ゾンビその4



 階段で十階まで昇る。


 ドア越しに室内を観察する。わざと音を立てたりして反応を見るが、ゾンビはいないようだ。先程の階段のドタバタで慎重になっているようだ。室内に入り窓の方に移動する。


 道路に面した窓ガラスに穴が空き、救命索の先頭弾と紐が飛び込んでいる。


 俺は周囲を見て、丁度いい柱の周りを片付ける。窓から入っている紐を引っ張り手近な机に縛り付け、事故で階下に落としてしまうことを防止してから、窓ガラスを割り入り口を作る。床との接地面を念入りに壊し、破片も残さない。


 そうしたうえで、紐を引っ張り始める。最初はスルスルと引っ張り込めた紐だが、途中で重みが増す。俺は慎重に引っ張る。通りの向こうのビルの、きれいに折りたたまれたロープがゆっくりと動き出すのを想像しながら。


 紐にさらに受領が加わる。窓の向こう、ビルの中からロープの先端が顔を出している。


 俺は丁寧に、女性のロングヘアーを洗うかのようにゆったりとした動きで紐を引き続ける。紐の重さがさらに増し、少し不安になる。しっかりと結んだ紐とロープの先端、完璧に結んだとしても完璧とは言えない。


 重くなる紐を引きながら、空中を伸びていく魔法のロープを見る。すでに中間地点を越え、こちらに向かってくる。


 ようやく、ロープの先端がこちらの窓に届き室内に入った。俺はそのロープの先端をしっかりと握ると、今度は思いっきり引き込んだ。不安な紐から頑丈なロープに変わったからだ。


 ロープを柱に巻き付け結ぶ。体重をかけてロープの空中橋の頑丈さを確認する。それは十分満足のいくものであった。


 俺はロープのそばに座り込み。装備を緩め、バックから取り出した飲み物を飲んだ。スーツの背中に付けた4つの空冷ファンを回し、大変な作業で熱がこもっていた体を冷ます。


 「とりあえず、一本」


 半日がかりでできた、新しい安全な道だ。




 ブラブラと空中を歩く。


 安全帯をつけてワイヤーと結ばれているから、気楽にロープの上を歩ける。今ではロープの上に立っていても慌てなくなり、慌てないから落ちにくくなる。


 俺はロープの上に立ち、高い位置から銀座の通りを眺める。通りの端までビルとビルの間に何十本も張り巡らされたロープは俺の苦労の産物だ。この飾りをつけ忘れたハロウィンの飾り付け、死に際の蜘蛛の最後の巣作りのようなありさまこそ、俺史上最高の創作物である。銀座が俺の縄張りであることを示す、俺の巣だ。


 足元を見ると、ビルの回転ドアの周りに人だかりができている。閉じ込められた老ゾンビの声に反応してゾンビが集まってきている。ちょっとしたバーゲン会場入口だ。ゾンビたちが我先へと押し合い、お互いの骨を砕いている。


 「このへんのゾンビが集まってるな…」


 俺は向かいのビルの並びにある、ある店に目を向けていた。それは高級寝具店の店先だ。店の前からゾンビの姿は消えていた。


 「俺が寝るにふさわしい、最高のシーツ…」


 あの店に行けば手に入るのだ。もっともラグジュアリーなシーツ。人生の勝者を包むことを許された、ただ一枚の至高の品が、そこにあるはずなのだ。




 歩道に出た俺は、車道の向こうの人だかりを見る。今やゾンビの取り付け騒ぎのようだ。うめき声の何重奏か、これなら俺が多少音を立てても気づかれないだろう。


 かがんだ姿勢で二件隣りの寝具店に入る。止まった自動ドアを力づくで開けたが、こちらを見るゾンビは一匹もいなかった。店先が全面ガラスのため、外の光が店内に入り、薄暗くだが店内が見える。内部の気配をしばらく探ったが、動くものはなかった。


 店内に、乗り出した。


 バスマットとタオルのセット、2万9千円。


 エジプト綿の飾り枕3万9千円。


 メリノウールのサマーブランケット4万円。


 手袋を外し手触りを楽しむ。


 どれも3万円以上の手触り、高級品の匂い、ラグジュアリーの手触り。


 そして目当ての商品を見つける。


 エジプト綿サテン織り、キングサイズ布団カバー27万5千円。


 黄金色の布団カバー。まさにキングが寝るべき布団カバーだ。手触りはしなやかで、27万円の肌触り。


 人一人の月給と同じ額の布団カバーで寝ている人間がいたのだ。その格差をを感じながらも、今それが自分の手の中にある喜びを感じる。しかし、展示品になどを持ち出さない。奥の倉庫に入ってパッケージ状態の商品を持ち出してきた。そして最高級タオルも数枚。リュックの中に詰め込む。次に来る時は枕も頂いていこう。帝王が寝るべき最高の枕だ。


 「グゴォォォ」


 体がピタリと止まる。


 「いびき?」まさか誰もいるわけはないし、ゾンビはいびきをかかない。


 「グ、グォ」


 またしても謎のいびき音。その発生方向を見ると、店内の一番隅、影になって見えていなかった一角にキングサイズのベッドがあり、その掛け布団がゆっくりと膨らみ。


 「グオオオ…ン」


 いる、ゾンビだ。それも普通のゾンビ、バイカーではない。暗闇をよく目を凝らしてみると、高級そうなキングサイズのベッドは真中部分が押しつぶされている。その穴を隠すようにシーツが被さっていたのだ。


 「巨大ゾンビが寝っ転がり、その重さでベッドがひしゃげていて、そのベッドの穴に嵌って見えなかったのか」


 俺は荷物を背負い、グローブを嵌め直し、しゃがんだ状態のままソロリソロリと入り口へと進む。


 ベッドから目を離さないように進んでいくと、ベッドのシーツの端がめくれていた。そこからシーツの下が覗けるようになっていて、そのくらい穴の中に、黄色い目があって、


 目があった。


 ドアに向かって飛び出す俺と、ベッドから跳ね起きるゾンビのタイムングは同時だった。


 起き出したゾンビの頭は天井にぶつかった。身長は3m以上か。通常のゾンビが噛んでウィルスを広める「バイカー」であり、99%のゾンビがバイカーである。


 だがまれに、ゾンビを食べるゾンビが生まれる。それはどんどんと巨大化するゾンビ。未だ欲望を捨てされぬ異形、「イーター」だ。


 たった1%程度の発生確率だが、東京の人口はそれを大量に生み出す余地があった。


 俺も何度も遭遇している。


 今回のイーターは、ドアに到達した時、後ろをちらりと見た。白い高級なシーツが肉に挟まり、ウェディングドレスをまとったような…


 イーターのスピードは早く、距離はあまりにも近かった。


 白いドレスの巨人力士のぶちかましを食らった俺は、曲がり吹き飛ばされる自動ドアのフレームとガラス破片と一緒に、道路に吹き飛ばされた。


 道路を転がった俺は、天地逆さの状態でのしのしと迫ってくるドレスの力士を見ていた。


 いくら防護服を着ていようと、全身を打つ衝撃には耐えられない。


 「アレ、男なのか女なのか、わかんないな…」


 ぼんやりそんな事を考えていたら、片手で胴体を捕まれ引き起こされ、さらに高く釣り上げられた。


 とんでもない怪力だ。俺の目の前に、3つ不規則に並んだ口が、ガチガチと歯を鳴らしていた。なんでも咀嚼できそうだ。


 「口は3つもあるのに、目は2つしかないのかよ」


 黄色いがまだ潤いのある目がこちらを見ている。寝て過ごしていたせいか、このゾンビにはまだ水っ気があった。目の周りにも目やにがいっぱいついていて不潔だ。


 3つの口が大きく開くが、それぞれが大きく開こうとすると、他の口の邪魔をする。どの口が俺を食べるのか、争っている。とんだ間抜け顔だ。


 ようやく目が醒めた俺は、自分の体を掴んでいる巨人の腕に拳を叩き込む。スタンガンの電流が流れるが、指が二本外れただけだ。


水気が残っているせいか、効きが悪い。もう右手の残弾は尽きた。続いて左手で二発電流を放つ。まだ手が外れない。痛みに怒りの声を上げ、俺の頭を口に放り込もうとする。ガチりをヘルメットに歯が突き刺さる。


 「くああああ!」


 俺は左手の最後の電流を、近づいた奴の頭に撃ち込んだ。


 左の眼球が弾け、一つの口がバネのように口を開き固まった。顔面半分を電気で破壊された奴が、ついに手を離した。




 地面に落ちた俺はとたんに駆け出した。とてもではないがマトモに相手できるゾンビではない。イーターの叫びを聞いて回転ドア前に集まっていた連中もこちらを見る。そして駆け出している俺の姿も見たであろう、こちらに向かってきた。


 ゾンビたちが歩道を走り、路駐した車のボンネットを乗り越え、車道に雪崩込んでくる。


 最初の一匹を踏みつけて、二匹目のタックルを飛んで避ける。三匹目の手を払い、四匹目の顔をぶん殴って道を開けさせる。


 銀座の通りをまっすぐに走りながら、俺は先の様子を見る。そこかしこでたむろしていたゾンビたちがこちらの騒ぎに気が付き、動き始めている。この道を真っすぐ行ったところで活路はない。かといってビルに飛び込むにも…すぐ後ろをゾンビたちが追いかけてくる。さらにその背後から迫る大きな影、最後尾のゾンビたちが弾き飛ばされ大型ゾンビ、イーターの姿が視界の隅に入る。


 脚力を上げる。今でも十分全力だが、さらに上げなければいけない。


 視界を前に戻す、こちらに向かって走り出すゾンビの姿が見える。


 呼吸が苦しくなり視界が狭まる。だが足を止めることは許さない。心臓も肺も危機を知らせてきているが、全て無視する。


 前方を見る。


 ビルの間に渡る何本ものロープ俺が作った安全な道。地面という危険地帯に足をつけないための橋たち。そこにさえ行ければ…。


 肺が限界を告げてきた。足も休息の要請をしてくる。無視してさらなる運動を命じる。


 ビルの間にかかるロープの橋、そこから一本の糸が地上に降りている。


 そこを目指してさらなる加速を肉体に命じる。もう肉体はその命令に答えない。だから自分で足を動かし、肺を膨らます。動かすたびに苦痛が生まれる。黒いスーツの中には肉体の熱い苦痛だけが詰まっていた。


 一本だけの天からの紐。


 天国に続く一本の道。


 そこを目指して走った。前方からもゾンビたちが、背中には、カリッカリという音が。ゾンビの指先が背中に届いていた。


 イーターの巨躯も迫っていた。


 一本の天国への糸は、紐の太さになり、ロープの太さへと変わる。


 背中の圧が極限に達した時、俺の左手は天から降りる一本のロープを掴んだ。


 俺はすぐに、そのロープを地面に固定していたフックを蹴飛ばして外した。


 一本のロープは、一本の太い太いゴム紐だった。


 俺の体は伸ばされ地上に固定されていたバンジージャンプのゴムロープの、戻る勢いに引っ張られて


 空に向かって飛んでいった。


 俺がいたはずの空間を両手で掴もうとしたイーターと、噛みつかんと飛び込んできたゾンビたちが、なにもない空間で衝突した。


 俺は、一瞬で加速されビルの間を上昇していた。


 緊急用に設置しておいた逆バンジー装置。その勢いは凄まじかった。


 左手で握っただけの俺は


 「やばい、はずれる」


 グローブは滑り止めがついているが、俺の握力がゴムの勢いに負けている。本来なら安全帯のフックを噛ませてから使用する予定だったが、その余裕はなかった。空中に打ち上げられた俺の体はあちこちに揺られ、手の中のゴムも自由になりたくて暴れる。


 「あ…」


 手からゴムロープが消えた。勢いに負けて手から離してしまった。


 俺は銀座の通り、ビルに挟まれた空中を飛んでいる。


 すでに高さは10階くらい。とても着地して無事という高さではない。そのうえ、下はゾンビ地獄だ。


 「あ…」


 空中の一瞬は、長い。


 俺は自分の体がゆっくりと落下し始めたのを感じた。


 そして、幸運にも自分の落下曲線の先に、自分が作ったロープの橋があるのを見つけた。


 腰に止めてあった大型フックを取り出す。手足を開き落下する時間を稼ごうとする。


 ロープの橋が近づいてくる。こんな用途のために作ったわけではないが、この瞬間のために作っていたのだ。


 そのロープに体がぶつかる瞬間、フックをロープに引っ掛けた。バネ仕掛けのフックの口が開きロープを招き入れる。そしてバネの力で口を閉じ、絶対に外さない。


 ロープを腹に受け、空中で逆上がりをするかのような動きをした後、俺は落下した。


 しかしフックとロープとハーネスが、俺を空中に留めてくれた。


 ロープにぶつかった苦痛、ハーネスに体重がかかる痛み、そして疲労で限界を超えた肉体の痛み。限界を越えていた俺は空中で動けないでいた。


 地面には大量のゾンビたちが俺の姿をまだ探していた。奴らは空を飛ぶという夢を見ない。



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