね、この間倒れたのはただの過労だろうって。だけどほら、もともと心臓が弱いからさ、あんまり無理しないよにって、先生が。」

「へぇ」

「どっちにしても年も年だから、動脈硬化や高血圧には気をつけなさいとも言われたけどね」

健一は脂っこい揚げ物がいっぱい乗った皿に視線を落とした。

「あ、これはほら、あなたが帰ってくるから用意したのよ。いつもは白身魚とか、玄米とか、健康食なんだから、あたしたち」

健一の視線に気づいた美智子はしどろもどろの言い訳をした。そのとき、

「おお健一、おかえり」

店から戻ってきた父親は、しかし、いつものように細身で、銀髪をなでつけた姿は六十過ぎとしてはじゅうぶんにダンディーだった。


 昼食後、父親の和久は健一を誘って外に出た。

ぶらぶら歩きながら、商店街の古い喫茶店まで歩いた。この町の商店街もご多分に漏れずシャッターが閉まった店が目立つ。子どものころ毎日通った駄菓子屋がこのあたりにあるはずだったが、どこだか分からなかった。

「このへんだったよねえ、駄菓子屋。ああ、大判焼きの店はまだあるね。夏はよくかき氷を食べにきたよ」

「ここはもともと奥さんが嫁さんといっしょにやっていた店だからね。ふたりともまだぴんぴんしてるよ。」

「服屋とか、電気屋とか、レコード店も。みんななくなっちゃったんだ、寂しいね」

「みんな跡継ぎがいなくってね。だけど空き家じゃなくて、住んではいるんだよ。店の奥が自宅だからね。」

「それじゃあ、店だけ貸すのは難しいね」

「そうそう。人に貸すと騒がしくなるからね。みんな年金暮らしだから、静かに暮らしたいっていうんだよね」

「そうかぁ」

古い商店街を再生するっていうのは意外に難しそうだ。喫茶「啄木鳥」は和久の行きつけの店だ。昭和の喫茶店そのままに、ビニールレザーのソファーが並び、コーヒーには小さい皿に入ったピーナツが添えられている。マスターは父親の同級生で、自宅から近いこともあって、父親はなにかといえばここへ来てコーヒーを飲んでいる。時には来客との商談に使ったりもする。山男のように体格の良いひげのマスターが笑顔で迎えた。

「健一君、久しぶりじゃないの。仕事はどう。広告のディレクターだっけ?なんか、かっこいい仕事してるんだったよね」

「かっこよくないっすよ、ただの営業ですから」健一も笑顔で応える。能力開発教室のことはまだ実家には話していない。

「それで、仕事はどうだ」

コーヒーが運ばれてくると、父親が切り出した。

「うん、仕事は順調だったんだけど、先月から急に別の仕事を始めたんだ。なんていうか、その、能力開発教室っていうやつなんだけど、すごく効果のある道具を見つけたんで、ちょっとそれでひと山当ててやろうかな、なんて」

「ほお、ひと山かい。そんな儲かる話が、今どきあるのかね」

「まだ分かんないけど、思いついたとたんに場所は見つかるし、知り合いの社長がカネを出してくれるし、うちの社長まで乗り気で、給料はそのままでその仕事に専念していいって言ってくれてさ。気持悪いくらいとんとん拍子に進んじゃったんだ」

「ということはその仕事は、お前の会社のプロジェクトみたいなものなのかい」

「うーん、どうなのかな、そのへんまだよく相談していなくて」

父親は驚いたような顔をした。

「あきれたな、どういういいかげんな話だ。」

「まあ、儲かるかどうか分からないしね。だけど、だんだん客も入ってきてるから、借りたカネは楽勝で払えると思う。おれにも多少、貯金はあるしね」

「そうかい。まあ、がんばってやってみなさい。何ごとも経験だからね」

「うん」

昔から、気持悪いくらい物わかりのいい父親なのだ。何かをやりたいと言ってダメと言われた記憶がない。何を言っても、いいよ、やりたいようにおやり、と言われるのが分かっているから逆に、健一は小さい頃から、よその子どもが親に対して言ってるような無茶なことは言えないのだった。

「ねえ、父さん」

「うん?」

「体調はほんとに大丈夫なのかい。父さんにもしものことがあったら、ほら、おれ、店のこと何も知らないから、どうすればいいのかなって…」

「まあ、体調もよくなったし、大丈夫だよ」父親はそう言って、

「万が一何かあっても、店の借入金は完済してあるから、お前がやりたくなければたためばいいさ。会計のことは税理士の先生がやってくれるし、その他のことは稲吉に相談するといい。引き継いでくれるはずだ。まあ、あっちが先に逝ってしまったらダメだけどな」

稲吉というのは隣町の不動産屋で、父親とは古い付き合いだ。稲吉さんのところも跡継ぎがいなくてこの一代で廃業だという話を聞いたことがある。

「あとは生命保険と、もう少しすれば母さんにも年金が入るから、お前が帰らなくてもなんとか暮らしていけるよ。うちのことは、だから、気にしなくていい」

「…そうか」

「それより、今は自分のことをせいいっぱいやりなさい。」

「…うん」


 健一の年頃ではまだ、父親が亡くなったという友人は少なく、遺産の問題など遠い先の話だ。だが、近い将来、祖父から続いた不動産屋が間違いなく消えてなくなるのだと考えると、一抹の寂しさがあるのも事実だった。


 寄るところがあるという父親と喫茶「啄木鳥」の前で別れて、健一はぶらぶらと駅前商店街を通り抜けた。商店街の中を走る道路は江戸時代からの街道なのだが道幅が狭く、今では駅の西側に新しい道路ができて、そのまわりの商店街が「駅前商店街」と名乗って、駅東ともめているという話を聞いたことがあった。

 今日は中間テストか何かあったのだろうか、駅前広場には中学生たちが数人ずつのグループになってのんびり歩いていた。旭野中学校は駅からまっすぐ西に二キロほどの所にある。健一が彼らと逆らって広場を横切っている時、頭上で何かが音もなく動いた。仰ぎ見ると、銀色のステンレスのような質感の、ぴかぴかに磨き上げられた細長い物体が、ちょうど駅の真上に停泊している。新しくできたタワーの先端に接しているようだが、見たところ、支えになっているものもなく、まるで空中にホバリングするかのごとく、停止しているのだ。健一は広場を走り出て、物体をななめ横から見られる位置に移動した。側面は普通の列車とほぼ同じだ。いくつかの乗降口があり、その間は客席の高さの窓である。車内には数人の乗客がいるようだが、はっきりは見えない。

「なんだこれ」

健一は動揺して、近くの誰かに尋ねようとしたが、気がつくとまわりたくさんいた中学生がひとりもいない。中学生だけじゃない。駅前広場には人っ子一人いないのだった。駅の改札さえ無人になってしまっている。健一はポケットから携帯を出して写真を撮った。


 散歩を切り上げてまっすぐ家に戻った健一は母に物体のことを尋ねたが「さあ、そんなものあったかしら」と興味を示さない。ほどなく帰ってきた父親にも同じことを聞いたが「最近電車に乗ってないからな」と言うだけで関心を示しもしない。実物の写真を見せようと携帯を取り出して健一はたじろいだ。青空以外なにも映っていなかったのだ。

 健一は突然、なにか、いけない場所に踏み込んでしまったような、イヤな感じがしてきた。

 夕方、帰途についた健一は、もう一度、あの銀色の物体を撮影するつもりだったがどこにも見あたらないので、駅の上のタワーと展望台のようなものを撮影するに留めた。念のために、改札の横にいた駅員に「あの白いタワーみたいなものは、何ですか」と尋ねてみたが、「あれは○○です。○○まで○○です」と答えた○の部分が奇妙な雑音のような音になってしまって全然聞き取れない。三回くらい聞き直したが無理だとあきらめた。どうも釈然としない。まったくイヤな予感がする。帰ったらあいつに、内田かおるに確かめてみなくては。これが宇宙人たちのいたずらでなくて何だというのだろう。

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