恋に溺れる愚か者
中学時代に彼氏が居た。同じ部活。同じクラス。明るくて元気な男の子。告白されて、なんとなくOKの返事をした。
でも、「好き」という気持ちがわからなかった。多分、好き、なのかな? という、曖昧な気持ち。それを見抜かれて、聞かれた。
「アンジェは、本当に俺のこと好き?」
好きっていう気持ちがわからない。だから、その場で謝って、やっぱり別れることになった。ミランダと知り合ったのはその後だった。タイミングが良かった。打ち込めるものが出来たから。失恋というものなのかはわからないけれど、彼氏と別れてから、妙に心が寂しくなった。でも、だからと言って、後悔したわけではなかった。
本気で他人を好きになることがわからない。家族は大好き。父さんも母さんも、弟のダニエルはすごく可愛い。ペットのトビーだって子犬の頃から大好き。父さんと母さんは他人同士なのによく結婚して家族になったと思う。私はよくわからない。
本気で人を好きになる気持ちがわからない。
そう――思ってた。
(はーーーーーー)
皿洗いをしていたアンジェが深い深いため息を吐いた。
(ルーチェに会いたい)
会いたくて会いたくて仕方ない。
(抱きしめたい)
(甘えたい)
(声が聞きたい)
――アンジェちゃん。
(あーーーーー手伝いとか無理ーーーー)
「こら、アンジェ! ぼーっとしてんじゃねえ!!」
(ああ……まじうざ……)
ルーチェのことだけを頭に思い浮かべてたい。声とか、目とか、笑顔とか、私を……呼ぶ姿とか……。
――わあ、アンジェちゃん。いらっしゃい。
――この魔法の呪文言いづらいんだよねー。
――あ、部屋の片付けは……あっ、宝物が!
――アンジェちゃん!
唇を重ねれば、
――……アンジェちゃん……。
「おら!! 6番テーブル様! 行って来い!!」
(……うざ……)
アンジェがうんざりしながら食事を持っていった。
(*'ω'*)
「ルーチェちゃん! お疲れ様ー!」
「お疲れ様でーす」
鞄を肩にかけてルーチェがバイト先から出ていった。
(はあー……眠い……。電車で寝ちゃいそう……)
「……あっ」
(なんか曲聴こうかなー)
「ルーチェっ」
「えっ?」
ルーチェが振り返ると、柵に寄りかかるアンジェがいた。あっ。
「アンジェちゃん」
(わ、会えた。ルーチェだ。……笑顔だ……)
「どうしたの?」
「や、あの……」
「お使い?」
「……。……そっ」
「あ、そうなんだ。お疲れ様」
「……コンビニで、なんか、買う?」
「あー。……アンジェちゃんは?」
「……肉まんでも」
「あっ、そうだね。肉まん食べ、た、食べたい!」
二人で肉まんを買って、歩きながら線路沿いを歩く。
「むふふっ! 美味しいね!」
(……手繋ぎたい……)
「ミランダ様にも買えばよかったかな」
「……あいつはいいよ」
「うふふ。冷めちゃうしね」
(……手繋ぎたい……)
アンジェとルーチェの手の距離が近い。
(少し……手を……伸ばせば……)
「ふう。ご馳走様でした」
(あっ!)
ルーチェの手がビニール袋にゴミを入れると、アンジェが手の位置を戻した。
(別に……手繋ごうとか……してないから)
「アンジェちゃん、ゴミ入れる?」
「あ、うん。……持つ」
「あ、大丈夫だよ。屋敷で捨てるから」
(そのビニール袋が邪魔で手を繋げないんだけど……)
「お使い中なのに送ってくれてあり、ありがとね」
「……」
アンジェが目をそらした。
「……お使い、というか」
「ん?」
「ルーチェ、今日バイトだと思って」
「ん? うん」
「……で、……父さんの手伝い、丁度終わったから……」
「……」
「ちょっと、寄ってみたら、……会えたってだけ」
「……? セルバンテスにお買い物しにきたの?」
「……え?」
「え?」
「……えーと」
「うん!」
「……。……。……お菓子、買おうと思ったんだけど、また今度でいいかなって」
「あー、この時間太るもんねー」
「そっ(……いや、ルーチェに会いに来た……んだけど……なんか……恥ずかしくて……言えない……)」
「セルバンテス、お菓子安いからい、いつでもおいで。レジやってたら会えるかもね」
「(……きゅん)……ルーチェ、食べ終わったし……そろそろ飛行魔法で送る」
「あ、……ありがとう」
箒に乗り、ルーチェが後ろから抱きしめる形でアンジェの後ろに乗る。アンジェの魔力が箒に注がれ、ふわりふわりと飛んでいく。
(ルーチェに……抱きつかれてる……)
「風が気持ちいいねえ」
(どうしよう。胸がドキドキする)
「へっくしゅん!」
「(あっ)……寒い?」
「ううん。大丈夫。なんか出ただけ」
「……寒かったら言って」
「だ、大丈夫だよ。あり、ありがとう。アンジェちゃんは優しいね」
「べ、別に、優しいとかじゃ……」
ルーチェがアンジェの肩に顎を乗せた。その感覚に、アンジェの背筋がびくっ! と伸びた。
「夜遅いけど……この後一人で帰れる?」
「……ん、それは……大丈夫(やばい。距離近すぎ……)」
「疲れてるだろうから、気をつけてね」
「……ん……。ありがとう。……ルーチェも早く休んでね」
「明日は仕事?」
「ん。アーニーと」
「そっか。怪我しないようにね」
(……声がくすぐったい)
ルーチェといると幸せになれる。心が安らかになってくる。胸がときめく。
時間があっという間に過ぎてしまう。
「ごめんね。送ってくれてあ、ありがとう」
ルーチェがアンジェを見た。
「一人で帰れる?」
「大丈夫。飛んでくだけだから」
「夜道気をつけてね」
「大丈夫」
「……今日」
「ん」
「一緒に帰れてう、うれし、かった」
ルーチェが微笑む。
「また帰ろうね」
「……」
「あ、き、きか、機会があったら、また、よければ……」
「……うん。……また、迎えに行く」
私だってルーチェと一緒にいたい。こんなに人の側にいたいと思ったのは初めて。こういう気持ちを、人はなんて呼ぶんだろう。
「じゃあ……あの、遅いから」
やだ。離れたくない。
「気をつけて、かえ……」
アンジェがルーチェの手を握りしめた。
「……アンジェ……ちゃん?」
勢いのままに唇を押し付け、柔らかなルーチェの唇と重ねる。触れ合えば、天国に行ってしまうんじゃないかとほど幸せな気持ちに溢れた。でも同時に、まだ足りないと、まだまだ足りないと思う自分がいる。もっと欲しくなってしまう。こんな気持ちは初めてで、どうしていいかわからない。ただ、ルーチェと一緒にいたい。側にいたい。離れたくない。このまま触れ合ってたい。キスし合ってたい。
唇を離す。ルーチェと目が合う。その頬は真っ赤に染まっている。
「……ルーチェっ……」
「ん……」
キスをして、舌を絡ませる。熱くて、燃えてしまいそうで、心臓が激しく動いて、ルーチェの顔を見て、ルーチェがアンジェの顔を見て、額を合わせ、鼻をくっつけ、息を吐きながら……アンジェが呟いた。
「……ルーチェ……好き……」
「……うん。あたしも……好きだよ……」
唇を重ねる。
「ルーチェに甘えたい」
「ごめんね。今日は……もう、遅いから」
「うん。また……来るから」
「うん。待ってる。……またミランダ様と食べに行くから」
「うん。……待ってる……」
「……顔、あ、赤いよ」
「……ルーチェも赤い」
「……ふふっ。お揃い、だね」
ルーチェの頬にキスをする。
「ふふっ」
そしたらルーチェもアンジェの頬にキスを返した。
「……ルーチェ」
「アンジェちゃん、もう、遅いから」
「寝るまで側にいたい。好き」
「じゃあ……お泊まり会していいか、ミランダ様に聞いてみるね」
「アーニーは呼ばないでしょ?」
「呼ばないのは可哀想だよ」
「やだ。二人がいい」
アンジェがルーチェを抱き締めた。
「二人がいいの」
「……そうだね。じゃあ、……二人だけで……やろっか」
「……ルーチェ……」
「いつまでイチャついてんだい。お前達」
ミランダが出てくると、ルーチェがすかさず振り返った。
「あ、す、すみません。ミランダ様」
「夜も遅いんだから早く解散しな」
あわあわするルーチェとは裏腹に――ルーチェの肩からアンジェが凄まじい睨みをミランダに飛ばした。邪魔しないでよ!! クソババア!! しかしミランダも若造には負けない。元弟子に殺気を飛ばす。
「帰りな。アンジェ」
「……ルーチェ、大好き」
「あっ」
頬に再びキスして、本当にお別れ。
「じゃあね」
「うん。チャットするね」
「……うん。……待ってる……」
「ほら、早く帰りな」
「うるさいな! 今帰るってば!! ばーか! クソババア! 死ね!!」
アンジェがふんっ! と鼻を鳴らして箒に乗って飛んでいった。その姿を見送りながらミランダが呆れたため息を出した。
「人に死ねとか言わない」
「すみません。ミランダ様」
「お泊り会はしていいから夜に長居させるのはやめな。何かあったら責任取れないからね」
「あ、す、すみませ……あ、お泊まり……大丈夫ですか?」
「ん」
「ありがとうございます」
「……あと、少しだけ距離置きな」
「え?」
「今どっちも恋に溺れてる状態だから。……距離置いて、一回リセットしな。ふわふわしてて危ない状態だよ」
「あ、わ、わかりました」
そっか。恋に溺れてる状態。それはたしかに危ないかも。ミランダ様がそう言うんだから、絶対そうなんだ。
(一ヶ月テストが近いからって言って会わないようにしよう)
ルーチェがチャットを打ち始める頃、恋の溺れたアンジェは鼻歌を歌って夜の風を浴びる。
(次は来週かな? それともまた迎えに行こうかな)
部屋についてから愕然とするまで、アンジェの頭はルーチェでいっぱいだった。
(*'ω'*)
ルーチェのチャットが届いたと同時に、ミランダからも来ていた。
>アンジェちゃん、あたしね、ちょっとテストがあって、一人で練習したいから、一ヶ月会わないようにしよう?
>でも大好きだよ(*´ω`*)
>お休み(*´∀`*)
>アンジェ、ルーチェから連絡きてると思うけど、お前の行動は最近目に余るよ。一ヶ月でリセットしな。仕事を完璧にこなさなかったらルーチェに会わせないからね。
(あのクソババア余計なことをーーーーー!!)
その夜から、アンジェの猛特訓が始まった。魔法の本をひたすら読み、テレビを見て発想力を鍛え、水道の水を魔力で変形させ、これだと思ったものを現場に持っていく。
「ふんぬ!」
「わ! アンジェ! 今のどうやったの!? すごい!」
(あの魔女よくも私とルーチェの邪魔してくれやがってからに!)
許すまじ!!
(私の幸せをよくも!!)
あの魔女はいつもそう。私の幸せを奪っていく!
(ルーチェに会うために)
アンジェが寝る間も惜しんで魔法の研究を続ける。
(ルーチェに会うために)
まだ一週間。二週間。三週間。
「アンジェ、2番テーブル様!」
「はーい!」
四週間。――気がつけば、一ヶ月が経っていた。仕事は完璧。完璧以上の完璧。実に優秀。マネジメント部でも話題になっていた。ここ一ヶ月のアンジェ・ワイズはすごいぞ。魔法の雰囲気が変わってかなり好評です。素晴らしい。流石期待のエース。
「ワイズさん、この調子で頑張ってね!」
「はい。ありがとうございます(ざまあみろ!! ミランダ!! これで文句ないでしょ! ばーか!!)」
仕事も、父親の手伝いバイトも死ぬほど頑張った。寿命が削られた感覚がした。これ以上我慢しろと言うのか。それは鬼ではないだろうか。しかし明日も有り難いことに仕事がある。
(図書室行って魔法書読もう。なんかあるかも……)
そう思って図書室に行ってみれば。
(あっ)
ルーチェが魔法書を横に、小説のプロットを書いていた。
(ルーチェ!!!!)
(あー、魔法書読もうと思ったのに手が止まらない。えっと、10章は眠り姫が題材の学園モノで……頭の良いメイドが……)
(あ、どうしよう! なんかいかにもルーチェ! って行くのも気が引けるし、えっと、えっと……あ!)
アンジェが風魔法を起こして、ルーチェの鉛筆を地面に飛ばし落とした。
(よし)
「わ」
「あ、大丈夫ですか?」
アンジェがなんてことない顔で拾い、ルーチェと目を合わせた。するとルーチェも気づき、はっとする。
「あっ、……アンジェちゃん……」
「あ、ルーチェだったんだ。(わあ、い、一ヶ月ぶりのルーチェ……! 前髪伸びてる……!)今、昼休み?」
「あ、うん。そう」
「隣座っても良い?」
「え? 隣? えっと、正面も」
「座るね」
「あ、どうぞ」
「ありがとう。(っしゃあ! 一ヶ月ぶり! ざまあみろ! ミランダ!)……久しぶりね。ルーチェ」
「うん。久しぶり。……テレビで見たよ。なんか最近、す、す、すごいって」
「あー、別に、大したことないよ(ルーチェに会うために頑張ったんだから当然よね)」
「あたしも頑張らないとね。へへっ……」
「……ルーチェは頑張ってるよ」
机の下で手を握る。誰にも見えない。ルーチェが緊張したようにアンジェを見てきた。その瞳と会いたかった。お互い隠していた胸の高鳴りが一気に蘇る。
「……ルーチェ、元気だった?」
「……うん。アンジェちゃんも、……元気だった?」
「元気よ」
「そっか。良かった」
「……」
「あ、駄目。……ここ、図書室だから」
「……」
「駄目だよ」
「……」
「……えっと、今日……この後仕事?」
「……」
「ああ、そうなんだ」
「……」
「……土曜日、夜空いてる?」
「……」
「ミランダ様がお泊り会していいって」
「っ!」
「アーニーちゃんも誘う?」
「……」
「あ、わかった。じゃあ……今回は、二人で」
「……」
アンジェがそっとルーチェの肩に頭を置いた。一ヶ月ぶりのルーチェの匂い。たまらない。
「アンジェちゃん?」
「……」
「……やなことでもあった?」
「……」
「大丈夫?」
背中を撫でてもらい、幸せな気持ちになる。
(ルーチェ……)
「土曜日楽しみだね」
アンジェがこくりと頷いた。
「寝るまで一緒にいようね」
(大好き。ルーチェ……)
他人を好きになるってこういうことを言うのだろうか。恋に溺れているアンジェにはまだ、よくわからない。
恋に溺れる愚か者 END
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