第5話 墓参
翌朝、フローラが運転するオートモビルでグスタフホフの町から山を三つ越え、センターポリスからは遠く離れた山間の村に辿り着いた。
村の入り口には、ハイマトスタットと掘られた石造りの門柱が建てられている。
「……こんな山の合間に村があるなんて、知らなかった」
ハンドルを握るフローラは、唖然としたように呟いた。僕も同意見だった。改めてみると、こんなところに村を築いたご先祖様たちの努力には頭が下がる。
ここが僕の生まれ故郷。ハイマト山の裾野から中腹、谷間に広がる農村で、センターポリスを見たあとだと、ここは半世紀近く時間が遅れているようにも見えた。
「静かね」
「昔は、もっと賑やかだった。野菜を運ぶトランスポーターとかが行き交って、畑にも人が……行こう、僕の家はもっと上の方だ」
僕らはさらに、僅かな平地を農地に譲って、山の斜面にへばりつくようにして作られた住居区域へと進む。フローラも気づくくらいだから、僕にだってわかる。明らかに人の気配が少ない。こんな小さな村だから、見慣れないオートモビルが入ってきたら、村のチビ達が押し寄せてくるのが僕の記憶の中にある故郷の姿だったはずだ。
「ここがユリウスの家?」
急な坂道の中程、村を見渡せる高台に、僕の家はぽつんと建っていた。久しぶりに自宅から見おろす村の姿は、どこか荒れ果てた印象を僕に抱かせた。多分、農耕地の維持をする働き手が足りなかったせいだ。
「うん……まあ、もう誰も住んでないし。入ったところで何にも残ってやしないだろうけど」
庭の草が適度に刈られて手入れされているので、まさか売り払われたんじゃないかと思ったけれど、表札は相変わらずケルマディクスのままだし、僕は遠慮なく敷地に入った。
玄関の生体認証キーはガチャリという音と共に、ロックを解除してくれた。
「……ほとんど片付けられてるな」
家具は最低限残されているけれど、人が住んでいた気配を感じさせるようなものは、ほとんどなくなっていた。
たとえるなら、センターポリスのアパートに初めて入ったようなもので、ここが自分の家なのか、信じられない自分がいた。
「親戚はいないんでしょ? 誰が……」
「さあ。多分近所の人に母が頼んでたんじゃないかな」
最初に僕の家から戦地に行ったのは士官学校を卒業した兄だった。その次が士官学校で教官をしていた父と緊急招集された僕、最後が参謀本部にいた母。もう三年も前。最後に見た母親は、既に軍人としての覚悟を決めていたから、他の家族のように涙ながらの見送りではなかった。
でも、最後に僕のことを抱きしめてくれた。そのことだけは覚えている。その時、何か言われた気がするけど、すっかりそこは記憶から抜け落ちていた。
既に惑星シーアンの防衛隊にいた僕に、戦死の知らせが届いたのは去年のことだった。それも三人分まとめて。
どんな顔をしたらいいのか分からなかった。
悲しもうにも、それを共有してくれる人、慰めてくれる人は防衛隊にはいなかった。中央から送られてくる電文には、毎日防衛隊の誰かの家族か、恋人か、先輩か、後輩、元の部下の名前が書いてあって、僕だけが悲しみに暮れるわけにも行かなかった。
「僕の家族が死んだことを、一人だけ、僕の代わりに泣いてくれた人がいた」
「誰?」
「君のお父さんだよ、フローラ……あの人……ゲオルク艦長が泣いてくれたのは、単に同情したわけじゃない。泣けない僕を見て、悲しんでくれたんだ」
ゲオルク艦長は、厳めしい顔つきの人だったけれど、その顔を、グシャグシャにゆがめて泣いてくれた。僕の代わりに、泣いてくれた。
相変わらず、そういう父親が想像できないのか、フローラは返事をしなかった。
「あっ、ユリウス、あれ……写真?」
リビングルームだった場所に置いてあったサイドボード。僕が産まれる前からここに置かれていた家具の上に、写真立てが置いてあった。
戦争が激しくなってからというもの、電磁波爆弾の多用があちこちで行われるものだから、電子データだけで記録を残すのは危険だと言われて、特に大事な写真は印刷物を皆好んでいた。
「家族で撮った最後の写真だ。これが僕、こっちが兄さんで、母さんで、父さん……」
ただの集合写真だったらよかった。でも、母さんも父さんも、兄さんも、そして僕も軍服に身を包んだものだ。思い出した、これは兄が出征する直前、村の写真館で撮ったものだ。
「……優しそうなお母さんね」
フローラの細い指が、写真の中の母さんを指す。その表現に、僕は思わず吹き出しそうになった。優しい、という表現が、僕にとってはあまり母さんのイメージにそぐわなかったからかもしれない。
「そうかな? 軍人家系だったからね、おっかないことこの上なかったよ……でも、母さんは、僕を最後に、小さな頃と同じように抱きしめてくれた。あれが母さんの精一杯の愛情表現だった……精一杯で、目一杯で……」
僕は、写真立てを手にしたままへたり込んだ。力が抜けてしまって、立とうとしても身体がいうことを聞かない。目の辺りが熱くなって、頬が濡れる感じがした。
ああ、そうか。
僕はようやく気がついた。今やっと僕の中で戦争が終わって、家に戻ってきて、僕は実感した。言葉では分かっていたけれど、実感してなかった。
僕の家族が、この世にはもう誰もいないことに。
「ユリウス……」
「あ、あはは。ごめんね……ちょっとの間、一人にしてもらってもいいかな。なんか家に戻ってきて、安心しちゃったみたいだ」
「……じゃあ、車で待ってるわ」
フローラは、何もいわずに外に出てくれた。泣き顔は見られまい、と隠したつもりだったけれど、多分気づかれてた。
玄関のドアが閉まる音がした。僕は大声で、もう何年も出していないような大声で、兄さん、母さん、父さんと呼んだ。答える人は、もういないのに。
五分くらい、その場で泣いて、呆然として、ようやく僕は立ち上がり、外に出た。
「ごめんね、待たせちゃって」
「良かったの……? その……」
「うん。なんだかすっきりした……あとはお墓だね。ごめんね、付き合わせて」
「気にしないで……あれ、今誰かがあなたの名前を呼んでなかった?」
言われてようやく気づいた。遠くから誰かが僕を呼ぶ声が聞こえる。その声は坂の下から聞こえてきて、段々近づいてくる。
「ユリウス!! ユーリーウースー!!」
旧式の内燃機関を積んだトランスポーターが、僕らの横合いを通り過ぎたと思ったら、急ブレーキを掛けて止まった。運転席から飛び降りて、僕と同年代の男が坂道を転がるようにして駆け寄ってくる。
背丈も僕より高いけど、横幅もデカいのでどこかずんぐりしたシルエットに見覚えがあった。
「ユリウス……! お前、ユリウスじゃないか!?」
「ヨゼフじゃないか! ロドネブラ戦線に行ってたって聞いたけど」
ヨゼフ・シュタイアーは、僕の幼年学校時代の同級生。坂の下にある村一番の大きな農家の次男で、そりゃあもう、悪ガキで小さい頃は有名だった。ただし、弱い者イジメをするような人間ではなく、公明正大なガキ大将として、この辺りでは有名だった。僕もよく、一緒になってこの辺りの山で遊び回った。
僕と時を同じくして彼も前線へと駆り出された。彼の任地は連合帝国との艦隊決戦の場となり、一旦それが片付いたあとも延々と終戦間際まで戦闘が繰り広げられた惑星ロドネブラ戦線だった。
「酷い場所だったぜ。俺らは傷病兵と一緒に運良く本国に戻って来れたが、他の連中は誰も生きちゃいない…………ところでユリウス、その子、誰だ?」
ヨゼフは、僕の後ろに立つフローラにようやく気づいたようだ。
「ああ、いや、彼女は」
「ユリウス! お前、ガールフレンドつれてきたのか!?」
目を点にしていたフローラに説明する前に、僕の肩をガシッとつかんだヨゼフが叫ぶ。
「違う!」「違う!」
思わず叫んだ僕と寸分違わぬタイミングで、フローラも叫んだ。
「おっ、息もバッチリあってるじゃないか。こりゃあうちの年寄り達が聞いたら喜ぶぞ!」
「い、いや、僕は墓参りに」
一人で舞い上がっていたヨゼフに僕がここに来た理由を伝えると、流石にヨゼフの顔が陰った。僕はそれだけで、彼がこの坂を上ってきていた意味に気づいた。僕を見かけただけで、こんなところまで来るはずがない。
「ああ……そうか、いや、俺も今から叔父さんの墓に行くところだったんだ。この先道が悪いし乗ってけよ。さあ、彼女さんも」
「彼女じゃない!」
彼女といわれて、フローラは心外だとばかりに、再び叫んだ。
ハイマトスタットの共同墓地は、村を見下ろすハイマト山の山頂に近い斜面を切り盛りして作られていた。死者の魂が、少しでも楽に天に昇ることができるようにということで、こんなところにお墓を作った……というのが、僕が村の幼年学校で教えられた言い伝えだ。
「俺の叔父さん、一〇年前にはもう死んでたらしくてな。今日になってやっと、軍から戦死公報が届いて……覚悟はしてたっつってもなあ……隣村のフラッグスタットも一昨日になって、やっと知らせが届いたらしい。今はどこにいっても葬式だらけさ」
道理で村に入ってから静かすぎると感じたはずだ。自分の家族は無事でも、隣家や向かいの家が葬儀なら、どこも手伝いや喪に服しているから靜かでないとおかしい。
すすり泣くような声が聞こえてきた。多分ヨゼフの叔父さんの家族だろう。半世紀くらい前から、僕らヴァルタヴァの人間が当たり前のように着ている国民服には、喪章が付いていた。
「一〇年も音沙汰なし。ひょっとしてひょっこり帰ってくるんじゃないかと、誰だって期待しちまうさ……」
墓地を見渡すと、そこかしこで同じような光景が見て取れた。
「お悔やみ申し上げるよ……」
ユリウス、もっと気の利いた言い回しはないのか。そう自分で思わずにはいられないけれど、当たり障りのない言葉しか、今の僕には思いつかなかった。
「兄貴も多分……ま、お前ほどじゃないよ。ユリウス、自分ちの墓、場所知らないだろう? ヴォルフラムの爺様が用意してくれてる。行ってこい」
ヴォルフラム・アンゾルゲ。村では最年長で、一〇〇年前は戦闘機のパイロットだったという御年一四〇歳の長老だ。ヨゼフの一族の墓地より少し先には、ボロボロの軍服を着込んだ老人が佇んでいた。
「爺様!」
「ユリウス! おお、本当にユリウス坊やが、こんなに立派になって……フェリックスやコルネリウスに見せてやりたかったわい」
「爺様は大丈夫?」
「なあに。ほれ、この通り」
爺様はギシギシと音が鳴る肘関節と、漏れるオイルを見て笑っていた。
ヴォルフラムの爺様は身体の半分は機械になってしまって、半永久的に生きられるとまで言われていた。そうやって何千、何万ものパイロットを養成してきたのだという。
ただ、戦争のせいでそのメンテナンスを出来る技師もいなくなってしまって、いよいよ本当に死ねる日も近いと、僕の家族のお墓に案内するまでの間笑いながら話してくれた。
「ドリスもお前さんの姿を見たらさぞ喜んだだろうに……まったく、親も兄も先立つとは……」
「誰のこと?」
ずっと他の家の墓地のほうを見ていたフローラが小声で聞いてきた。
「僕の父と兄。父がフェリックス、兄がコルネリウス、で、母がドリス」
「ドリスも、お前が前線に行ってすぐ出征してしまって……わしらで家を片付けておいたが、問題はなかったかの? ドリスに頼まれておったんだが、家族写真とお前さんの私物と家具以外は処分してもいいといっておってな」
そうか、やはり母さんだったか。僕は納得した。母さんはとても几帳面な人だったから、自分達が二度と戻って来られないと考えて依頼しておいたのだろう。
「母さんはそういう人でした。多分、兄や父が帰ってこないことも、分かっていたんじゃないかと」
「それでも、ユリウスの私物だけは残しておけと言ったのは、きっと母親としての、最後の願いだったのじゃろう……末っ子は、特に可愛いからのぅ」
そこでウォルフラの爺様は立ち止まって、墓石に身体を向けた。アクチュエータの軋む音が、爺様の身体の老朽化を表しているように思えた。
「お前だけでも帰ってきてくれて、よかった、本当によかった……孫のようなお前たちまで先立たれては、ワシもさすがに悲しいからのう……」
ヴォルフラムの爺様は、物心ついた頃には祖父も祖母もいなかった僕にとって、本当の祖父のような人だ。機械の両手で僕の右手を優しく包み込んだ。
「さあ、お前の家族に、最期の挨拶を済ませようか」
お墓の前には、紙で作られた剣と盾が置いてあった。僕らの村では、戦場で死んだ者は、現世を生きる残された人々が来るその日まで、天界を守るため旅立つという言い伝えがある。だから、そのときに使うための剣と盾を届けるために、紙の剣と盾を燃やすのが習わしになっていた。
「今、旅立つはフェリックス・シュナイデル、コルネリウス・シュナイデル、ドリス・シュナイデル。汝らうつしよを離れ天界を守りたまえ……汝らの息子、弟ユリウス・シュナイデルより送るは剣と盾なり。ユリウスが来たるその日まで、天界を守りたまえ……願わくは、その日が遠い、遠い先の日になることを、ヴォルフラム・アンゾルゲの名において、せつに願う……」
ヴォルフラムの爺様が手にした杖の先端がぼうっと光り、お墓の石に乗せられた紙の剣と盾に火が付いた。ちりちりと音を立てて、剣と盾が灰になっていく。本当なら、この墓石の下には父、母、兄の三人の遺骨が納められるべきなのだろう。
でもここは空っぽで、今していることは、あくまで僕や残された人々のための儀式だ。戦死した人間が、この世にはもういないというのを認識するためだけの形式だ。でも、僕はそれが無意味なものとは思わなかった。
風に吹かれて、剣と盾だった灰はどこかへと運ばれていく。それはまるで、本当に天界に旅立つ人が、剣と盾を持っていったようにも見えた。だから多分、僕らの村では、こういう儀式を行うのかもしれない。
「……わしはもう長く生きすぎた。見送るばかりというのは、月並みな言葉しか出てこんが……辛いのう」
ヴォルフラムの爺様は、こうしてたくさんの村人に儀式を執り行ってきたのだろう。爺様は村の人たちが死んだのを、本当に悔やんでいる。僕にはそう見えた。
「フェリックス、ドリス、お前達の息子が来てくれたぞ……! コルネリウス! お前の弟は立派な男になったぞ!」
爺様は空に向かって、しわがれた声で叫んだ。
「おまけに嫁さんまで連れて! シュナイデル家は安泰じゃ! 安心して天界の守りに赴くがいい!」
「はい!?」
「ち、違います!」
突然、爺様が言い出した言葉に僕とフローラは驚いた。おかしい、いつの間にかそんな認識をされているということは、多分今頃、村中で大騒ぎだ。あのヨゼフのことだから、大声で触れ回っているに違いない。
「ほっほっほ。まあ嫁でも彼女でも友達でもなんでもええわい。集会所で皆が喪明けの振る舞いをしておる。大したものは出せんが、ゆっくりしていけい。老い先短い老人のワガママ、聞いてくれんかのう、お嬢さん?」
シワだらけの顔を綻ばせていわれたら、断るにも断れない。顔を見合わせた僕とフローラは、そのまま爺様と一緒に、村の集会所へと向かうことになった。ヨゼフ達は先に向かっていたようで、爺様が自分で乗ってきたというオートモビル――フローラのものより単純で僕でも扱えた――を、僕がフローラと爺様を後部座席に乗せて山を下った。
その間も、爺様はフローラに僕の小さい頃の話とかをしていた。バックミラーに映る彼女は、その話を大層面白がっているように見えた。まあ、関心を持たれているのなら、その方がいい。
オートモビルを走らせること一〇分。村の中心部、役場と集会所のある区画にたどり着いた。
「さて、わしは役場に用事がある、二人は集会所でゆっくりしとるとええ」
そう言い残すと、爺様は歳の割に速い足取りで村役場へと歩いていった。
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