5 どうせみんな死ぬ。

【タイトル】

 どうせみんな死ぬ。

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054935264875


【作者】

  桜愛乃際(さくらのあ) 様


【ジャンル】

 異世界ファンタジー


 ※第2-35話 頑張る理由が知りたい まで読んだ時点での感想です。読了時点でのネタバレを含みます。※


【あらすじ】

 大国ルスファの歴史は人間と魔族の歴史と言ってもいい。人間と魔族は争い続けてきたが、ここ三十年は小康状態となっている。ルスファは主に人間が統治する国となり、魔王に連なる魔族は人間社会では偏見の眼を向けられることが多い。

 マナ・クレイアは特徴的な容姿と魔族ということもあり、周囲から注目を集めながらも、ノア学園高等学校で学園生活を送っていた。マナには他にも奇妙な点がある。八歳になれば大半の者が使える魔法を使えないこと。そして……彼女が魔王の娘だということだ。


【魅力】

 魔族の少女マナを中心に、登場人物のキャラクター性がユニークであり、物語の楽しさを主に構成していると思います。差別や偏見というものをフラットにしてくれる環境に彼女が身を置いているのかなと感じました。たとえば朱里は男性でありながら当たり前にスカートを履いており、可愛く着飾ることが好きなようです。それを特筆すべきこととせずさらりと流すあたりに、私が知っている社会通念や既成概念が意味をなさないと見せつけられた心地です。個性的なものが当たり前に存在するフラットさこそが、第1話で垣間見た日常の良さなのかなと感じます。

 そこから0話、2話と続いていくことで日常から強大な勢力に呑み込まれていくような得体の知れない不安、闇、明かされる正体とどんどんスケールが大きくなっていきます。日常の枠から少しずつ外れていき、本来背負わされていたのだろう宿命に立ち返る。そしてタイトルを改めて見た時に、明暗のコントラストで胸を抉られる心地です。


【気になった点】

 物語の展開として気になったのは、

 ・大半の者が魔法を使える社会だが、魔法を使えない者もいるので科学が発達している。にも関わらず、新幹線と馬車が同時代に現役の移動手段として存在していること。

 ・マナ・クレイアとマナ・クラン・ゴールスファ。マナという同じ名前の少女が二人いること。

 ・名前の呼び方、表記の仕方

 です。これらは修正が必要だとかそういう意図で列挙しているのではなく、どちらかと言えば物語を読んでいく中で疑問に思ったこと、です。

 移動手段については文明レベル、というところで気になりました。魔法と科学の両立は理解できますが、その科学でも新幹線と馬車というのは生活水準が違いすぎるというか、時代が違うのではと感じました。もちろん、例外もあるかもしれませんが。王都は電気が通っていない古い都市だから、と書かれていたと思いますが、即位の儀式やお祭りで盛り上がり、人口もそこそこありそうなので、文明が発達しなかったのはちょっと疑問に思えました。

 後半二つは読み手の問題なのですが、わざわざ同じ名前の子が二人いるのは……と邪推しながら読んでいました。

 

【その他】

 0話を読んで物語の解像度が一気に上がった気がします。キャラクターの背景がわかると見える世界も変わって見えますね。

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