ゾンビその8



 歌舞伎座の屋上庭園から張られたロープは都道302号線の上空を横断している。


 俺はそのロープに架けたローラーに吊るされ、空中を貨物のように移動している。さすがに50mの長さを綱渡りしようとは思わない。最初からローラーの吊り下げ移動を想定して準備してきたのだ。


 歌舞伎ゾンビとの戦いの後、しばらく休憩しからの確認をした。各所に痣や打撲があったが治療が必要な傷はなかった。運が良かった。


 急ぎロープ橋の設置を行い、現在は空中の貨物となった自分を運んでいる。


 対岸のビルに到着した俺は、帰宅に向けて荷物の確認をする。獲物のナイフを失い、グローブのスタンガンも左手に残弾1しかない。バックには作業用の大型のハンマーが入っているが、取り回しのいい武器とはいえない。自宅のペントハウスまで空中回廊で戻れるが、完全なる安全などというものこの街にはない。俺は気を引き締め帰宅を開始した。時刻は夕方になっていた。




 ようやく自宅のあるビルにまで戻ってきた。普段ならプールで汗を流すところだが、負傷箇所が気になる。まずペントハウスのある最上階に行き、防護スーツを脱いで全身をチェックした。ヘルメットを脱ぎ服を緩めながら非常階段を昇る。階段に入った時から変化に気づいた。いつもと違う。自分以外の存在がここを通った。自分とこのマンションの匂い以外の臭いを嗅いだ。


 階段を昇っていくと、音が聞こえる。そこでピタリと止め、音の種類と出かける前の自分の行動を照らし合わせる。


 テレビや音楽をかけっぱなしででかけたか?=NO


 だれか俺以外に部屋にいたか?=絶対にNO


 「……」


 俺は装備を締め直し、ヘルメットを被り、ゾンビの巣の中に侵入する慎重さで階段を上がっていく。


 残念なことに武器が殆どない。ナイフを失い、両手のスタンガンも左手に一発しか残っていない。もともとこのスーツも、ゾンビに噛まれないためのもので、戦闘用ではない。


 「いる人数と、武装次第だ」


 俺は今、自分の人生の岐路に立っているのを実感している。


 「選択を間違えるな」


 自分にそう命じて最上階の非常口扉から室内に忍び込んだ。すぐに扉が開きっぱなしになっているエレベーターが見える。俺が設置した大型の荷物を引き上げるためのウィンチがついている。音を立てずに玄関ドアにはりつく。鍵はかかっていない。ここまで上がってくるゾンビはいないため、鍵は常に開けっ放しだ。しかし、ここまで上がってくる奴らは…。


 ドアを薄く開けエントランスと廊下を見る。


 音の正体がわかった、やはり俺のオーディオ装置から流れる音楽だ。流れている曲は俺が聞きそうもないダンス・ミュージック。ツタヤから拾ってきた大量のCDのうちの一枚だろう。その音楽に混ざって聞こえる、人の嬌声…。


 ヘルメットの下で俺のこめかみの血管がピクピクと動いている。


 「俺の家に勝手に入り込む 罪+1だ」


 「俺のオーディオを勝手に使う 罪+1」


 しゃがんだ姿勢で廊下を進む。


ベッドルームを後回しにして、リビングとキッチン、サブのベッドルームとウォークインクローゼット、バスルームを調べる。


 こちら側には誰もいない。しかし部屋を荒らされた跡がある。プラモやおもちゃがひっくり返され、着ることがなかった高級毛皮も散らかっていた。


 「罪+20」


 ペントハウスの半分のクリアリングを済ませたが、武器や装備がしまわれているクローゼットに行くにはベッドルームを通らなければいけない。


 武装を整えての対峙は不可能なようだ。


 最低二人以上の人間が俺の家にいる。そう考えただけで


 「罪+30」


 話し合いで解決するだろうか?そんな生ぬるい世界だったか?今の日本は。


 ベッドルームに当たり前のように入る。ここの家主だから当然という感じで普通に入った。


 「うわ!」


 ベッドから驚きの声が上がる。当然だろう。フルフェイスの真っ黒な男が部屋に無言で入ってきたら俺でも驚くだろう。


 ベッドの上に寝そべった男の上に女が跨っており、女もその声に驚いて後ろを向くが、体を隠そうともしなかった。


 俺が命がけで取ってきた黄金色のシーツが汚されていた。罪+50。


 「わお、誰だよ?お前」


 男の体格は、骨格も筋量も俺より上だった。黒いツーブロックの髪型、ひげも整えている。たくましい胸板で女を抱いている。俺よりもその黄金色のベッドにふさわしい雰囲気を出していた。また罪が増えた。


 「ここに住みついてたヤツだろ」


 「俺の家だ」


 女のふざけた言葉を強く否定する。


 「へ~~~、キミの?イエね~~」


 男は寝たままで俺のペントハウスを見回してから、俺の姿を見て鼻で笑った。


 俺はベッドの正面に立ち腕を組み、裸の二人を見下ろす。騒がしい侵入者を追い出す家主の構えだ。


 「この家から去れ。どう言おうとここは俺の家だ。家なら他にもあるだろ。そっちにいけ」


 「でもさー、ここいいじゃん。見晴らしいいし、電気もあるし」


 「俺が設備を整えた、俺のものだ」


 「金払ったわけじゃないでしょ。泥棒でしょ」


 女は、やかましい。


 「こんな時代だからさ~、仲良くしようぜ。ほか、こんなに酒もためこんじゃって、高いのばっか。俺たちと分け合って、助け合うのが人類でしょ。同じ日本人同士…お前。メット取ってみ?日本人だよな?」


 男の発言にイライラが増す。


 「なあ、取れっていってんだよ」


 男の態度が変わった。ベッドのシーツの下から出てきた右手に拳銃が握られていた。


 そりゃそうだ。ここまで生き残ったサバイバーだ。拳銃の一丁や二丁は持っていておかしくはなかった。


 「ケンシ、奴の体をあらためろ」


 男の言葉で、ベッドの逆サイドの下から若い男がのっそりと現れた。


 「え?」


 あまりのことに意表を突かれた。なんでそんなとこにいるの?そこ、あの男と女がセックスしてたベッドの下だろ。なんでそんなところにいるの。そのケンシと呼ばれた男は長身で色白、美青年といっていい若者であったが、顔面は傷だらけだった。ゾンビにやられた傷ではない。人間の暴力でついた傷跡だ。


 その若者が死んだ目で、なににも興味がない、ただ命令されたからという理由でこちらに近づいている。俺はその男の立場がわかった。


 (奴隷か)


 世界は俺が思っているよりもバイオレンスなことになっているようだ。俺は若者の手から逃れるように後ずさり、ベランダに向かう。すでに日は暮れて真っ暗である。室内の明かりがベランダを照らしている。俺がわざとらしく室外に出たところで、銃声が響きベッドルームのガラスが割れて砕けた。


 「動くなよ」


 「タジ、うるせぇ」


 いきなり銃撃したことに女が文句を言った。リーダーの男はタジという名前のようだ。


 しかし、俺はそんなことに気を回している余裕はなかった。


 (なにしてくれやがる!だれがこのガラス直せるんだよ!ふざけるなよ!ガラス屋はもうないんだぞ!俺の家に傷をつけやがった!!!)


 俺は完全に切れていた


 罪は100加算された。


 シーツで股を隠したタジがこちらに来る。


 銃をこちらに構え


 「なあ、いいだろ?俺たちがここ住むから、お前は下に住めよ。そうすりゃ全部丸く収まる。なぁ?お互い日本人同士、仲良くやろうぜ。ほら、顔だして、名前言って、俺とトモダチ?なろうぜ~~」


 クソみたいな空気を放っている。


 今まで俺の世界は、乾燥し無慈悲だったが、雑菌やカビはなかった。


 その完成された乾燥世界に、再び湿った黒い空気が漂う。


 (そうだ、俺はこの空気が嫌いだったから、今までこの世界で生きてこられたんだ)


 ゾンビパンデミックにより俺の前から消滅したはずのものが、再び


 (社会の、臭いだ)


 この3人が発する空気が許せなかった。


 もう罪のカウントはしていない。


 


 だが俺はタジの持つ銃の圧力により、ジリジリと後退し、ベランダの柵に背中を打った。いくらゾンビの歯に対抗できるスーツと装甲とはいえ、拳銃に勝てるものではない。


 タジを中心に女とケンシが並び、俺を見ている。完全に追い詰めて見下している。


 暴力でリーダーの座に居座るタジ。その寄り添うことで安全を買っている女。さらにその下の地位にいることで生きることの手抜きをしている奴隷のケンシ。


 全てが気に入らなかった。


 俺はジリジリと左手に移動する。柵の一番端には、スナイパーライフルがある。あれが唯一の希望だ。


 「あ、タジさん、あそこに銃あります」


 顔に殴られた跡がいくつもある奴隷が忠臣ぶり、俺より先にライフルを取り出した。


 「アハッ」


 バカみたいな笑顔でケンシはライフルを構えて俺に向ける。


 「あぶな~、あ~駄目だ。こいつ一緒だとやばいわ。殺しとこ」


 女もタジに寄り添って言う。どうやら俺は、この三人の団結のための生贄にされるようだ。


 進退窮まっている。


 ベランダの中央に銃で押し込められた俺は左側にジリジリと移動することしかできない。


 タジが最後の宣告のように言った。


 「なぁ、独占はいけないよな?分け合えないような奴が生きてちゃいけないよな?俺は分け与えてるぞ。なんでもだ。食い物も、女もだ。お前、損したな?」


 (クズが)


 吐き気を感じた俺の体は、発射された銃弾に押されるようにして、マンションの最上階から真下に向かって落下した。


 銃声が、漆黒の銀座の通りに響いた。


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