第4話 魔人の言葉

 そこにいたのは、きわめて希薄な存在感を持つ何者かだった。背後の壁が透けて見える体に私以外の誰かが気づいている様子もなく、おそらくは彼こそが私にスキルを使わせたのだろうと本能で理解をした。


 だが、私がスキルを使った対象は彼でなく、魔人が使っていた剣に対してだ。その効能は剣に遺された情報を調べるものであり、使いなれたこのスキルで、対象以外の何かが視認できたことは1度もない。


「ほう、我が言葉が聞こえているのか」


 私が驚き、目を丸くしていることに気付いた彼が口を開く。線の細いその体つきに比して低く強い声色は、彼がこれまで過酷な生き方をしてきた積み上げが声帯に宿っているようだった。


「あなたは、誰ですか」


 問う。私のスキルでは起き得るはずの無いこの現象の正体を知ることは私にとって必要なことだ。そんな私の心情を見透かすように彼は唇の端を釣り上げた。


「我が城を玩具としている者達が俺を知らんのか」


 ここをその様に呼ぶ誰か、というのはおそらく1人しかおらず、剣に宿っていたのならばその持ち主こそが彼なのだろう。


 魔人だ。勇者と呼ばれる彼と戦い、敗れたもの。つい数年前まで人々を恐怖に陥れ、度重なる戦火を引き起こしたもの。


 私がそれに思い至った事を、表情を見て気付いたのだろう。魔人は邪悪な笑みを浮かべた。ただおそらく邪悪というのは私の先入観によるもので、彼自身は私にも、私の周囲にいる、多くの観光客にも一切の危害をくわえるつもりは無い様子だった。


「まあよい、今際の際に我が命を剣に移してみたが、これが中々に退屈なのだ。何しろ自ら動くことも叶わず、話し相手もおらん癖に次々と貴様ら人間が現れる。これは結構な苦行だと思っておったところだ。少し付き合っていけ」


 魔人にも、死を恐れるという感情と退屈を感じる心があったということか。人間に良く似た外見を持つ彼は、その精神性も人間に似たものがあるのかも知れない。


「なら」

「言わずとも貴様らが我が城に物見遊山に来ていることは知っている。貴様らがどういう解釈で我々を見ているのかもな」


 私が問うよりも先に彼は一方的に話し始めた。きっとこのツアーを利用する人にも、企画し、案内を行う人にも言いたいことが山程あったのだろう。


 当然だ。敵対する側、勝った側が好き放題に勝手な推測を垂れ流す。訂正したい気持ちも強調したい部分もあるだろう。


 彼の主張の中には、彼と争った人間の側として反論したいところもあったが、今ここで議論をしても仕方の無い事だろうし、心の何処かで私は彼に共感もしていた。


 もちろんそれは人々に対する敵対的な気持ちや魔人とその配下への感情移入に類するものではない。私が共感したのは、知りもしないくせに資料を読み、第三者に話を聞いただけで理解したつもりになっている人々の滑稽さだ。


 様々な勇者に関わる創作物の脇役として、あるいはちょっと良い役どころとして、時に本来居た場所から削除されるという存在として描かれるという目に遭った私としては、その重要度に大きな差はあれど、魔人の抱く不満の一部くらいは理解することが出来た。


 そのせいだろうか、魔人との対話は想像以上に楽しく、不思議な時間であるように思えた。


「うむ。あの男がいまは勇者と呼ばれているのか。なるほどそれは理解できる。奴程強く、正々堂々と戦う男を俺は他に知らぬ。誇りも技も、魂すらも。我が最期の相手として相応しい者だった。あの戦いは命と矜持をかけたはずだったが、心のそこから愉しいと思えたものだ」


 何より彼は、敵対者たる勇者を高く評価していた。魔人の用意した策をことごとく破り、心折れる事無く立ち向かった勇者の姿は魔人の心に訴えかける何かが確かにあったのだろう。


 そのせいか、彼は少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「だからこそ、惜しいな。あの男が守ろうとした者達が」


 私の背後にいる観光客を、遠くに見つめるように魔人は呟いた。それを私は当初、勇者との戦いを汚された気分になっているとか、自分の居城を土足で踏みにじるような態度が気に入らないとか、そういう普通の精神性を持つ人々を非難するものなのかと思ったが、どうやら、そう言うものでは無いらしい。


「我らは負けたのだ。お前達がどう語ろうと何をしようと我々が物言いをつけることはない。俺が悔やんでいるのは別の事だ」


 魔人は空をみる。割れた天井の一部から差し込む陽光に何を思うのか、その表情は寂しげですらあった。


「俺は魔人と呼ばれたが。その始まりは魔神召喚の儀によるものだ」


 聞いたことがある。

 魔人はかつて異界に住む魔神の力を我が物として、人間に戦いを挑んだのだと。その始まりから数十年とも数百年ともされる時間が過ぎた今となっては魔人誕生の伝説として語られる程度の物だが、それは事実だったのだろう。


「魔神は1人ではない。俺が力を宿した者の他にもこの世界に気付き、我々の戦いを娯楽として楽しんでいた者も居る。奴等にとっては、俺の敗北で歯応えのある獲物が見つかったと言えるだろうな」


 魔人は何でもない事のように新たな敵の襲来を告げた。そうして私の顔から血の気が引く様を楽しむような顔で首を横に振る。


「俺が若き頃はそれを知るもの、予感するものも居たが。人の寿命とは悲しいものだな」


 戦いで、あるいは天寿を全うして。魔神を知る多くの人は命を落とした。結果、私たちは魔人を倒して満足し、これで平和が訪れたのだと思い込んでしまっていると言うのか。


「娘よ。この話をどう扱うのか、楽しみにさせてもらうぞ」


 魔人はそう言うと、姿を消した。

 元々私のスキルでは本来起こらなかった対話だ。彼の側から話を打ち切ることも出来るのだろう。


 そんな事を考える余裕もなく、私は投げ掛けられた言葉の重みで膝から崩れ落ちる。


 支えてくれた他の観光客に、疲れただけだと謝る私の頭に、小さな音が響いた。聞き覚えのあるその音はスキルが私の中で成長した音だ。最近は聞いて居なかったけれど、ジョブを手に入れた頃や戦いが激しかった頃は良く聞いたものだ。


「ジョブ、ネクロマンサーを入手しました」


 ただ、脳内で音声として出力された内容は、私の知るどの情報とも違っていた。


「死者との対話、霊魂との対話が可能となります」


 偵察者のスキルで魔人の魂と会話した事が原因か、私は今更になって2つ目のジョブを入手したらしい。


 ただそれが私に訴えかけるのが、新たな戦いの予感だと思うと、とても喜んではいられなかった。


 

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