余裕のある彼氏


 ルーチェが納品された商品を見た。


「ルーチェちゃん、これ、上の人が発注したやつね! 私もう上がりだから、あとお願いね!」

「あー、はい……」


 ルーチェが中身を確認する。濃厚なアダルトコンテンツ。数種類のAV。スタッフ共用ノートを確認する。


(AVの売上を増やしたい……え、まじで言ってんの? オススメのAVの売り場を増やす。……えー? 何? オススメとかわかんないけど……)

「お疲れーっす! 俺、出勤しましたー!」

「んー……」

「どうした。ルーチェちゃん!」

「なんか、AVのオススメの棚作るよて、予定らしくて……」

「どれどれ。……おー。なかなか」

「そうなんですか?」

「どれも有名な女優さんじゃん」

「ふーん……」

「どれかサンプル版持って帰って見れば? 早送りでテキトーに良さそうなの選んでさ」

「……あ、そうだ!」


 クレイジーが複雑な顔をした。


「俺っちが見るの?」

「うん! お願い!」


 ルーチェの目がきらきらしている。


「一番ヌけたやつ教えて!」

(女の子がそんなこと言っちゃ駄目だっぴー)


 いや、正直言ってAVを彼女公認で見ていいなんて、男にとってそんな幸せなことがあっていいのだろうかと問いたくなるところだが、それでも複雑なのだ。


(ルーチェともしたことないのに本人からこういうものを渡されるなんて)


 まあ、仕事だもんね。アルバイトなのにサンプル版持って帰れるなんて信用すごいじゃん。ルーチェ。


 というわけでクレイジーが部屋でAVを三種類見ることになった。これを見たら兄達にも回して、ルーチェに返す予定だ。もちろん手はきちんと洗ってディスクは綺麗な状態にしなければいけない。そこだけは徹底せねば。何せ、返却時にルーチェが触ることになるのだから。さあ、そうと決まったらAVタイムだ! クレイジーにとっても嬉しいAV。昨日も散々ヌかせていただきました。ルーチェが持ってきたAV。さあ、オススメのものを見つけ出すのだ!


(あーなるほどねー)


 一本目。半勃起するが、それ以上にはならない。なんかぬるい。

 二本目。有りがちテイスト。兄ちゃん達が好きそう。なかなか面白かった。

 三本目。やばい。


(かなりヌケる……)


 というか、


(女優の雰囲気がルーチェに似てて……)


『ほら、もっと足広げろよぉ!』

『あっ、あん!』


(やばい。ルーチェに見えてきた。いや、全然違うのはわかってるんだけど、背丈とか髪の長さとか同じくらいだから)


『やめてぇ! 恥ずかしいよぅ……!』


 ――恥ずかしいよ……。


『イクイクイクぅ! イっちゃうー!』


 ――クレイジー君……、イっちゃう……!


「……っ……!」


 ――クレイジーが汚れたティッシュを見た。


(……やべえ。これはまじで好みだわ。ダントツ一位。ルーチェに会う前なら二本目優勝だったけど、今は断然これ)

(……やー、……ルーチェとヤりてー……)


 クレイジーが吐く息と共にうなだれた。



(*'ω'*)



「俺は断然これだな」

「俺はこれかなー」

「……俺、これ」

「俺これだったかなー。すげーヌけた。ありがとう。……つーかさ、ユアン三本目好きでしょ。なんか雰囲気ルーチーに似てたし」

(まー、平均点で言えば)


「5票中これ3票」

「これね! あいがとう!」


 ルーチェがスマートフォンで写真を撮り、昼のアダルト担当者にチャットした。これです!! ありがとう! ルーチェちゃん! 明日やっとく!


「ありがとう。クレイジー君。すごくた、た、助かりました」

「やー、こっちこそ結構楽しかった。兄ちゃん達もなんだかんだ喜んでたし」


 クレイジーの部屋でルーチェがお茶を飲んだ。クレイジーもお茶を口に入れるとルーチェが聞いてきた。


「ちなみにクレイジー君はどれだった?」

「ぶはっ!!!!」

「うわっ、大丈夫!?」

「げほっ! げほっ! 変なとこに! ははは! 変なとこ、げほげほっ! 入ったっぽい!」

「あー、よくあるよねー。あたしもよくむせるんだー」

「げほげほげほっ!」

「……大丈夫?」


 心配になったルーチェが横に移動し、クレイジーの背中をさすった。クレイジーの咳が止まり、深呼吸する。


(はー……やべー……動揺しすぎだって……)

「……お茶飲む?」

「いや、今はいい……」


 クレイジーの手がルーチェの腰を抱き、ぴたりとくっついた。はあ。ルーチェだ。落ち着く。すりすり。


「屋敷だとミランダ様もセーレムもいるから、どーしても見辛いんだよね。ありがとう」

「や、でも、基本AVって男が見ること多いだろうし、俺っちに任せたのは正解だと思うよ」

「うふふ。頼りになるね」

(いいにおーい。えっちしたーい)


 クレイジーが下心を抱えながらルーチェと手を重ね合わせる。


(キスしたーい)


 クレイジーがルーチェを見た。ルーチェと目があった。彼女も自分を見ていた。


「……」


 クレイジーから近付いた。ルーチェは抵抗しない。瞼を閉じて、そのまま唇を重ね合わせる。ルーチェの匂いを感じて、クレイジーが唇を動かした。ルーチェの唇を啄むように動かせば、ルーチェもそれに合わせてくる。しかし息が続かない。一度唇を離し、再び目を合わせ、再び唇を重ねる。ルーチェの手と自分の手を重ね、今度は大人のキスをしてみる。舌をねじ込めば、ルーチェの口内に簡単に侵入できた。でもこれは信頼あってこそなのだとわかっている。自分は彼女の口の中に舌を入れることが許されてる。ルーチェが警戒せず心を許し、安心している。それを感じて、クレイジーが舌を絡ませる。互いを感じ合う。ルーチェの体が震えてきた。呼吸してないことに気付いて、クレイジーが唇を離した。


「ふはっ……」

「ルーチェっぴ、鼻で呼吸したら?」

「……鼻息当たるじゃん」

「俺っちも当たってるっしょ?」

「それはいいけど……あ、あたしは、やだ」

「別に気にしないよ」

「あたしがやなの」

「ふふっ。変なの」


 またキスをする。胸が満たされる。


「ルーチェ」

「……クレイジー君……」


 ――ふと、ルーチェが気付いた。硬直する。その視線でクレイジーもきょとんとし、その先を辿ってみた。クレイジーのクレイジーな息子がはち切れんばかりに元気よく社会の窓を強烈にノックしていた。クレイジーがぞっと顔を青ざめる。血の気が引く。ルーチェはガン見している。わお。なんてクレイジーな状況だろう。


「ちょーーーーーーーっっっっっ!!!」


 クレイジーが大慌てでベッドに潜った。


(今じゃない! 今じゃない!! 今じゃない!!!)


 ルーチェがぽかんとしている。


(仕方ねえじゃん! 男だもん!! 好きな子とキスして抱きしめたら元気にもなるっつーの!! てか、うわぁあーーーーー見られたーーーー!!)

「……だ、大丈夫?」

「大丈夫!!」


 ルーチェに嫌われたくない。


「ちょ、ちょっち待ってて! 俺っち! ちょっち体に緊急非常事態宣言が出ちゃった感じかも! てへぺろ!」

「……えっと」

「大丈夫! すぐ! 収まる! からね!」

(ふざけんなよ! ルーチェにキモいとか思われたらどうすんだよ! クソ! クソクソクソ!! 収まれ! 今すぐ収まれ! うごぁ! 収まれ収まれと思ってたらより立派になりやがった!! うわーーー! 最悪かよ! ちっくしょーーー!!)

「……クレイジー君、あの、勃っ……てるよね? それ」

「あはははははは! ルーチェっぴ! 女の子がそんなこと言っちゃいけないっぴよー!? てへぺろ!」

「あの、ミランダ様が言ってたから、わかるよ。その、せ、せ、せーり現象だから、仕方ないんでしょ?」

「えっ」

「大丈夫だよ。あたし達で言う生理みたいなもんだもんね」

(いや、全然違、あ、同じか……? や、もう、いや、わけわかんない……)

「大丈夫だよ。気にしてないよ」


 子供をあやすように頭を撫でられる。


「大丈夫、大丈夫」

「……」

「AVのパッケージ見て、ぎゅんって来ちゃったんだよね。大丈夫だよ。恥ずかしくないよ。気にしてないよ」

(……や、ルーチェとキスしたから勃ったんだけど……)

「あ、なんか、その、あたし……出来ることある?」

「……やー……」


 じゃあ、俺とセックスしよう?


(……)


 クレイジーが黙る。だってルーチェはまだ未経験で、こんな状況で、ムードも何もないこんな間抜けたタイミングで手を出して嫌われたくない。


 真剣にルーチェを愛してる。

 愛してるからこそ、手が出せない。

 こんなに恋に溺れたのは初めてで、どうしていいかわからない。

 今までなら簡単に誘えた。好きって思ったらしよー? って誘えた。上手くいかなければ奇策をひらめき、言葉巧みに誘い込み、欲を満たした。最低と言われたこともあった。良かったと言われたこともあった。じゃあ今回は?


 ルーチェの笑顔を見たら、本気で頭と口が動かなくなる。


(くそ……ムラムラする……)

「……大丈夫? 汗すごいけど……」

「……ルーチェっぴ」

「ん?」

「……ちょっとさ、……ちょっとだけ、……一緒に横になれたりしない?」

「……横になるの?」

「……うん」

「うん。いいよ」

「え、いいの?(勃ってるんだけど)」

「全然いいよ」

(……撫でてくる手が優しい……。まじ好き……)


 クレイジーの頭を撫でてからルーチェがベッドに入ろうとして気が付いた。そうだ。カーディガンは脱いでおこう。羽織っていたカーディガンのボタンを外し、脱いで床に置いた。その姿を見て――ルーチェの脱ぐ姿に、クレイジーの心臓が高鳴った。


(あ、これやばいかも)

「お邪魔しまーす」

(あ)


 ルーチェが狭いベッドに入ってきた。


(あ……)


 体が密着する。


(あーーーーこれ……)


 ルーチェが目の前にいて、体が密着して、クレイジーが自分の言葉に後悔と感謝の念を込めた。


(やばい。これ、AVより興奮する……)

「……大丈夫?」

「うん。へーき……。(やば……。見つめて来るルーチェめっちゃ可愛い……)ありがとう」

「ううん。こ、こんなことしか出来ないけど」

「……くっついていい?」

「うふふ。いいよ。はい、どうぞ」


 両手を広げたルーチェにクレイジーが抱き着いた。ルーチェがクレイジーの背中を優しく撫でた。かなりムラムラしているが、優しい手に気持ちが落ち着いてくる。その一方、ルーチェが腿に当たるクレイジーな息子に、強く興味を惹かれる。


「……ね、それっていつか収まるの?」

「……ルーチェっぴ、気にしなくていいから」

「……ちょっと見てみても良い?」

「はぇ?」


 思いもよらぬ言葉にクレイジーの脳内に沢山のハテナが浮かび上がる。ルーチェは早くパンツの外に抜け出したいと叫んでいるような膨らみを見てくる。


「や、み、見なくていいって!」

「大丈夫だよ。パパの見たことあるもん。もう記憶にないけど」

「ルーチェっぴ、俺っちといちゃいちゃしてよ? ね、ほら、俺っちと見つめ合おう? ほら、ちゅーしよ? ね? ちゅー」

(すごい盛り上がってる。男の子ってこうなるんだ)


 ルーチェがそっと手を伸ばし――膨らみに触れた。その瞬間、クレイジーの息が止まる。


「わ、すごい。なんか硬い!」


 クレイジーの手がぶるぶる震え始める。


「すごいね。ほ、ほ、本当に硬くなるんだね」


 ルーチェが膨らみを布越しから撫で始めた。クレイジーの背中がビクッと揺れた。ルーチェの手が膨らみに向かってよしよしと撫でている。クレイジーは思う。やめてくれ。触るなら生で触って。あ、違う。イッちゃうから収まるまで待って。まじで。


「わー。すごーい」


 ルーチェの無邪気な声。クレイジーの目がぐるぐる回り始める。ルーチェの小さな胸。ルーチェの匂い。ルーチェが目の前にいる。クレイジーが瞼を閉じた。余計にムラムラした。呼吸がどんどん浅くなっていくのを感じ取る。


(やばい。まじで、本気で、一緒に横になったの間違いだったかも、いや、ご褒美か、まじで、うわ、ちょっ……)

「……クレイジー君、大丈夫?」

「っ」


 ルーチェの何もわからない純粋無垢な姿を見て、本能的に、理性の糸が切れてしまった。脳裏で、綺麗なこの子を自分の手で汚してしまいたいと欲が沸く。クレイジーが激しい鼓動の中、口を動かす。


「……大丈夫じゃ、ない……」

「……具合悪い?」

「ムラムラする」

「……えーと、お茶飲む?」

「ルーチェ」


 クレイジーが真剣にルーチェを見つめて、言った。


「したいんだけど」

「……」

「……無理?」

「……あー……えっと、その」

「や、嫌なら、言って」

「あたし、あの、したことな……」

「知ってる」

「……あの、ごめん、あの、今日……」

「生理?」

「……毛の、処理、してなくて……」

「……ん?」


 クレイジーが思わず聞き返した。毛の処理?


「脱毛、してないから、あそこの、毛が、も、も、森なの!」

「あ、気にしないから大丈夫」

「あたしが気にするから、きょ、今日は……!」

(いや、気にしないって。別に。毛くらい。いや、でも、恥ずかしがってるし、これ以上無理強いしたら良くないかも……)

「あの、す、素股、なら!」

「ああ、素股ね。そっかー……」


 ……。


「え? 素股?」

「うん! 素股ならいいよ!」

「意味わかって言ってる?」

「え、え、AVにあったの見た!」

「え、本当にわかって言ってる?」

「え? し、下着越しで擦るやつでしょ?」

「え、まじで言ってんの?」

「え、違う?」

「や、大体合ってるけど、え? できんの?」

「わかんないけど、素股ならい、い、いける気がする!」

「していいの?」

「していいというか……」


 ルーチェが目をそらした。


「か、彼女、ですから……」


 顔を赤くさせて、恥ずかしげに言うルーチェを見て、クレイジーは黙って唾を飲んだ。


「逆に、あの、脱毛、してなくて、あの、ごめんなさい……」

「や、そこは、別にいいんだけど……」

「毛がある女子は嫌だよね……。あの、安いところ探しておくから……」

「や、そこはまじ、そりゃ、ない方が楽だけど……俺もあるし……」

「今度はちゃんとしょ、処理、あの、しておくから……」

「……ルーチェ」

「ん」

「処理してなくてもいいって言っても恥ずかしい?」

「……うん」

「……でも、処理してたらいいの?」

「……別に、もう19だし、……そりゃ、経験はないから、ちょっと、不安はあるけど……ゴムしてたら大丈夫なんだよね?」

「それは、まあ、穴空いてなければ、普通なら、平気」

「じゃあ……大丈夫じゃない?」

「俺とエッチできるの?」

「……んー。……ちょっと怖いけど、……クレイジー君なら、大丈夫かなって」

「……」

「今日は……素股でいい?」

「……ん」


 クレイジーが上からルーチェを抱きしめた。


「全然良い」

「じゃあ……あの、……予行練習的な?」

「わかった。予行練習」

「うん。予行練習……」

「……ルーチェ、まじ好き」

「……ん」

「まじで好き。本当に大好き。がちで……まじで愛してる」

「……ん、……うん」

「素股、ならいいのね?」

「……うん」

「大丈夫? 怖くない?」

「……ふふっ」

「え?」

「いや、クレイジー君だなあって思って」

「……嫌がることしたくないじゃん」

「……大丈夫だよ。か、か、彼女だもん」

「……彼ぴっぴはね、彼女っぴに嫌われたくないんだっぴー」

「うふふっ。……こんなあ、あたしが、あい、あい、相手でも、好きで……いてくれてるの、すごく嬉しい」

「……や、好きだよ。すごく」


 クレイジーがルーチェと額を重ね合わせる。


「ルーチェと付き合ってから、もっと好きになった」

「……あ、あり……がとう……」

「……ルーチェは? ……俺のこと、そろそろ好きになった?」

「……ど、どうかな。まだ、わかんないけど、……でも、気持ちは、……そうだね、好き寄りに、なってるのかな……」

「……まじでしていいの?」

「くどいよ」

「だって」


 ルーチェがそっとクレイジーの唇にキスをした。クレイジーが驚いて目を見開き、心臓を高鳴らせる。


「……大丈夫だよ。信じてるから」

「……ゴムだけ取りに行って良い?」

「……挿れないんだよね?」

「念のため」


 クレイジーが立ち上がり、棚の二段目の引き出しを開ける。震える手でコンドームの袋を取り出し、開けておき、いつでも使える準備をしておく。チャックを下げ、パンツを脱ぎ捨て、再びベッドに入る。下着の中ではすでに勃起したそれが反り立っている。ルーチェが思わず目を泳がす。


「えっと……どうしたらいい?」

「……上乗った方が安全かも」

「……上、乗ればいい?」

「ん。……あと、……パンツ脱げる?」

「ん?」

「ズボンの方」

「あ、……そっか。そうだよね。……あの、下着は、つけてて大丈夫?」

「もちろん」

「あ、わかった……」

「「……」」


 ルーチェがクレイジーに背を向けた。


「……ちょっとだけ、こっち見ないで……」

「……うん」


 微かに耳が赤く染まっているのが見えて、抱きしめたくなるのをこらえ、クレイジーが目をそらした。ルーチェがパンツを脱ぐ音が生々しく聞こえる。クレイジーの勃起した熱がより元気になった気がした。ルーチェがパンツを畳んで置き、こんなことなら勝負下着を用意しておくんだったと、自分の女子力のなさに呆れつつ、服の裾で下を隠す。しかし、隠しきれてない。クレイジーは思った。天使か。


「じゃあ、あの、し、し、失礼します……」



(*'ω'*)



 ――目を覚ますと、クレイジーは唖然とした。時間は夜の20時。既に腕の中にルーチェの姿はなく、テーブルに残された置手紙。


『気持ち良さそうに寝てたので帰ります。いっぱい休んでね。AVありがとう』


(やった。これ、やったわ)


 クレイジーが部屋の隅で膝を抱えてかなり沈む。


(ちょっとだけ二人で寝るつもりだったのに)

(起きたらイチャイチャしながら自転車で駅まで送ろうと思ってたのに)

(送ってくれてありがとう。ユアン君。大好きだよ。ちゅっ。なんて、されたかもしれないのに)

「ユアーン! ご飯出来たぞー! 起きろー!」

(ああ、最悪……最悪……チャット入れとこ……)


 クレイジーが歩きながらチャットを入れる。


 <今起きた。

 <一人で帰らせてごめん。


(……返事来ない)


 やったわ。これやったわ。


(返事来ない……)

「ユアン、遅いぞ! 早く座れ!」

「あははは!」

「セイン、テレビばっか見てないでお前も動け!」

「ありがとう。兄ちゃん」

「ほら、ユアンもご飯運べー」

(返事来ない……。返事来ない……)

「どうしたー? ユアン。あ、もしかして……ルーチーに振られちゃった感じー!?」

「……」

「え、まじ?」

「は?」

「え?」

「嘘だろ」

「ユアン」


 クレイジーが顔を上げた。エリスが立っている。


「お前、ルーチェちゃんに何した?」

「……や……あの……」

「さっきね、会ったんだよ。母さんが帰ってきた時に丁度玄関でばったりとね」

「……」

「お前なんで寝てたんだい?」

「いや……あの……返事……」

「あー! もしかしてユアン、ルーチーとヤッちゃって自分だけ寝ちゃった感じぃー!? なんちゃってー!」


 クレイジーがスマートフォンを落とした。兄達が全員クレイジーを見た。――こいつ、やらかしやがった!


「お前ぇー!!」

「中は駄目だって何度も言っただろーがー!」

「ちがっ! 中には出してねーって!」

「やったのかい! お前!」

「や! 母さん! そうじゃなくて!」

「え? まじでやったの? え? お前、ルーチーと、え? は? まじ?」

「兄ちゃん! 余計なこと言うなよ!」

「歯ァ食いしばりな!」

「母さん!」

「やめろって! 俺の仕事増やすなよ!」

「よーしよし! 全員落ちつけ!」

「あーーーめんどくせーーー!!」

「ユアン、おま、まじでルーチーとヤッたの!? や、まじ、ちょっ……お前さあ!」

「いや、あの、えっと、あの、だから……」


 クレイジーのスマートフォンが音を鳴らした。全員がはっとしてスマートフォンを見た。クレイジーが慌ててスマートフォンを拾い上げてタップした。ルーチェとのチャットに繋がった。


 >全然大丈夫だよー(*´∀`*)

 >帰りに本屋に寄って魔法書買ったんだ。今度見せるね(本)

 >今日は本当にありがとう。ゆっくり休んでね(お花)


(あ、好き)


 5兄弟全員が油断した後、クレイジーの頭にエリスの必殺フライパン落としが降りかかり、クレイジーが白目を剥いて気絶した。


「っ」

「男が寝てるんじゃないよ。次はちゃんと送り届けな。いいね!」

「「ユアーン!!」」


 今日もクレイジーな一家は賑やかな夜を過ごす。


 ――一方、


「……ルーチェ」

「はい。なんでしょう。ミランダ様」

「お前、今日何かあったかい?」

「えっ?」

「キスマー」

「え!?」

「ああ、ただの痣だったよ」


 ミランダがにやにやしながらルーチェの肩を叩く。


「恋愛も良いけど、勉強もその倍やるんだよ」

「……はい」

(まじでこの人に隠し事出来ねえ……)

「ゴムしたんだろうね?」

「……あの、素股……」

「え?」

「す……また……です……。毛の処理……し、し、してなかったので……」

「……」

「向こうも、それでいいって……」

「……お前、あの坊やに感謝するんだよ」

「あ、それは、はい……」

(苦労するねぇ。坊や)


 夜が更ければまた朝が始まる。今日も魔法学校に二人が足を向ける。ルーチェが駅から下りる。眠くて欠伸をする。スマートフォンで時間割を確認すれば、忘れものに気付き、がっくりと肩を落とす。


(やばい……。宿題のプリント忘れた……)

「おっはよー! ルーチェっぴー!」

「っ!」


 後ろから元気よく抱きしめられ、ルーチェが息を呑んだ。振り返ると、昨日の真剣な雰囲気とは全く違う、いつもの軽そうな彼がいる。


「あれ? どしたの? なんか顔暗くね?」

「しゅ、宿題のプリント、忘れて……」

「あっははー! 今日の準備朝やったんでしょ! もー! しょうがない子だっぴー!」

「はあ……」

「俺っちも職員室行って一緒に謝ろっかー?」

「それはい……」


 クレイジーの手がルーチェの肩を掴み、抱き寄せた。


(ふぇっ)

(危な)


 もう少しでルーチェの肩に電信柱が当たってた。クレイジーの目がルーチェを見下ろす。どこも怪我してなさそう。そしてまたいつもの笑顔に戻る。


「ルーチェっぴ! 学校まで一緒に行こー?」

「……」

(ん?)


 クレイジーがきょとんとする。――ルーチェの顔が真っ赤に染まり、眉を下げ、照れた顔を隠すように俯いている。そそられる。クレイジーが唾を呑んだ。ルーチェがゆっくりと深呼吸した。大きな手が小さな手を優しく掴む。


「……行こ」

「……うん」


 手を繋いで、ゆっくり歩く。


「……今日はバイトだっけ?」

「……うん。そう」

「……帰りさ、あの、送るから」

「……あ、でも、あの、クレイジー君も、あの、バイト……」

「や、通り道だし」

「あ、そ、そっか」

「「……」」

「「あ」」

「「え?」」

「あ、どうぞ」

「あ、ルーチェっぴから」

「あ、いや」

「あ、じゃあ……えっと……昨日、帰れた?」

「あ……うん。大丈夫」

「や」

「あ」

「まじ……ごめん」

「あ、や、う、ううん。……ゆっくり寝れた?」

「あ、もう、うん」

「あ」

「ほんと、ありがとう」

「あ、いえいえ」

「次は、あの、ちゃんと……送るから」

「……ご、ごめんね、昨日」

「え、何が?」

「や、ちゃんと……出来なくて」

「あ、いや、別に、あの、出来る時でいいから。別に、焦ってするもんじゃないし」

「あ、う、うん」

「出来る時に、あの、また、……してもいい?」

「……」

「……」

「……えっとー……ちゃんと、準備しておくね……」

「……あと、さ……」

「……うん」

「……昨日、……本当にお世辞じゃないから」

「……」

「まじで可愛いと思ってるし、……ちゃんと、好きだから。ルーチェのこと」

「……」

「……まだ、別れる気とかないから。……そのつもりで」

「……ん、うん」

「……」

「……あ、りがとう」


 手に、少しだけ力がこもる。


「あたしも、もうちょっと、……い、一緒にいたい……かな」

(あ、もう結婚する。まじで結婚する。可愛すぎる。やばい。大好き)


 クレイジーが顔を上げて、前を見て歩く。俯くこの子を俺が誘導しないと。俺がこの子を守るんだ。早く魔法使いになって、収入を安定させて、ルーチェも魔法使いになって、そしたら、――ちゃんとプロポーズしよう。


 それまで、この手を繋いで誘導できる男になろう。ルーチェが安心して、頼れるような、かっこよくて、自慢したくなるような、余裕のある彼氏になろう。


 今日もユアンは、余裕のあるクレイジーな笑みを浮かべて、ルーチェを見る。


「昼どーする?」

「……んー、図書室、行く」

「勉強しながら一緒に食べよ」

「あ、わかった」

「文法でわかんないとこある?」

「あー、あのねー」


 愛の芽はまだ小さい。しかし、確実に成長しているそれは、いずれ大きな花となる。手を握り締めた二人は、お互いの夢のために、ヤミー魔術学校に向かってゆっくりと歩いて行く。





 余裕のある彼氏 END(R18フルverはアルファポリスにて)

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