第3話
健一は宇宙人の中学生に計画を話して聞かせた。中学生は箱を取り上げられたままで見るからに不満そうだったが、健一の計画に反対はしなかった。
「なんですかその能力開発教室って」
「仕事や勉強が行き詰まってる人をサポートするサービスさ。あの箱には本物の宇宙エネルギーがあるんだから、それに触れればそこらのインチキ気功師どころじゃない効果が上がるはずだろ?だけど病気の治療をうたうわけにはいかないんだよ、いろいろ法律があってさ。だから、能力開発としておけば幅広い客を扱えるわけ。」
「ふぅん。そういうもんですか」
「おれ、こう見えても口は達者だからさ。おれが相談に乗ってやる気を引き出してるように見せて、本当はお前の箱の効果でやる気が出るって寸法さ。理由はともかく、実際に効果さえ上がればカネを払う客はいくらでもいる」
「ほんとにそんなふうにうまく行くんですかね。」
中学生は不安げだ。
「うまく行かなかったらすぐにやめればいいさ。っていうかお前、宇宙人のくせにネガティブ思考だな、すぐ泣くし。おれがカウンセリングしてやろうか」
「けっこうです!」
健一はふと思いついて言った。
「そういえば、宇宙人って未来がどうなるか見えないのかよ」
「まさか!未来なんか見えませんて。超能力じゃあるまいし」
中学生は不満顔だ。
ついさっきまで何も考えていなかったのに、健一の頭の中には今や、くっきりとしたビジネスのイメージができあがっていた。ここ数年、仕事に役立てようと読みまくったビジネス書や、人脈作りを兼ねて受けまくった能力開発セミナーの数々が脳裏によみがえる。今なら、病気以外の悩み事ならたいがい、ポジティブ思考に持って行ける自信があった。これは儲かるぞ!健一の頭の中に、開業までの工程表が自動的にできあがっていった。まるであらかじめ、こういうことを想定していたかのように。
まず物件だ。
自分でも驚くことに、健一には物件の心当たりがあった。プランニングオフィスKへ行く途中で時々通る駅前の角に、最近空き店舗になったテナントがある。以前はエステサロンだったと思う。目の前に地下鉄の出入り口もあって、人通りは絶えない場所だ。ちょうど今から向かう客先への通り道でもある。
「おれ、ちょっと行って物件見てくるよ。じゃあな」
と健一が立ち去ろうとすると、中学生が腕をつかんで
「ち、ちょっと待ってください、箱を返してくれる約束じゃないですか!」
「え?約束なんかしたっけ?…まあいいじゃん、もうちょっと預かっておくよ。」
「冗談じゃないです!箱を返してくれるまでぼくどこまでもくっついていきますよ」
中学生は興奮して透明になりかかっていた。
「うっ、気持ちわる!やめてくれよ、その気持ち悪い姿、なんとかならないのかよ」
「はこ…かえして…」
中学生はすでに輪郭が溶けて、スライム状態である。
「お前…」健一は頭を振った。「ついて来るって言っても中学生なんか連れて歩けないよ。何か他の格好、できないのかよ」
中学生はポケットから白いハンカチを出して涙をぬぐった。
「できますけど?どんなのがお好みですか?」
五分後、グレーのスーツの営業マン風の男と、身体にぴったり沿った紺のスーツに身を包んだ女性が公園から出て駅のほうに歩いていった。ミニスカートからすらりと伸びた脚がまぶしい。よく見ると、彼女は公園を見下ろすビルの壁面のカードローンの看板でにっこりほほえむ若手女優にそっくりだったが、そんなことに気づく人間はひとりもいなかった。
健一は女性に化けた宇宙人を従えて道を急いだ。
公園のあるブロックを南に回り込むと、そこがJRの駅前だ。めざす空き店舗は通りに面した角にある。健一は駅へ向かう横断歩道を渡らず、左に折れて店に向かった。ウィンドウに不動産屋の連絡先が貼ってあるはずだ。すぐに電話してみようとポケットから携帯を取り出したが電話をする必要はなかった。空き店舗の中に人がいたのである。
「うわっ、人が来てるよ!もう次の入居者が決まってしまったのか!」
健一は焦りを感じて店内に飛び込んだ。
「あの…この店舗、もう決まっちゃいましたか?」
振り向いた男は首を横に振った。
「いいえ、まだですよ。」
男は小動物のような優しい顔立ちの、中年男だった。
「私は秋月不動産の秋月望男です」
「…もちお?」
「ええ、のぞむおとこと書いてもちお、です。」
秋月望男は名刺を差し出した。濃いグレーの名刺の左上に、金色の丸と三日月型を組み合わせたロゴマークがある。三日月と満月か。健一は我に返って
「…ああ、失礼しました、ぼくは松田健一と言います。」と、健一も名刺を差し出した。
「松田さんですね。おお、広告代理店にお勤めでいらっしゃる。」秋月の視線が隣の宇宙人に移った。「こちらは…」
「あ、ああ、アシスタントのう、うち…そう、内田といいます。」
「内田です。」
宇宙人は殊勝に目を伏せてあいさつした。うへぇ、なりきっていやがる。
「お美しい。うらやましいですな、こんな美人のアシスタントさんがいて」
秋月は宇宙人にみとれている。健一はあわてて秋月と宇宙人の間に割り込んだ。
「い、いえいえそんなたいしたもんじゃないんです。あの、ちょっと中を見せていただいても?」
「もちろんです。こちらへどうぞ」
店舗は三メートルくらいの間口だが奥には長かった。所々に椅子や棚、テーブルなどが雑然と残されている。しかし白を基調とした内装はアクセントに南欧風のレンガを配置して、さわやかかつ上品な印象である。
「ここは先週までエステサロンだったんですよ。なので内装は高級感を感じさせるしつらえになっています。パーテーションは残っているのでよかったら仕切って使っていただけますよ。」
秋月はバックヤードのスペースに雑然と詰め込まれた間仕切りを指し示した。
「突然の閉店だったので後片付けは私が引き受けたのですよ。エステの経営は順調だったのですが、経営者の方の親御さんが突然亡くなられましてね。どうしても田舎に戻らなくちゃならないと、先月、泣く泣く閉店されたんです。このご時世に儲かっていた店を手放すなんてもったいない話です。今日の午後、リサイクル業者が査定に来るので、もしおたくが借りていただけるなら、使える什器は残しておきますよ。」
見回したところ、受付カウンターや白い革のソファー、照明器具などは真新しく、そのまま使えそうだ。健一は奥に向かった。長細い部屋は一番奥で右に曲がったL字型をしている。
「間仕切りをして、奥のスペースをスタッフルームにするといいと思います。突き当たりには非常口もありますし。この消火器も標準装備です」
秋月は奥の壁にかけた赤い消火器を指した。壁際にはちいさなシンクと冷蔵庫もある。
「冷蔵庫も備品です。松田さんは、どのような用途のご利用をお考えですか?」
「ええと…実は」
健一は言いよどんだが
「能力開発教室を開くつもりなのですが、今のお話を聞くと、簡単なリラグぜーションルームを併設するのもいいですね。潜在能力を発揮するにはリラックスするのが一番の早道ですからね。このベッドはエステ用ですか」
健一は折りたたんで並べてある器具を指した。
「ええ、そうです。仰向けに寝るタイプです。」
そのとき、健一の頭の中で、エステ用のベッドと「もみもみ」が繋がって「ぱちん」と火花が散った。そうか!あの「もみもみ」とベッドがあれば、簡易マッサージ器が作れるぞ。
あとは次々とイメージがわいてきた。健一は、店内を歩き回って脳裏にビジョンを描いた。ここが受付、ここに箱を据え付けて、客にあの箱を覗かせることができれば、あとは足を揉んでも肩を揉んでも、あるいは話をするだけでも必要な効果は得られると、確信を感じていた。
「ここ、気に入りました。なんとなくすごくうまく行く予感がします。費用や条件を教えてもらえますか?」
三十分後、健一は隣の喫茶店で宇宙人と向かい合ってノートを広げていた。宇宙人はまだ女性の姿で、長い黒い髪をものうげにかき上げたりしては男性客の注意をひこうとして、健一に「やめろよ」と叱られていた。
「人間の男って単純ね。見た目だけなのが分からないのかしら」
宇宙人は話し方まで女っぽくなっている。
「分かるわけないだろ、そんなの」
「あら、あたしたちなら外見には騙されないわ。中身で勝負なのよ」
「あーそう」健一はノートに書き付けた数字に夢中で上の空だ。
「でも面白くていいわ。いろんな姿で人間の反応を観察したレポートが書けそうだし」
宇宙人は指を揃えて、ピンクと白で桜の模様に彩ったネイルを満足そうに眺めた。喫茶店で女性誌でネイルの写真を見て、さっそく真似をしたらしい。宇宙人の変装は材料費も手間もかからず便利なものだ。
健一が秋月不動産の秋月望男にもらった資料によると、店は十二坪で家賃は十六万円/月。保証金が三ヶ月分。それとは別に、管理費として八千円。立地条件からすると破格なお値打ち物件だと思われた。
実際に店を出すとしたら店頭の看板と、施術台あるいは椅子とテーブルが必要だ。パソコンは自前のを持ち込むとしても、簡単なレジは必要だろう。あと、会員カードも用意しなくてはならない。会員カードや看板を発注するには、まず名前が決まっていないといけない。名前を決めるには、サービス内容を具体的に決めないといけない。さらに顧客層を明確にして、一日あたりの見込み客を想定しないと、価格も決められない。
「ああ…何から考えたらいいんだろう」
健一はボールペンを放り出して、窓越しに空を仰いだ。この喫茶店からは、通りをはさんだ南側にJRの駅が見える。その向こうの高層ビルの隙間にはどこまでも青い空が広がっている。青空と健一の間を、ガラス越しに五月の透明な風が吹き渡っていく。
「それより問題なのは、おれがまだサラリーマンだということだ。まさか会社をやめるわけにはいかないから、誰かを雇って留守番をしてもらわなきゃいけないが、果たしてあの箱のことを秘密にしたまま店長をやってもらうなんて、実際、できるんだろうか。」
健一は顔を上げて宇宙人の女を見た。彼女は運ばれてきたランチのプレートを興味深そうに眺めている。
「これ何、食べれるの?」
「当たり前だろ、食べれないものが出てくるわけない」
宇宙人は心配そうにまわりを見回した。
「そう言うけど、さっきから見てると、みんな、お皿やおはしは食べないで残してるみたい」
「…」
そこで健一はノートを脇にどけて、宇宙人に食べ物の名前を教えながらいっしょに食べ始めた。宇宙人は初めてなのに器用にはしを使いこなしている。
「お前、人間の食べ物、食べて大丈夫なの」
「ええまあ多分」
「多分って…」
「着用できる時点でM9対応済みだと思います。そうでなければエラーの警告が出るはずなので」
「…ふぅん…」
よく理解できなかった。
「お前…っていうかお前、名前なにか考えろよ。中学生だったり女だったり、どんな姿でも通用する名前、何かないの」
「名前くらいありますよ。私の名前は です」
宇宙人が名前を言うと爪でガラスをひっかくような音が店内に響いた。
店内の全員がこちらを振り向いた。健一はあわてて
「言うな!もう言うな、二度と言うな。…じゃあこうしよう、ここでの仮の名前はかおる。男でも女でも使える名前だから、かおると名乗りなさい。名字はさっき内田って言っちゃったから、内田かおるだぞ」
こうして宇宙人「内田かおる」が誕生した。
健一には実際、宇宙がどうのこうのという話はまったく腑に落ちない。しかしあの箱が何かしらの影響力を持っていることには確信があった。
「しかし、一万人があの箱を覗くには、何日かかるだろうか。」
ふとそんな考えが浮かぶと同時に、これからの手順が思い浮かんだ。そうだ、かかる時間から逆算するのだ。それを最初に考えるのが当たり前じゃないか、おれってバカだな。
健一は空になったランチのプレートを脇にどけると、再びノートを開いて試算にとりかかった。
まず絶対必要なのは客に箱を覗いてもらう時間だが、ただ覗くだけなので最短で一分もあればじゅうぶんだろう。
なるべく短い期間で一万人を達成するためには、客数を増やさないといけない。そのためには一回あたりの施術時間を短くしたほうがいい。とはいえどんな施術でも一分で満足できる人間はいないから、最低でも十五分は必要だろう。
十五分の中で、箱を覗く時間を余裕をもって三分と仮定すると、十五分の施術時間を三分ずつずらしていけば、一時間に最大二十人に施術ができるはずだ。しかし最初の客は十五分で帰るから、カウンセリングルームは最大五部屋あればいい。
「五部屋か。元のエステのときと同じレイアウトにパーテーションを戻せばちょうど五部屋分になるぞ。」
健一は封筒から店舗の見取り図を取り出した。幅が狭くて奥に長い部屋だが、以前はエステのベッドを五台置いていたという。
「場所はなんとかなりそうだが問題はスタッフだ。客が少なくておれがひとりで対応できるうちはなんとかなるが、おれが対応しきれない状況になったときにどうするかだな。コトがコトだけに、誰でもいいってわけにはいかない。ここはちょっとやり方を考えないとな」
健一はノートの新しいページを開いて、「検討課題一、スタッフをどうするか」と書いた。
仮に健一が店に常駐して、それ以外にスタッフが二名くらい見つかったとすると、一日の営業時間を午前十時から午後十時にしてもなんとか回せるような気がする。仮に四人確保するとして、必要な人件費を算出したらいい。整体師のような技術や資格がいらないエステなどの求人情報を見て、相場を調べてみよう。
健一はさらに新しいページに「ToDo 一、求人情報で人件費をリサーチ」と書いた。
さて、営業時間が仮に十時間で、一時間の最大客数を十人と仮定すると、一日の客数は最大で一〇〇人。健一は電卓をたたいた。しかし当然施術台が埋まっていない時間帯もあるだろうから、控えめに稼働率を六〇パーセントとすると、客数は六〇人。
営業日が月に二十五日あるとすると、一ヶ月の客数は一五〇〇人。おお、すごいじゃん。最初からこの調子なら半年ちょっとで一万人はクリアだ。
しかし、もちろんそんなにうまくいくわけがない。
引き継いだ顧客もなく、まったくのゼロからスタートだ。最初の三ヶ月は赤字を覚悟。しかし最初の三ヶ月でうまく宣伝ができれば勢いがついて、順調なら一年くらいで一万人をクリアできるかもしれない。むしろ、それくらいの勢いで売上をあげないと、不動産や備品にかけた初期費用を回収しきれない。一方で、この仕事は十年も二十年も続けられるわけじゃない。宇宙人が目的を達したらそこで終了だ。さっと始めてさっと儲けて、さっと撤退するのが良い。最後に手元になにがしかのまとまった金が残れば、そのあと本当のビジネスを始める資金になるだろう。
健一はToDoに「二、価格のシミュレーション」と追加した。
そのとき、どこか遠くで学校のチャイムが鳴った。健一は腕時計を見た。十三時三十五分!すっかり自分の考えに没頭していて、プランニングオフィスKへ行く途中だということをすっかり忘れていた。
「しまった!」
昨日小島さんに渡したデータを受け取って、二時に客先に届けることになっていたんだった。やばい!
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