ゾンビその3
一階に降りた。階段の影からエントランスを覗く。動く者、蠢く者の姿はない。そそくさと半開きになっている正面玄関の自動ドアにまで進み、隙間から外を見る。
すでに時間は昼近く、明るい太陽の下で佇んでいるゾンビが二体見える。左右を確認するが、この二体以外に障害になりそうなゾンビはいない。
歩道にはかすれて黒ずんだ血の跡が、模様のようにいくつも散らばっている。
高級店の紙袋が風化し、中のプレゼントもまた腐って崩れ去ろうとしている。
先程、俺が割ったガラスの破片が地面に散乱している。あれには気をつけないといけない。よく見ると、ゾンビの一体、男の頭にガラスがいくつも刺さってパンクスのような髪型になっている。
俺はそれを見ても、特に悪いことをしたとは思わなかった。
向かいにあるビルのエントランスを見る。電気がついていないビルの中は、昼間であっても暗くて見えない。中に動くものがないかしばらく見たが、いないという確信はもてなかった。賭けになるが飛び込むしかない。
ゾンビ二体の動きを予測し、ルートを策定する。二体程度なら処理できるが、ゾンビだらけの往来でそんな事をしていたら他のゾンビを引き寄せる。数が来たら終わりだ。
俺は電気が止まっている自動ドアを押し広げ、体を外に出した。根性決めて進むしかない。
パキリ
俺の靴が小さな小さなガラスの破片を踏み割り音を立てた。小さすぎて見逃した。
俺はだるまさんが転んだ、のようにピタリと止まって、一番そばにいるガラスパンクスの背中を見る。奴は聞こえなかったのか反応を見せない。そのまま遠ざかるような動きを見せる。
俺は安心し前進を続けた。歩道を抜け車道に入る。止めっぱなしの車のドアは開きっぱなし。外に避難した途端に食われたか、誰も乗っていない。俺はふと車内を探ってみたくなったが、最高級品のみを求めるという自分の人生の目的を思い出し、通り過ぎた。
昼の日中、銀座の車道をゆっくりと進む。左右を見渡すと何十匹のゾンビが蠢いているのが見える。アレが一斉に襲ってきたら終わる。車道を渡する寸前、もう一匹のゾンビが俺の行く手を阻むかのように歩いてくる。
俺はすぐさま違法駐車の車の影に隠れて、その老人ゾンビが通り過ぎるのを待った。
きしゅ、きしゅ、きしゅ
ゾンビの乾ききった筋肉と腱が奇妙な音を立てる。水分を失い穴だらけになった筋組織が動くたびに音を出す。
きしゅ、きしゅ、きしゅ、と
車の影で、老人の遅い歩行スピードに耐える。ゾンビ化して更に遅くなっている。
真昼に真っ黒な全身スーツはつらい。日光をどんどんと吸収し熱がこもるからだ。
マスクのゴーグルが呼吸の水分で曇る。
老人の歩きは遅い、ゾンビならなおさらだ。
ようやく十分な距離が離れた。俺は急ぎ車から離れて建物の入口に近づく。
バキ
急ぎ足だった俺の足は止まり、通り過ぎようとした老人ゾンビの動きも止まる。
俺は自分の足元を確認した。
携帯電話だ。
その表面ガラスは踏みつけられバリバリに割れている。曇ったゴーグルの視界不良と、焦っていた俺の不注意だ。
老人ゾンビが首を回転させてこちらを見る。ほとんど斜め上に回転させ、にごりきった目を上目遣いししてこちらを見る。目があった。
俺はダッシュする。足の裏にあった携帯は砕けたガラスを散らしながら蹴飛ばされて飛んでいく。あの老人ゾンビが叫んだらまずい。仲間を呼び寄せる。
キシュキシュキシュキシュ
老人が駆け寄ってくる。振り返った反動で体が左右ブレブレに走っているが、老人とは思えないスピード。ゾンビが数日、数週間に一度だけの見せるエネルギーの開放。解禁されたベクターの本能が筋組織を破壊しながらも獲物を追う。
俺は走って建物のエントランスに駆け込む。 ここからのシュミレーションはいくつかある。
自動ドアで閉まっていたらまずい。開けるのに時間がかかる。
自動ドアで半開きならまあまあだ。飛び込んで不器用なゾンビが扉でもたついている間に階段を駆け上ればいい。ゾンビは階段を上がるという高度な運動が苦手だ。
手動のドアでも同じ手を使える。最悪なのは戸締まりがしっかりしている場合。厄介な状態になることは間違いない。
俺は歩道を超えエントランスに近づき扉を確認する。
「回転ドアかよ!おしゃれかよ!」
想定外だが、厄介であることは間違いない。
運を天に任せて回転ドアの内部に体を押し込む。回転ドアのガラスの円筒内は一人用だ。背後から迫る老人の音が近づく。
俺はドアを押して回転させようとするが錆びているのか動かない。メンテをしてないとすぐこうなる。店に文句を云うためにさらに押し込む。グイグイっと扉が動き回転を始める。
背中をガチりと誰かの手が掴んだ。
俺はそれが誰かも確認せずに回転ドアを押し込む。ドアは三分の一回転し、背後のドアが俺を防護する盾となる。その盾は俺の背を掴んでいたゾンビの手をドアに挟んで砕いた。
ようやく背後を見た。俺の眼前に老人ゾンビの恨めしげな顔があった。
「手、挟んでますけど」
と言わんばかりの不満げな顔だ。片腕をドアにガッチリ捉えられ身動きできない。僅かに残った歯で透明なドアに噛みつこうとして上手くいっていない。
「それじゃ、あとは頑張って」
俺はもう少しだけドアを回転させビル内に入った。傍にあった金属ポールをドアに噛ませて動けなくする。このゾンビはこのガラスの容器内でしばらく過ごすことになるだろう。数年か数十年か。
ビルのエントランスはだいぶ荒れていた。そこら中に白骨なりかけ死体もある。噛まれた人間が全てゾンビ化するわけでもないようだ。運が悪ければ、いや、運が良ければそのまま死ねる奴もいる。
エレベーターは当然死んでいるの、階段のドアを開く、入ってすぐに済みでうずくまっている女性を見た。スーツ姿でうずくまり、首には社員証までかけていた。艶のある黒髪、俺は一瞬、ゾンビパンデミック発生当時の世界に紛れ込んだのかと錯覚した。震えて死を待つ人達が日本中にいたあの日時に…
飛びかかってきた女の顔は、当たり前のように干からび、朽ちていた。勢いが強すぎて頭皮がずれて髪がなびく。
一瞬の誤判断が状況をまずくした。
組み付かれた俺は地下へ向かう階段に向かって押し倒された。何段か滑り落ちる。ヘルメットに完全防護で痛みは少ないが衝撃は大きい。ゾンビのエントランスガールが俺の首筋に噛み付いた。その歯の強さをケプラー越しに感じる。ゾンビは吐息も熱もない。ただ噛み付くだけの存在だ。
押しのけようとするがゾンビ化したこの女は全身の筋肉を限界まで使いこなす。押し返され、さらに階段をずり落ちていく。背中の道具も取り出せない。俺は頭を踊り場に擦り付けられる。とにかく姿勢が悪い。反撃の手段がない。
「しょうがない」
俺はゴツゴツとしたアーマー付きのグローブを強く握り…女の脇腹に叩きつけた。
ビシっという音と僅かな光、そして焦げ臭い臭い。女の動きが硬直して止まる。俺の上で動きを止めた女の頭部にもう一発拳を叩きつける。
彼女の目の奥が青く光る。目鼻口のあった場所から薄い煙が流れる。
ドウっと倒れる女ゾンビ。
俺のグローブの甲部分には改造したスタンガンが取り付けられている。強く殴ると殴った相手に電流が流れる仕組みだ。
乾燥しきったゾンビの神経網にこの大電流は効く。ほとんど全ての神経を焼き尽くすのだ。
「ただ、片手で三発しか撃てないんだけどね」
両手で、計六発だ。頭部に当てれば一撃必殺ではあるが、ゾンビは群れで来る。緊急時の護身用でしかない。
俺は脳を焼いた女ゾンビを置いて、階段を昇り始めた。
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