例外


 アルバート先生が扉に手をかざすと、観音開きの扉の縁が薄い光を帯びて開き始めた。


 扉の隙間からは数百人ほどのざわめきが聞こえてくる。


 ケミはだんだんドキドキしてきた。こわばった表情で前髪を撫でる。いいようのない緊張と不安が押しよせてきた。誕生日パーティーでドレスの裾を引っかけて、お父様の大切な壺を割ってしまった時でもこんなに不安になったことはなかった。


 あたりを見ると皆、表情が硬く緊張している面持ちだった。


 隣にいるリズの顔もひきつっていたが、ケミを見るとニコッと笑顔を返してきた。さっきまで不安で仕方なかったのにケミはそれを見て不思議となんだか少し落ち着いた。

 

 扉が開くとざわめきが歓声に変わった。


「お集まりの皆さま。只今よりティアナ連合国国家守衛養成学校の入学式を始めます。ご静粛にお願いいたします」


 大広間全体に声が響くと歓声は静まりかえった。


 物音一つ聞こえない。ケミが今ここでスキップをして音を立てようものなら何百という人の目が一瞬で集まることだろう。


「それでは本年度の選ばれし新入生を紹介します」


「アウストリア、ミレイユ」


 ブロンド髪をポニーテールでまとめた女の子が、大広間に出て行った。ローファーと赤い絨毯の擦れあう鈍い音だけが微かに響く。


「ディディエ、マリー」


 茶色い髪に三つ編みをほどこした女の子がカクカクした歩き方でブロンド髪の女の子の横に座る。


「ホルタ、アラン」


 金色で短い髪のキリッとした顔立ちの男の子がケミの後ろから、「ちょっとごめんよ」と言って出て行き、ゆっくりと大広間に進んだ。


 その後も「ジェニエス」――「キッカ」(ソルは大広間に行く前にこちらに向かってウィンクをしてきた)――「ルピノ」――とつづき、「ローズウェル、ケミ」


 ケミは一瞬ドキッとして、前にいる生徒をかきわけて大広間に出た。


 大広間は先ほどの入り口の広間が三つは入る広さで、溢れんばかりの人が壁ぎわに着席し、首を伸ばしてこちらを見ている。

 

 その壁ぎわには松明が何百と備えつけられ、半透明の石が大広間と人だかりを照らしている。


 一歩、また一歩。


 ケミは重い足取りでなんとか大広間中央に並べられた椅子まで進み、腰かけた。


 これだけ多くの人の注目を浴びることはなかなかない。第四王女のケミにとっても初めての経験だった。


 座ってからもケミはまだ頭の中がふわふわした感じでいっぱいだった。リズが隣の椅子に座ったことすら気づかなかった。そのため隣からリズの声が聞こえたときに、ケミは驚いて声を上げそうになった。


「四聖人の像があるね」


 リズはひそひそ声で言った。


 ケミがどこに像があるのか探しているとリズは、「天井のカドのところよ」と教えてくれた。


 色とりどりのシャンデリアが吊るされている天井の四隅には、人の形をした石の像が壁からせり出ていた。


 皆、ローブを羽織っていて、一人は剣を持ち、その剣をたかだかと掲げている。


 一人は杖を持ち、その杖を前に押し出している。


 一人は盾を持ち、その盾で自身の体を守るように身構えている。


 最後の一人は短剣を持ち、その短剣の切先を自身の肩先部分から振り下ろそうとしている。

 

「千年前の人魔大戦で活躍した英雄ですよね。四聖人が戦いを終わらせたと習いました」


 ケミが言うとリズは頷く。


「四聖人が人魔大戦のときに魔物を支配していた魔獣を討ち取ったって伝えられてるよね。でも本当はもう一人いたんじゃないかって、ある古い書物には書いてあったの」


「もう一人ですか? 四聖人のほかに?」


「そう」


「どなたがいたんです?」


「それは――」


 リズの言葉を遮るように、大広間にどっと笑いがおこった。どうも誰かが途中で転んでしまったらしい。ケミが後ろを振り向くと、顔を真っ赤にしたおさげの女の子が小走りで椅子に座るところだった。


 再び大広間に声が響いた。


「本年度の新入生は以上になります。これより入学式を始めます。ご列席の皆さま、ご静粛にお願いいたします」


 大広間全体が静まりかえる。


「では、校長先生お願いします」


「ありがとう。サーフェス。相変わらずそなたの声はよく響くのう。非常に助かる」


 正面奥の壁には深い赤地に盾、剣、杖、短剣をモチーフにした金色のデザインの大きな国旗が貼られ、そのすぐ前に黒地にひときわ沢山の金色の刺繍が施されたローブを着た初老の男性が立っていた。


「新入生諸君、ティアナ連合国国家守衛養成学校に入学おめでとう。わしは校長のカイン=グラシアじゃ」


 初老の男性は生徒をすみずみまで見わたした。かすれた声だがよく通る声だ。

 

 くるっと丸まった立派な口髭に、片眼鏡をはめ、顔には深い皺が刻まれている。まだらに白髪がかった金色の髪が年代を感じさせていた。


「これから諸君には列席しておられる先生方から知識と技術を学び、ティアナ連合国の安定と発展のために国家職種のエキスパートになってもらう」

 

「知ってのとおり、我が校は入学すること自体がとても難しい。晴れて入学した諸君は豊かな才能を持っておる。その才能におぼれず、おおいに学友と切磋琢磨するように。諸君の将来が明るいものになるよう願っておるぞ」


 グラシアの挨拶が終わると拍手が鳴った。


 拍手を制するようにグラシアは手をかかげる。


「さて、硬い話はここまでにして。我が校、九百八十年の歴史において今回の入学式は特別なものになった。諸君らもご存知の通り、史上最年少での入学者が現れた。まったくなんたることじゃ」


 グラシアは驚きとともに、丸まった口髭をさらに丸めるように撫でた。


「諸君らもその者が気になって仕方ないじゃろう? わしは気になる! 気になって仕方がない! 我が校の歴史を塗り替えた生徒はどんな生徒か? なぜ史上最年少で入学出来たのか? そこでじゃ、今日は特別にその者に何か披露でもしてもらおうと思う。どうじゃ、いい考えじゃろう?」


 グラシアが生徒や列席者に問いかけると大広間に拍手が溢れた。


「決まりじゃな。では、ケミ=ローズウェル前へ」


 ――聞いてない。そんな話お父様からも側仕えからも誰からも聞いてない。


 ケミは突然のことに目を見開いて戸惑った。リズに助けを求めたが、リズは、いってらっしゃいと言わんばかりに嬉しそうに拍手をしている。


 グラシアはケミにいたずらっぽい笑みを浮かべながらウィンクをして前に出るように促した。


 ケミはこのグラシアの事をよく知っている。


 国守校入学を目指したときに王宮の庭で、幼いケミでも使える剣術や体術、魔術を教えてくれたのは、他でもない王の一番槍といわれているグラシアなのだ。


 グラじいのいじわる……


 ケミは大きな拍手に押されながら、しぶしぶグラシアの隣に並んだ。


「グラじい、私こんなことがあるなんて聞いていないわよ」


 ケミは口もとを隠しながらグラシアに言った。


「ケミ様。手加減は無用ですぞ。大広間全体にパラディンの結界を張っておりますので存分にご披露ください」


 ケミの言葉を意にかえさずにグラシアがささやく。


「それに先ほど、アルバート先生が魔法を使ったらダメだって言ってたわよ」


 ケミは不満そうにグラシアを睨んだが、グラシアは素知らぬ顔をして愛おしそうに口髭を撫でるばかりだった。


 グラじいのことだ、何か企んでるに違いない。けれど、こうなってしまったらもうどうしようもない。


「わかりました。やればいいんでしょ」


 ケミが観念するとグラシアはケミに微笑んだ。片眼鏡の奥の淡い緑色の目がキラキラと輝いている。


 ケミはため息をつくと生徒に向けて話しかけた。


「皆様、お初にお目にかかります。ケミ=ローズウェルと申します」


 膝を折り、ケミがお辞儀をする。その所作は紛れもなく高貴な者のそれだった。


 その場にいる全員がケミに注目した。列席者の中には一目ケミを見ようと立ち上がり、オペラグラスを使って覗き込む者までいた。


「私はまだ幼く、右も左もわからない若輩者です。そんな私が皆様の前で何を披露などしていいものかと思いますけれど、グラシア校長先生のお言いつけですので大変恐縮ではございますが、少し魔法を使わせていただきます」


 張り詰めた空気と人の目がチクチクとケミに刺さった。


 ちらっとグラシアの隣にいるアルバート先生を見ると、どんな魔法を使うのかと興味津々な顔をしていた。ケミはアルバート先生とグラシアが事前にこのことを申し合わせていたのだと悟った。


 ケミはこわばった手でローブを外して、そっと胸元に両手を重ね、目を閉じた。


 すごくドキドキしてる。どうしよう……上手く出来るかわからない。けれどやるしかないのよね……どうか上手く出来ますように……


 ケミは祈りをささげた。


 ――導きの神リリアよ。どうぞ未熟な私めにお力をお貸しください――


 ケミは意を決して鋭く目を開くと、素早く胸元から両手を離し、肘を前に伸ばして肩幅の距離をとり、一糸乱れぬ動作で左右同時に空に幾何学模様を描きながら詠唱を始めた。


「我求めん、この世のことわりを。言葉の花は実を結び、散ろうともこの世を揺蕩う。やがて紅雨に溶け清浄なる大地を埋める露花が、無限の導き手となりてこの世界を守らん」


 ケミの詠唱は魔法を放つには十分な詠唱だった。そのため誰もが詠唱は終わったと思った。


 だが、それだけでは終わらなかった。今度はその場で滑らかにステップを踏み、身体を回転させながら、空に幾何学模様を描き、ケミは詠唱を続けた。


 一回転――

 

「無限の導き手となりて」


 幾何学模様を描き続ける両手から、無数の白い光が溢れ出し、くるくると舞うケミの身体を包んでいく。ケミの薄い銀色の髪が身体のあとを追って波のように流れている。


 二回転――


「この世を揺蕩う」


 ケミの身体を包んでいた光が濃くなり、優雅に動く両手に集まり出した。


 三回転――

 

「清浄なる大地の露花」


 ケミはぴたっと回転を止め、詠唱を終えるのと同時に光が集まった両手のひらを前に突き出す。


 その場にいる全員が固唾を飲んだ。


「霧散せよ! ディバイン・フレア」


 無数のガラスが割れたような激しい音と共に光が弾け、飛び散った。

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