エッセイ置き場

个叉(かさ)

大空のタクト






母がよく聞いていた、さだまさしの寒北斗のように、庭先で福寿草が揺れる季節。


関西のコンサートホールで、吹奏楽の演奏会があった。

高校生の若く力強いブラス。

卒業コンサートでもある演奏会は、父の付き添いで、毎年恒例行事となっていた。

コロナ禍において、中止されていた演奏会は、関係者に向けて漸く開かれた。


当たり前のように演奏会は始まった。

それは、見慣れた光景だった。


いつもの曲目。

翼をください。

その曲は、魔力をもっていた。

管楽器と弦楽器の安定した音。

リズムをうつ打楽器。

手話。

ささやかな歌声。

いつも通りの楽しい音楽と、それ以外に訴えかけてくる。

気迫でもなく、違和感のない溶け込むような力が、確かにそこにあった。


控えめなアナウンス。

2曲目以降に何時もより少しお喋りな司会。

顧問だけどなにもしていないから、司会をやれと言われた。

そんな昔話を明るく笑って、なんでもないように会場を沸かす。

いつもより二人分、頑張っている。


そして行進曲、ポップス、バレエ音楽。


管楽器の息継ぎ。

普段なら意識しない、その音が覚悟のように響く。

何度も何度も繰り返し。

コンサートホールに響く、独りの管楽器の気迫。

息遣いが、周囲の空気を全て取り込み、魂のように吐き出される息。

まるでアートマンのような。

インド哲学では、人を構成する一番大事なものは、息であるアートマン。

そのものを吸い、吐き出していく。


ぎこちなさのない指揮者(コンダクター)。

見易く分かりやすく、既視感のある憑依したような力強さ。

違和感はタクトとずれる演奏者の少しのリズム。

タクトを振るその姿と、求める重ならない姿への戸惑いのよう。

それを引っ張る指揮者。

以前、中学生に体験させた時とは同じ轍を踏まない、空気が変わる。

後半につれ、指揮者の思いと同化し力強くなるリズム。


三つ四つ、前半の演目が終わって、休憩のアナウンスが流れ、手洗いへ急いだ。

マスクをしていて良かった。

泣くまい泣くまいと思ったのが悪かったのか。

都度刺激された涙腺により、不織布の中はぐちゃぐちゃだった。

拍手の度に気づかれぬよう鼻をすすり、拭えるものは拭ったのだが、意味がなかった。

私は個室で鼻をかんだ。



戻った座席の横に、パンフレットがある。

パンフレットはいつも通りの文面。

ただ最後の見開きには、生徒の思いが詰まっていた。

訃報の記事と、寄せ書き。

訃報には先生の思いが、寄せ書きには生徒の思いが詰まっていた。

大会よりも演奏会に居てほしいと願う生徒。

まだ死ぬわけにはいかないという先生。

それ以上、言葉にしなくても伝わってきた。




その新聞記事が掲載されたのは、朝日新聞だった。

祖父を数か月前になくし、色々と考えていた時期だ。

毎年恒例である演奏会のチケットの話を、二、三日前にしたばかりだった。

父が新聞を読みながら、その訃報を伝えた。

前々から調子が悪かったと聞いていたらしい。

職場で新聞を6紙とってたが、朝日新聞にしか、その日の朝刊に記事はなかった。


情熱的で、行進曲や元気な曲が好きな人だった。

かといって、それ以外の曲に取り組まないわけではなかった。

教わったことはない。

演奏会での、毎回漫才のような司会、生徒とのやり取り。

十年単位でそれを見てきただけだ。

新聞記事にあるように、メトロノームについて語ることもあった。

あの、カチカチというのがね、なんかね。

ニコニコ笑いながら、司会と一緒に、笑いに変えながら。

毎年のように繰り返される安定の演目と、軽微の変化。

「落語だから変えられない」

「ふるさとが好きだった」

「友達多いから、お釈迦様とか…友達になって、今日は○○の演奏会やから見に行こうって、来てるんちゃうかと思います」

そういった司会者の言葉。


あんな明るい行進曲で泣くことは、もうないだろう。

記憶を辿ると、未だに心を揺さぶり涙腺を刺激する。

こんな感覚は二度とない。


先生聞いて。

来てくれているよね。

先生の好きなものを選んだ。

先生のタクト、覚えているよ。

いつも通りひいてるよ。

息づいてるよ。

安心して。

届いて。


そんな感情が、優しく力強い音にのって押し寄せるような感覚。

魔法にかけられたような、はじめての感覚だった。


私も未だに祖父がそこにいるような感覚がある。

畑やものを作るのに忙しくて、家にあまりいなかったから、どこかで仕事しているように思うのだ。

いないことが不思議で。

死を理解していても、そこに行けばいるような気がする。

それと似た感覚が、生徒たちもある気がした。

先生がそこにいるんだと、ホールにいてるんじゃないか、いるような気がする。

生徒たちはそう思っているように聴こえた。




「先生が撒いてくれた種から必ず花を咲かせて見せます、見守ってください」

パンフレットに載っていた生徒の言葉は、それだけだ。

もっとたくさん言いたいことがあるのを、芯の部分だけすくいとったような言葉だった。


宿り木というものがある。

小さな可愛らしい花が咲く、半寄生の植物。

半分は寄生し、半分は自立する。

松みどり、モチのみと呼ばれ、鳥が食べる。

その実が特徴的で、青いとガムのよう、熟すと黄色や赤になり、甘い。

鳥はその実を食べて、種を他の樹木に擦り付ける。

そうやって、松やケヤキにつく。


時に粘りながら、渋いときと厳しいとき、少なからず甘いときもある。

そういった年輪や絆をもつ生徒の心に、先生の思いが宿っているような気がした。


ヤドリギの花言葉は、「困難に打ち勝つ」「忍耐」。

福寿草の花言葉は、「回想」「悲しき思い出」「永久の幸福」。


アンコールはなかった。

アンコールは、きっと先生が大空でタクトを。


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