ゾンビその9
「フュ~~~、しびれる~」
拳銃の銃腔からたなびく煙を息で吹き消してからタジは言った。急いでベランダから下を覗いた女が
「死体見えないよ~」
とベランダによりかかり足をばたつかせる。シーツをまとっているがその下は全裸で下着もつけていない。
街灯の付かないビル街は森の中のように暗い。何も見ることはできなかった。
「明日には潰れた真っ黒ゾンビになってるかもね」
下を見ながらケラケラと笑っている。
「おい、ケンシ!酒と食い物用意しろ。今日は最高に!最高にラグジュアリーな夜にするぞ!」
タジはそういうと女を抱えあげて、再びベッドへと向かった。風紀を気にしない狂乱こそが、彼らの生きる目的なのだ。
ペントハウスのあるマンションは、その頂上のみが王宮のごとく光り輝いているが、その足元は明かりの一つもなく真っ暗だ。屋上からは決して覗けない暗闇の中に、ビルから横に伸びる一本のロープがあった。場所はペントハウスべランダのちょうど真下。十階下の位置にある「天空回廊」の一本だ。
その一本のロープにぶら下がる人がいた。
その男はベランダで撃たれると思った瞬間、身をひるがえし、自ら落下したのだ。弾丸は彼の背中の装甲をかすめただけであった。撃って落ちたのか、自ら落ちたか気づきそうなものだが、夜の薄暗闇での出来事であり、人を撃って屋上から落とした経験もなかったため、自らベランダから飛び降りたということを誰も気づかなかった。
そののち、落下しながらベルトのフックを取り出し、ロープの橋に引っ掛けた。これは言うほど簡単なことではなかった。記憶だけを頼りにベランダからの落下位置を決めて、後ろも見ずに飛び込んだのだ。上手くいったのは奇跡的と言っていい。ただ落下の際にロープに喉を打ちつけていた。体がロープに弾かれる前にフックを架けることには成功したので落下死はなんとか免れた。幸運と度胸が男の命を救った。
女が覗き込んでいる時にも身じろぎもせず耐え。ようやく窓からマンション内に戻ることができた。
十階下の暗闇の中で、喉が潰れた男が血の混ざったしわがれ声で、一言だけ言った。
「殺す」
男は待っても良かった。
待っていればどんちゃん騒ぎの末の寝込みを襲えた。あらゆる手段であの三人を自由にできた。だが、怒りはそれを許さなかった。
彼の生活を、人生を汚した三人を許せなかった。
処刑はすぐに始まった。
ペントハウスは全ての照明がたかれ、残された文明を飽食すべく輝いていた。女がちょうどキッチンで、冷蔵庫を開け飲み物を漁っていた時だ。タジとケンシはベッドの上で二人きりだ。
玄関が突然開いた。遠慮なしの音を立てながら。
女が見ると、キッチンの側からは廊下から入ってくる真っ黒な怪人の姿が見えた。先程、屋上から落として殺した相手が、蘇り怪人となって戻ってきた。
黒い男はそのままベッドルームに入った。
ベッドの上で四つん這いになっていたケンシはその黒い男を見るとすぐに、
「キエェェェ!」
奇声を上げてベッドサイドに置かれていた拳銃を持ち、撃ち出した。
一発二発と撃って当たらない。起き出して前進して撃つ続ける。いくら下手くそでも距離を詰めれば当たるはずと。
距離を詰めることで、当たった。黒い男の肩の装甲が砕け飛んだ。だが、あまりにも近すぎた。黒い男が一歩、力強く前に出て拳銃の正面に顔を晒した。
だがケンシは撃てない。男の頑丈な靴のソールに右足の指を全部踏み潰されたからだ。
「ヒィィ!」
前に突き出していた拳銃と手を掴まれ、もう撃つことはできない。ゆっくりと黒い靴がどかされたが、血と足の爪が足底に貼りつき取れていた。
「ビィ…」
泣き出しそうな顔をしたところに、拳が飛んできた。装甲突きグローブの一撃には、スタンガンの電流も加わっていた。残っていた一撃は、最初から男のどちらかを無力化するために使うつもりだったのだ。
ケンシは真後ろに倒れて昏倒した。
「ぶっ殺す!」
リーダーのタジが奴隷の体を乗り越えて迫る。手には大型のナイフ。斬りつけるが、黒い男の着ているスーツはサメの歯も防ぐ特別製だ。いくつもの切り筋を体につけるが、肉にまでは到達しない。
黒い男は勝ちを確信する。斬りつけるだけの相手なら、まったく問題なく勝てると。
しかし、タジもこの地獄を生き残ったサバイバーだった。斬りつけるのが無効だと瞬時に理解し、突き刺した。
「!?」
左腕上腕にナイフが刺さっている。痛みと驚きで黒い男の動きが止まる。
繊維は切断の線を防ぐ盾にはなるが、突きの点の攻撃を防ぐことはできなかった。その極めて鋭利なナイフの突きは繊維の間を貫きスーツに穴を開けた。
左腕の激痛と出血。タジを突き飛ばし距離を取る。
これ以上、突き刺されるのは避けねばと、黒い男が思った時、背中から痛みが発した。
「エェェェェイ!」
女がキッチンから持ち出した肉切り包丁で背中を刺したのだ。ナイフほどの切れ味はなく、刃先は欠けたものの、背中には二箇所の傷が生まれ血が流れている。
前後を刃物を持った敵に挟まれた黒い男は、体を横に向けて、左右に敵を見る体勢に変わる。
タジも女も互いの姿と武器を確認し、余裕を持ち出している。あとはこの黒い害虫を始末する、そしてバラバラにしてやると。
黒い男には武器はなかった。
だが、その男は腰から下げていた2つの金属のフックを両手に持った。
ただのロープに繋ぐためのフックだ。フックからロープが伸び、男のハーネスと繋がっている。あれは安全帯の一部であって武器ではない。
黒い男の悪あがきを悟った二人は刃物をちらつかせ、男を追い詰める。
「キアッ!」
女が先行しタジが後を追う。
女の包丁を左手のフックで弾き、男の攻撃も右手のフックで跳ね返す。次々と来る左右からの攻撃をフックで器用に弾き返すが、それだけだ。まさに悪あがきだった。
女が踏み込んで切りつけようとした瞬間、左手のフックがその手首に噛んだ。
狭いフックの口に挟まれ血がにじむ女の手、しかし包丁は手に持ったままだ。そのまま黒い男の首筋を狙うが、黒い男がフックのロープを後ろに引っ張り、その切っ先をあらぬ方向にずらして避ける。
ロープに操られ体勢を崩す女。タジはそのやり取りを隙と見て斬りかかる。だが、黒いフェイスマスクに隠れた男の目は、その動きを見逃してはいなかった。タジの持つナイフではなく手首を狙ってフックを咬ませる。タジも女とおなじ様に手首を噛まれ、ロープに操られる。
三人がロープとフックで繋がれた。
切りつけようと動けばロープに操られる。
二人が同時に切りかかれば、黒い男は後ろに下がり二人を同士討ちにしようとする。女が突いてくれば、ロープをずらしてタジに刃を向かわせる。
噛ませたフックで刃物を持った二人を翻弄する。
「この!」
女が両手でフックを持ち、腰を落とし最大の力で引っ張る。黒い男をこちらに向かせれば、がら空きの背中がタジの方を向くからだ。
だが、その引っ張った瞬間に、黒い男は女に向かって飛んでいた。女の力を借り存分にその身を飛ばして、肘鉄を女の顔面に食らわせた。装甲に覆われた肘鉄はハンマーで殴ったかのような跡を、女の顔に残した。
だが、黒い男の背中はタジに向かって晒された。
「クソが!」
振りかぶって、背中にナイフを突き刺そうとしたタジの動きが止まる。
彼は裸で、その足は素足であった。
背中向きに伸ばした黒い防護服の硬い爪先が、前に出したタジの足の親指を踏みつけ…床に広げていた。
「アアアアァァー!」
悲鳴を上げているタジの脇腹に肘が入り、骨はひび割れる。
「アアアア!」
振り下げた右手のナイフは噛まれたフックにより左に流され、左から飛んできた黒い男の右肘鉄が顔面を掘った。
「アア…」
弱々しく抵抗する右手はコントロールされ下に流れる。下から飛んできた左肘鉄がタジの顎のかみ合わせを正しく破壊した。
二人の男女は倒れ、真ん中の男の腹から伸びるロープにより、二人の右手だけが上に伸びていた。
そして室内から争いの喧騒が消えた。
ペントハウスを掃除している。俺の血だけならともかく、他人の血を掃除するのは気分が悪い。
割れたガラスサッシは、使っていない部屋の物を代用することにした。
俺の美しかった黄金のシーツは捨てた。
また拾いに行こう。俺のための最上級を求めて。
そのためにルート開発した。歌舞伎座からあらゆる百貨店へいけるルートだ。
「あいつらがどうなったか?君は知る必要はない」
俺は遠くにあるビルに向かって言う。西日の逆光で金色の水槽となったビルのフロアーを泳ぐ、紅いドレスの君に向けて話していた。
「どうなったか…君が知る必要はない」
俺は繰り返し、床の血を拭い、荒らされた部屋を片付ける。
成功とは勝ち取るものだ。
ラグジュアリーもまた勝ち取るものだ。
今日、俺は勝ち、取った。戦い、勝利し、取った。
その結果、敗者はここを去った。ここは勝者のための宮殿となった。
「俺は勝ち取ったんだ…」
パンデミックの後、俺が初めて味わった種類の満足感だった。
西日の光の中で紅い君は、俺のことなど関心もないようにたゆたっている。
「ここは俺の家なんだ」
ようやく、初めて、そう実感した。
ゾンビになって豪華に暮らしたい 重土 浄 @juudo
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