ゾンビその6
黄金色のベッドからのっそりと起きだした俺。ペントハウスの窓から見える空は夜空だった。ベッド脇に大量に並ぶ高級置き時計が、夜中の12時を指している。日本が終了して4ヶ月ほど経つが、電波時計の電波送信所は止まっていないようだ。
窓から見える光景はいつもと変わらない。
漆黒のビルが立ち並ぶ東京と、満天の星空だ。
俺は照明をつける。銀座でただ一人の人間の住むビルの最上階が輝く。
屋上に設置された太陽光発電のソーラーパネルによって作られた電力がバッテリーに貯められている。俺一人の豪華な生活を維持するには十分な電力はある。
明るい室内を柔らかなルームシューズを履いて歩く。キッチンの大型冷蔵庫を開く。
中には大量のハムやチーズ、燻製や干物、高級品であることは言うまでもなく、とにかく日持ちするものばかりだ。そしてビールとミネラルウォーター。あとは、キャビアだ。
こればっかりは貧乏性と言っていい。あればあるだけ拾ってきてしまうのだ。たいして好きでもないのに冷蔵庫にはキャビアが詰まっている。
「ロマンが詰まっている」
そう言い換えておこう。
俺は冷えた水を取り出して飲む。全てが崩壊した日本で、冷えた水を飲むだけでも最高の贅沢だ。もちろんこの水も並んでいる商品の中で一番高いものを持ってきた。
昨日の大暴れの疲れがまだ残っている。今日は休日としよう。
誰にはばかることもなく、自分で自分のスケジュールを決められる。起きる時間も寝る時間も自分で決める。この自由を前にしてゾンビパンデミック以前の俺の人生なんて…。
ベランダに出た俺は、飲み終わった水のペットボトルを空高く投げ捨てる。柵に立てかけてあるライフルを取り出し、いつものように遠い彼女を見る。
200メートル向こうの彼女をスコープ越しに見る。彼女はいつもと変わらずビルの最上階の一室に閉じ込められ、他の若者たちと一緒に変わらぬ動きをしていた。室内をぐるぐる回る遊泳。暗闇の中で彼女の白い肌と赤いドレスだけがよく見える。
俺はライフルを構え直し、しっかりと射撃スタンスをとる。弾はいつでも撃てるように装填済みだ。
指をトリガーにかけ、呼吸を落として照準を彼女に合わせる。
ゆったりと動き続けている彼女の動きは予測しやすく狙いやすい。互いの距離は200メートルくらいで風は強くない。
照準を彼女の頭に合わせる。
「君を俺のものにするためには、これしかないのか?」
しばらく彼女の頭に照準を合わせ続けたあと、ライフルの構えを解いた。
ライフルを柵に立て掛け直して、一人、室内に戻る。
街灯の一つもなく、ビルに明かりも、騒ぐ人間もいない漆黒の銀座に光り輝くスポットがある。22階立てマンションの最上階ペントハウス。その窓が光り輝き音楽と騒音が爆音で鳴り響いている。
道行くうつろなゾンビたちはその光と音を呆然と眺め、その騒々しい住民に対して、みなが文句の唸り声を上げていた。
爆音だ。
人生で許されなかった爆音だ。
ペントハウスの住民だって許されない爆音でゲームをする。
頂いてきた最高級のスピーカーセット。本当の最高級だと一人で運べないサイズと重さなので、そこは妥協した。小型で高級品を集めたが、それでもフルセットで120万はかかっている。
防音?なにそれ?
王は一切遠慮しない。全身が鼓膜になるくらいの最大音量だ。
ゲームに飽きたら映画だ。音楽ショップからかき集めたUHDブルーレイの山とツタヤの半分をかっさらってできたDVDの山。AVはすべての可能性を考慮してほぼ全てを持ってきた。
最近は映画よりもお笑いのDVDを見ることが多い。一人暮らしで心が弱っているのか。是正しなければならないな。
大音量で流されるネタと観客の笑い声。天上の光を眺めるゾンビたちの顔も穏やかに見える。
テレビを消し、照明も最小限の間接照明にする。時刻は朝の4時。東京は無限の静寂に包まれている。ゾンビも必要がなければ唸り声を上げない。
俺はいつもどおりの高級ワインとキャビアを口にしていたが、別に好きな味ではない。高いから食っているだけだ。
国が滅んでいるため、もはや生鮮食品は手に入らない。やむなく超高級品を食っているだけだ。誰に自慢することもできない。
俺がこのペントハウスを拠点とした頃、東京の夜にもまだいくつかの光が残っていた。それは懐中電灯やロウソクの光。僅かに生き残った人々が僅かな光にすがって生き残っていた。それぞれの距離はキロ単位で離れていてコミュニケーションは取れない。俺はその最後の人達を見つめるだけだった。
それも日が経つにつれ数を減らし、今や全ての建物が完全に真っ暗な墓石となった。
寂しいとは思わない。もともと一人だった。
パンデミック前も、パンデミック後も、何も変わっていない。生活がゴージャスになっただけで、孤独は変わらない。最初から孤独は苦痛ではなかった。
うつろにしていると、遠くに走る車の音が聞こえる。無音のビルの谷間にたった一台の車の走行音が響く。
「たまにある」
たまに、通るのだ、車が。まだ日本人は全滅したわけではない。しぶとい生き残りはいる。その中には車で移動し続けている連中もいる。ガソリンも食料も車も豊富に残っている。希望からか絶望からか、車で走り続ける。そういう連中もいるのだ。
俺から積極的にコンタクトを取ろうとは思わない。通り過ぎるのを見ているだけだ。関わる気はない。
「ちなみに俺の愛車はランボルギーニだ」
このマンションの地下にある黄色いランボルギーニ・アヴェンタドール。新車で値段は5000万円。
そばにいたゾンビを駆除してたらそいつが鍵を持っていたのだ。乗り回したことはないが、所有はしている、俺の物だ。
「いつか、あれでどっかに移住するかな」
そんなことも考えたが、ランボルギーニに積める荷物などたかが知れてる。その時はもっと実用的な車を手に入れるだろう。
車の音から意識を離した。どうせ去っていく人たちだ。上空を飛ぶ旅客機みたいなものだ。同じ緯度経度にいるが、けっして触れ合うことのない人たち。
俺は次に見るDVDを探し始めた。
後から思い返すと、その車の音は遠ざかっていく音ではなかった。
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