お姉ちゃんが僕を完成させるまで

しじま

第1話

『女の子』になりたい、そう思いだしたのはいつからだっただろうか。今となってはよく分からない。でもそのきっかけがお姉ちゃんなのは間違いない。

「は~るくん」

 声。それは、僕の大好きなお姉ちゃん、一ノ瀬唯華の声。ご機嫌なままに声を弾ませるお姉ちゃん、その瞳に映るのは『女の子(ぼく)』の姿。

「うんうん、うんうんうん! かわいい! かわいすぎるよ! ほら見てみて!」

 そういって鏡を取り出す。純黒のドレス、そこから覗く淡く白い肌、ツインテールに結われた髪、紅い唇。そこに映っているのはまごうことなき女の子だ。

「う……うん。かわいいと、思う……」

 でも、これは僕なのだ。まごうことなき一ノ瀬春樹がそこにいるのだ。


「いやーやっぱりはるくんのポテンシャルは凄まじいね~。ゴシックに振り回されないこの力量たるや! 汗水流して買った甲斐がありました!」

「あ、あのー、これどれくらいしたの?」

「そりゃもう、お母さんにバレようものなら雷が落ちるくらいにはね~」

「命張り過ぎでは」

 お姉ちゃんは陶然とした目で彼女の作品たる僕を見つめる。この創作活動が始まったのは、だいたい僕が小学三年生くらいの時だったと思う。お姉ちゃんは中学二年でちょうど学校に馴染んできたころ。

『ねぇ、はるくん、これ着てみて』

 抱えていたのはお姉ちゃんの服だった。

『絶対似合うから!』

それが始まり。

『……私よりも』

 それとも、お姉ちゃんにとってはもっともっと深い昔から始まったことなのかもしれない。


 ともかく僕は、それを引き受けた。何でって? いやそれは、お姉ちゃんのあまりの剣幕に押されたというか、あんなに目を輝かせて頼まれたら断れないというか。「5000円! 5000円払うから!」と言われた時はどこからそんな大金仕入れてきたんだと恐怖まで感じた。それくらいお姉ちゃんは自分の野望に必死だった。じゃあ、ちょっとだけ、ちょっとだけね……と。ああ、そのちょっとがどれだけ致命的か僕も知っていたはずだけど、お姉ちゃんの土下座も辞さない覚悟と5000円には勝てなかった。

 そして今、とうとう僕が中学2年ともなろうこの時期に至るまで幾度とない試行が行われてきたのである。


「ふぅ、よし、写真は撮りつくしたね」

「じゃ、じゃあもう終わりってこ」

「いよいよ直接堪能させて頂きます!」

 フラッシュの次は姉が飛んできた。

「ぐぇっ」

「ぎゅ~」

いや、ぎゅーじゃない。全身を折らんかのばかりの抱擁だ。お姉ちゃん曰く血と汗の結晶たるドレスらしいけど絶対しわになるよこれ。そして頬ずり連打。

「痛い、痛いから! 離して!」

「あ、ごめん、緩める緩める」

 先ほどより緩く、しかし絶対抱擁を解かせんとばかりの絶妙な力加減になった。なんとか息を付く。

「ふぅ」

それに合わせてお姉ちゃんは僕の胸に顔を埋める。愛おしむように。お姉ちゃんの体温が、僕の体を染めていく。お姉ちゃんが、僕を染めていく。

「ごめんね、無理やり付き合わせちゃって」

「いいよ、今に始まった事じゃないし」

「嫌じゃ、ない?」

「それは……」

 嫌じゃない、とは言えない。けど嫌とも言えない、そう言いたくない僕が居た。女の子の姿になり始めて、自分の中で燻る何か。むずむずと、衝動が形を取り、僕を内側から覆っていく。それは、なんなんだろう。僕はいったい、何になろうとしているのだろうか。

「ねぇお姉ちゃん」

「何?」

「女の子って、何なのかな?」

 僕の胸から滑り落ちた、意味のない問いかけ。それに対してお姉ちゃんは。

「それはね、お姉ちゃんにも分からないんだ」

 そう、ちょっと悲しそうに笑った。

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