第2話
「いただきます」
「はいどうぞ」
私の挨拶に、リヒャルトさんの返事。お決まりのやり取りを終わらせてから同時に食事を始める。
リヒャルトさんは身体が大きい割に手先が器用だ。一緒にキッチンで調理をすることがよくあるが、その包丁捌きには舌を巻くものがある。初めて目にした時に、両手を叩いて絶賛すると「刃物を扱うのは得意でな」と言って笑っていた。そんな彼の職業は、木こりだ。
木こり。都会のど真ん中で育った私には耳馴染みのない、ファンタジーなジョブに思えた。実際、魔法も魔物も存在している世界なので間違った感想ではなかったわけだが。
「って、何してるの」
「うん? さくはあまりにも少食だからな。もっとたくさん食べられるようになりなさい」
そう言ってリヒャルトさんは自分の皿から私の皿へぽいぽいと食材を移す。皿から皿へ移動されるそれは、目にも鮮やかなオレンジ色をした野菜。
「さく、イリン好きだろ?」
イリン、と呼ばれるそれは庭のささやかなスペースで育てた根菜だ。生のままでも食べられるし煮物にすると甘さが増してしっとり柔らかな歯触りで口の中で溶ける。要は、にんじん。
一年この世界で暮らして分かったことは、剣と魔法があること、魔物という凶暴な種族が存在し時折人に悪さをすること。そして、食文化に関しては元の世界とほとんど変わらないということ。
食材一つ一つの名前は違うが、見た目も味も変わらない。これは本当に助かった。食は良いモチベーションを保つのに大切なものだ。
「リヒャルトさんのお皿からイリン無くなっちゃうよ」
「良いよ。さくがいっぱい食べてくれる方が俺は嬉しい」
「過保護か。じゃあこれあげるね」
煮物の皿に入っていた鶏肉をリヒャルトさんに移すと、こら、と言われたが顔は笑っていた。
「そうだ、今日のお仕事ね。夕方からじゃなくて正午からになったの。上がりはいつもと同じだから今日は長時間になるね」
「だめだ」
「そう言われましても。昨日の時点でもう了承しちゃったし」
「俺から話ておく。長時間は週に2回までって言ってるだろ」
「でも、」
「さくや」
普段よりも低いリヒャルトさんの声で、賑やかだった朝の食卓が張り詰めたものに変わった。硬い表情をした彼を見ることが出来ずに、視線をそっと肩越しの窓にずらした。
大きな声で怒鳴られるよりも、静かにこちらの意志を侵食してくるような声音の方が苦手で、私は固まってしまう。静かな声は怖い。何も期待していない、と。お前はそこまでの奴だ、と。見限られて突き放されるような気になる。
唐突にそんな考えが頭を過って、胸がザワついた。じわり、と背中を汗が伝って嫌な予感がする。
「さくや」
今度は柔らかく呼びかけられた。声だけで圧倒されて押し黙ってしまった私の肩に、安心させるように大きな手が触れた。
「さくごめん。怖かったな」
「平気。こわくないよ」
「ごめんな。でも意地悪で言ってるんじゃない」
「わかってる」
「さくの身体が心配なんだ。お前は……普通よりもずっと気をつけないといけないだろう」
「それは、【呪い】のことを言ってる?」
抗議するように、彼の灰色の目を見て敢えてハッキリとそう言った。ほんの少しだけ悲しそうに揺れた目は、しかし視線は外さないままにそうだと伝えてくる。
「いつ発作が起こるか分からないだろ」
「そんなこと言ってたら何も出来ないよ」
「それが悪いこととは思わない。さくには俺がいる。一生食っていけるくらいの貯えはある」
「何も出来ない人間にはなりたくない」
「俺はそれで構わない」
「そん、……っ」
胸に、亀裂が走った。
細い筋が、バリバリと列状に広がって胸の真ん中から激しい痛みが襲う。
「あっ、ぐぅ、」
「さくや!?」
とても座っていられずにその場に倒れ込んだ。椅子から落ちて強かに体を打ったが、胸から走る亀裂の痛みに意識持っていかれてそれ以外のことが分からない。
体の中の臓器が錆びて軋むような堪難い痛み。胸を掻き毟るが体がひび割れていくような感覚は止まない。リヒャルトさんが何か叫んでいるが、耳鳴りで聞こえないし視界もぼやけてもはや息をしているかどうかさえも。
お前はいったい何なら出来るんだ。
何も成せずに空っぽのままいつまで生きているつもりだ。
何のためにお前はここにいるんだ。
出来損ないめ。お前は、
必要ない。
「さくや!」
「っ、……はぁ、はぁっ、」
「さくや、さく! 俺がわかるか!?」
「り、ひゃると、さん」
「ああ、さくや」
意識が飛んでいた。気がつくと屈強な腕の中で、目の前には今にも泣き出しそうな顔面国宝が冷たい手で私の頬を包んでいた。
リヒャルトさん、いつも暖かいのに。こんなに手を冷たくしてどうしたんだろう。そう思ってその手に手を重ねると、体温差で自分の手が更に冷たいことに気づいた。よく目を凝らすと、指先が真っ白になっている。背中も汗でぐっしょりと濡れてシャツが湿気っていた。
「ごめんなさい……」
「さくがごめんなさいすることなんて何も無い。まだ痛いか? 大丈夫か?」
「ん、波は引いた」
重く深いため息と同時に良かった、という震える呟きをクリアになった聴覚が拾う。随分と心配をさせてしまったようだ。まだ少し胸がビリビリするが、先ほどの裂かれるような痛みは沈静化していたので、これ以上煩わせまいと無理やり笑ってこの場を濁してみた。
「いやあ、今回はまた大きめの発作が来ましたようで」
「さくや」
「はい……」
「今日は休んでくれ。頼むから」
言い含めるようなどこか縋るような言葉に、笑って誤魔化せ作戦は二秒で轟沈。もはやぐうの音も出ない。ついさっきまで口論していた、正にそれが起きたのだから。
呪いの発作。
異世界で行き倒れ、何とか一命を取り留めた私にそれは刻まれていた。
医術ではどうすることもできないそれは、今も私の体を侵食し続けている。
「これは太古の呪いです。私ども医者ではどうにもできません。知り合いの魔術師にも見てもらいましたが、お手上げです。これを解ける術者はおそらく今の時代には存在しません」
体は治せるが呪術は手に負えない、と私の命を救ってくれた医者がそう言った。
身に覚えのないそのペナルティに最初こそ恐れ嘆いたが、今となってはどうしようもないと開き直っている。だって解けないと言われてしまったもの。潔く腹を括って生きられる分を生きようと、そう決意した。
「いま薬を持ってくるから、ちょっと待ってろ」
リヒャルトさんは私を抱えてソファに下ろしてから、走ってリビングを出て行った。
そんなに急がなくても、と思うが言っても聞かないのでもう言わないことにした。
あの人は、私の命を惜しんでくれている。それがすごく嬉しいと同時に後ろめたくもある。半ば諦めている私を、彼は認めない。必ず呪いを解くのだと言って笑う。だから安心しろと言って頭を撫でてくれる。
その気持ちにどう答えていいか分からなくて、私はいつも曖昧に笑うのだ。
「ほら、さく。いつもの薬」
出ていった勢いと変わらぬ速さで帰ってきた。その手にはカラフルな飴玉を詰め込んだ瓶。
「ありがと、リヒャルトさん」
「水、要るか?」
「ううん。薬っていうかほぼ飴玉だし」
瓶を受け取り、その中から適当にひとつ取り出す。今日は水色。まるで空を閉じ込めたかのような澄んだ青に、食べるのがもったいないなと躊躇する。だが横で一挙手一投足を見つめる大男の眼力に急かされて、まん丸で小ぶりな空を口に放り込んだ。
「あまい」
「良かったな」
「子供じゃないんだけど」
「毎日口にするんだから、味は大事だろ」
それはそうだけどと、もごもご飴玉薬を転がしながら歯切れ悪く返答する。
確かに、一番最初に飲んだ粉薬はこの世のものとは思えないほど苦かった。舌を引っこ抜いてくれと、のたうち回って叫んだほどだ。
「この薬、ほんとに効いてる?」
「この国いちばんの魔術師が作ったんだから間違いない」
「リヒャルトさん、そんな人とどこで知り合ったの?」
「古い友達なんだよ」
「木こりが? そんなすごい魔術師さんと?」
「おう。それに定期的にさくを診てもらってるが、ちゃんと効果は出てるそうだぞ。今はまだ解除は出来ないが呪いの効果を遅延させてる」
「え? 診てるっていつ? 会ったことないよ?」
「さくが寝てる時」
「なんでさ!?」
「あいつ人見知りなんだよ」
「そんな馬鹿な!」
人見知りだからって人が寝ている間に勝手に何をしてくれてるんだ。診察ってどんな? と聞いても笑ってはぐらかされる。まさか服を捲ったり触ったり嗅いだりしていないだろうな、と引いたはずの汗がまたじわりと滲む。
そんなことをぐるぐる考えている横で、爆弾発言をした当の本人は何処吹く風だ。汗で濡れた額に張り付く髪を払いながら、どさくさで毛先にキスをしている。
やめてください、いま絶対に汗臭いから。ふるふると頭を振ると、ふっと唇が弧を描いて離れた。リヒャルトさんはこの黒い髪がお気に入りらしい。そういえばこの町で黒い髪は見たことがない気がする。鎖骨の辺りで切りそろえられたミディアム丈の髪を摘んで記憶を辿るが、やはり自分以外の黒髪に見覚えはなかった。小さな町とはいえ全員を見知っている訳では無いが、それなりにはレアなのだろうか。
「とにかく、大事な薬なんだからきちんと毎日飲むように」
「はーい……」
思考を遮って降ってきたお小言に、ひとまず返事はしたが不満である。人が寝ている間に診察するような変人の作る薬かと思うといまいち信用性に欠ける。ムスッと口を尖らせると、なんだその可愛い顔、と宣ったリヒャルトさんに鼻を齧られた。訴訟。
飴玉薬が口の中で溶けきった頃には、先程の冷や汗が肌にまとわりついて気持ち悪くなっていた。このままでは発作とは別に風邪をひいてしまう。
「リヒャルトさん、私着替えついでにシャワー浴びてくる」
キッチンで朝食の後片付けをしていた背中にそう告げて、タオルと着替え片手にお風呂場へ向かう。
脱衣所兼洗面所で、湿気ったシャツとズボンを脱いで洗濯カゴへと畳んで入れる。朝にシャワーを浴びたらしいリヒャルトさんのカゴには服が乱雑に投げられていた。料理やお掃除は細かくて繊細なのになぜこういう所は雑なんだろう。人の目につかない所は手を抜いていたりするのだろうか。
そう思うと完全無欠なイケメンも、人間らしいところがあるんだなと思えて安心した。
込み上げた笑いをそのままに、ブラのホックに手をかけて、ふと洗面台の鏡が目に入る。自分の体の真ん中、丁度胸の間に黒い線が刻まれている。
「呪い」
一年前突然刻まれたこれが、ふとした時に暴れだして自分を苦しめる。呪いは今も少しずつ私を蝕んでいるのだそうだ。自覚はないが、体の機能を少しずつ衰えさせているらしい。
じわりじわりと侵食し、いずれ体の三分の一、半分、と臓器を停止させていくんだとか。今はまだ生活に支障はないが、その内この体は動かなくなるのだろう。それが一年後か、五年後か、十年後かは分からない。
そっと鏡越しに胸に刻まれた呪いに触れる。一年前よりもほんの少しだけ広がったこれが、いつか私を終わらせる。まるで実感がない。
「まあ考えても仕方ないない」
ふっ、と短く息を吐いてブラのホックに手をかけた。かち、っと外して紐が肩からズレた、その時。
「なあさく」
「っ!?」
「シャワー浴びるなら気をつけてくれ。ちょっと調子悪くて暖かくなるまで時間かかるから」
ノックもなく脱衣所の扉が開かれた。
かと思うとなんということも無く、顔面良男は笑顔で私を真正面に見据えてそう言った。
ぽろり、と肩紐が完全に外れてカップがずり落ちる。
「ああ、それから」
ぎゃあ
天を突くような悲鳴と共に、圧倒的配慮無しだから独身なんだよ男は脱衣所から蹴り出された。
訴訟!
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