第2話

 小島さんを送り届けたのち、健一は再び公園に足を踏み入れた。

 今日という一日が、普段のありふれた一日とはどこか違っていた気がした。何がどう違うかよく分からないが、小島さんと遊んで楽しかった。それだけは確かだ。

 健一はふと足を止めた。視界の端で何かが動いた気がしたのだ。

 物思いにふけるのをやめて周りをじっと見た。

 動いた。

 さっき座っていたベンチのうしろだ。

 黒い小柄な人影がベンチのうしろの植え込みから現れてそっと周りを見回した。健一はその場に固まった。ちょうど彼の立っていた場所が、街灯が落とす大きな木の陰に入って見えにくかったのだろう、人影は健一に気づかずベンチの前に現れた。背が低くて小さい。健一はすばやくベンチに近寄った。そして人影がベンチから木の箱を取り上げた瞬間、うしろから声をかけた。

「あの、その箱はあなたのですか?」

人影は飛び上がった。文字通り三十センチは空中に浮かんだだろうか。

「うぎゃがげごぴゅ!」

その人物は奇妙な叫び声をあげた。その甲高い声を聞いた健一も仰天してとびあがった。

「ぴゅーぎゃが…・ごめんなさい、ごめんなさい。すみません」

小さな人物は途中からちゃんとした言葉で謝り始めたが…街灯の薄明かりに浮かび上がったその顔が…点滅していた。

「うわっ!」

今度は健一が叫び声をあげる番だ。

「しっ、大声を出さないでください」

人物は指を口の前に立ててささやいた。あどけない中学生くらいの顔になっている。

「き、君は何者なんだ」

健一が思わずささやき返す。

「ぼ、ぼく、学校の宿題で、この箱を…」

人物は言い始めるや否や、再び点滅を始めた。

「あ、あわわ」

言語も不明瞭である。中学生に見えた顔に、白っぽい大きな目をしたつるりとした顔が重なり、入れ替わり、また中学生に戻る。

「ぼろろ」

人物はそろそろとあとじさりを始めた。逃げてしまう!そう思った健一は反射的に彼の腕をつかんだ。

「 うぎゃきぇあう」

人物は激しくうろたえて、健一につかまれたまま、白っぽい顔になり、白目のない大きな黒い目をぱちぱちさせ、全身をぶるぶると震わせた。

「お前は!何者なんだ!」

「しゅい…まし…ぇん」

その生物は顔が中学生に戻るとなんとかしゃべれるらしく、点滅の合間にとぎれとぎれにそう言った。

「すみませんじゃないんだよ。君は誰だ。」

健一自身もがたがた震えていたが、つかんでいる相手もわらわらと震えおののいていることに気づいて

「別に何もしやしないから、君は何者なのか教えてくれないか。」

健一は中学生に言い聞かせるような具合に、ゆっくりと話しかけた。

 生物の身体を走っていた震えがだんだん収まってきた。同時に、顔の点滅も収まり、どうやら中学生の顔に落ち着いてきた。

「大丈夫か?ちょっと座ろう」

健一は生物の腕をつかんだまま、そっとベンチに座らせて自分も隣に腰かけた。

生物は…中学生は、泣き始めた。

「どうしよう、ぼく先生に怒られちゃう」

「先生って?ここにいるの?」

健一は、奇妙な生物の仲間が木陰に潜んでいたら大変だと思い、周囲を見回した。

「今はいません。クラスメートの様子を見て回らないといけないので、多分今は北米大陸のどこかです」

「そうか」

意味が分からないまま、健一はとりあえずほっとした。

「じゃあ話を聞こうじゃないか。君は誰で、ここでいったい何をしているんだい」

健一はまるでその資格があるかのように尋問を始めた。

「ぼ…ぼくは学生です。」

「学生?どこの学校?」

「gyぺおう学校」

健一の耳にはその学校名は聞き取れなかった。

「…で、ここで何してる」

「課題です」

「課題?…」

その時健一にはピンと来るものがあった。健一は生物が持っている箱を取り上げた。

「な、なにするんですか、返してくださいよ、それがないとぼく、落第しちゃうじゃないですか!」

生物が猛然と抗議したが、健一は箱を後ろに隠してその手を払いのけた。

「ちゃんと説明しろよ。この箱で何してる。」

「そ、その箱は…ダメです、人に話しちゃいけないって先生から言われるんです、勘弁してください」

生物は半泣きである。姿がまた白っぽくなっている。どうやら動揺するとこの姿になってしまうようだ。

「返して欲しかったら正直に言え。ここで何をしてる?この箱は何だ?お前は誰なんだ?」

生物はあきらめて語り始めた。

「じゃ話します。でも言っときますけど、こんな話、きっと信じてもらえませんよ。それでもぼくを嘘つき呼ばわりしないでくださいね」

彼が語るところによると、彼らはM1と呼ばれる場所から来た。彼らの表現では健一たちの地球はM9なのだそうだ。彼はM1の学生で、今回はM9の人々の意識調査のためのフィールドワークに参加して、一年ほど前から活動している。

「M1?それは太陽系の惑星なのか?」

健一が質問をはさむと

「そうです。というかあなたたちの概念ではM1は地球です」

「は?」

「M1はぼくたちの世界でも太陽系の第三惑星です。ただ、この世界とはバージョンが違うというか」

「バージョン?」

健一にはさっぱり理解できない。

「ええと、あなたたちの言うところの「パラレルワールド」というのが近いと思います。時空が違うので、あなたたちの技術で宇宙旅行をしてもM1にたどりつくことはありません。」

「パラレルワールドか。つまり、過去のある時点で別れてしまった世界だな」

「そうです。M1では、今から六五〇〇万年前に、隕石が地表に激突せずに大気圏をかすめて飛び去りました。ゆえにあなたたちが恐竜と呼ぶ生物は絶滅せずに半数近くは生き残り進化しました。それが我々の祖先です」

「えっ!じゃあ君たちは恐竜?」

健一は思わずあとずさった。

「そういう言い方はどうかと思います。隕石は大気圏をかすめただけですが、それでも地球の気象には大きな影響を及ぼしたので、あなたが想像するような巨大な恐竜たちは死に絶えたのです。生き残ったのは小型の恐竜ばかりで、しかも知性化したのは肉食から雑食へ移行したわれわれの祖先だけだったのです。あなたを取って食おうなんて思いませんよ。」

「ふぅん」

健一はいまひとつ信用できないという風にそう答えた。

「ともかく、我々はあなた方がまだ毛の生えたちっぽけな哺乳類だった頃には文明を築き始めました。スタートが早かった分だけ技術の進歩も早くて、一万年前にはパラレルワールドの存在に気づき、数千年前にはそこへ移動する方法を見つけ、それ以来、別バージョンの地球へたびたび出かけて研究をしています」

「…」

健一には返す言葉がない。

「ほらね、やっぱり信じてないし」

生物はすねた言い方をする。

「いや…信じないわけでは…じゃあおまえたちは地球人だって言うのか?」

「いけませんか。地球はあなたたちだけのものじゃないんですよ!」

「そう言われても…」

「何ごとも定義の問題なんです。たとえば、人間というのは地球上で類人猿から進化して文明化した生物と定義すれば、宇宙人は人間以外で文明化した生物ということになり、ぼくのことを宇宙人と分類できますね。だけど地球で発生した生物の中で文明化したものを人間と呼ぶという定義なら、ぼくも立派な人間です。もっともその場合、未知のバージョンの地球で、たとえば昆虫から進化した生物が文明を築いていた場合、その人たちも人間ということになるのでややこしいといえばややこしいですね…」

生物はわけの分からないことをぶつぶつ喋り続けていたが、健一はだんだん、これは自分が酔っぱらって見ている夢ではないかという気がしてきた。

「…わかりました。じゃあぼくのこと宇宙人と呼んでもいいです。」

生物は自分の中で勝手になんらかの解決をみたようで、きっぱりとそう宣言したが、健一にしてみればそれは宇宙人以外の何ものにも見えないのだった。

「で?あとは何が聞きたいですか。もうよければその箱、返してくださいよ」

「箱?…ああ箱か。っていうか、この箱は何なんだ?」

生物はため息をついた。

「その箱は、M9の人間の人格を巻き取る装置です。それを覗いた人の成育環境から得た体験、それを元にして作り上げられた価値基準、身体から感じている感覚など、その人自身が内面的に感じていることの総和を記録することができます」

「何言ってるんだい?」

「わかりませんか?つまり、人間の人格をコピーする装置なんですよ。私たちはこれを資料にしてM9の人間たちの物の考え方を研究するんです。」

「だってこの箱、空っぽだぜ?どうやってコピーするんだよ」

「この箱はですね」

生物は誇らしげに胸をはった。

「ぼくが発明したんですよ。原理は簡単で、箱の中に、時空の外にある宇宙エネルギーを満たしただけです。穴を覗くときに個別の認識タグを生成するので、あとで宇宙エネルギーの中から探し出して引き出すことができます。どうです?すごいでしょ。この認識タグの技術が評価されて、ぼくは中学生なのにこのフィールドワークに参加する資格を得たのです。でも…こんなふうに現地人につかまってしまっては…きっと成績はDです。なんてことだ」

生物はさめざめと泣き始めた。姿がまた白っぽくなりかけている。

「さっぱり意味が分からないんだけど、とにかくすごい機械なんだな、これは」

健一は手の中の弁当箱サイズの木箱を見つめた。ふと気づいて言う。

「ってことはだな、この中にぼくの人格も、小島さんの人格もコピーされていて、どこかの誰かがそれを研究するっていうわけか」

「この中にあるわけではなくて、データは次元の外に保存されているんですが…でも研究対象になるのは事実です。これはあなたの世界では個人情報漏えいにあたりますか?」

「そりゃそうだろう。何もかもコピーしてるんだろう?住所や病気の記録や、銀行口座の番号や、その他、他人に知られたくないこともいろいろ」

「そうですね。いえ銀行口座の番号を記憶している人はあまりいません」

「っつーか、頭の中身を他人に見られること自体、イヤなんだけど」

「そうですか。でも安心してください。我々にはその情報から経済的利益を得る目的はありません。あなたがたの通貨を持って帰ってもM1ではあまり喜ばれませんから。」

「そういう問題か…?」

健一は頭が混乱してきた。この会話自体がナンセンスな気がする。明日の朝目が覚めたとき、これを夢じゃなかったと断言できる自信がない。よし、この箱を預かっておこう。証拠はこの箱だ。健一は勝手に決断した。

「今日のところはそこまでだ。ぼくも眠くなってきたし、この箱は一晩預からせてもらう。また明日ここに来るから、その時返してやるよ」

「そ、そ、そんなぁ…、約束が違うじゃないですか。ひどいっ」

生物はまた泣き始めた。姿はもう完全に白く変わっている。頭髪のないつるりとした頭部に大きな目。小さな鼻と口。どうみても映画に出てくる宇宙人そのものだ。(それが宇宙人じゃなくて地球人だって言うんだから。わけわかんねぇ)健一は頭を振って、ポケットから名刺を取り出して生物に渡した。

「明日の午前中に絶対来るから。もし来なかったらここに連絡してくれ。」

生物は目をぬぐいながら名刺を受け取った。素直なヤツだ。

「あ、会社に来るときは気を落ち着けてちゃんと人間の姿で来いよ。会社で正体がばれたら、収拾はつけられないからな。」

健一は木箱を抱えて帰路についた。

 

 翌朝。

 会社の朝礼が終わるとすぐに、健一は得意先を回ると言って会社を抜け出した。行き先は当然、例の公園だ。

 昨夜は結局、よく眠れなかった。シャワーを浴びて頭をすっきりさせて考えたのだが、考えれば考えるほどさっきの出来事は幻だったのではないかという気がする。自分は酔っぱらってただの箱を拾って帰っただけかもしれない。

 自分の体験が事実か幻かは人間にとって大問題である。もし幻だったのなら精神的な病気に違いないので治療しないといけない。大変なことだ。

 それで、健一はろくに眠れず朝を迎えてしまったのだ。

 とにかく、もう一度あの生物に会って、明るいお日さまの光の下でその存在を確認しないことには何も手に付かない。開き始めた地下鉄のドアの隙間を押し広げる勢いでホームに降りると階段を駆け上がり、公園へ走った。拾った箱は念のため、駅のコインロッカーに突っ込んでおいた。


 朝の公園は人気がなく静まっていた。

 健一は昨日のベンチに直行した。誰もいない。後ろの木立の陰にあの生物がいるんじゃないかと思って、ベンチを回り込んで恐る恐る覗いてみる。誰もいない。再び公園に向き直ると、そこにいた。

「うぉ~っ!」

健一は叫んで、たっぷり五十センチは飛び上がった(と自分では感じた)。

「きゃぁ~!」

相手も叫んで、青白くなった。

 

 中学生が白っぽく透けたり元に戻ったりを繰り返す様子は、朝の光の中で見ると夜中の数倍気持ち悪く、吐き気さえしてくる。

「うっへぇ、気持ちわる」

あとずさる健一の膝に、中学生がとりすがった。

「返してくださいよ、あの箱」

人間の顔が半透明になって、下から白い能面のような顔が透けてみえている。

「きも!触るな近寄るな」

健一は中学生を振り払った。

「ぼく、あの箱を返してもらわないと、帰れないんです」

中学生は泣きべそをかいている。

 健一は目の前で起きていることが信じられなかった。自分で自分の頬をぺちぺち叩いて目を覚まそうとしたが、事態は変わらない。気持ちの悪い外観の生き物が自分の前にいて、しゃべっている。

 これは現実か?

 だとすると、こいつが言っていたことも事実なのか? 

 

「うそだ、信じられん」

健一はつぶやいた。きっとなにかの冗談か、罠だ。テレビ局が仕込んだシロウトの「どっきり」かもしれない。健一は大きなクスノキの陰や、ベンチの後ろ、あるいはあの植え込みの中にカメラがあるんじゃないかと見回した。

 すると、中学生は

「カメラなんかありませんよ!」

と言って、いきなり健一の両腕をつかんでのしかかってきた。

 

「うわっ、なにするんだ」

驚いた健一が両手を振り回したところ、中学生は植え込みのなかに吹っ飛んでしまった。見た目よりずいぶん軽いらしい。

 「やばっ」

白昼堂々、公園で中学生を投げ飛ばしたかどで新聞沙汰になるのもごめんだ。健一はあわてて植え込みの中から中学生をひっぱり上げた。

 

 身体にくっついた枯葉や土を払い落としてベンチに座らせてやると、だんだん落ち着いて、人間らしい姿に戻ってきた。白い綿のシャツに紺色のセーター、グレーのスラックスという服装で、どこかの育ちのいいお坊ちゃま風だ。

「お前、本当に宇宙人なのか?」

「だからぼくはM1という…もうめんどくさいから、いいです、宇宙人で。」

健一はおそるおそる宇宙人のほっぺたを触った。

「この顔も偽物か?どうやって変身するんだ?」

中学生は涙をふきながら答えた。

「正確には変身ではなくて錯覚させているんです。身体のまわりの素粒子のふるまいをコントロールする技術なんです。ぼくの本来の姿はつるっとした白い美しい身体なので、こんな不格好な姿は必要ないのですが…。それで、ぼくの箱、いつ返してくれるんですか」

健一はこの変な生き物をからかってやりたくなった。

「あれはおまえが発明したんだろう?だったら帰ってもう一つ作ったらいいじゃないか」

「えええ…、新しいのを作ることはできますが、古いのも回収して持って帰らないと大変なことになってしまいます」

中学生の顔が青ざめて、半透明になってきた。

「大変なことって?置いておくと爆発するとか?」

「爆発はしないけど、スイッチがないので…つまりその…なんて説明したらいいのか…窓が開いたままの家みたいに、余計なものが出たり入ったり、してしまうんです」

「ほほぉ、それは面白い。たとえばお化けとか?」

「なに言ってるんですか」

中学生はポケットからハンカチを出して涙をぬぐった。

「お化けというのは、本来のエネルギー状態に還元されずにこの空間の次元から出られない意識のこと言うんですから、外に出られればそれはすでにお化けではありません。箱を通って出入りするのは宇宙エネルギーそのものです。人間の意識もある種のエネルギーですから、それをコピーする時、等しい量の宇宙エネルギーがこの次元に取り込まれるのです。エネルギー保存の法則です。」

「へぇえ、そういうものか」

「そういうものです。ぼくたちは一万人の意識を蒐集したら帰国しますから、このまま放っておいてもらえませんか」

「…」

健一の中にふたたび、何かひらめくものがあった。

「…ちょっと聞くが、その、意識をコピーする代わりに流れ込んでくる宇宙エネルギーというのは、人間の身体に作用するのかい」

 

「ぴこぴこぴこ…」

中学生の身体が半透明になると同時に硬直して、壊れた機械のような音を出し始めた。

「おいっ」

健一は中学生をつかんで揺さぶった。

「聞こえないふりすんな」

中学生はすーっと色を戻して「ばれましたか」と言った。

「ということは、影響があるんだな、おい。正直に言え。言わないとまた揺さぶるぞ」

健一が両手をかけようとすると中学生はあわてて

「ま、まってください、乱暴はやめてください」

どうやら、こいつらの種族はめっぽう暴力に弱いらしい。恐竜から進化したにしては軟弱だ。

「宇宙エネルギーと称されるものの一部は、あなた方の世界で「気」と呼ばれている波動です。なので、どこか悪いところがあれば改善されるでしょうし、とりあえず「気分」はよくなるはずです。なにしろ「気」の総量が増えるわけですからね」

中学生はめんどくさそうに説明した。

それを聞いた健一は、ゆっくりとうなづいて言った。

「そういうことならぼくに考えがある。君たちの情報蒐集をぼくに任せてみないか?公園のベンチの下に置いておくよりもっと効率的に集めてあげるよ」

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